フィデリオが何故、他人に教えられるくらいに内気功を身につけているのか。その理由と、それがオトフリートの反乱に繋がっていく話は、トゥナとルーカスに衝撃を与えた。
反乱の下地は二十年以上前から作られていた。その事実にトゥナもルーカスも、二人だけでなくアルカナ傭兵団全体がまったく気付いていなかったのだ。防げた反乱だった。後悔の思いが二人を苦しめる。
それと同時にギルベアトとシュバルツの関りに、特別な運命を感じることにもなった。反乱の旗印はオトフリートではなく、シュバルツであったかもしれなかった。だがそうはならなかった。ギルベアトの心情は、フィデリオの話を聞いただけでは分からない。熱心な教会信者であり、ノートメアシュトラーセ王国の臣下としても、アルカナ傭兵団に強い敵意を抱いていたはずのギルベアトが、何故、本来の目的を捨て、シュバルツを自由にしようと思ったのか。どんな想いがギルベアトにそう決断させたのか。詳しいことは分からなくても、シュバルツへの愛情であることは分かる。それを思うと目頭が熱くなる。
そして、もうひとつ分かったことは。
「……もしかしてシュバルツは、教会と戦おうとしているの?」
教会はシュバルツにとって絶対的な敵であること。教会の教えは間接的にギルベアトを死に追いやった。教会が裏で糸引いた反乱は、直接的にディアークを殺した。シュバルツは育ての親と実の親を教会に殺されたのだ。
「そういう話はしていません」
「話せないということかしら?」
「いえ、本当にそういう話は一度もシュッツとはしていません。ただ、私たちがこの世界で安心して暮らす為にそれが必要だというなら、私たちはそれを行います」
教会と戦うという話は今のところ出ていない。エマはその理由が分かっている。シュバルツは自分の復讐を目的として教会と戦うということにはしたくない。そう思われるのも嫌なのだ。
「行います、ね」
教会は巨大組織だ。ただ組織が大きいというだけでなく、話を聞いた感じでは、かつての教会とは違い、軍事力も保有している。それもかなりの軍事力だ。さらに教会を敵に回せば、ベルクムント王国にはもう力はないだろうが、オストハウプトシュタット王国とも戦うことになるだろう。
それでもエマは「必要であれば戦う」と宣言した。物を知らない女の子の言葉とはトゥナは思えない。強い意志を感じたのだ。
「勝てるのか……いや、愚問だな。喧嘩は勝ち負けを気にしてやるものではない」
勝ち目があるとは思えない。そう考えたルーカスだが、すぐに考えを改めた。勝てるから戦う。負けるから戦わない。本来そんな戦い方はしてこなかった。生きる為には戦うしかなかったのだ。
「ルーカスらしくない物言いだな?」
アルカナ傭兵団では諜報担当であったルーカス。ベルントの持つルーカスの印象は、もっと冷静で、客観的な言い方をする男だった。
「ああ……そういえば出会ったばかりの頃は、そうだったわね?」
トゥナはルーカスの言葉で、昔を思い出した。ルーカスがそんな男だったことを。
「出会ったばかりというと?」
「勝ち負けを考えることなく団長に喧嘩を売ってきた」
ルーカスも変わった。トゥナが初めてルーカスと出会った頃は、もっとギラギラしていた。ルーカスだけがそうだったわけではない。アルカナ傭兵団の上級騎士たちの多くはそんな感じだ。
「トゥナ殿。私が喧嘩を売ったのではなく、売られたのです。それも団長ではなく、アーテルハイド殿に」
アーテルハイドもそうだった。ディアークたちと合流したあとは、少し落ち着いたのだが、それでも沸点はまだまだ低かったのだ。
「そうだったかしら? 先にルーカスが団長に喧嘩を売って、それに怒ったアーテルハイドと揉めたのではなかった?」
「ですから喧嘩は売っていません。仲間になるのを断っただけです。それにアーテルハイド殿が怒って、争いになったのです」
「そうね。確か……『誰がてめえみたいな気取った野郎の仲間になるか。一昨日来やがれ、馬鹿』と言って断ったのだったわ」
「……私の台詞は細かく覚えているのですね?」
今聞くと恥ずかしくなってしまう台詞。当時は当たり前に使っていた言葉だ。
「ルーカスが……まあ、若かったからな」
ベルントはそんなルーカスを知らない。後から合流したというだけでなく、ルーカスはすぐに自分の能力を活かせる情報収集を始めたので、一緒にいる時間が短かったのだ。
「それを言葉にされると自分が凄く年を取った気持ちになるわ」
「年齢を重ねたのは事実です。大人になった部分も多い。ですが……変わらないものがあることも知りました」
「勝敗を考えずに喧嘩を売れることとか?」
「そうですね。その熱さはまだまだ残っていたようです」
