黒色兵団が任務に復帰する、という情報はまだ王都には伝わっていない。だからといって、それを待たなければ任務を行えないということではない。王国騎士団の下部組織という位置づけではあるが、王女であるエリザベス王女が率いる黒色兵団には、かなりの独立性が認められている。彼女の決定で兵団は動けるのだ。
ただ動くにしても何をするのか、という問題がある。王国騎士団からの命令が発せられない状況では、活動に必要な物資や資金提供も受けられない。活動するにしても制限がある、はずだった。
「……領地は思っていたよりも豊かなのですね?」
目的地への出発準備を終えた黒色兵団。荷馬車には、それなりの量の物資が積まれている。自己調達したものだが、レグルスの治める領地は復興中のはず。これだけの物資を調達出来る余裕などないと、エリザベス王女は考えていた。
「豊かと言えるほどではありません。ぎりぎりなんとかやっている状態です」
「軍事を優先したということですか?」
エリザベス王女が見た限り、領地軍の装備もみすぼらしいものではない。鎧などはかなり使い込まれている様子はあるが、軍馬の数などは、エリザベス王女の知識では、領地の規模に比べてかなり多かった。
「優先しているのは農作地の拡張です。あと森林資源ですか。もっと計画性のある活用方法を考えています。自給自足が出来るまでで終わらせては、暮らしは良くなりませんから」
「……何か隠していますね?」
レグルスは領地を豊かにするために様々な試みを行おうとしている。それは正しい考えだとエリザベス王女も思うが、そうだとすれば軍事に使う金がどこから出てきたのだという疑問が湧く。
「別に。サイリ子爵はかなりの財産を貯め込んでいましたので」
「その財産はラスタバン王国に帰る人たちに与えたと聞いていますよ?」
ここに来るにあたってエリザベス王女は、王国騎士団の報告書に記載されていない事実も国王から聞いてきた。知るべきというより、ここで知ったことは秘密にしなければならないということを王女に伝える為だ。
「…………」
「レグルス」
「……どうやってサイリ子爵は財宝を手に入れたのでしょうか?」
エリザベス王女の追及の視線に耐えきれず、レグルスは正直に話すことにした。
「ラスタバン王国の人々を働かせることで、ではない?」
「それであれば、領民が働いても同じです。ですが、この土地には森林資源以外に特出すべき産物はありません」
子爵位であるのに特別に与えられた領地。他家の不満が大きくなるほど豊かな土地ではない。
「それでは……ラスタバン王国から奪ってきたのですか?」
「いえ、違います。そういうこともあったかもしれませんが、国境近くの町や村はそれほど豊かではありません。ただ一か所を除いて。そこも表向きは貧しい街ですが」
「どういうことですか? 私にも分かるように話してください」
レグルスの遠回しの説明では、エリザベス王女は内容を理解出来ない。犯罪に関する知識は乏しいせいだ。
「ラスタバン王国に繋がる裏道は、人さらいの為だけに使われていたのではありません。そこを使って物も動いています」
「……密貿易、ですか」
「はい。あっ、私は行っていません。どうしても道を使いたいという人を、仕方なく通してあげているだけです」
正規の国境を通らなければ、王国の許可を得ることなく交易が出来る。税金を徴収されることもない。裏道を使いたがる者は大勢いる。レグルスの直接、間接は問わず、知り合いの中には。
「…………」
ただ通しているだけであるはずがない。それでは金にならない。賄賂か通行税か、名目は何であればレグルスは裏金を受け取っているはずだ。
「訴えます?」
「私には貴方を罪に落とすような真似は出来ない。分かっているはずです」
そんな真似が出来るはずがない。正義感が強いほうのエリザベス王女であるが、レグルスに対する想いのほうが、より強いのだ。
「…………」
「……どうしました?」
じっと自分を見つめているレグルス。その視線にエリザベス王女は恥じらいを覚えてしまう。自分の言葉はレグルスへの想いを告白するようなもの。それに気づいて、今更であっても、恥ずかしいのだ。
「いや、自分がとても悪い男に思えてしまって……甘えですね。気を付けよう」
