エーデルハウプトシュタット教国は都市国家。ベルクムント王国の王都、今は旧王都だが、ラングトアにもオストハウプトシュタット王国の都ツェントラールにも勝る広大な都であるが、領土としてはそれが全て。耕作地は教国で暮らす人々が消費する分をわずかに上回る程度の収穫量しかなく、特産品と言えるようなものもない。国費のほとんどは信者と各国からの寄付、それと、今の時代は少なくなったが、教会の総本山である教国詣でに訪れる人々が落としていく宿泊代や飲食代、それに土産物の売上で成り立っている。決して豊かとはいえない国だ。
そのような国で養える騎士団の数などたかが知れている。軍は金がかかる。まして教国は戦争に備える必要が、基本は、ない。国内治安といっても街ひとつだ。大規模な軍隊など必要ないのだ。
「……といっても、それはここだけの話だろ?」
すぐ先のほうで鍛錬を行っている教会騎士団の数は二百ほど。従士も入れた数だ。それがエーデルハウプトシュタット教国の騎士団の全て、であるはずがない。老騎士、名はエルンスト、の説明を聞いて、シュバルツは思った。
シュバルツは何日か教国に留まることになった。その間、こうしてエルンスト、そして教皇と色々な話をしている。シュバルツではなく、二人が望んだことだ。
「公式の騎士団はあれが全てだ」
「じゃあ、他の奴らは何者だ?」
「私設騎士団だな。各教区の責任者が自分の意のままに動く軍隊を勝手に作っているだけだ」
これはエルンストだから言える台詞。彼は教会騎士団の顧問という立場。教会組織の外にいる人間なので遠慮がない。各教区が抱えている騎士団に対しては教皇も、不満に想いながらも、何も言えていないのだ。
「じゃあ、その騎士団がどうなろうと教会は文句を言えないな」
「……本気で戦うつもりか?」
「俺はそんなことは言っていない」
顧問という肩書であろうと教会関係者であることに変わりはない。そういう人物に何もかも正直に話すほど、シュバルツは愚かではない。まして今この場には、ずっと黙っているだけだが、教皇もいるのだ。口うるさいお付きのアルフレート司祭も。
「必要がないのに、あえて戦闘に持ち込んだのは実力を試す為だ」
「それは認める」
最初から火薬兵器で脅せば、戦闘になることはなかった。無関係の人々の犠牲を無視出来る教皇ではないのだ。そうであるのにシュバルツは火薬兵器について話すことなく、戦闘を続けた。それは教会騎士団の実力を測る為だ。
「どうして、そこまで教会を憎む? 彼女の件は確かに酷いことをした。だが、あれは教会全体の意思ではない」
エルンストも今の教会は間違っていると思っている。だがそれは一部の野心家の問題。その野心家が教会で力を持ってしまっているという問題で、教会全体を憎むのは違うと考えている。そうだから彼は教国を離れないでいるのだ。
「別にヘルツの件が全てじゃない」
「他に何がある?」
「どうしてそれをお前に話さなければならない? 俺とお前の関係はそういうものじゃない」
今のシュバルツにとっては、エルンストもまた敵だ。直接的な敵対関係にはなっていないが、いずれそうなる可能性のある人物なのだ。
「……ギルベアトは熱心な信者だった」
「知っている」
「ギルベアトが信じた教会をお前は信じようと思わないのか?」
エルンストはシュバルツを敵に回したくない。ギルベアトが育てたシュバルツを敵としたくないのだ。
「……爺は教会を疑っていた。だから死んだ」
「どういうことだ? ギルベアトはアルカナ傭兵団に殺されたはずだ」
「……爺は自ら命を絶った。それでも俺はアルカナ傭兵団を仇と思って、復讐しようとしていた」
少し躊躇いを見せながらも、シュバルツは話し始めた。ギルベアトの思いを、勝手に推測されるのが我慢ならなかったのだ。
「それで?」
「どうして爺が自ら命を絶ったのか。これが分からなかった。だが、どうやら俺のせいであることが分かった」
「…………」
