王城の大広間には着飾った多くの人が集まっている。奏でられる音楽、テーブルの上に並ぶ様々な料理。飲み物を乗せたトレイを持つ給仕人たちが、人々の間を動き回っている。王国主催のパーティーが開かれているのだ。
ただ今日開かれているパーティーは、通常のそれとは少し違っている。タキシードの男性や艶やかなドレスで着飾った女性たちの中に、軍服を着た人々が混じっている。通常開かれる王家主催のパーティーでは招待されない王国騎士団の将たちが参加しているのだ。
軍服といっても戦場で纏う騎士服ではなく、式典などの時に着る正装。金糸や銀糸で縁どられ、階級章、勲章などで飾られた軍服は、パーティーの場でも映える。それを着ているのが貴族の紳士、令嬢に勝るとも劣らない美男美女であれば尚更。
「ほう」という感嘆の声が漏れ出たのは、白金騎士団の騎士たちが入場してきた時。招待されているのは将以上、となると彼らに参加する資格はないのだが、特別に出席を認められているのだ。団長がジークフリート王子なので、それを疑問視する人もいない。
感嘆の声はそのジークフリート王子、そしてアリシアを見てのもの。美男美女の二人が揃いの軍服を着て歩く姿はとても目立つ。視線が向けられない他の白金騎士団の団員たちには可哀そうだが。
「陛下、この度は特別のご招待ありがとうございます」
入場してすぐに国王に挨拶するジークフリート王子。順番待ちの行列が出来ていたのだが、王子であるジークフリート相手では皆、遠慮する。譲られてすぐに国王の前に出ることが出来たのだ。
「ああ。今回は、近頃、何かと出動が多い王国騎士団を慰労する意味もある。白金騎士団の活躍は私の耳にも届いている」
今回、王国騎士団の将を招待したのは慰労会の意味もあってのこと。ただ慰労を王国騎士団だけでなく、貴族も参加するパーティーの場で行うには訳がある。
「まだまだ至らないところばかりですが、皆の協力でなんとかやっています」
「何事も一人前になるには経験が必要だ。これからも引き続き、王国の為に働き、結果を残してくれることを期待している」
「陛下のご期待に応えられるように頑張ります」
これで挨拶は終わり。あとは会場でパーティーを楽しむ時間、のはずだったのだが。
「アリシア・セリシール」
「えっ、はい」
いきなり名を呼ばれて驚くアリシア。
「会わせたい人物がいる。今、呼ぶのでこのまま、ここに残ってくれ」
「……はい。承知しました」
国王が自分に会わせたい人物。アリシアにはまったく見当がつかない。言われた通り、その場に残り、実際にその人が現れるのを待つしかない。
あらかじめ決められていたことのようで、国王が手で合図するだけで、隣にいた侍従が動いた。
「お前の活躍は聞いている」
侍従が戻ってくるのを待つことなく、国王はアリシアに話しかけてきた。
「……お恥ずかしい限りです」
「恥ずかしいと思う気持ちはあるのか。だが、その行動によりもたらされた結果は、正しいものだと私は思う」
この会話は周囲の人たちにも聞こえている。国王が直々に、アリシアにお褒めの言葉を与えている。アリシアの行動を認めているということを周囲の人々も知ることになった。
「……そう言って頂けると、とても嬉しいです。ですが、私はまだまだです。もっと自分を成長させなければやるべきことが出来ません」
「ふむ……謙虚だな。謙虚であることは、後の成長に繋がる。良い心掛けだ……あの男もこれくらい謙虚であれば良いのに」
国王は、ついレグルスに対する思いを口にしてしまう。今はアリシアの功績を称え、そうあることを皆に知らしめる時間だというのに。
「……もしかして、あの男というのは、レグルス様のことですか?」
さらにアリシアがそれに反応してしまう。
「あ、ああ。まあ、そうだ」
レグルスの話が広がってしまいそうな状況。国王は自分の失言を反省した。
「恐れながら、陛下のお考えは間違っておられます」
「なんと?」
さらにアリシアは国王の言葉を否定してくる。言われた国王だけでなく、聞き耳を立てている周囲も驚く発言だ。
