黒色兵団は王都に戻って来た。自ら望んでのことではない。国王の召喚を受けて、仕方なくだ。さすがにレグルスも国王の命令を無視するわけにはいかなかったのだ。
王都は、王国各地で争乱が起きているとは思えない、明るい雰囲気。それに疑問を感じたレグルスたちではあったが、理由はすぐに知ることが出来た。ジークフリート王子とサマンサアンの結婚の日取りが決まり、それが国民にも伝えられたのだ。今はまだ王都だけだが、やがて王国全土がお祝いムードに包まれることになる。一部の例外はあるとしても。
「まさか結婚式に出ろということではありませんよね?」
国王と話しているにしては砕けた態度。それが許されるのは、この場にいるのが国王の他は諜報部長だけだからだ。
「出席出来るのなら出席しろ。だが、呼んだのはジークの結婚とは関係ない」
「では、何ですか?」
「何ですか、ではない。任務に復帰するという連絡が届いたと思えば、すぐに目的地に向かって発ったと続いた。命令もないのに、どこに向かったのかが気にならないはずがないだろ?」
その連絡だけで、レグルスは王国が把握していない何かを知っていることが分かる。薄々感じていたことだ。ジュリアン王子は、ほぼ確信していたが。
「報告が言っているはずですが?」
現地で行ったことまで国王に秘密にしておくわけにはいかない。正体不明の部隊を潰した、だけであればそれも出来るが、その部隊と繋がっていた領地の人間も何人か、黒色兵団は捕縛、殺傷しているのだ。
「ああ、届いている。だがそれは召喚命令を発した後のことだ」
国王は黒色兵団が領地を発ったという連絡が届いた時点で、王都への召喚命令を発している。実際にそれがレグルスに届く前に目的は、完全ではないが、達成し、国王に向けて報告が送られたのだ。
「時間差はどうにもなりません」
「分かっている。それで? どうして企み事が行われているのが分かった?」
「ずっと調べていたからです。基本は元々、争乱が起きる芽がある場所から。少数民族が暮らしている土地などを優先しました。あとは一度、何かが起きた場所から一定の範囲は調査対象から除外。そうやって絞り込んだ結果です」
レグルスの話を聞いて、諜報部長の口角があがっている。調査方針に驚きはない。だがそれをレグルスが、王国に頼ることなく実行出来たという事実には呆れるしかない。
「何者の仕業だ?」
「残念ながらそれを突き止めることには失敗しました。分かったのは、かなり強固な組織であること。捕らえられるより、死を選ぶような者たちでしたから」
「なるほど……そうさせるような者が組織を率いているということだな?」
実際は組織の長であるジョーディーの力だけではない。影の軍団のメンバーの多くは絶望的な人生を繰り返している者たち。計画が失敗すれば、どうせ死ぬと思っている彼らは死への恐怖が薄いのだ。これはレグルスも同じだ。
「その可能性が高いということです」
この期に及んでもレグルスはジョーディーの名を出さない。証拠を掴めなかったという理由はあるが、それだけではない。ジョーディーの目的がサマンサアンの幸せであるとすれば、それを邪魔することはレグルスには出来ないのだ。
「各地で起きている全てがその謎の組織の仕業か?」
「決めつけることは出来ません。王国各地で活動出来るだけの組織なんて、そうあるものではありません。しかも公にはなっていない組織となると、本当にあるのか疑問です」
それだけの組織を持てるとすれば、対象は限られる。王国以外では守護五家だ。すでに王国は守護五家を怪しんでいるだろうとレグルスも思っているが、特定することを助けるつもりはない。
「……だが実際に各地で事が起きている」
「はい。一方で、実際はたいしたことはしていない可能性もあります。元々、反乱の火種があるところに薪を置くだけであれば、大きな組織は必要ありません」
完全に否定することも無理がある。ほどほどの情報は与える必要があるのだ。
「組織があるとして、その目的は何だと考えている?」
「それが分かりません。以前は陛下を疑ったくらいです」
「何だと?」