自分の謀略の為に女性の好意を利用する。過去の人生におけるレグルスはそんな男だった。その資質が今も変わっていないかもしれない。内心では、レグルスはそれに恐怖を覚えている。罪悪感を覚えることのなかった過去の人生に比べれば、明らかに変わっているのだが。
「別に甘えても良いけど……」
そんなレグルスの内心に気付くことなく、デレを発揮するエリザベス王女。これは、普段は隠しているが、大人になっても変わらないエリザベス王女の資質だ。
「えっと……この雰囲気だと少し言いづらいのですけど」
「何ですか?」
「目的地では少し荒々しいことになる可能性が高いです。リズは、ここに残ったほうが良い」
レグルスはすでに目的地を決めている。そこでどのようなことが起こるかの想定もしている。領地経営に専念していたといっても、仲間たちが全員そうであったわけではない。元々レグルスの仲間たちは政治とは無縁の人たち。この期間も自分たちの得意分野で働いていたのだ。
「……どこで何をすべきか分かっているのですね?」
驚くことではない。目的も決まっていないのに出立の準備をするはずがないのだ。
「これまで事件が起きた場所。その周辺を外していけば、調べるべき場所は絞り込まれていきます」
レグルスは今の状況は、ここまで広範囲に引き起こせるのは想定外だったが、ジョーディーが裏で糸を引いていると考えている。最終的な目的ははっきりとしていないが、王国騎士団を引きずり回すことが目的のひとつであると考えれば、事件の起こる場所は絞り込める。一度起きた場所から離れた場所だ。
あとは絞り込まれた場所にエモンたちを送り込んで、調査させる。最初は上手く行かなかったが、事件が重なればそれだけ調査範囲は狭まる。その中で少数民族が暮らしている領地、表に出ない領主の悪評を拾えた領地を重点的に調べ、洗い出せた場所があるのだ。
「……分かりました。私はここで貴方の帰りを待ちます」
「…………」
「その反応は分かるわ。私が予想していた通りの反応です」
今度は、エリザベス王女はわざとレグルスを動揺させるような言い方を選んだ。レグルスの気持ちが誰に向けられているか分かっているつもりでも、そうしてしまった。今も感じられるレグルスの体の温もりが、そうさせてしまうのだ。
「女性って……」
レグルスも自分が悪いことは分かっている。エリザベス王女の想いを拒絶することが出来ずに、関係を持ってしまった。こともあろうに、結婚の約束もないのに、王女を抱いてしまったのだ。
分かっているのに、そうしてしまった。若い健康な体が、そうさせてしまったのだ。
◆◆◆
白金騎士団は忙しい任務の合間を利用して、ではなく、任務を後回しにして王都に戻って来た。ジークフリート王子の独断だ。だからといって王国騎士団は、騎士団長は苦言を伝えたが、追い返すまでのことは出来ない。白金騎士団に対して、そこまでの強制力を持たないのだ。
それが出来るとすれば、それは国王一人。だがその国王は叱る前に、ジークフリート王子から責められることになっている。
「どうして私に何の相談もなく、騎士団の新設を決めたのですか?」
「騎士団の新設にお前の許可はいらない」
「騎士団の新設はそうです。ですが、アリシアは私の騎士団の団員です。私が知らないところで異動を決めるのはおかしいと思います」
ジークフリート王子が王都に戻って来たのは、ジュリアン王子の騎士団が出来ることを知ったから。ジュリアン王子が騎士団を創設することは、望ましくないが、反対は出来ない。だがアリシアの異動については黙っていられない。受け入れられることではないのだ。
「まだ内々での話。騎士団創設も正式決定ではない。この段階では、お前には話せない」
王子というだけで、国政に関われる地位をジークフリートは与えられていない。白金騎士団団長という地位では、重臣会議で話し合われる内容を知ることは出来ないのだ。
「彼女は私の直属です」
「それは違う。彼女は王国騎士団の直属で、王国騎士団の人事により、お前の騎士団に派遣されている」
「何ですって?」
そんなはずはなかった。アリシアは王立中央学院から直接、白金騎士団に入団したというのが、ジークフリート王子の認識だ。