これまでの話で、どうして教会を疑っていたことになるのか。エルンストには分からない。教皇も疑問を感じている表情だ。
「本当のところは分からない。でも爺は解放されたかったみたいだ」
「解放というのは?」
「教会という鎖からの解放。俺を道具にさせないというのは、教会の教えに背くこと。爺はどちらかを選んで生きるのではなく、死ぬことで教会から解放されることを選んだ」
「それは……」「そんな……」
まったく想定していなかった話。それにエルンスト、そして教皇も返す言葉がない。教会批判に対してはすぐに文句を言ってくるアルフレート司祭も、黙ったままだ。
「本当に教会を信じているなら、正しいことだと信じているなら、俺を自由にしようなんて思わないはず。爺は教会を疑っていた。だから、俺の為に死んだ」
「……だから教会を恨んでいる?」
「いや、爺は俺のために死んだ。他のことを理由にして、その責任から逃れるつもりはない」
ギルベアトの死の責任が自分が背負うべきものだとシュバルツは考えるようになっている。を悔やんでいるだけではない。その死を意味のあるものにする責任が自分にはあると考えているのだ。
「では教会に敵意を向ける理由は?」
「それを俺に聞くのはおかしい。敵意を向けているのは教会のほうだ」
答えをはぐらかすシュバルツ。実際は頑なに隠すようなことではないのだが、エルンストの問いに素直に答えるのも癪なのだ。
「今もそうだ」
「……ケルビンか」
鍛錬をしていた教会騎士の一人が近づいてきている。にらみつけるような視線をシュバルツに向けながら。金色の髪を、エルンストと同じように、後ろに撫で付けた青い目の男。見た目の年齢は、シュバルツより少し上だ。
「手合わせを願いたい」
「……それは俺に言っているのか?」
「そうだ。他意はない。貴殿の実力は先輩たちから聞いた。自分を鍛える為に、実力者と戦いたいと考えているだけだ」
それだけとは思えない厳しい視線だが、実際にそれ以上のことは考えていない。こういう人物だというだけだ。
「……それなら俺ではなくロートと戦え」
「おい」
そのロートは今やってきたところ。来て、いきなり自分の名を出されて不満そうな顔だ。
「俺ばかりが戦うのは不公平だろ? 初めての相手と戦うのは、普段とは違う学びがある」
「それはそうかもしれないが……」
強くなるということに対してはロートも貪欲だ。シュバルツにそんな風に言われると、拒絶するのを躊躇ってしまう。
「失礼だが、貴殿の実力が分からない」
ケルビンも強い相手と戦いたいという欲求がある。ロートが立ち合いを行う価値のある人物であるかを疑問に思っているのだ。
「剣では俺よりも上。総合力でもいい勝負だ」
「……事実か?」
シュバルツの答えだけではケルビンは満足しない。自分がやりたくないので、ロートに押し付けている可能性もあるのだ。
「剣については。全てで、こいつに負けているわけにはいかないからな」
「……分かった。手合わせを願う」
「ああ」
観覧席から降り、訓練場に降り立つロート。ケルビンと二人で先のほう、他の教会騎士が鍛錬を行っている場所に向かって歩いて行った。
「……教会にもギラギラした奴がいるのだな?」
シュバルツの知る腐った教会の人間たちが持つ金欲、色欲、権勢欲といった類のギラギラとは違う。ケルビンのぎらつきは、仲間たちが持っている欲に似ているようにシュバルツは感じた。
「戦いに飢えているのだ。強くなる為に多くを捧げてきた。それに見合った力を得た。だが教会騎士が戦場に出ることはない」
「だったら騎士団なんて作らなければ良い」
「一定程度の軍事力は必要だ。守るための力だ」
危険な場所に慈善活動のために赴く聖職者を守るため。教会の財を奪おうととする不届き者から守るため等々。そういう目的での軍事力だ。
「だったら守るものを持たなければ良い」
「なんと……」
「……それは無理か。貧民街の孤児にも守るものはあった。だから俺たちは力を必要としたんだ」
