ベルクムント王国軍も逃げ出し、抗う者のいなくなったラングトアの街では、すでに略奪が始まっている。軍規で禁止されている行為だが、そんなことは歯止めにはならない。それには複数国の連合であることも悪影響を与えている。自国の兵士たちを押さえつけても、他国の兵士が略奪を始めてしまう。そうなると自国の兵士たちの不満が募り、押さえつけることが困難になってしまう。それぞれの国がそのような状況に陥り、結局、連合軍全体が略奪を始めてしまったのだ。
「救いは残っている人間のほとんどが死ぬ覚悟を決めているということだな」
その様子を眺めながらシュバルツたちは街の外に向かっている。シュバルツとローデリカ、カーロと袋に入ったままのカロリーネ王女、だけではない。他の黒狼団のメンバーも次々と合流してきていた。
「貧民街は?」
愛着などないはずの貧民街だが、この状況でどうなっているのかがカーロは気になった。
「同じ。生きる気力のない奴らは残った。そういう奴らを説得する力は俺たちにはない」
行き場をなくして貧民街に流れ着いた人たちだ。とっくに人生に絶望している人たちを説得する力は、シュバルツたちにはなかった。
「そうか……」
「これを渡しておく。街の出口では検問が行われているはずだから、これを見せろ」
「これを見せると検問を通れるのか?」
身分証のようなものであることはカーロにも、見ただけで分かった。ただ、それが通用するものなのかは分からない。シュバルツが用意していた身分証など、偽造に決まっているとカーロは思っているのだ。
「本物の身分証だからな。荒っぽいことになる可能性は低い」
「本物?」
「俺たちはヒューゲルベルク王国に雇われた傭兵だ。偽装ではなく、実際に雇われている。それを証明するのがそれ」
シュバルツたち、黒狼団はどさくさに紛れて、連合軍に合流したわけではない。傭兵団としてきちんと契約した上で、参加しているのだ。コンラートにシュタインフルス王国に働きかけてもらい、さらにシュタインフルス王国からヒューゲルベルク王国に紹介されるという手筈で。
「……だったら城でのあれはなんだったのだ?」
正式に雇われた傭兵であれば、城内で身分を詐称する必要はなかったのではないかとカーロは考えた。トゥーゲントインセル王国の騎士の振りなどする必要はなかったと。
シュバルツに言われた通りにして、なんとか城を抜け出すことは出来たが、胃が痛くなるほどの強い緊張を強いられた時間だったのだ
「ヒューゲルベルク王国は城攻めには参加していない。貧しい国で、連合軍への参加も難しいくらい軍が脆弱だから参加を許されなかった。まっ、力がないから分け前を与えられなかったってことだな」
そんな弱小軍だから、黒狼団が傭兵として潜り込むことが出来た。そういう国を選んで交渉したのだ。
「なるほど……なんというか……」
用意周到。黒狼団はここまでの準備が出来る力、この場合は人脈だが、を持った。カーロはまた組織の成長に驚かされることになった。
「話は後。検問だ」
話をしている間に検問がもう目の前に迫っていた。やや緊張した面持ちで前に進むカーロ。検問を行っている、どこかの国の騎士の目の前に来たところで、シュバルツに渡された身分証を見せた。
「……ご苦労様です。しかし……かなりの荷物ですね?」
シュバルツたちが運んでいるのは袋に入れたカロリーネ王女だけではない。他にも仲間たちが荷物を乗せた何台もの荷車を引いてきている。
「そうですか? 後から来る人たちはもっと多くの物を運んでくると思いますが?」
検問役の騎士への答えはシュバルツが返した。事情が良く分かっていないカーロでは上手く誤魔化せないだろうと考えて、最初からそうすると決めていたのだ。
「そうだとしても……」
運んでいるのは略奪品だと騎士は分かっている。これだけの量があると、中身が何かが気になる。他国に、具体的に何というのはないのだが、良い物を奪われるのが気に入らないのだ。
「他国の荷物を検閲する権限はお持ちではないはずですが?」
「それは、そうだ」
検問という立場を利用して、他国が手に入れた物を奪うような真似は許されない。検問の役目は、あくまでも、ベルクムント王国の重要人物が逃げ出さないように見張ることなのだ。
「とはいえ、お役目もおありでしょうから。どうぞ、こちらをお確かめください。ゆっくりと」
「ゆっくり……あっ、ああ……ゆっくりな」
シュバルツが騎士に渡した袋。中身は決して少なくない金。つまり、賄賂だ。
「遅れると指揮官に叱られてしまうのですけど?」
