暴政を行う国王を排除する。ベルクムント王国の為にそれを決断したズィークフリート王子であったが、決起の直前になって、一時断念ということになった。そうせざるを得ない状況になってしまったのだ。
ベルクムント王国に反旗を翻した国々の動きは、ズィークフリート王子とその支援者たちが考えていた以上に早かった。最初の一国が兵を起こした時点で、ある程度の密約が出来上がっていたからだが、それはズィークフリート王子たちには分からない。ベルクムント王国はまったくその動きに気付いていなかったのだ。
反ベルクムント王国連合が結成され、すぐに連合軍が動き出した。ベルクムント王国はまったくその動きに対応出来ていない。実際には動きは掴んでいたのだが、その情報が王都に伝わった後も何の対応も進まなかった。愚臣たちが自分たちの失政を隠す為に、握りつぶしていたのだ。
それが隠せなくなったのは、連合軍が国境を越えたという情報が王都ラングトアに届いたから。隠せるはずがない。国内で起きている出来事なのだ。
すぐに国王からズィークフリート王子に命令が下された。軍を率いて反乱軍を討て、という命令だ。危機を迎えて国王も正気に戻ってくれた、とは命令を受けたズィークフリート王子は思えなかった。叛意を持つ者たちをまとめて王都から追い出そうという策略と受け取った。
策略に乗るべきではない、という意見もあったが、ズィークフリート王子は命令に従うことを選んだ。今この瞬間にも領土が奪われ、国民の暮らしは脅かされている。それを無視して、味方同士で戦っている場合ではない。こう考えたのだ。
正しい考えではある。国王になる者として、国民を第一に考えるのは素晴らしい。だが、それは連合軍との戦いに勝ってこそ。負ければ全てが無になる。そして戦いは。
「……下がれ! 後退だ!」
反ベルクムント王国連合軍の攻撃に抗いきれず、ズィークフリート王子率いるベルクムント王国軍は後退させられることになった。
「殿下、お下がりください! ここは危険です!」
「危険なのは分かっている! だが、軍勢を全て失ってはどうにもならない!」
ここで一人逃げ延びても何の意味もないとズィークフリート王子は考えている。今回はあくまでも一時的な撤退であって、また態勢を建て直して、連合軍を迎え撃たなければならない。それが出来なくなれば、ベルクムント王国は滅んでしまうのだ。
「殿下がご無事であればなんとかなります!」
「いい加減なことを言うな! ここで私が逃げたら、軍は完全に崩壊する! 統制を保つには総大将である私は逃げるわけにはいかない!」
部下はとにかくズィークフリート王子を無事に逃がすことを考えている。だが本人はそれを受け入れるつもりがない。ズィークフリート王子はベルクムント王国軍の総指揮官だ。総指揮官であり、王子でもある自分が逃げ出せば、自軍は崩壊する。再び態勢を整えるなんてことは出来なくなると考えている。
実際にそうだ。総大将が討たれたと聞けば、上位騎士はまだしも、末端の兵士は戦意を失う。戦うよりも逃げて生き延びることを優先するようになる。
「……陛下は何を考えているのだ」
ベルクムント王国が苦戦しているのは戦力で連合軍が優っているから。軍そのもの質ではベルクムント王国軍のほうが優れているのだが、その差を埋める以上のものが連合軍にはあり、ベルクムント王国軍にはない。
火薬兵器だ。連合軍はベルクムント王国から渡された火薬兵器を使っている。一方で渡した側のベルクムント王国軍は、この戦場に火薬兵器を持ち込めていない。国王が許さなかったせいだ。
その理由は明らかだ。連合軍を迎撃したあと、ズィークフリート王子は率いている軍勢を用いて、国王の排除に動く。国王はそれを恐れて、火薬兵器を渡さなかったのだ。連合軍との戦いに破れてしまっては、国が滅ぶというのに。
「連合側の火薬兵器の数はそれほど多くないはずだ。何戦かすれば必ず尽きる。それまで戦える態勢を保たなければならない」
攻めてきた連合軍はベルクムント王国と近い位置にある国々で構成されている。シュタインフルス王国、ライヘンベルク王国のような中央諸国連合との戦いの最前線と見られている国はいない。そうであれば、ベルクムント王国から配給された火薬兵器の量は少ないはずなのだ。
