猫の手も借りたいほどの忙しさ。この言葉通りの状況に陥っている王国騎士団ではあるが、実際に猫の手を借りても事態は解決しない。それが人の手であったとしても、戦う力のない者の手では役に立たない。無駄に死傷者を増やすだけの結果に終わってしまう。
反抗勢力の一斉蜂起というだけでなく、その反抗勢力の実力も王国にとって大いに誤算だった。これまでの情報は何だったのかと思ってしまう違いだ。
「特選騎士という言葉を改める必要があるかもしれません」
「それは、もう特別ではないということか?」
諜報部長の遠回しの報告を、国王は正しく理解した。あらかじめ反抗勢力の戦力情報を聞いていたから分かることだ。
「特別な力であることに変わりはないでしょうが、特別視するには数が多すぎます。なにより、その力を王国側が独占出来ていないことは問題だと考えます」
「元々独占は出来ていない」
「守護五家も王国側という前提での話です」
力ある騎士、騎士候補は王国騎士団か守護五家の騎士団が抱え込んでいた。そのはずだった。だが、それは間違いであることが分かった。反抗勢力に多くの、それもかなり能力の高い特選騎士が存在しることが分かったのだ。
「才能ある人物を全て見い出していたとは思わない。だが、その者たちはどのようにして、その才能を伸ばしたのだ?」
才能ある者は出世を求めて王立学院に集い、そこで学ぶことで才能を伸ばす。例外は守護五家と関係の深い土地で生まれ育った者たち。そういった者たちは王立中央学院に入学することなく、直に各家の騎士団に入団し、そこで鍛えられる。それが出来るだけの組織力が守護五家の騎士団にはある。
だが反抗勢力に加わっている特選騎士はそういったルートを通っていない。小貴族家に特選騎士を育成する能力があるとは国王は思っていなかった。
「優れた指導者がいなくても才能を伸ばす者はおります」
「レグルスのことか?」
「彼もそういう一人です。アリシア・セリシールも恐らくは」
「二人は王立中央学院に通っている」
二人はまったくの独学で戦う力を得たわけではない。王立中央学院で学んでいる。その事実を意味のないことにするのは、国王の立場では認めたくなかった。
「二人はそうかもしれませんが、現実に王国騎士団に入団出来るくらいの実力者が数多く野に埋もれておりました。その事実については考える必要があります」
まったくノーマークの貴族家が、知らないうちに多くの特選騎士を抱えていた。こんな事態はあってはならないことだ。現在の特選騎士候補の登用方法は見直す必要があると諜報部長は考えている。
「事が収まった後の話だ。まずは現状をなんとかしなければならない」
「黒色兵団の任務復帰は難しそうなのですか?」
「リズが説得に……は実際には意味がないだろうな。奴自身に動く気があるかどうかだ」
もっとも交渉を成功させる可能性が高いのはエリザベス王女。これは間違いないと思っているが、それと実際に説得出来るかどうかは別。誰の説得であっても、レグルスは出来ないことを出来るとは言わない。こう国王は考えている。
「そうですか……ひとつ懸念がございます」
「何か情報を得たのか?」
国王にとってはレグルスもまた警戒すべき相手。敵視しているわけではないが、何を仕出かすか分からない怖さがある。
「いえ、彼自身のことではなく、彼が関わった過去の事件についてです」
諜報部長もそれは分かっており、レグルスを刺激しない程度に、情報収集に務めている。だが、今回は別の話だ。
「この場で話すべき内容か?」
今は重臣会議の場。宰相と王国騎士団長も同席している。二人に聞かせて良い内容なのかを、念の為だが、国王は確認した。レグルス自身のことではなくても、彼に関りがある話となると、そういうことを気にしてしまうのだ。
「皆さんにも認識していただく必要があると考えております」
「分かった。話せ」
「はい。正しくは、彼が関わった事件というより、白金騎士団の任務です。分かり易いのはホーマット伯爵家事件、スタンプ伯爵家事件。最初に騎士団に伝えられた任務は異なるものでした」
結果としてアリシアの名を、意図してそうなるようにされたからだが、広めることになった事件。それを諜報部長は持ち出してきた。
「そうだな」
