月の文庫ブログ

月野文人です。異世界物のファンタジー小説を書いています。このブログは自分がこれまで書き散らかしたまま眠らせていた作品、まったく一から始める作品など、とにかくあまり考えずに気の向くままに投稿するブログです。気に入った作品を見つけてもらえると嬉しいです。 掲載小説の一覧(第一話)はリンクの「掲載小説一覧」をクリックして下さい。よろしくお願いします。 

黒き狼たちの戦記 第106話 ラングトア陥落

異世界ファンタジー 黒き狼たちの戦記

 反ベルクムント王国連合軍の迎撃に向かったベルクムント王国軍が負けた、しかも総大将であるズィークフリート王子が戦士したという情報が届いた途端、王都の人々の動きは一気に慌しくなった。
 どこに逃げたら良いか分からない、生活基盤がない、なんて言っていられる場合ではない。逃げなければ殺される。その恐怖が人々を突き動かしたのだ。
 王都から一斉に逃げ出す人々。その中にはベルクムント王国軍に属している人たちもいる。今の国王は命をかけて忠誠を尽くすべき対象ではない。軍の人間もベルクムント王国を見限ったのだ。大国ベルクムント王国が亡ぶ。少し前までは想像も出来なかったことが、現実になろうとしていた。
 反ベルクムント王国連合軍は、ほとんど抵抗を受けることなく、王都に進んできた。防ぐべきベルクムント王国軍がすでに崩壊しているのだ。そしてそれは王都の守りも同じ。

「殿下、今すぐお逃げ下さい」

 守る人がいなくなったことでカーロは城に、奥は未だに近衛騎士団が守っていて無理だが、入れるようになった。それが分かって、真っ先に駆け付けたのはカロリーネ王女が軟禁されている塔。
 何度も訪れ、逃げるように伝えているのだが。

「私はこの国の王女です。人々より先に逃げるわけにはいきません。なにより、陛下がまだお城に残っています」

 カロリーネ王女は逃げようとしない。王都の人々が全員逃げたわけではない。残っている人もいる。そして城には国王がいる。その国王の許しなく、先に逃げ出すことなど出来ないと言うのだ。

「その陛下が今の状況を作られたのです。正常な判断が出来る状態であれば、このようなことにはなっておりません」

「……それでも私が逃げるのは最後の最後です」

「殿下。その最後の最後がもう来ているのです」

 反ベルクムント王国連合軍はすでに王都の包囲を始めている。それが完了すれば、すぐに王都に突入してくるはずだ。これ以上、この場所にとどまっていては周囲を完全に囲まれ、逃げたくても逃げられなくなってしまうのだ。

「……カーロ殿、貴方こそ逃げてください。貴方にはこの国に殉ずる義務はありません」

「逃げるのであれば王女殿下と一緒に。こう決めております」

 カロリーネ王女を置いて逃げるつもりがあれば、とっくにそうしている。それが出来ないからカーロは、この期に及んでも説得を続けているのだ。

「私は貴方には生きて欲しいのです!」

「それは私も同じです! 私は貴女に生きて欲しい! 貴女と生きていきたい!」

「カーロ殿……」

 カーロの口から出た「貴女と生きていきたい」という言葉の意味。それを考えてカロリーネ王女の胸は高鳴り、そしてすぐに落ち込んだ。そんなはずはない、と頭に浮かんだ思いを否定したのだ。

「王女であることを止めてください。止めて、ただの女性として俺と生きて欲しい」

「…………」

 だがカロリーネ王女の頭に浮かんだ思いは正しかった。それ以上にカーロは、はっきりとした自分の気持ちを伝えてきた。

「貴女が好きなのです。正直、最初はただ利用するだけのつもりでした。でも貴女は、貴女への俺の想いはそういうものではなくなった……いえ、違う。初めて貴女に会った時から、俺は貴女に恋しました。初めての恋です」

 カーロにとって女性は生きていく為の道具だった。どれだけ綺麗な女性でも、可愛い女性でも、本当に好きになることはなかった。エマもカーロにとっては恋愛対象にはなり得なかった。想いがあるように振舞っているだけだと自分で気付いてしまった。
 自分は人を好きになることが出来ないのかもしれない。もしかすると自分が好きになるのは女性ではなく、男性なのかもしれないとも思った。そういう恋愛があることをカーロは知った。
 そうなると、もしかして自分はシュバルツを好きなのかと考えた。だが、そうではないと分かった。人としての憧れと恋愛は違う。恋愛している人を見て、相手をしている女性の反応を研究して、恋愛とはもっと面倒くさいものだと分かった。
 きっと自分には恋愛は出来ない。自分と似た存在であるヘルツを知って、そういうことだと納得した。