ベルクムント王国も従属国をまったく警戒していないわけではない。特に近隣国の軍事力が高まることは喜べない。火薬兵器を渡したのはベルクムント王国の力を見せつける為。前線の国のように他国との戦いに使わせる為ではないのだ。
「……分かりました。なんとか踏ん張るしかありません」
ズィークフリート王子が逃亡を拒む理由が、部下にも分かった。ほぼ勝利を諦めていた部下たちとは異なり。ズィークフリート王子は戦いはこれからだと考えている。今を耐えきれば勝てると考えているのだと。
実際には、必ず勝てるという自信はズィークフリート王子にもない。だが逃げてはそれで終わり。勝つ可能性は無になってしまうと考えているのだ。
「カーロ」
「はっ!」
軍の統制を取り戻す為に人々が散り、周囲にいる人が少なくなったところでズィークフリート王子はカーロを呼んだ。この戦いでもカーロは近衛のような立場で参加している。指揮権などないので、常にズィークフリート王子の側にいるのだ。
「君は何人か連れて、王都に戻ってくれ」
「それはどうしてですか?」
今は一人でも戦力が必要な時。その時に戦場から追い払われる理由がカーロには分からない。納得出来ない。
「カロリーネを守って欲しい」
「それは……」
カロリーネ王女は今も王城の敷地内にある塔に軟禁されている。そのカロリーネ王女を守って欲しいという意味。カーロは、実際にはズィークフリート王子も敗北を、自分の死を覚悟していることを知った。
「頼む。君にしか頼めないことだ」
「……承知しました」
「カロリーネ王女を守って欲しい」という命令でなければ、カーロは戦場を離れることを、たとえズィークフリート王子の命令であったとしても、受け入れなかった。もしこのままズィークフリート王子率いるベルクムント王国が敗北し、万が一戦死するような事態になったら、カロリーネ王女はどうなるのか。敗戦国の王女はどのように扱われるのか。これを考えると、命令に従うしかなくなる。
カーロは十人ほどの騎士と従士と一緒に戦場を離れることになった。王都に戻ってしばらくして、ズィークフリート王子率いるベルクムント王国軍敗戦、そして王子戦死の報を聞くことになる。
◆◆◆
反ベルクムント王国連合軍が国境を越えて、侵攻してきたという情報は広く国内に広まった。隠しておけることではない。すでに被害を受けた町や村はいくつもある。そこから逃げてきた人々の口を塞ぐことなど出来ない。
侵略に怯えながらも人々は日々の暮らしを続けている。ベルクムント王国が負けるはずがないと考えている人ばかりではない。今すぐ逃げ出したいと思っている人のほうが圧倒的に多い。だがどこに逃げれば良いのか、逃げた後、どうすれば良いのかが分からない。ほとんどの庶民は他国に知り合いなどいない。ベルクムント王国しか暮らせる場所がないのだ。
そんな中、いち早く動けたのはベルクムント王国を捨てる決断が出来、他国に伝手を持つ、もしくは国が変わっても生活に困らないだけの財力がある者たちだ。
「なるほどな。追われる心配のない人間は、もっとも早く安全に移動出来る街道を選ぶってのは事実だな」
「聞いてみれば、当たり前のことだけどな。ただ、この街道は安全ではない。行くぞ」
そしてその逃げ出す金持ちを狙う者たちも動いている。
「いつまで待たせるつもりだ! さっさと、その邪魔になっている木をどかせ!」
道を塞いでいる倒木を除こうとしている家臣を怒鳴りつけている男。かなり長く待たされているので、苛立ちが高まっているのだ。
「まったく、こんなことでも躓くとは。運がないな」
不運を嘆く男。だが嘆くほどの不運はこの男には訪れていない。それどころか、かなり幸運に恵まれたはずだ。無能でいて強欲。たまたま名家との繋がりがあったから文官として仕えられただけの男が、国王がおかしくなったおかげで王国の重臣にまで上り詰めたのだ。
「いや、幸運だろ?」
「……貴様、何者だ!?」
いかにもといった男が現れた。この状況で怯えずにいられるのは胆力がある、というより傲慢なだけだ。
「何者? 不幸。幸運が逃げたお前を不幸である俺が追ってきた」
「盗賊風情が調子にのりおって! 私を誰だと思っている!?」
「王国の甘い蜜をちゅうちゅう吸っていた虫けら」