エマを守るため、仲間を守るため、皆の暮らしを守るため。守るものは徐々に大きくなっていった。それに伴い、必要な力も大きくなっていった。守るものを持たないなんていうのは無理だとシュバルツは考え直した。
だが教皇は違う思いを抱いた。教会に国が必要なのか、大きな街が必要なのか、人々に施す以上の財は必要なのか。守るものなど持つ必要があるのかと思った。
「……強いな」
「ああ、ロートか」
先の方ではすでにロートとケルビンの立ち合いが行われ、ロートの勝ちが決まっていた。それで終わりではなく、まだ続けるようだが。
「師としてギルベアトは自分よりも上のようだ」
「……爺は弱いやつの気持ちを知っていたからな」
「弱い? お前たちは弱者ではない」
特殊能力を持つシュバルツたちは、その能力が顕現した時から常人を上回る力を得ている。シュバルツの言っていることが、エルンストは理解出来なかった。
「明日を生きて迎えられるか分からない毎日を過ごしている孤児たちが、弱者ではないとお前は言うのか?」
「それは……」
シュバルツの言葉に乗った怒り。それをエルンストは感じ取った。戦闘力ではエルンストのほうが上。そうであっても心が怯んでしまう圧力をシュバルツから感じた。
「ロートは凄い奴だ。俺みたいに特別な力を持たず、爺のように戦いを教えてくれる奴もいなかったのに、ずっと妹を守っていた。俺なんかより何十倍も凄い男だ」
特殊能力はシュバルツにとって引け目を感じさせるものでもある。自分は恵まれているという思いを持っている。だから自分の力はエマやロート、他の仲間たちの為に使わなければならないと考えていた。
「力を持っていても同じだ。お前たちが言う、人とは異なる力を持つ奴らにも家族がいて、友達がいる。皆が求めているのは、その家族や仲間たちとの普通の暮らしだ。だが教会はそれさえも許さない。全てを壊そうとする。これが、さっきからお前が聞きたがっていた答えだ」
「……そうか」
分かっていたことだ。世を乱しているのは教会。人々に平和を説く教会が、争いを引き起こしている。そのことをエルンストは知っていた。その事実に憤りを感じている一人だった。
シュバルツたちの怒りは、異能者であることなど関係のない、当たり前の怒り。それを理解出来なかった自分の愚かさをエルンストは恥じた。
「明日、発つ」
すでにロートとブランド以外の仲間たちは教国を離れている。持ち込んだ火薬兵器を全て、教会に邪魔されることなく運び出している。ロートが姿を現したのはそれを伝える為だ。
「もう少し、お時間を頂くわけにはまいりませんか?」
これまでの話を聞いて教皇はもっとシュバルツと話したいと思った。きちんと自分自身が向き合って話をしたいと。
「……俺たちは走り続けなければなりません。この国のように止まっているわけにはいかないのです」
「教国は止まっていますか?」
「止まっていると感じます。ここだけが時代から顔を背けている。数日いるだけで、そんな風に感じました」
「そうですか……貴方がそう感じたのでしたら、きっとそうなのですね」
教皇にも自覚はある。現状を嘆きながら、これまで何もしてこなかった。ただ成り行きを傍観しているだけだった。それは自分自身の問題。そう教皇は思っていたが、自分の怠惰が教国全体に影響を与えていることを、シュバルツの言葉で知った。
訓練場に視線を向ければ、いつの間にかロート以外にも知らない顔が加わって、激しい立ち合いを行っている。これまで感じてこなかった活気が伝わってくる。
彼らの時を止めていたのも自分。それで良いのかと教皇は思った。
◆◆◆
オストハウプトシュタット王国の王都ツェントラール。その中心に建つ王城の大広間で国王ルートヴィッヒ三世は他国からの使者を迎えていた。使者の訪れは珍しいことではない。東の大国オストハウプトシュタット王国には各国から、様々な用件で、もしくは理由をこじつけて、使者が訪れる。オストハウプトシュタット王国の信用を得ようと、それによって何らかの利を得ようと必死なのだ。