最初の任務は、反乱を企んでいるカリバ族を鎮圧するというもの。だがその裏にはホーマット伯爵が犯していた重罪があり、それはレグルスによって暴かれた。スタンプ伯爵家事件も同じ。伯爵誘拐事件の裏に悪政があった。
「今も同じような事件が紛れていないのでしょうか?」
「……どういう意味だ?」
「ホーマット伯爵の事件では、王国はカリバ族の恨みを買っております。スタンプ伯爵家事件でも、ただ当初予定通りにスタンプ伯爵を助けただけで終わっていれば、伯爵家の家臣や領民たちの不満はさらに高まったことでしょう」
当初の命令通りに任務が終わっていた場合、根本的な問題は解決されず、埋もれていた不満はさらに高まることになっていたかもしれない。しかもその不満の向け先に王国が加わることになる。その可能性に諜報部長は注目したのだ。
「……各地の反乱は解決しているようで、実際はそうではないと言いたいのか?」
諜報部長が何を考えているのか。ようやく国王も理解した。
「今の諜報部長の発言は、王国騎士団を侮辱するものではありませんか?」
宰相は、諜報部長の懸念を認めなかった。これまでの王国騎士団の活動を否定するものと捉え、それを非難してきた。
「私は考えうる可能性をお伝えしているだけ。それ以上の意図はありません」
「そうであったとしても問題発言だ。そのような事態を引き起こさないために、諜報部があるのではないか」
「宰相のご指摘はもっともです。ですが、諜報部もまた多くの事件を抱えて、人手不足に陥っております。任務終了後の検証を行う余裕は、現在ございません」
騎士団が任務を行う上での事前調査にも時間をかけている余裕がない。諜報部も次々と発生する反乱に対応しきれないでいるのだ。
「それでも、なんとかするしかない。諜報部長の懸念が事実であれば、の話だが」
「申し訳ございませんが、諜報部だけでどうにか出来るものではありません」
諜報部で対応出来るものであれば、この場でこのような話はしない。部下を動かして、調査した結果を報告している。それが出来ないから、諜報部長は問題提起するだけにとどまっているのだ。
「それでは……いや、無理なものは無理か。そうなると……別の組織を使うしかありません」
諜報部長を責めても問題が解決するわけではない。宰相も解決策を考えることにした。
「別の組織を使うといっても、王国騎士団も手一杯のはずだ」
「分かっております。王国の組織はどこも動けません」
「何を考えている?」
王国以外の組織。国王に思い当たるものはない。
「守護家には動かせる組織があります」
「あるかもしれないが、守護家がそれを受け入れるか? 領内以外の治安活動に対して、守護家は一切責任を負っていない」
他家の問題を解決する為に守護家が自家の軍や諜報組織を動かすとは思えない。国境防衛の力が削がれることを理由に断ってくるはずだと国王は考えている。途切れることなく次々と事件が起きる今の状況は大変ではあるが、王国が滅びるほどの危機ではない。守護家の優先度を変えることには繋がらないはずだと。
「王都で遊んでいる組織であれば、動かすのではないでしょうか?」
「王都駐留の騎士団か……」
辺境伯家はいざという時の為に王都守護の、実際は王国の為ではなく王都で暮らす嫡子を守る為だが、部隊を置いている。その部隊、各家の王都駐留騎士団には、日常これといった任務はない。次代を担う若い騎士や従士で構成されていて、やるべきことは自らを鍛えることなのだ。
「指揮官となる嫡子の自由行動を許すといえば、王都駐留の騎士団を動かすのではありませんか?」
「動かす可能性はある。あるが……」
それは人質を解放するということだ。今この状況でそれを行って良いのかと国王は思ってしまう。混乱に乗じて辺境伯が反乱を起こす、なんて事態に発展すれば、それこそ王国の危機となるのだ。
「宰相のお考えは素晴らしいものですが、まだ時期尚早ではないかと考えます」
「なんだと? 自分たちだけではどうにも出来ないと泣き言を言ってきたのは諜報部長ではないか?」
「はい。ですが、今必要なのは事の裏を見抜く力。それが出来る人たちに、もっと動いてもらうことです」
各家の王都駐留騎士団にその能力はないと諜報部長は考えている。彼らは騎士であり、さらに若い。物事の裏側に気付く能力は、すでに動いている王国騎士団の将のほうが優れているはずなのだ。