「……私は……私も……貴方が好きです」

 カロリーネ王女の感情には気づいていた。過去にそういった相手に告白されても、「ああ、そうだろうな」といった感情しか湧かなかった。
 だが今は違う。はっきりとカロリーネ王女は自分を好きだと言った。躊躇いがちな小さな声だが、はっきりと聞こえた。そうであるのに、信じられないという気持ちが湧いてくる。胸が高鳴る。

「貴女がここで王女として王国の最後を見届けるというのなら、俺も付き合います。死ぬ時も貴女と一緒でいたい。この願いは叶いますから」

「……駄目……生きてください。貴方は生きてください」

「だったら貴女も。貴女も俺と一緒に――」

 この自分の願いは叶いそうにない。外から聞こえてきた爆発音で、カーロはそれを知った。まだ少し時間の余裕があるはずだった。だがそれは間違いだった。反ベルクムント王国連合軍がもう城への突入を果たしたのだ。
 何者かの声が聞こえてくる。大勢が叫ぶ声だ。抵抗する者のいない城は、すでに多くの連合軍の騎士や兵士が駆け回っている様子だ。生存者を探す声が聞こえてくる。

「……ひとつお願いが」

「何でしょうか?」

「抱きしめて良いですか?」

「……はい」

 顔を真っ赤に染めながら了承を口にするカロリーネ王女。外の喧噪など二人には関係ない。もう最後の時を迎える覚悟は出来ている。二人でそれを迎えられるならそれで良いと思えている。そうであれば最後の時を少しでも良いものに。お互いにそう考えているのだ。
 カーロの腕がカロリーネ王女を優しく包み込む。

「……死、で良いのですか?」

「はい。ごめんなさい。付き合わせて」

「それが俺の望みです」

 連合軍は必ずしもカロリーネ王女を殺すとは限らない。生きられる可能性もある。だがカーロは、カロリーネ王女はそれを選ばないだろうと思っていた。彼女はベルクムント王国と共に、この世から消え去るつもりなのだと。
 廊下が騒がしくなる。塔の中に連合軍が侵入してきたのだ。もう残る時間は短い。
 カーロは抱きしめる腕にわずかに力を込めると、自分を見つめているカロリーネ王女に自分の顔を近づけていく。ゆっくりと重なる二人の唇。死の前の、最初で最後の口づけだ。

「……お前、こういう時に良くそんなことしていられるな?」

「えっ?」

 連合軍が部屋に入ってくるにはもう少し時間があったはず。カーロは、その前にカロリーネ王女を自らの手で殺し、自分も死ぬつもりだった。

「さすがはカーロか……でもそろそろ終わりにしてもらえるか?」

「……シュバルツ」

 部屋に入って来たのはシュバルツだった。いるはずのないシュバルツが笑みを浮かべて立っていた。

「ゆっくりと挨拶している時間はない。すぐに邪魔者が来るぞ」

「お前、どうして?」

 どうして、どうやってシュバルツがここにいるのか。カーロにはまったく分からない。

「はあ? 俺たちが仲間を見捨てると思うのか? 王女様はついでだ。お前一人だけ連れて行くのは無理みたいだからな」

「逃げられるのか?」

「お前、少し馬鹿になったか? 逃げられるから、俺はここにいるのだろ? さて、本当に時間がない。始めるぞ」

 始めるぞ、と言われても何をすれば良いのか分からない。カーロは、この問いを口にする必要はなかった。すぐに何かが始まったのだ。振動する床がそれを教えてくれる。

「王女様を抱えておけ。落ちるぞ」

「えっ?。おあっ!?」

 実際に落ちた。シュバルツが床に手を置いたと思った瞬間、これまで以上に床が震え、その床ごとカーロたちは下の階に落下した。

「次、こっちよ!」

 下の階には、カーロが知らない女性がいた。実際は会っている。露出の多いドレスを来た時と、今の少年兵のような恰好をしたローデリカは印象が違い過ぎて、同一人物だと分からないだけだ。
 そのローデリカに促されて、カロリーネ王女を抱えたまま移動するカーロ。レグルスとローデリカが何をやったのか、今度は分かった。
 水の刃で床に円を描くローデリカ。その円の中に入ったところで、シュバルツが床を落とす。そしてまた下の階へ落ちた。