「ああ、分かった。この中身は確かめておくから、先に行くが良い」
騎士は正しくシュバルツの意図を理解し、それを受け入れた。一緒に検問に立っている騎士たちを黙らせるだけの金が、袋の中には入っているのだ。
「では、失礼します」
検問所を抜けて、前に進むシュバルツたち。それを止める者は誰もいない。騎士たちにとっては、略奪に参加出来ない検問役は外れ任務だ。全員がそう考える騎士ではないが、不満に思っている者のほうが圧倒的に多い。賄賂は大歓迎なのだ。
「……実際、何を運んでいるのだ?」
カーロも荷車の荷物が何か分かっていない。金目の物であることは想像出来るが、どこから盗んできたのだろうと思っている。
「火薬兵器」
「……な、何だって?」
「金目の物を奪っても意味がない事情があってな。だから役に立ちそうな物を盗むことにした」
「盗むって……厳重に保管されていたはずだろ?」
火薬兵器はベルクムント王国軍が厳重に保管していたはず。金目の物よりも、盗むことは難しいはずだ。従軍していた、しかもズィークフリート王子に近い立場にいたカーロでさえ、どこに保管されているか知ることは出来なかったのだ。
「そこは、まあ、協力してくれる人がいたから」
「協力者? 裏切者がいたということか?」
火薬兵器の保管場所は重要機密であるはず。それを黒狼団に教えた協力者は、裏切者だとカーロは考えた。貧民街で暮らしていた頃はカーロも王国関係者の弱みを握ったり、作ったりして、情報提供や物資の横流しをさせていたくせに。
「……そのうち分かる。俺たちの陣地はすぐそこだ」
つまり協力者はその陣地にいるということだ。
「……そうか」
ひとつの可能性がカーロの頭に浮かんだ。そうであって欲しいという願望に過ぎないかもしれないが。
実際にどうかはすぐに分かる。シュバルツの言う通り、陣地はもう、すぐ目の前なのだから。
◆◆◆
大陸西部の情勢が一気に加速している一方で、ノートメアシュトラーセ王国の内乱は膠着状態が続いている。小競り合いはある。オトフリート陣営は王都を、ジギワルド陣営は国境の砦を占拠しているだけ。そのままでは王国を支配しているとは言えないということで、お互いに支配地域を広げようと街や村に部隊を向かわせ、それを邪魔する為に相手方も部隊を送ることで、小部隊同士の戦闘が発生しているのだ。
だがその小競り合いも本気で行われているわけではない。アルカナ傭兵団の上級騎士が出撃していないことで、それが分かる。
お互いに決定的な敗北を恐れての探り合い。これがいつまでも続いているのだ。
「……シュバルツが何?」
珍しく、迷惑に思っていることを、まったく隠すことなく表情に浮かべて、問いを返すトゥナ。話を聞きに来た相手に、うんざりしているのだ。
「……シュバルツ殿の黒狼団はどういう組織かを教えていただきたくて」
そのトゥナの態度にめげることなく、もう一度問い返すファルク。正確には、最初に問いを発したジギワルドはめげた。めげて、黙ってしまったジギワルドの代わりに、従士であるファルクが同じ問いを口にしたのだ。
「……知らないわ」
「トゥナ殿。そのようにおっしゃらないで、情報を頂けませんか?」
「だから知らない。黒狼団の全容は団長も把握していなかった。団長が知らないことを私が知るはずがないわ」
トゥナは意地悪で、少しはそういう気持ちもあるが、答えないわけではない。黒狼団の詳細をトゥナは知らない。アルカナ傭兵団の幹部の誰も掴んでいないのだ。
「……分かっていることだけでも教えていただきたいのです」
「知って、どうするつもりなのかしら?」
黒狼団の情報を、今更知ってどうするというのか。トゥナにしてみれば、もうジギワルドたちには関りのないことなのだ。
「今後の戦いを考える上で、参考にしたいと考えております」
だがファルクはそう思っていない。ジギワルド自身と彼に従う、ほとんどの者たちがそうだ。
「参考になるとは思えないけど……まあ、良いわ。構成員の大半は、ベルクムント王国の王都ラングトアにある貧民街の孤児たち。その全員がギルベアト殿から戦いを教わっていると思われるわ」
自分が知る黒狼団の情報など、ノートメアシュトラーセ王国の内乱において、何の役にも立たない。そうトゥナは思っているが、それをジギワルドたちに伝えても納得しないことも分かっているので、少し話すことにした。追い払っても、何かやることがあるわけではないというのもある。
「何人くらいいるのですか?」
「確認出来ているのは十数人。でもそれが全てではないことも分かっているわ」