「ジーク。今のお前の立場では直属の、こう言ったほうが分かり易いか。お前だけに忠誠を誓う臣下は持てない。これはリズも同じだ」
全ての臣下の主君は国王。忠誠の向け先は国王一人でなければならない。たとえジークフリート王子に近臣として仕えていたとしても、国王の命令が優先。ジークフリート王子を殺せという命令があれば、殺す臣下でなくてはならないのだ。
そうあるべきというだけで、実際にそういう臣下ばかりではないのだが、ジークフリート王子を説得するために国王はその建前を利用しようとしている。
「それは、そうかもしれませんが」
「彼女は私の臣下だ。私の為に働くために王国騎士団に入団した。その上で私の許可を得て、白金騎士団で働いている」
事務手続き上はこうなっている。ジークフリート王子直属の臣下というものが存在しない以上は、手続きはそうなる以外にはない。それがなければアリシアは無所属で、王国からの保証は何もなく、タダ働きをしなければならなくなる。
白金騎士団という組織には独立性を認めていても団員は別、という理屈。国王の命令はそんな理屈も必要としないものだが。
「……彼女が輝くのは白金騎士団で働いてこそです」
「彼女が白金騎士団という枠からはみ出していることは、お前も分かっているはずだ」
このジークフリート王子の主張には無理がある。アリシアのこれまでの目立った行動の多くは、白金騎士団の、団長であるジークフリート王子の考えから外れている。白金騎士団の団員として命令に忠実に動いていれば、アリシアは目立つことなく、国王に注目されることもなかったはずなのだ。
「私には彼女が必要なのです」
「ジーク。もしそれが女性としての彼女のことを言っているのだとすれば、私には逆効果だ。お前にはすでに決まった人がいる。王家の人間として、間違った行動を取ることは許せない」
すでにミッテシュテンゲル侯爵家令嬢であるサマンサアンとの婚約は成立している。王家の人間として、守護五家のひとつであるミッテシュテンゲル侯爵家との関係悪化を招くような言動を、国王として、許すわけにはいかない。
「アンとは、きちんと」
「それはいつだ? 本来はとっくに結婚しているはずなのに、さらに待たせるつもりではないだろうな?」
サマンサアンとの結婚は、王立中央学院を卒業してすぐに進められるはずだった。婚約が成立しているのに結婚を先延ばしにする理由はないのだ。
白金騎士団の任務がその理由となっていたが、それもいつまでも通用しない。結婚すると任務が続けられないというわけではないのだ。
「……アリシアを傷つけるわけにもいかないので。きちんと三人で話をしようと言っているのですが、実現させるのは難しく……」
「彼女にはお前の妻になる意思はない。早くミッテシュテンゲル侯爵家の令嬢と結婚するべきだと言っていると聞いている」
「えっ……?」
サマンサアンとの結婚が進まない原因をアリシアに押し付けようとしたジークフリート王子の目論見は失敗に終わった。アリシアが国王の言ったようなことを公言しているとは、まったく考えていなかったのだ。嘘だと疑っているくらいだ。
「アリシアとの男女としての関係についてまで口出しはしない。だが騎士としての彼女についてと、ミッテシュテンゲル侯爵家令嬢との結婚は別だ。この二つは王国として決められたこと。お前にはそれに従う義務がある」
「…………」
「ミッテシュテンゲル侯爵家には王国から正式に申し入れる。具体的な日程が決まるまで、白金騎士団は任務に出ることを許さない。これは国王としての命令だ」
この機会にサマンサアンとの結婚を実現させる。ジークフリート王子と話をして、国王はこう考えた。この機会を逃してしまっては、次はいつになるか分からない。これ以上、ミッテシュテンゲル侯爵家を待たせるわけにはいかない。良好な関係を築く為の婚約が、逆の効果を与えることになってしまう事態は国王として、父としても、許すわけにはいかないのだ。
「……分かりました」
藪蛇に終わってしまった国王への直談判。こんなはずではなかったという思いが、ジークフリート王子にはある。だが、今は引き下がるしかない。国王の命令だと、はっきりと告げられてしまったのだ。