ノートメアシュトラーセ王国にまた新たな王が立った。新王ジギワルドとその忠実な臣下たちはオトフリートの即位を正式なものとして認めていないので、「また」という表現は受け入れないだろう。
新国王になったとはいえ、ジギワルドたちに安堵はない。戦いに勝利して王都を奪い返したとはいえ、今の状況はオトフリートが反乱を起こした時と似ている。オトフリートと彼に付いた傭兵団員たちは、戦死したセバスティアンを除いて、全員逃がしてしまったのだ。唯一、ヨハネスを確保したが、それは彼が軟禁されていたから。ヨハネスがオトフリートに従っていたわけではないことをジギワルドたちは知った。
動員できる最大人員を投入して逃げたオトフリートたちを探させているが、今のところ、その足取りは掴めていない。
その原因のひとつは別の誤算。王都攻めを行っている間に、トゥナとルーカスがいなくなってしまったのだ。トゥナの能力で行方を占うことも、ルーカスたち隠者の部隊の諜報能力も失ってしまった。特に隠者を失ったことは大きい。得られる情報は、ほぼ国内のことだけになってしまっているのだ。
「ルーカスもそうだけど、キーラを早く連れ戻しなさいよ」
ルイーサはジギワルドの下に残った。彼女自身にジギワルドに仕えているつもりはなく、アルカナ傭兵団の団長となる為に残っているだけだ。
「キーラだけ連れ戻しても意味がありません」
それ以前にキーラの居場所を知らないので連れ戻しようがない。そうであるのだが、ルイーサにうるさく言われるのに苛立っているジギワルドは、違うことを返答した。
「意味はあるわ。ルーカスの配下は従士だけじゃない。各地に情報を中継する者たちがいる。その人たちを繋ぐのが、伝書烏よ」
「繋がったとして、届ける情報は誰が集めるのですか?」
これを担っていたのがルーカスの従士たちだ。
「隠者は全てを把握しきれないほど従士がいるの。ただ食堂や酒場、知り合いなどから見聞きしたことを届けるだけの人もいるのよ。その人たちと繋がれば、少しは情報が入ってくる。軍が動いたなんてことは、その街に住んでいれば分かることでしょ?」
すくなくともオストハウプトシュタット王国が軍を動かしたことは把握できる。それだけでもかなりの意味があるとルイーサは考えているのだ。
「確かに……しかし、キーラですか……」
ルイーサの説明は、感情的なしこりはあっても、ジギワルドも認めざるを得ない。重要性も理解出来る。だがキーラの居場所が分からなければ、どうにもならないのだ。
「……結局、シュバルツか。彼はきっとキーラの居場所を知っている。でも、その彼の居場所が分からない。それを調べるにはキーラの、そしてルーカスの力が必要……こういうの何て言うの?」
「卵が先か鶏が先か、のことですか?」
「ああ、それ。とりあえず……シュタインフルス王国に使者を送って。愚者の情報があれば教えて欲しいって」
ルイーサは黒狼団の拠点がシュタインフルス王国の山中にあることを知っている。そこにシュバルツがいる可能性も考えている。大陸西部は混乱状態にある。危険を避けて、黒狼団の元々の本拠地であるラングトアに戻らない選択もあると考えているのだ。間違いだが。
「シュタインフルス王国はベルクムント王国の従属国です」
「ベルクムント王国支配は崩れた。もっとも遠い位置にあるシュタインフルス王国は、とっくに従属を止めているはずよ」
「協力関係を構築するのですか?」
ジギワルドは以前とは違い、シュバルツへの拘りを捨てている。シュバルツと自分はすでに違う道を歩んでいる。トゥナに教えられて、それを理解し、納得した。自分の道は自分で決める。誰であろうと他人のことを気にするのは無駄だと思えるようになった。
「それは有りね。ベルクムント支配から逃れた国を中央諸国連合に取り込むのは良い考えだわ。でも、その前に力を取り戻さなければならない。中央諸国連合の盟主として認められる力を取り戻さないと、こき使われるだけになってしまう」
中央諸国連合を拡大出来ても、ノートメアシュトラーセ王国が、アルカナ傭兵団がその中心にいなければ意味はない。かつてのようにただの傭兵として、こき使われるのは嫌なのだ。
「力を取り戻すのは一朝一夕で出来ることではありません。今この国にいる上級騎士はわずか三人。東部にいるハーゲン殿とリュディガー殿を加えても五人です」
「そういえば二人は仕えると誓ったの?」