いつ終わるか分からない戦いに疲れた。こんな気持ちがずっとあった。心の隅に押しやっていたが、その思いが消えることはなかった。
だが今、自分の中に戦いたいという気持ちが湧き上がっていることをルーカスは感じている。争いから離れて静かな暮らしを送ろうと思えば送れるかもしれない今。
「ベルントはとっくにその気。ということで、エマ」
「はい。何ですか?」
聞かなくてもトゥナがどのようなことを言いだすつもりかは、これまでの会話を聞いていれば分かる。
「私たちもここに居て良いかしら? 実際の場所はどこでも良いの。貴女たちと一緒に居てもかまわない?」
「シュッツは神意のタロッカは私の目を治す為に使うと言っています」
「そうだとしても、彼は戦おうとしている。自分と仲間たちが生きる為に。自分たちと同じような境遇の孤児たちを守る為に。神意のタロッカに頼るつもりはないってことね?」
神意のタロッカを揃える為にシュバルツが動いているとは、トゥナは最初から思っていない。シュバルツたちにはシュバルツたちの目的がある。それが何かということが大切なのだ。
「……人の手で実現出来ることに、実現すべきことに、神の力を借りるべきではない。シュッツは、いえ、私たちはこう思っています」
「…………」
エマの言葉に大きく目を見開いたまま、固まってしまうトゥナ。言葉にされれば、特別どうという内容ではない。目指すものがあるのであれば、神意のタロッカには関係なく、その実現の為に前に進めば良い。カードが全て揃わなくても、カードに認められる人物が揃っていなくても、待つ必要はない。全て揃わなければ、目指す世界は実現出来ないなんて考えは間違っていたのだ。
「……貴女たちは……正しい。私たちとは違う」
トゥナの大きく開いた瞳から涙が零れ落ちる。神意のタロッカへの拘りを捨てていても、夢が実現したわけではない。そんな簡単な夢ではない。だが、今のような終わり方はしていなかった。これは間違いないことだとトゥナは思った。
自分は何を視ていたのか。自分の能力はなんだったのか。自分の力に頼り切り、考えれば分かることを考えないでいた自分は、崩壊したアルカナ傭兵団そのものではないかとトゥナは思った。
「……正しいかはまだ分かりません。今は正しくても、この先、間違ってしまうかもしれません。だから……私たちを助けてもらえますか? 私たちが間違いそうになったら、それは違うと言ってくれますか?」
「……ええ。私に自慢できるものがあるとすれば、それは貴女たちが持たない経験を積んでいるということ。それを役立てることが出来るなら、是非、手伝わせて」
「はい。よろしくお願いします」
エマはトゥナを受け入れた。トゥナの声から伝わる悲しみが、不信感を薄れさせ、拒絶させなかった。
「……どうやら、キーラ。また君の友達に助けてもらうことになる。頼むな」
トゥナが黒狼団に合流するというのであれば、ルーカスの選択もそれ以外にない。
「お、おお。任せろ」
「とりあえず、シュバルツ殿との連絡網の整備か。ベルクムント王国にずっといるのであれば、以前のものがそのまま使えるな。キーラの友達の配置はどうだ?」
「ベルクムントは大丈夫。でもシュッツは別の場所に行くぞ」
すでにキーラは連絡網の再構築に取り掛かっている。といってもまだ最低限のもので、まずはかつての情報伝達網を復活させるところからだ。
「別の場所? どこに行く予定なのだ?」
「教会」
「えっ? 教会というのはラングトアの教会ではなく?」
教会は大陸各地にある。教会に行くというだけでは、それがどこだか全く分からない。
「違う。えっとだな……おお? 教会ではなく教国だった。教国ってどこだ?」
「なっ……?」
キーラの問いに呆然とするルーカス。ルーカスだけではないトゥナも、ベルントも驚きで固まってしまった。教国と呼ばれる国はひとつしかない。エーデルハウプトシュタット教国。聖神心教会の総本山だ。
「あの……いきなり戦うわけではありません。多分……」
エマはシュバルツたちが何をしに、エーデルハウプトシュタット教国に行ったのかを知っている。いきなり抗争になる予定ではない。あくまでも予定であって、突発的な争いが起こる可能性は十二分にあることも知っている。
◆◆◆
エーデルハウプトシュタット教国は大陸西部にある。意図して西部にあるわけではない。昔、信心深い国王がいて、自国の街を丸ごとひとつ教会に寄進した。それが現在のエーデルハウプトシュタット教国。その国王の国が大陸の西部であったということだ。
戦乱の時代を経て、その国は滅びたが、エーデルハウプトシュタット教国は教会の総本山であり、絶対中立国という位置づけであるので、侵略国も手を出せず、その地にそのまま残ったのだ。