ただ、そのような状況であるので国王自ら応対するのは珍しい。しかも相手は西部の小国、さらにその臣下なのだ。
「私のような者の為に、陛下御自らお出ましになっていただけるとは。ただた恐縮するばかりです」
「そのように畏まる必要はない。コンラート・フォークラー子爵の名は大陸東部にも聞こえている。こうして直に会える機会を持てたのは私も嬉しい」
オストハウプトシュタット王国を訪れているのはコンラートだ。その名は大陸東部にも広まっている、などと言われても本人は嬉しくないが。悪評に決まっているのだ。
「そのように申して頂けたこと、一生の誉れとなりましょう」
「だからそのような畏まった態度は良い。本題に入ろう。今回の訪問の要件は何かな?」
シュタインフルス王国はベルクムント王国の従属国。これまで交流はなかった。その国が使者を送って来た。それもコンラートという曲者を。ルートヴィッヒ三世王としては、その用件が気になっている。
「はい。陛下もご承知の通り、ベルクムント王国の崩壊により大陸西部の秩序は失われました。それを受けて、我が国のような小国は悩んでおります。この先、何に縋って自国を守っていくべきかを」
「……それを私に聞くか? 答えは分かっているはずだ」
コンラートの話は、少し思っていたものと違っていた。普通すぎるという点で。
「貴国に従うが最良。これは分かっております。ですが、貴国の次の一手が分かりません。ベルクムント王国を崩壊に追いやった貴国は、次にどこに向かうのか。それはいつか。これは大陸西部に領土を持つ我が国が帰趨を決めるに、重要な要素です」
「ベルクムント王国を崩壊に追いやった?」
コンラートのこの言葉がルートヴィッヒ三世は気になった。ベルクムント王国は自壊したのだ。
「ああ、失礼いたしました。貴国は関係ありませんでした。女性を使って、それだけでなく怪しげな薬まで使ってベルクムント王国の前王を狂わせるなどという非道を、貴国が行うはずがありません」
「……その通り。我が国がそのような真似を行うはずがない。我が国は王道を進む。王道で大陸を統べるのだ」
ようやく曲者らしい話になってきた。ルートヴィッヒ三世はそう感じた。
「そうでありましょう。あれは教会の謀略。明らかになっているのは、これだけです」
「教会がそのような真似を? それは初耳だな。教会こそ、そのような非道を行うはずがない」
実際に初耳だ。だが、教会が非道な真似を行わないとは思っていない。問題は、教会の誰が、どのような目的でそれを行ったかだ。
「証拠があがっておりまして。関わった東部教区所属の司祭は捕らえられ、罪を認めているようです。女性は逃げたようですが、教国に向かったという話を聞きました」
「……信じられんな。だがそれが確かな証拠であるなら、そうなのだろう」
「申し訳ございません。当事者ではない私には、それを証明する術がございません。それに本題から外れた話題でもあります。この件は、ここまでということでよろしいでしょうか?」
これ以上、話すことはない。話す必要もない。この話を聞いたルートヴィッヒ三世は事実関係を確かめようとするはず。それでコンラートの目的は達成なのだ。
あとは実現するか分からないオストハウプトシュタット王国への従属については、曖昧な条件を確認して、話は終わり。コンラートは城を去った。
「……陛下」
「あの悪名高いコンラートの話だ。何か裏があるかもしれない」
「そうだとしても事実を調べる必要はございます」
「仮に事実だとして教会は、いや、ヴィルヘルムは何を企んでいる? 西部教区との出世争いで、ここまでのことを行う必要があるのか?」
聖神心教会東方中央管区の司教ヴェルヘイムの野心は、ルートヴィッヒ三世も気が付いている。だがそれは教会の頂点に立つというもの。こう考えていた。本当にそれだけなのか。ルートヴィッヒ三世の心に疑念が生まれることとなった。