「……これ効率悪くない?」

「シュバルツが考えたのでしょう?」

「登ってくる奴らに気付かれないように塔を降りるには良いと思ったからだ。でも、これうるさい。多分、もう気付かれた」

 連合軍は下の階から順番に誰かいないかを探している。その裏をかいて、下に降りるつもりだったのだが、時間がかかる上に床が落ちる音はかなりうるさい。何かが起きていることは別の階にいても分かるはずだ。

「時間もかかるからね? じゃあ、どうするのかしら?」

 さらに床に切れ目をいれるローデリカの作業も、一から行うとそれなりに時間がかかる。気付いた者たちが下に降りてくるほうが早そうだ。

「普通に逃げる。問題は王女様だけど……少し予定より早いけど、この中に入ってもらおう」

 シュバルツが出してきたのは大きな袋。カロリーネ王女であれば余裕で入れるくらいの大きさがある袋だ。

「袋の中に入ってもらってどうする?」

「誤魔化す。カーロもその派手な鎧脱げ。あっ、いや、そのままで良いか。ただ、ベルクムント王国の騎士だと分かるようなものは全部外せよ」

「いや、だから、どうするつもりだ?」

 どうやって逃げるつもりなのか、カーロにはさっぱり分からない。レグルスの説明が足りないのだ。

「良いか? 連合軍の騎士とすれ違ったら、立ち止まって姿勢を正し、右手で握り拳を作って、胸を二回叩く。肘を真横にあげて、腕が水平になるように気を付けろ」

「……これは何だ?」

 まだシュバルツが何をするつもりか分からないカーロだが、言われた通り、腕を動かして見せる。何だか分からないが、逃げる為に必要なことであるのは間違いないのだ。

「トゥーゲントインセル王国の騎士の礼。独特だからこれをやれば相手は勝手にトゥーゲントインセル王国の騎士だと思ってくれる」

「……連合軍の騎士の振りをするということか?」

「そう。ただし、鹿に交差する剣の紋章を付けた騎士の場合は、軽く姿勢を正して会釈するくらいで良い。それは本物のトゥーゲントインセル王国の騎士だ」

「……シュバルツ。お前、もしかして連合軍に紛れて、ここまでやって来たのか?」

 何故、シュバルツはそんなことを知っているのか。必要としたのか。シュバルツ自身もそれを必要とした可能性をカーロは考えた。

「それが城に辿り着くのに一番の方法だろ? 連合軍は抜駆けを許さない為にほぼ同数の軍勢を王都攻めに参加させている。誰がどこの国かなんて、完璧に把握出来るはずがないから、紛れ込むのは簡単だ」

「……それはいつから?」

 シュバルツたちはどの時点から連合軍に紛れ込んでいたのか。カートはふとそれは気になった。もしかしてズィークフリート王子率いるベルクムント王国軍が対峙した連合軍にもいたのではないかと思った。

「それ今説明する必要あるか? 時間がないぞ?」

「……ああ、そうだな」

 時間がないだけでなく、カロリーネ王女がいる場で聞くことではない。それにカーロは気が付いた。

「あ、あの……母が上の階にいるはずなのですけど……」

 ただカロリーネ王女が気にしているのは、同じ塔に軟禁されているはずの母のこと。シュバルツが現れて、逃げる流れになっている。そうなると母親を置いて逃げることに抵抗を覚えるようになったのだ。

「仲間が助けに行っています。ただ必ず助けられるとは言えません。もうかなりの数の連合軍が上に向かってしまいましたから」

「そうですか……」

「まずは貴女が無事に逃げることを考えてください。そうでなくてはお母上に再会することが出来ませんよ?」

「……分かりました。お願いします」

 シュバルツの言う通り。王妃である母の心配をする前に、自分が無事に逃げ延びなければならない。自分と母を助ける為に、シュバルツたちが危険を冒して、こうして来てくれているのだから。
 というカロリーネ王女の思いとは別のことをカーロは考えている。シュバルツたちが何の繋がりもない王妃の為に危険を冒すはずがない。そんなお人好しの集団ではない。仲間が助けに行っている、はカロリーネ王女が騒がないようにさせる為の嘘だとカーロは思っている。

