物語が一気に加速した。これはアリシアの感想だ。この世界がゲーム世界、ゲームストーリーからは完全に外れているがゲームと同じ設定の人々が生きる、普通とは違う世界だと知っているアリシアだからそう思うのであって、そうではない人々は、各地で起きた争乱にただただ驚いている。潜在的な反乱勢力と見られていた勢力のほぼ全てが、一斉蜂起したと思えるような状況なのだ。
王国上層部は国内の不穏な空気を感じていた。何かが起きるのではないかという、確信に近い予感があった。それなりに備えていたつもりだった。だがここまでの規模は想定外。どこから手を付けて良いのか分からないといった状況だ。
それでも、とにかく王国騎士団をフル出動させて対応に当たらせるしかない。白金騎士団もひとつ任務が終わっても、すぐそのまま次の任務地へ移動といった忙しさだ。
「出動出来るかと聞かれれば、ぎりぎりなんとかと答えます。無理しなくて良いと言ってもらえるなら、無理はしません」
新たに与えられた領地の復興に着手して、まだ一年と少ししか経っていないレグルスのところにも、出動可否の打診が来るくらいに王国騎士団は忙しいのだ。
「領地の再建はまだまだなのですか?」
その使者としてエリザベス王女がわざわざ王都からやってきている。団長である彼女が使者というのもおかしな話だが、他に適任者はいないと王国は考えたのだ。
「片っ端から燃やしてしまいましたので。国境の砦まで」
「そうだったのですか? どうして国境の守りまで、そんな状態にしてしまったのです?」
さすがに隣国との国境に築かれていた砦まで駄目にするのはやり過ぎ。レグルスが何故そんな愚かな真似をしてしまったのか、エリザベス王女は理解出来ない。
「隣国からの侵略に怯えて暮らす恐怖を領民たちに思い知らせてやろうと思いまして。その時はまさか自分が領主にされるなんて、まったく思っていませんでしたから」
レグルスは領民たちも領主であったサイリ子爵と同罪だと考えていた。殺すのは、さすがに思いとどまったが、何もなしで終わらせたくなかったのだ。
「それではどうにもならないでしょう?」
レグルスは「ぎりぎりなんとか」出動出来ると言ったが、それは無理ではないかとエリザベス王女は考えた。
「実際にラスタバン王国が侵入してくる可能性は、ほぼゼロです」
「どうしてそう言えるのですか?」
普通であればラスタバン王国がアルデバラン王国に戦争を仕掛けることは考えられない。だが今は普通ではない。アルデバラン王国は国内のあちこちで起きた争乱を収めることでいっぱいいっぱいなのだ。付け込む隙はある。
「王国騎士団が国内治安でてんてこ舞いになっているだけで、東方辺境伯家は通常通りですから」
国境防衛は辺境伯家が担っている。東方辺境伯家にはラスタバン王国一国の侵攻を止める力がある。それはラスタバン王国も分かっているはずだ。
「確かにそうですけど」
レグルスの領地は東方辺境伯家の防衛範囲の外だ。ラスタバン王国が隙を突こうとする可能性はあると、エリザベス王女のほうは考えている。
「……ではもうひとつ理由を。時間を作って、ラスタバン王国内に行くことにしています」
「えっ……?」
「人を攫いに行っているわけではありません。国に戻った人々の様子を確かめることと、その家族に謝罪する為です。家族の人たちは当然、怒っていましたが、それでも彼らを国に返したことについては感謝してくれています」
「無茶な真似を……それでも安心出来ません。戦争は国が決めることですよ?」
ラスタバン王国の国民から感謝されても、侵攻を決めるプロセスに彼らの意見は反映されない。国が侵攻すると決めれば、そうなるのだ。
「はい。すでに何度か行っているので、その国の人が出てきまして。話を聞く限り、ラスタバン王国に侵攻の意志はなさそうでした。もちろん、嘘を疑った上での判断です」
実際の決め手は、エモンたち諜報組織がもたらす情報だ。ラスタバン王国に戦いの準備をしている様子がないことを、定期的に調べてきているのだ。
「……国境はそうだとして、他のことはどうなのですか?」
判断材料としては足りないように、レグルスが全てを話さないせいだが、エリザベス王女は思っている。だがレグルスが断言するからには、きちんとした根拠があるのだろうと信じることにした。
「徐々にですが、良くなってはきていると思います。家臣に恵まれました、なんて自分が言う日が来るとは思っていませんでした」
ブラックバーン家の公子であった時、レグルスはその家臣という存在をまったく信用していなかった。オーウェンなど極限られた数人を除いて、何かを頼むなんてことも考えなかった。