これは嘘ではない。ジョーディーは最終的に何を求めているのか、レグルスは分かっていない。ジョーディーが黒幕である証拠より、その目的を知ることのほうがレグルスにとっては重要だ。今回は失敗に終わったが、それがサマンサアンの幸福と異なるものであると分かった時、レグルスの動き方はまた変わることになる。
「あちこちで事件が起きていますが、それは次々と解決されてもいます。それを為した者たちは王国に平穏をもたらす英雄。そういう評判を陛下は必要としているのではないかと邪推しました」
「……王家の評価があがることは良いことだ。だが私は、その為に国民を苦しめるような愚かな王ではない」
「ですから邪推です。出来れば次の何かが起こる前に、目的を突き止めたいのですが……」
ジョーディーに直接聞いても、本当のことを話すはずがない。では今回のように手足となって動いている者たちを捕らえる試みを続けるかとなるのだが、ジョーディーを刺激し過ぎることも避けたい。全面対決はレグルスも望んでいないのだ。
「次は王国に対する反乱になるという分析もされている」
「それは王国に対する不満が各地で高まった場合のこと。それを防ぐ為に何が必要かはすでにご承知のはずです」
国王が自分たちに求めていることだけでなく、ジュリアン王子を指揮官とする新設騎士団の情報もレグルスは掴んでいる。間違った方法ではないと思う。問題は時間だけだ。一つ一つの問題を当事者が納得する形で決着させるには、かなりの時間が必要だ。
「出来るか?」
「問題は時間です。ですから我々を王都に呼び戻すような時間の無駄は避けていただきたかった」
王都への移動の間、黒色兵団の活動は止まる。現地調査などは継続しているが、その結果に基づく判断はレグルスが行うことになる。戦闘か放置か、もしくは別の何かか。他のメンバーでは決められないのだ。
黒色兵団はジョーディーが懸念しているほど情報を得ていない。王国全土を調査するなどという王国諜報部でも出来ないことを、黒色兵団だけで完璧に出来るはずがないのだ。
「もう一つ、騎士団を作るつもりだ」
「隠してもしようがないので言いますが、知っています」
「まったく……ジュリアンは否定的だ。慌てて作っても役に立たないと言っている」
「その騎士団だけではそうでしょう。諜報部は協力出来ないのですか? 場所は限定されています。事実を突き止めるに必要な証拠が残っているかという問題はありますが」
大切なのは現地調査。戦闘力はその後の話だ。それを黒色兵団は独自に持っている。ジュリアン王子の騎士団にも必要だが、それは諜報部が行えば良いとレグルスは考えている。
「今現在は無理だ。王国騎士団との共同作戦も人手が足りていない。それだけに全部員を投入するというわけにはいかないのだ」
王国諜報部には本来の任務がある。他国や辺境伯家の情報収集。それ以外にも様々な調査任務がある。それを疎かにしてでも、この件に人手をかけるという決断は、今はまだ出来ない。国内に集中した結果、他国に隙を見せるという事態は許されないのだ。
「そうですか……非正規の人員を投入するというのは?」
「なんだそれは? まさか傭兵のことか?」
「手続き上は傭兵ということになりますか。そういった人を雇うことは考えられますか? アリシアがジュリアン王子の騎士団に加わるという前提があれば、喜んで働いてくれるだろう人たちを知っています」
レグルスの頭にあるのはカリバ族だ。特別諜報能力が高いわけではないが、同じ少数民族ということで聞ける話もあるはず。迫害を受け、滅亡寸前に追い込まれたという事実も共感を得る助けになるかもしれない。カリバ族が働けるのは少数民族が絡む場所だけに限られるとしても、その数は決して少なくない。
「信頼出来る者たちなのか?」
「アリシアの為ということであれば。ああ、もう一つ条件がありました。陛下が冤罪を冤罪と正式に認めることも必要です」
カリバ族は違法薬物の製造販売に関わっていた。公式には無実とはなっていない。実際に関わっていた者たちがいたのだ。その者たちは全員死亡し、生き残った人たちは無関係だったという事実が認められなければ、無実にはならない。