「それが出来る人たちとは誰のことだ?」
「レグルス殿とアリシア殿。この二人の組織に、もっと動いてもらうべきだと考えます」
「それでは黒色兵団が動くというだけのこと。問題の解決にはならないのではないか?」
「黒色兵団が動くだけでも事態は大きく改善するとは思いますが、さすがに王国全土での活動となると難しいかもしれません。ですから、もう一隊の編成をご提案致します」
宰相と諜報部長では、レグルスに対する評価が違う。諜報部長のほうがレグルスを高く評価している。レグルス個人だけではなく、彼の組織も。
ただ、さすがに王国全土での働きは黒色兵団だけでは厳しい。事が起きる頻度は、この先、さらに高まる可能性もあると諜報部長は考えているのだ。
「もう一隊とは?」
「アリシア・セリシールの騎士団です。騎士団でも兵団でもなんでも構いませんが」
「それは……ジークフリート王子がお認めにならないのではないか?」
「はい。その可能性はあります。ですから会議での決定事項として頂きたいのです」
王子とはいえ、国王と王国の重臣たちで決めたことに逆らうことは出来ない。国王だけの意思でもジークフリート王子は逆らうことなど出来ないはずだが、親子関係に悪影響を与えないように、重臣会議での決定とするべきだと諜報部長は考えているのだ。
「彼女の実力は私も認めるところだが、さすがに騎士団長という地位を与えるのはどうなのだろう?」
宰相の視線は王国騎士団長に向いている。同意を求める視線だ。基本は国王の意思が全ての王国騎士団長が、このような決定に自分の意思を示すことはまずないので、無駄なことだが。
「団長にはアリシアではなく、ジュリアンがなる」
「陛下?」
割り込んできた国王。その言葉は、諜報部長の提案は国王が了承したもの、もしくは国王本人の考えであることを示している。
「この非常事態にジュリアンだけを遊ばせておくわけにはいかない、という理由もある」
続く言葉は、新たな騎士団の創設は国王の立案であると思わせるもの。そうなると王国騎士団長が異見を唱えることは、完全になくなる。頭の中はすでに武官は誰が良いかの選定に移っていたりする。騎士団長の頭の中は、誰にも分からないが。
「ジュリアン王子は……その……ご武勇のほうは……」
「新設騎士団の役割は戦うことではない。状況を正確に把握し、疑問点を見つけ出し、それを調べること。この点に関しては、ジュリアンはジークに勝る」
「……そうですか」
それは陛下の思い違い、とまでは、さすがに宰相も口に出来ない。ジュリアン王子だけでなく国王をも侮辱することになってしまう。
「武のほうはアリシアに任せる。それに団員は、異例のことだが、近衛騎士団から選ぶ。今の状況で王国騎士団の人員を割くわけにはいかない。かといって他から探す時間もないからな」
近衛騎士団の騎士の中には、ジュリアン王子の能力を認める者もいる。護衛として長く近くにいれば、自然と分かることがあるのだ。
「……もしかして陛下は、後々のことまで考えておられるのですか?」
何故、ジュリアン王子を引き出すのか。ジークフリート王子が反発することが分かっていて、アリシアと組ませようとするのか。国王の裏の意図を宰相は考えた。
「後々のこと、というのが二人の結婚のことだとすれば、選択肢のひとつとしては考えている。だが、どうだろうな?」
アリシアの人気を王家に取り込む。二人の結婚はこの目的に叶うことだ。ジークフリート王子の婚約者サマンサアンの実家であるミッテシュテンゲル侯爵家も喜ぶだろう。
だが、共に行動するようになったからといって、自然とジュリアン王子とアリシアが男女の関係になるとは国王は思えない。その方面でのジュリアン王子の淡泊さを国王は知っている。女性に興味がないのではないかと心配してしまうほどなのだ。
「……次代の王妃となる立場の女性です。慎重に事を進める必要があると考えます」
「分かっている。新設騎士団と二人の将来は別。強引に進めるつもりはない。今は成り行きに任せるだけだ」
「……承知しました」
結婚話については、強引に進めることはしないということ。騎士団創設はそれとは別の話だ。つまり、騎士団の創設は進めるということになる。それが会議で決定された。