「これはこれはズィークフリート王。遠路はるばる、教国までお越しいただきありがとうございます」
「いえ。こちらから申し出たこと。御礼には及びません。こちらこそ、猊下には、急な申し出にも関わらず、面会をお許しいただきましたこと感謝しております」
そのエーデルハウプトシュタット教国を、ベルクムント王国のズィークフリート王は訪れている。亡国の危機を逃れたとはいえ、まだ安心できる状況ではないというのに。
「大変な時期に来訪されるというのは、よほどの用件。断ることなど出来ません」
ベルクムント王国の状況については教皇もある程度は知っている。今回の事態は教会にとって、正確には本山と西部教区全体にとっては驚愕の出来事。各国の教会は懸命に情報保収集に務めているのだ。
「無駄にお時間を取っては申し訳ありませんので、早速、要件に入ってもよろしいでしょうか?」
「もちろん。私の時間よりもズィークフリート王も時間のほうが貴重です」
「ありがとうございます。実は猊下にお聞きしたいことがあります。この人物をご存じでしょうか? 教会の方のようなのですが?」
こう言ってズィークフリート王が教皇に見せたのは似顔絵。実際の人物にどこまで似ているかは今の時点では分からないが、かなり上手く書けている似顔絵だ。
「さて……どこかで見たことがあるような気もするのですが……」
教皇の視線が、すぐ側にいるアルフレート司祭に視線を向けた。自分はすぐに思い出せそうにないので、アルフレート司祭に心当たりがないか尋ねる視線だ。
「……名前までは思い出せませんが、確かヨシュア司教様のところの助祭ではなかったかと? 二度か、三度か、本山を訪れたことがあるはずです」
「ヨシュア司教の……」
ヨシュア司教が管理するのは教区ではなく、騎士団。神子騎士団団長という、教皇としては、聖職者としてどうなのかと思う地位にいる、好意的には見れない相手だった。
「そのヨシュア様というのは?」
「……東部教区で教会騎士団の管理をしております」
「東部ですか……分かりました。では、もう一つ。こちらはご存じですか?」
次にズィークフリート王が取り出したのは錠剤。剥き出しの白い錠剤というだけでは、何の薬かなど分かるはずがない。
「…………」
「なるほど。猊下はご存じでしたか」
だが教皇の反応はそれが何か分かっている人のもの。あきらかに動揺している表情を見せている。
「……その形には見覚えがあります。ですが……何故、ズィークフリート王がそれを?」
白い錠剤の唯一の特徴はその形。八角形なのだ。
「亡くなった父が使用していました」
「それほどの病だったのですか……知りませんでした」
「病? 猊下はこれがどのような薬かご存じなのですよね?」
病気を治す薬ではない。ズィークフリート王の父はこの薬によって狂わされ、ベルクムント王国は滅亡寸前にまで追い込まれたのだ。
惚けた台詞を口にした教皇に、ズィークフリート王は怒りを覚えている。
「治る見込みのない病に侵された人に、せめて死ぬ間までは穏やかに生きてもらう為の薬です」
医師に見放された患者に、せめて死ぬまでの間の苦しみは和らげてあげようという薬。教会にとって慈悲の心から生み出された薬だ。
「父は元気でした。元気であったのに、この薬を騙されて飲まされ、正常ではなくなってしまった」
「……まさか、そんな」
「それは演技ではないのですか? 猊下は本当にご存じなかったのですか?」
ベルクムント王国を滅亡寸前に追い込んだのは謀略。その謀略に教会が関わっていることはすでに明らかになっている。黒狼団が捕らえた助祭が、知っていることを全て白状しているのだ。
「……さきほどの似顔絵は?」
「この薬を父に、間接的にですが、渡していた人物です。本人はすでにこの事実を認めています」
「そんな……」
「……本当に猊下は関わっていないのですか?」
「当たり前ではないですか! 猊下がそのような非情な行いを許すはずがありません!」
ズィークフリート王の問いに答えたのはアルフレート司祭だ。彼にとってズィークフリート王の問いは、教皇への侮辱。それに怒りを覚え、黙っていられなくなったのだ。
「許しているだろ? 教会はお前の言う非情な行いを、数えきれないくらい行っているはずだ」
「……何だ、君は? 立場をわきまえろ。護衛騎士に会話に加わる資格なんてない」
「お前こそ、勝手に話に入ってくるな。こっちは教皇に話を聞きたいんだ。仲間を傷つけた敵の親分にな」
護衛騎士の恰好をしているのはシュバルツ。ジークフリート王に頼んで、いくつか協力した見返りとしてだが、教皇に近づく機会を作ってもらったのだ。仲間を傷つけた敵に会う機会を。