ハーゲンとリュディガーの二人はオトフリートの反乱とは、おそらく無関係。東部に行ったままなのでジギワルド陣営に付くこともなかった。反乱が鎮圧した今、二人の意向ははっきりしているはずだとルイーサは考えた。
「それが……アルカナ傭兵団で働くことは約束してくれました」
「なるほど。王国と傭兵団は別か。問題ないわね。私もそうだから」
二人を批判する資格はルイーサにはない。ルイーサも二人と同じ考えなのだから批判出来るはずがない。
「えっ……?」
「ちゃんと言っていなかったわね? アルカナ傭兵団の団長は私がやるわ。幹部で残っているのは私だけなのだからそれしかないでしょ?」
「アルカナ傭兵団での私の立場は?」
ルイーサに団長を奪われてしまっては自分はどうなるのか。ノートメアシュトラーセ王国の軍事力はほぼアルカナ傭兵団の力。それをルイーサが自分の物にしてしまっては、ジギワルドは軍事的な力を持たない王になってしまうことになる。
「これまで通り、上級騎士の一人として働けば良いわ」
「国王である私に、ルイーサ殿の命令に従って動けと?」
そんな上下関係はあり得ない。それでもルイーサがノートメアシュトラーセ王国の頂点に立つことになってしまう。
「嫌ならアルカナ傭兵団で働かなければ良い。どうせ国王なのだから、常に戦場に立つわけにはいかないでしょ?」
「……なるほど」
先々代の王が、公式にはシュバルツの父となっている先々代の王がアルカナ傭兵団に敵意を向けた理由が分かった気がした。軍事力を奪われてしまっては、誰も国王を恐れなくなる。自分の命令よりも傭兵団団長の命令に従うことになる。今自分が思ったことと同じことを考えたのではないかと。
「従士の数は揃っている。まずは彼らを徹底的に鍛え直すわ。上級騎士に相応しい実力があれば、取り立てることもする」
「カードは関係なく?」
「……今は仕方がないわね。組織の立て直しが最優先だわ」
神意のタロッカの試しを行いたくても、そのカードもシュバルツが持っている。取り戻してからなんて余裕もない。アルカナ傭兵団の弱体化には、ルイーサも強い問題意識を持っている。とにかく今出来ることを全てやるしかないと考えているのだ。
「そうですね。最優先です」
自分は何を行うべきなのかをジギワルドは考えた。だが考えても答えは思いつかない。やるべきことがないのではなく、あり過ぎて整理出来ないのだ。
自分はノートメアシュトラーセ王国の国王だと宣言した。だが宣言しただけだ。国王としての仕事は何もしていない。人心を落ち着かせなければならない。戦いで荒れ果てた王都シャインフォハンを復興させなくてはならない。人々の暮らしはどうなっているのか。それを調べて必要な手当を行わなければならない。アルカナ傭兵団はその後。必要があれば考えれば良い。こうジギワルドは思った。
◆◆◆
トゥナとルーカスがノートメアシュトラーセ王国を去ったのは、隠者の従士がシュバルツの行方を掴んだからだ。その情報を得たことで、二人はシュバルツの後を追うことにした。もともとそうしようと考えていたのだ。
ジギワルドには「アルカナ傭兵団は滅びた」と、もう過去の物であるかのような言い方をしたトゥナだが、本人はそこまで割り切れていない。その過去が全てであったトゥナが、そのように思えるはずがない。未来を見るべきジギワルドと自分は違うと思っているのだ。
少なくともシュバルツが神意のタロッカをどうするつもりかは知りたかった。それを確かめる為に、シュバルツに会いたかったのだ。
ノートメアシュトラーセ王国から南下、ノイエラグーネ王国の国境を超えてライヘンベルク王国に入った二人は、そこから北上。シュタインフルス王国に入国した。
シュバルツがベルクムント王国にいることは、いたことは知っている。だがまっすぐに向かうことなく、シュタインフルス王国で寄り道することにした。そこにシュバルツの知り合いがいるだろうことが分かっているからだ。
「……おお? 久しぶり」
「久しぶり。キーラに挨拶されるのは、少し変な感じだわ」
キーラがシュタインフルス王国にいることが分かったからだ。ただ嫌な顔をされることはあっても、こうして普通に挨拶されるとは思っていなかった。ノートメアシュトラーセ王国にいた時、トゥナはキーラに挨拶された覚えがないのだ。
「私もかなり人に慣れた」
「そうね。思っていた以上にお友達が大勢いるものね?」
キーラがいるのは黒狼団のアジト。そこにはシュベアベルの貧民街で暮らしていた孤児たち、そしてクローヴィスとセーレン、ボリス、フィデリオといった愚者の面々もいる。さらに。