「じゃあ、王女様は俺が担ぐ。相手に何か言われてもカーロは何も言うな。応対は俺がする」

「……分かった」

「では、王女様。失礼します」

 袋の上に立つカロリーネ王女に礼をして、シュバルツは袋の口を引き上げる。すっぽりと袋の中に隠れたカロリーネ王女。その彼女が入った袋をシュバルツはゆっくりと持ち上げた。
 扉の外の気配を探り、警戒すべき状況ではないことを確かめたところで廊下に出た三人は、塔の出口に向かった。

 

 

◆◆◆

 城の裏手にあたる方角にある雑木林。連合軍の軍勢はその辺りにも進出しているが、その数は少ない。少し城から離れている上に、裏手には城に通じる出入口がなく、高い壁が侵入を防いでいる。戦功を得られる機会が皆無と思われるその場所に、多くの軍勢は送り込まれない。万一を考えた、形ばかりの捜索が行われているだけなのだ。
 だが、城への出入り口がない、というのは事実ではない。出入口はある。ただ、それを知っているのがベルクムント王国でも国王以外にいないというだけだ。正確には国王と、秘密を聞き出したヘルツだけだ。

「はあ、はあ、はあ……助かった、はまだ早いか」

 その秘密の出口を使ってヘルツは城を抜け出した。元々、こういう時の為に用意された隠し通路だ。城の奥から誰にも見つからずに、ここまで来られるようになっている。

「そうだな。助かったと思うのはまだ早いな」

 だからといって、絶対に逃げられるというわけでもない。

「……ロート。どうして?」

 待ち伏せしていたのはロートだった。秘密の逃走通路など知らないはずの。

「お前がひとつの場所にずっとこもりっきりでいられるはずがないからな。外に出てくるはずだと考えたピークたちが網を張っていた」

 黒狼団はかなり前からこの場所を掴んでいた。ヘルツは必ず城を抜け出しているはずだと考え、実際に外にいた彼女を見つけ、城の出入口を探っていたのだ。

「仲間に付けられるほど間抜けだと思っていなかったのに」

「仲間が見張る必要はない。怪しい場所にお前の似顔絵をバラまけば良いだけ。あとは徐々に網を狭めていく。良くやる方法だ」

 敵対する組織の幹部の隠れ家などを見つけ出す時に使っていた方法。何度もそれを行い、かなり使い慣れた方法だ。

「……ああ、分かった。あの今にも死にそうだった爺か」

 ここまで聞いたところで、ヘルツは見張っていたであろう人物が分かった。貧民街にはいくらでもいる、裏町でも珍しくない、路上に何をするでもなく座り込んでいる老人を近くで見かけたことを。

「施しの気持ちなんて、残っていたのだな?」

 ヘルツは自分を見張っているとは気付かずに、その相手と接触している。持っていた金を渡している。

「……金ならいくらでも手に入るもの」

「だとしても憐れむ気持ちがあるということだ。男を食い物にすることしか考えていなかったお前に、それどころか国を滅ぼす悪女になったお前にも、そういう気持ちが残っている……それを知ると尚更、残念だ」

「……私はどうなるの?」

 ロートの「残念だ」の意味。聞かなくてもヘルツは分かっている。

「掟を破った者がどうなるか、お前は良く知っているはずだ」

「そうね……」

 団の掟は絶対だ。戦う力がある黒狼団だが、それ以外の力は何も持たない貧民街の孤児の集まりでは、裏社会の闘争を生き残れない。裏切りは許さない、から始まり、生き残る為に必要とされる掟が作られていった。その過程をヘルツは知っている。

「……シュバルツに会うか?」

「…………会いたい……でも……会えない……今の私を……シュバルツに、見られたくない」

 力を失い、膝から崩れ落ちていくヘルツ。その両の瞳からは涙が溢れている。

「シュバルツには……うっ……シュバルツには……ううっ……」

 綺麗だった時の自分の記憶を、仲間だった自分を、残したままで死にたい。今の自分をシュバルツの最後の記憶にしたくない。ヘルツの最後の願いはこれだった。

「……どうやら追手がきたようだ」

 雑木林の奥から何者かの声が聞こえてきた。一人、二人ではない。もっと大勢だ。ヘルツが通って来た通路を見つけ、後を追ってきた連合軍の者たちだ。
 それが分かったロートは腰に差していた剣を抜き、足を前に踏み出した。俯いたまま、泣き続けているヘルツに向かって。

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