だが今は違う。頼ったり、任せたりしなければ領政が回らないという事情があるとしても、
「王都では十分な数は揃わなかったと聞いていました。領内にそういう人がいたのですね?」
「あっ、いえ、これは、リズには少し言いづらいのですけど……」
「何ですか?」
「テイラー伯爵に仕えていた人たちが加わっています。ワイバン伯爵に譲っていただいたわけではありません。野に下っていた人たちです」
その人たちを探し出し、説得したのは元テイラー伯爵家の騎士で、今は黒色兵団の一員であるヘイデンたちだ。レグルスの為人を伝え、テイラー伯爵が死の間際、レグルスに後を託したということを教え、仕えることを受け入れさせたのだ。
「そうでしたか……別に私は気にしません。レグルスが良い家臣だと思えるのであれば、それで良いのです」
「一からやり直すという気持ちで、熱心に仕事をしてもらってます。まあ、良い家臣だと言えるのではないですか?」
とはいえ、まだ短い付き合い。レグルスも全面的に信用しているわけではない。だが、それをエリザベス王女には話さない。余計な心配をさせていまうだけと考えているのだ。
「そのおかげで、ぎりぎりなんとかと言えるのですね……レグルス、貴方は今の王国の状況をどう思っているのですか?」
実際に、無理すれば任務を受けることが出来るのだと分かった。問題は、無理させなければならない状況なのかということだ。
「今の状況ですか……不思議に思っています」
「そうですね。混乱は予想されていたことですが、いきなり今の様に各地で事が起きるなんて」
王国の混乱は予測されていた。エリザベス王女は未来視でそれが分かっていた。だが、ここまで急に各地で争乱が巻き起こるとはエリザベス王女は考えていなかった。未来視でどう感じていようが、これほど王国が不安定であるとは思っていなかったのだ。
「おそらく、ちょっと違います」
「何が違うのですか?」
「私が不思議に思っているのは、どうしてもっと時期を合わせて、一斉蜂起という形にしないのかということです」
レグルスはエリザベス王女とは異なる考えを持っている。今の状況は、まだ緩いと考えているのだ。
「一斉蜂起ではない?」
レグルスの感覚はエリザベス王女と、彼女だけではなく王国上層部の人々とも異なっている。反抗勢力の一斉蜂起と王国は見ており、実際にそのような状況なのだ。
「私にはそう思えます。王国騎士団は東奔西走といった状態のようですが、それでもなんとか影響を限定的に収めています。蜂起に絶妙な時間差があるおかげですね」
「……貴方にはそう見えるのですね?」
「見えるというか、これだけ多くの場所で反乱や暴動が続いているのを知れば、どうして最初、は無理でも二か所、三か所と続いた時に決起しなかったのだろうと疑問に思います」
一つ鎮圧出来たと思えば、また別の場所で反乱や暴動が起きる。これをエリザベス王女は一斉蜂起と受け取っていた。だがレグルスは違う。どうしてわざわざ別の反乱が鎮圧されるのを待って、行動を起こすのかと疑問に思った。
「……何か意味があると考えているのですか?」
「普通に考えれば意味はありません。ただ愚かなだけです。決起してから時間が経てば経つほど、反抗の火は大きくなるはず。それなのに自らその時間を手放し、王国に鎮圧されやすくしているのですから」
「……それでも何か意味がある。貴方はそう考えているのでしょう?」
反抗勢力があえてそうする理由がある。エリザベス王女自身はまったく見当がつかないが、レグルスは何か考えているはずだと思った。
「それが微妙でして。私は王国で起きた暴動や反乱には黒幕がいると思っていました。目的が何かは分かりませんが、王国を混乱に陥れようとしている黒幕がいると」
「……父、いえ、陛下もそのようなことを申されていました」
国王はレグルスもこの可能性に気が付いていると考えている。だからエリザベス王女が使者としてここを訪れる前に、その可能性を伝えておいたのだ。
「ですが、私がその黒幕であれば、こんなやり方はしません。日を合わせて、一斉決起させます。数日のずれはあるでしょうが、それは問題になりません。王国がそれを知るまでにそれ以上の日数を必要としますから」
「では黒幕はいないのですか?」
「目的を読み違えているのだと私は考えています。少なくとも、今の状況においては」
黒幕はいる。ミッテシュテンゲル侯爵家が、嫡子のジョーディーがそうだとレグルスは考えている。これが間違いだったとは思わない。ジョーディーの目的が王国の混乱ではないのだと、レグルスは思っているのだ。
「では、どのような目的なのでしょう?」
