次の一手を考えながら向かい合っているシュバルツと老騎士。といっても攻め手を考えているのはシュバルツだけで、老騎士のほうは受けに徹している。対峙しているシュバルツが、どうやらアルカナ傭兵団の愚者らしいと分かって、少し様子見をしようと考えているのだ。それだけ老騎士のほうには余裕があるということだ。
シュバルツの攻撃はことごとく老騎士の内気功によって防がれている。気を外に発する技が内気功なのか、という点があるが、元々呼び名など、どうでも良いのだ。シュバルツのような特殊能力者の能力とは違うという区別が出来れば。とにかく老騎士は強い。シュバルツが考えているのもそれだけだ。
老騎士の守りをいかにして突破するか。戦い方を考えているシュバルツだが、それを許してもらえない状況になった。
「何事ですか!?」
二人が争う気配に気が付いた教会騎士が、五人ほど現れてしまったのだ。当然の展開だ。シュバルツが戦っているのは敵の本拠地なのだから。集まってくる教会騎士はまだ増えるはずだ。
「曲者が! 抵抗を止めて、大人しく縛につけ!」
シュバルツに向かって警告を発する教会騎士。教会騎士団の階級章など知らないシュバルツだが、一番凝っている感じなので、一番偉い騎士なのだろうと勝手に考えた。
「怪我をしたくなければ、言われた通り、大人しくしろ」
さらに老騎士もシュバルツに忠告してきた。
「……大人しくしなければならないほどの相手だと?」
「自分一人を倒せない者が、五人に勝てると? それにここにいる教会騎士はその五人だけではない」
「それは知っている。とにかく、それなりに強いってことか」
シュバルツに忠告を受けれいれるつもりはない。大勢の教会騎士がいることなど、ここに来る前から分かっている。分かった上で、この場にいるのだ。
「……殺すな。この男には聞きたいことがある」
「承知しました」
シュバルツを捕らえようと動き出した教会騎士たち。いずれも内気功を使うことは、もうシュバルツにも分かっている。すでに気配が感じられるのだ。
だが彼らを恐れる気持ちはシュバルツにはない。老騎士は「殺すな」と命じた。口に出して命じてしまったのだ。
先手を取ったのはシュバルツだ。わざわざ取り囲まれるまで待ってやる義務はシュバルツにはない。一瞬で教会騎士の一人との間合いを詰めると、その腹に拳を叩き込む。相手のダメージを確かめることなく、さらにもう一発。相手の顔を苦痛にゆがみ、体をかがめたところで、顎に膝を叩き込む。
「ふん!」
そのシュバルツの背中に剣を振るう別の教会騎士。殺すなとは命じられたが、怪我をさせるなとは言われていない。仲間が反撃出来ずに一方的にやられているのを見て、すぐにその騎士は切り替えたのだ。
だがその剣がシュバルツの体に届くことはなかった。剣を振るった騎士の視界から一瞬で消えたシュバルツ。彼の代わりにその場に残ったのは、苦痛に顔を歪めたままの仲間の教会騎士だった。
「くっ」
慌てて振るう剣を止めようとする騎士。だが、それが隙になる。視界の外から放たれたシュバルツの蹴りがその騎士の後頭部に叩き込まれる。もつれながら床に倒れていく二人の教会騎士。
「……とんでもないのを育てたな」
思わず漏れた呟き。そのシュバルツの動きは、老騎士にとって想定外のものだったのだ。
「油断するな! この男、我らと同じ技を使う」
それは対峙している教会騎士たちにとっても同じ。シュバルツが何者か分かっていない彼らは、老騎士以上にその動きに驚いている。
それでも教会騎士たちに怯えはない。この程度で恐れを抱くほど、彼らは未熟ではないのだ。
「二人は油断していたってこと? 困るな。真面目にやってもらわないと」
「お望み通り、真面目にやってやろう」
今度は先手を取ったのは教会騎士の側だ。わずかな動きで加速すると、一気にシュバルツの懐に入る。そこから剣を一閃。それを後ろに跳んで躱したシュバルツに別の騎士の剣が振るわれる。それさえも避けたシュバルツだが、その逃げた先に、また別の騎士の剣が待ち構えていた。
金属音が辺りに響く。さらに床に落ちた剣の音が続いた。
「殺さないって話じゃなかったか?」
「真面目にやるというのは、こういうことだ」
「なるほど。それはそうだ」
手加減をなくせば、相手を殺してしまう可能性は高くなる。教会騎士たちは、シュバルツはそれくらいのつもりでないと捕らえることなど、到底出来ないと判断したのだ。
「次で仕留める」
「そういうの口に出さないほうが良い」
攻撃を仕掛けてきたのは、シュバルツが話している騎士とは別の者。それにほんの一瞬遅れて、もう一人が剣を振るう。さらにシュバルツの正面にいた「次で仕留める」といった騎士がそれに続いた、だが。