誰かは知っている。逃げてくることを予想して待ち伏せしていた対象の一人だ。偉そうな肩書を持っているのを知っているが、そんなものを口にする気はない。
「……調子に乗るな悪党が! もう良い! こやつを黙らせろ!」
男が強気でいられるのは護衛もいるから。王国への忠誠心などない、金で転ぶような騎士だが、腕は立つのだ。男がそう思っているだけだが。
「どうした! さっさとやれ!」
「……さっきから誰に命令しているんだ、お前?」
「誰って……そ、そんな……」
頼みの護衛たちが血を流して地面に倒れていることに、男はようやく気が付いた。まったく抵抗出来ずに、声を発する間も与えられずに殺されたのだ。気付かなかったのも仕方がないかもしれない。
「この先の展開は分かるよな? 殺されたくなければ、出すものを全て出せ。それが納得出来るほどのものなら逃がしてやる」
「だ、出す。全て持って行って良いから、逃がしてくれ」
「馬車の中にある物だけでは足りないから、出すものを全て出せ、って言ったのだけど?」
すでに馬車に何が積まれているかも、別の者が調べている。護衛を殺した男だ。ただ何が積まれていようと言うことは変わらなかった。
「そんな……」
「惜しかったな。もう少しだったみたいだ。ああ、身につけているので高価な物はないのか? あったら出したほうが良い。もっと人生を楽しみたいのならな」
「……そ、そうだ! 屋敷に、屋敷に置いてきた物もある。重くて運べなかったから置いてきたが、金額はかなり張るものだ。それを持っていけ」
男は馬車に積めるだけの財産を持ち出してきた。積み込めない、積み込んでは他のもっと高価な物が積めなくなってしまう物は屋敷に置いてきている。
「重くて運べない物は持っていけない。残念だったな」
そんな非効率なことを行うつもりはない。行う必要もない。男に向かって一歩足を踏み出す。腰に差してある剣に手をかけながら。
「ま、待ってくれ! 頼む! 頼むから命だけは!」
「……そうだ。ひとつ思いついた。お前が出せないなら、他の奴に出させる。お前の知り合いでお前のように全財産持って逃げようとしている奴いるだろ? そいつらはどこに向かっている?」
「い、いや、それは……」
それを教えてしまっては、その仲間がどのような目に遭うのか。それを思い、答えを躊躇う程度の良心は、男にもあった。
「じゃあ、死ね」
「わ、分かった! 話す! 話すから殺さないでくれ!」
だが刃を目の前に向けられては、そんな良心は簡単に吹き飛んでしまう。結局、男は自分が知っている情報を全て伝えることになった。
「……殺さなくて良かったのか?」
「殺して楽にしてやることはないって、シュバルツに言われた」
彼らは黒狼団。元の、黒狼団らしい悪事を再開したのだ。
「生かしたほうが辛いのか?」
「無一文であいつが生きていけると思うか? それにあいつはベルクムント王国の重臣だった。どこに逃げてもその過去を知られれば、そこでは暮らせなくなる」
従属国だった国にとって、男は恨みを向ける対象。実際に従属国に対する圧政に関与していたのだから、恨まれるのは当然だ。捕らえられて、処刑されてもおかしくない。
「……後半はロートが考えたことだろ? 仮に奴が、ちゃんと暮らせるようになったら、そのネタで脅して金をむしり取る。結局、俺らって、どうしようもないクズだな」
シュバルツは、他の仲間たちに比べれば生きていくことに苦労していないせいか、ここまで悪辣なことは考えない。弱みを見せたら終わり、というのは貧民街で、あらゆる手段を使って、生き延びてきた者たちの考え方だ。
「その世界の底辺にいるクズが、まともな奴らをコテンパンに出来るから良いのだろ? クズにも生きる権利と力がある。これを証明してやれる」
「……やっぱ、面白いわ。最後まで生き延びようぜ」
「ああ。こんな面白いこと、途中で終わらされてたまるか」
世の中の底辺にいた彼ら。今も自分たちはそこから抜け出していないと考えている。変わったのは、それを恨みに思うのではなく、誇りのように思えるようになったこと。底辺として見下されてきた、見下されるどころか存在さえ無視されていた自分たちが、世の中があっと驚くようなことをやってみせられる。自分たちの存在を知らしめることが出来る。それが彼らは、どうしようもなく嬉しいのだ。