「それが分からなくて。今の状況でもっとも得をしていると思われるのは陛下だと私は考えています。王国の自作自演を疑ったくらいです」
「それはあり得ません。そもそも、どうして国内が大混乱に陥って、陛下の得になるのですか?」
国王が黒幕であるはずがない。これは未来視でも何でもない。父である国王がそんな真似をするはずがないと、娘として信じているだけだ。
「アリシア・セリシールの名声が高まっています」
「えっ……?」
ここでアリシアの名が出てきた。予想していなかった展開に、エリザベス王女は戸惑ってしまう。
「陛下はアリシアを活躍させ、彼女の名声を高め、影響力を強めようとしていました。それが結果として王国の、王家のが正確ですか? 王家の影響力を強めることに繋がると考えて」
「それは……」
自分も、その国王の考えに影響を与えてしまった一人。そうであることをエリザベス王女は知っている。「王国の命運を左右する」とまで言ってしまったのだ。
「今、状況は陛下の求める通りになろうとしています。王国の民は、何も出来なかった領主に愛想を尽かし、自分たちの暮らしを取り戻してくれた、場合によっては以前より良くしてくれたアリシアに深く感謝している」
「…………」
それが、アリシアが元々持っていた宿命。混沌の中で彼女は輝き、人々はその輝きに魅せられ、引き寄せられる。多くの人が彼女を導き手と敬うことになる。
「やっぱり、貴女には視えていた」
国王が、自分が教皇に伝えた言葉だけで、アリシアを祭り上げようとするはずがない。何か別にそう考える理由があるのだとレグルスは考えていた。
「……レグルス、貴方はどうなのですか?」
「未来視」の能力は王家だけのもの。それもごくまれに現れる特別な能力だ。だが、エリザベス王女には、レグルスもまた視えているように思える。彼の普通ではないいくつかの選択は、アリシアの未来を知っていると、その未来を彼も望んでいると仮定すれば、納得出来るものなのだ。
「私は彼女が馬鹿がつくほど真っすぐであることを知っているだけです。そして人が正しいものに憧れることも」
「……正しさを恐れる人も、憎む人もいますよ?」
「知っています」
レグルスもその一人だった。アリシアは何も悪いことをしていない。悪事を働いたのはサマンサアン、そして自分のほう。報いを受けて当然だった。それが分かっていてもレグルスはアリシアを憎んだ。過去の人生におけるレグルスは、そうだった。
「だから貴方はそういった存在を消し去ることにした……彼女の為に」
婚約解消も、ブラックバーン家を追放されて自由の身になったのも、全貌が掴めない得体のしれない力を手に入れたのも、全てアリシアの為。レグルスの人生はアリシアの為にある。エリザベス王女はそれを知った。実際はどうであれ、彼女はそうなのだと受け取った。
「……それは考え過ぎです」
「レグルス……私もまた彼女を憎む一人だとすれば、貴方はどうしますか?」
「それはありません」
「そんなことはありません。私は彼女を、少なくとも妬んでいます。貴方にとって特別な存在である彼女を、恨みます」
これはエリザベス王女の本音だ。自分ではなかった。レグルスとアリシアのことを知れば知るほど、そう思い知らされた。自分の命を救ってくれた、自分にとって運命の人だったはずのレグルスを奪ったアリシアを恨んだ。
口に出すつもりのなかった、出してはいけないはずの気持ちだった。だが込み上げてくる感情が、エリザベス王女の理性を押し流してしまった。
「……リ、リズ?」
一度、堰を切った感情は止められない。押し流されてしまった理性は取り戻せない。ゆっくりと席から立ち上がったエリザベス王女は、その場でドレスを脱ぎ捨ててしまう。
「レグルス……私は……貴方が好きです」
馬鹿な真似をしていることは分かっている。それでもエリザベス王女は、証を求めた。求めないではいられなかった。
「…………」
そんなエリザベス王女は卑怯だとレグルスは思った。この状況で、どのような答えを口にすることが正しいのかレグルスには分からない。とにかくドレスを来てもらおうと思い、立ち上がったレグルスだったが。
「……お願い。一時だけ……今この時だけで良いから……私の為に」
そのレグルスにエリザベス王女は身を任せ、耳元で囁きかけてきた。恥ずかしそうに首筋を、首筋だけでなく透き通るように白かった肌を薄いピンクに染めあげて。その魅力に抗えるほどレグルスは大人ではない。大人だから流されることを選んだのかもしれないが。
この瞬間からしばらく、レグルスはエリザベス王女の為だけに時を費やすことになった。