アルカナ傭兵団で把握した人数は十数人。クローヴィスとルイーサ、二人の情報から分かった範囲の人数だ。
「その何倍もの人数がいる可能性もあるわけですか……」
「二倍もいない可能性もあるわね?」
ジギワルドたちはシュバルツが、黒狼団がオトフリート陣営に加わった場合、逆に自分たちの味方に出来た場合の影響を知ろうとしている。敵に回るか、味方になるか分からない、という状況ではなく、どちらにも付かない可能性以外、考えられないことを認めようとしない。
これがトゥナには理解出来ない。認めない理由はなんとなく分かるが、他者もそうであるとジギワルドが考える理由が理解出来ないのだ。
「その十数人は全て戦闘員なのですか?」
「全てかは分からないわ。たとえば、エマという女の子がどれだけ戦えるかなんで知らないもの」
「……分かっている者たちは、どの程度の力を持っているのでしょうか?」
「それも具体的なことは分からない。私が聞いているのは、フルーリンタクベルク砦での戦いで、本軍が到着するまでベルクムント王国軍一万六千を足止めしていたのは、十人の黒狼団だったということ」
「えっ……?」「なっ……」
この情報もジギワルドたちは知らない。ただでさえ少ない黒狼団についての情報を、ディアークたちアルカナ傭兵団幹部たちは自分たちと諜報に関わるルーカス以外には伝えないようにしていたのだ。
「私たちも、現場にいたクローヴィスに貴方たちと同じような質問をしたわ。その十人の実力はどの程度だったかって」
「それで、答えは?」
「クローヴィスは団長とアーテルハイドがいる場でこう言ったわ。彼ら全員が愚者に加われば、アルカナ傭兵団最強部隊と評される日が間違いなく来ると」
「…………」
トゥナの話を聞いたジギワルドたちの表情は、彼女が求めるものではなかった。話す前から分かっていたことだ。
「これが貴方たちとシュバルツたちの違いね」
「……どういう意味ですか?」
「それを聞いた私は、クローヴィスは突き抜けたと感じたわ。彼は団長と父であるアーテルハイドの背中を追うことを、その瞬間に止めた。もっと先を見るようになった」
クローヴィス自身にそんな意識はなかっただろうとトゥナは思っている。だが意識して発した言葉ではないほうが強い想いが感じられる。そうありたい、ではなく、そうあると心に決めているということだと考えている。
「そのクローヴィスはシュバルツに付いて行った。アルカナ傭兵団もノートメアシュトラーセ王国も、もう彼にとっては過去のもの。そういうことではないかしら?」
「……アルカナ傭兵団もノートメアシュトラーセ王国も滅びていません」
トゥナの言葉は、ジギワルドにとって受け入れ難いもの。自分にとってもっとも価値ある二つを、過去のものなどと言われるのは我慢がならなかった。
「ノートメアシュトラーセ王国はそうね。でも、アルカナ傭兵団は滅びたわ。団長がいないアルカナ傭兵団なんてあり得ない。これについては私はルイーサと同じ考えなの」
仮にジギワルドが団長になっても、オトフリートであっても同じ、ディアークが作ったアルカナ傭兵団は戻らない。今のジギワルドとオトフリートでは、不可能だとトゥナは思っている。
「……また仲間を集め直せば」
アルカナ傭兵団幹部の生き残りであるルイーサとトゥナにそう言われてしまうと、ジギワルドにはどうにも出来なくなる。幹部二人が認めない団長、アルカナ傭兵団など、他の団員が認めるはずがない、とジギワルドは考えているのだ。
「仲間を集めるのは良いことね? でもそれがアルカナ傭兵団である必要はないわ。貴方たちも私たちをなぞるのではなく、自分たちの道を切り開きなさい。そうでないとシュバルツとの差は開く一方よ?」
「自分たちの道……」
「それを私に聞いても無駄。私に、貴方たちが進むべき道なんて分からないわ。貴方たちがこれから作る道なのだから。私に分かるのは、こんなところに籠って、頭を悩ませているだけでは道は描けないということだけよ」
アルカナ傭兵団、そしてノートメアシュトラーセ王国への拘りをトゥナは完全に否定しているわけではない。本当にそれを求めるのであれば、リスクを恐れることなく、前に進まなくてはならないと言いたいのだ。その覚悟がなくては、何もなせることはないと。
アルカナ傭兵団はそうだった。思うようにいかないことなど当たり前だった。死を覚悟した瞬間も何度もあった。それを乗り越えて、アルカナ傭兵団は強く、大きくなった。そして黒狼団も、順風満帆でなかったことは明らかだ。
それでも前に進む覚悟。ジギワルドに足りないものはそれだと、トゥナは伝えたいのだ。