「……なんと?」
シュバルツはその全てを躱し、躱すだけでなく、三人のうちの一人を倒していた。
「奥の手を隠していたのか?」
「奥の手? ちょっと違う。さらに気合いを入れただけだ」
「ふざけるな。気合いを入れただけで、動きが速くなるはずがない」
内気功はそういうものではない。内気功を発動する時が「気合いを入れる」と言えないわけではないが、その気合いの度合で強弱が変わるものではないのだ。
「えっ? なるだろ?」
教会騎士の常識では。シュバルツは違う。
「愚者……貴様、いつからギルベアトに鍛錬を受けた?」
老騎士にはシュバルツの言うことに心当たりがあった。実際にどういうものかは分からない。可能性として思いついただけだ。
「愚者と呼ぶな。それと……何故、お前が爺を知っている?」
教会関係者にギルベアトのことを知っている者がいてもおかしくはない。問題はそれがどういう繋がりかだ。
「ギルベアトは自分の弟子だ」
「弟子……年そんなに変わらなくないか? それとも見た目以上に老けているってことか?」
老騎士の見た目は、シュバルツの記憶にあるギルベアトとそう変わらない年齢に見える。ギルベアトが亡くなる前の記憶なので、若く見えると言ってもおかしくないくらいだ。
「内気功を身につけてからの年数でいえば、自分のほうが長かったということだ。それで、シュバルツ。お前は何歳から鍛錬を始めた?」
「何歳? 覚えていないな。物心ついた時には、爺に泣かされていた」
物心ついた時には、泣いてしまうくらい厳しい鍛錬を受けていた。それが日常であり、鍛錬以外の時間はギルベアトはとても優しかったので、それを行うことに疑問を持つこともなかった。
「なるほど……幼児がどのようにして身につけたかを知りたいところだが、それは無理か」
シュバルツは呼吸と同じように自然に内気功を使う。何の準備も必要ない。使うという意識も、恐らくは、ない。必要な時に自然に発動し、必要ない時は使わない。それが教会騎士たちとの違いだと老騎士は考えた。
「それで? そちらの奥の手というやつは?」
「内気功に特別な奥の手などない。熟練度が全てだ」
内気功に特別な技などない。老騎士が使った技も特別なものではなく、熟練すれば誰でも使えるようになるものだ。誰でもその域まで熟練するのかという点は別にして。
「そうか……ちなみにこいつらは教会騎士全体の中で、どれくらい強い?」
「それを知ってどうする?」
「別に。参考にするだけだ」
「なんとも言えん。教会騎士全体で強弱を競ったことなどないはずだからな」
シュバルツと戦うことを許すくらいには、実際は計算違いだったが、鍛えられている。だが他の拠点の教会騎士がどの程度の実力かは分からない。それを確かめるようなことは行われていない。東西教区が双方、自分の配下の教会騎士団の実力を隠したいという思惑を持っていたことも影響している。
「そうか……じゃあ、対戦を再開するか」
教会騎士と戦うことへの興味は失せた。そうなると残る興味は、自分よりも強い老騎士との戦い。
「……そうしたい気持ちはあるが、そうもいかないようだ」
教会騎士は五人だけではない。また新たな騎士たちが姿を現した。先の五人では事態が終息しないと考えた者もいて、かなりの数が集まってきている。
「さすがにこの数は無理ではないか?」
「……同時に戦える数はそれほどでもない」
「全員倒せると考えているのか? さすがにそれは甘い見通しではないか?」
数は力だ。同時に戦える数は限られているとしても、全員を倒すのにどれだけの時間、戦い続けなければならないのか。わずかな隙も許されない戦いを続けることは、かなり困難なはずだ。
「降参しろ。殺すことはしない」
「……断る」
「死ぬことになるぞ?」
こうして話をしている間に、教会騎士たちは包囲を進めている。ただ囲むだけではない。弓矢も持ち出してきた。たった一人、ズィークフリート王を加えても二人相手でも、手加減出来る状況ではないと判断しているのだ。
「……断る」
「では――」
「止めて! もう止めて!」
老騎士の号令をかき消す声。それはヘルツの声だった。ここまで歩いてこられたことも不思議に思うほど、異常にやせこけた、今にも死にそうなヘルツの必死の叫びだった。
「……もう、良い……シュバルツ……私なんかのために……こんな無茶……しないで」
最初の叫びで力を使い切った様子のヘルツ。床にしゃがみ込み、それでもシュバルツに向けて、かすれた声で語りかけてくる。