「……カリバ族は滅びていなかったのだな?」
冤罪という言葉を聞いて国王にも、レグルスが考えていることが分かった。
「そのような報告を受けていたのですか?」
「逃げた者たちの行方はまったく不明という報告は受けている」
だがレグルスはカリバ族の行方を知っている。現場にはいなかったはずのレグルスが。
「知り合いに噂を聞きました。あくまでも噂ですので、現地を調べてみないと本当かは分かりません」
「では諜報部に調べさせよう」
「いえいえ。人手が足りないという話を聞いて、そんなことはさせられません。こちらで調べます」
「貴様……」
これはカリバ族の居場所を教えるつもりはないという意思表示。国王としては納得できないことだ。自国の王に隠し事をするなど、あってはならないはずなのだ。
「陛下。そちらはお任せしたほうが良いようです」
「どうした?」
諜報部長がレグルスに助け船を出してきた。その意図が国王には分からない。諜報部長にとっても情報を秘匿されることは受け入れがたいことであるはずなのだ。
「南方辺境伯が急死したようです」
どのようにその報告を受けたのか。分かるのは諜報部長の手に、その報告が記されているのであろう紙があることだけだ。
「なんだと……?」
「死因は現在のところ不明。病死である可能性が高いとは思いますが」
このタイミングで南方辺境伯が亡くなった。今王国で起こっていることとは無関係だと決めつけることは出来ない。新たな何かが引き起こされる前触れ、死そのものが何者かの仕業である可能性がある。
元々、南方辺境伯家は問題を抱えている。隠そうとしても隠しきれない親子、兄弟の確執、という言葉では生ぬるい問題だ。
「……すぐに調査を始めろ」
「御意」
「調べてどうするのですか?」
国王の命令にレグルスが疑問を呈してきた。意見を述べる資格などないレグルスが。
「どういう意味だ?」
だが国王はそれを咎めることなく理由を尋ねる。レグルスが話に入ってくるのにはそれなりの理由がある。利害がないことには無視を決め込むレグルスの性質を、国王も分かってきている。
「万が一暗殺だとしても、それを王国は咎めることが出来ますか? 南方辺境伯家はそれを認めるでしょうか?」
「お前の言う通りだ。だが何もしないというわけにもいかない」
レグルスの言う通り、南方辺境伯家は内部で全てを処理しようとするはずだ。あくまでも内部の犯行である場合だが。
「やることはあります。速やかにタイラーを南方辺境伯と認定する手続きに入ることです」
「……長男が犯人だと思っているのだな?」
「暗殺と決まったわけではありません。確かなのはタイラーには父親を殺す動機がなく、兄にはあるということだけです」
暗殺かどうかはまだ確定していない。その段階で、タイラーの兄、クリスチャンを暗殺者と決めつけるのは正しくないとレグルスは思っている。だがタイラーが無実であるのは間違いなく、次期南方辺境伯は彼でなければならないことも明らかだ。
「……お前の意見は参考にさせてもらうとだけ言っておく」
ここで言われた通りにするとは国王は言えない。この場にはレグルス以外には諜報部長しかいない。最低でも宰相がいる場で決定しなければならないことなのだ。
だがレグルスの言ったことは正しいと国王も思っている。タイラーを次期当主と王国が認めることで、南方辺境伯家内の後継争いは防げる。国境を守る辺境伯家が内部で争っているなどという状況を許すわけにはいかないのだ。
「レグルス殿はどうするつもりだ?」
諜報部長は話を終わらせなかった。レグルスの介入は、今話したこと以上の理由がある。こう考えているのだ。
「私ですか? 特に何も」
「本当に?」
「今のところは本当に。ただし、あとで変わる可能性は否定しません。南方辺境伯家の問題とは、私も少し因縁がありますので」
タイラーが国王に南方辺境伯と認められればそれで終わり、とはレグルスは考えていない。もし本当に南方辺境伯の死が暗殺によるものだとすれば、その犯人はクリスチャンで、その先の企みもあるはずだ。クリスチャンの恨みは父親を殺すだけでは消えない。消えるのであれば、もっと前に殺しているはずなのだ。