「……久しぶりだな。まさかトゥナ殿がここに来るとは」
「ベルント……元気そうで良かった」
ベルントもいる。トゥナにとっては惨事以来の再会だ。生きて、シュバルツの下に向かったことはルイーサから聞いていたが、それでもこうして実際に会えると温かい感情が湧いてくる。
「腕を失いましたが、気持ちは以前よりも元気かもしれません。子供たちのおかげです」
「彼らは?」
「ある事情があって助けてここに連れてきた孤児たちです。今の私の仕事は彼らに剣を教えることなのです」
教えているのは子供たちだけではない。クローヴィスたち愚者のメンバーにも教えている。剣の技ではまだまだベルントに彼らは及ばないのだ。
「それではまるでギルベアト殿のようですね?」
「ああ、ギルベアト殿がシュバルツたちに教えたように……それはどうだろう? 剣の師として、私はギルベアト殿には遠く及ばないのではないかな?」
「そんなことはないでしょう?」
ベルントはかなりの剣の腕前だ。剣術ではアルカナ傭兵団の中で最高と評価することが出来る。ギルベアトも優れた武人であったことは知っているが、ベルントには劣るとトゥナは考えている。
「私は子供たちをフィデリオと二人で教えている。私が剣、フィデリオが内気功という分業だ。一人で全てを教えていたギルベアトには敵わない」
「内気功……それをフィデリオが?」
「……あ、ああ……えっと……困ったな。シュバルツもロートも今いない。詳しい話をして良いのかは……エマに聞いてみる」
フィデリオの内気功について詳しい話をしようとすると近衛騎士団、そして近衛騎士団が起こした反乱に繋がることになる。それをトゥナたちに話して良いかの判断はベルントには出来ない。シュバルツに聞くべきだがそのシュバルツはいない。そうなると許可を得るのはエマということになる。
「……彼女もいたのね?」
ベルントが名を出すと同時に、エマが姿を現した。状況が分かるまで姿を隠しておくべきというのは、幼い頃に学んだ教訓。エマは今もそれを守っているのだ。
「アルカナ傭兵団の方たちですか?」
「元、アルカナ傭兵団ね。今はただのトゥナと、彼はルーカス」
「トゥナさんは初めまして、ですか? ルーカスさんは何度か食堂に来てくれていましたね?」
「……ああ、美味しい店だった」
ルーカスはシャインフォハンの食堂に行ったことがある。エマたちを探る為だ。当然、会話と言えるようなものはなかった。軽く変装もしていた。だがエマはルーカスの存在を知り、今も同一人物だと見抜いた。ルーカスにとっては少し屈辱だ。諜報に携わるものとして、あってはならないことなのだ。
「シュッツであれば今いません。しばらく帰ってこないと思います」
「ええ、それは知っているわ……ひとつ聞いて良いかしら。割と簡単に部外者の訪問を許すのね?」
トゥナとルーカスは簡単にこの拠点に来られたことを驚いていた。しかも、中へ入ることを止められることもなかった。
「それは……お二人であることは分かっていましたから。敵意がないことも」
それにこの場所は本当のアジトではない。拠点として使っているが、隠すべき場所は別にある。その存在を知られない為の隠れ蓑なのだ。
「……それは良かったわ。ベルントから詳しい話を聞きたいのだけど良いかしら? 彼は貴女の許しがあれば大丈夫だと言っているの」
「少し聞こえていましたけど、私ではなく。フィデリオさんに許しを得るべきです。フィデリオさんの個人的な話になりますから」
「そう。じゃあ、フィデリオが良ければ、一緒に話をしてもらえるかしら? 他の話にもなるかもしれないから」
「……分かりました。では、建物の中で話しましょう。こちらです」
トゥナにこう告げて、すぐに建物に向かって歩き出すエマ。フィデリオに声をかける必要はない。彼にもこの会話は聞こえている。すでに建物に向かって歩いていた。
「……食堂の時とは雰囲気が違います」
「それはそうでしょう。今の彼女は食堂の看板娘ではなく、黒狼団の一員なのだから」
「そういうことですか」
外見の美しさだけでエマは黒狼団の一員でいるわけではない。黒狼団結成のひとつの要因だとしても、メンバーが増えていく中で、彼女は彼女の力で黒狼団の一員として、それどころかナンバースリー、実質ナンバーワンとなる時もあるが、の地位を守り続けてきたのだ。その一端をトゥナとルーカスは感じ取った。