「ヘルツ……お前なんかのため、じゃない。お前のためだから俺たちは無茶が出来るんだ」
「……でも……私は……」
「たった一度の過ちで、俺たちの全てを無にするのは違う。間違った掟であれば正せば良い。お前と俺たちで一緒に作ったものなのだから」
絶対の掟。それを今回、シュバルツたちは守らないことに決めた。それで壊れるような組織は、自分たちが望む組織ではない。そんな理由だ。
別に理由は何でも良いのだ。何があっても守りたいと思える相手は、やはり仲間。その自分たちの気持ちに素直に従っただけだ。
「……それでも私は……シュバルツに……生きて欲しい……自分のせいで……シュバルツを……失うのは……嫌」
「仲間だからな。ヘルツ、お前は俺たちの仲間だ」
仲間を助けたい。そう思える気持ちがあるヘルツは、今も自分の仲間。自分たちの選択は間違っていなかったとシュバルツは思えた。
「……大丈夫ですか? もう無理はしないでください。彼は大丈夫です。彼の安全は私が保証します。聖神心教会の教皇として、誓います」
いつの間にか教皇がヘルツに近寄っていた。あまりに惨いヘルツの状態を見て、放っておけなくなったのだ。
「……教会、なんて」
「信じてくださいとは言いません。ですが、私は約束を守ります。それと貴女を治すために全力を尽くすことも約束します」
あとの言葉はシュバルツに向けたものだ。
「……具体的には?」
ヘルツと同じ。教皇の言葉であろうと、シュバルツはそれを無条件で信じる気にはなれない。信仰心どころか教会には敵意しかないのだ。
「それはあとで説明します。まずは……皆、下がりなさい」
「猊下!? この者たちを許すのですか!?」
「許します。教皇である私が許すと言っているのです。それを貴方がたは認めないと言うのですか?」
教皇は、普段見せることのない、厳しい視線を教会騎士たちの向けている。彼らが普段感じることのない威厳を見せている。その教皇に物言える者は、この場にはいない。それが出来る老騎士は、教皇の考えに賛同している。何も言うことはない。
不満そうな顔を見せる者はいるが、教会騎士たちは引き下がって行った。残ったのは最初にこの場にいた四人、それに老騎士とヘルツを加えた六人だけだ。
「……薬で治すわけではありません。彼女を治すのは私の力です」
「力?」
「万能でありませんが、治癒の能力を私は持っています」
「……それは……特殊能力ということか?」
特殊能力保有者の存在を認めない教会の頂点に立つ教会が特殊能力保有者。ふざけた話だとシュバルツは思った。
「教会のために使われる力は、神が与えたもうた力。こういうことです」
「俺たちのような孤児を狩って、味方にしているしな」
「孤児を……」
「これも知らない。教皇って何なんだ? ただのお飾りか?」
どうやら惚けているわけではない。これまでの教皇の言動を見てきて、シュバルツはこう思うようになった。
「……その通りです。私はお飾りに過ぎません」
「自分で言うかな? まあ、良いけど。約束だ。ヘルツを治せ」
「すぐには無理です。いつまでとも約束出来ません。三か月か、半年か、二年、三年かかるかもしれません。先ほども言った通り、万能ではないのです。そういう意味で、完全に治るという保証もありません」
あらゆる怪我や病気から完全に回復させる。それはもう神の奇跡だ。そのような力は教皇は持たない。人の身で持てるはずがない。
「……分かった。ヘルツは預ける」
今のままでは、そう遠くないうちにヘルツは死んでしまう。教皇を信じる信じないは関係ない。他に選択肢はないのだ。
ヘルツの肩に手を置いて、何度か軽く叩くと、シュバルツは出口に向かって歩き出す。
「おい、そう慌てて帰ろうとするな。身の安全は自分も保証するから、しばらくここにいろ。ギルベアトのことなど、色々と話を聞かせてもらいたいのだ」
「……仮にそうするとしても、今は急ぎの用がある」
「急ぎの用? この状況でそんなものがあるはずないだろう?」
教皇が止めなければ、まだ戦いは続いていた。そもそもこの場所に来る時点で、身の安全は保証されない。次の予定などあるはずがないのだ。
だが実際に急ぎの用はある。シュバルツにとっては「急ぎ」というわけではないが。
「ある。俺が止めないと街のあちこちが爆発することになる。それでも良いなら、残るけど?」
「なんだと?」
「何の備えもなしに、たった二人で敵の本拠地とされる場所に乗り込むはずがないだろ? 一定時間が経過しても俺が外に出なければ、仲間が街を爆発させることになっている。ちなみにヘルツを治す方法を教えない場合の脅しにも使う予定だった」
「さっさと行け!」