「彼は私なんかよりも、ずっと謙虚です。絶対に自分自身に満足することはなく、常に今より上を目指して努力を続けています」
「……そうか」
国王も知っている。レグルスが普通の人にはとても真似できないだろう、異常とも言える努力を続けていることは。
「彼の行動は誤解されがちですが、それがもたらす結果は、陛下が私を褒めて頂いた以上に、正しいものです。彼は他の誰も救えない人たちを救う人です。彼は」
「分かった! というか分かっておるから、もう止めよ」
放っておけば、アリシアは永遠にレグルスを褒め続けるのではないか。そんな風に思ってしまうような勢い。それを国王は強引に止めた。国王が考えていた話題から、完全に逸れてしまっているのだ。
「……申し訳ございません」
「いや、気にしていない。あの男については私も少しは理解しているつもりだ。憎まれ口を利きたくなるくらいにな」
「あっ、そうでしたか……」
国王の娘、エリザベス王女はレグルスのことを愛している。父である国王もレグルスのことを良く知っていて当然、とアリシアは考えた。間違っているが。
国王が言う「少しは理解している」は諜報部に調べさせた結果。当然、娘の婿候補として調べさせたわけではない。
「お前が謙虚であることは間違いないな。その謙虚なお前に会わせたかった者が来た」
「はい……」
侍従に連れられてきた人物。アリシアには見覚えのない男性だ。
「スタンプ伯爵。この者がアリシア・セリシールだ」
「えっ?」
侍従に連れてこられたのはスタンプ伯爵。だがアリシアの知るスタンプ伯爵ではない。
「アリシア・セリシール殿、初めまして。この度、スタンプ伯爵家を継ぐことになったエド・ターナーです」
「初めまして……えっと……」
目の前の男性は新しいスタンプ伯爵。それは分かったが、その人とどうして自分が会わなければならないのかが、アリシアには分からない。
「ああ、何の説明も聞いていないのですね? 私は息子です。だからといって貴女を非難するつもりはまったくありません。今日は御礼を伝えたくて、陛下のこの場を作っていただきました」
「御礼、ですか?」
恨みごとを聞かされるわけではなさそう。それは安心だが、御礼を言われる覚えもアリシアにはない。彼女は、まだ事情が分かっていないのだ。国王が何の説明もしないまま、新スタンプ伯爵に会うことになったせいだ。
「はい。私は父のやり方を批判し、一度、跡継ぎの座を追われているのです。それだけでなく、命も狙われました。父はよほど私の存在が疎ましかったのでしょう」
「……そうでしたか。それは大変でしたね?」
「なんとか私を跡継ぎにと考えた家臣たちは、無茶なことをしてしまいました。目的の為に手段を選ばないというのは、正しいことではありません」
「そう、ですね」
目的の為に手段を選ばない人物を、アリシアは一人知っている。新スタンプ伯爵の考えに同意は出来ないのだが、この場は何も言わないことにした。ここで新スタンプ伯爵と論争しても良いことはないくらいは、アリシアにも分かる。
「極刑になってもおかしくない家臣たちを貴女は救ってくれました。私が領主となる道を開いてくれました。そのことに、私は深く感謝しています。なんとか御礼の気持ちを伝えたいと思っていたところで、この機会。本当にありがたいことです」
「……私一人の力ではありません。多くの人が正しい形を追求した結果だと思います。だから感謝の気持ちは、私にではなく、仕える人たちと領地で暮らす人たちに向けてください。良い政治を行ってください」
「アリシア殿……ありがとう。貴女は心も素敵な方だ」
感激した様子でアリシアの手を握って来たスタンプ伯爵。感謝の気持ちだけからの行動かを、見ている人たちに疑わせる熱い視線をアリシアに向けている。
「あ、あの……」
それに戸惑うアリシア。ただアリシアがこれ以上、何かを言う必要もなく、事態は変わることになった。
女性たちの甲高い声が会場に響き渡る。何事かと思って、声が聞こえてきたほうに視線を向けた人々の目に映ったのは、漆黒の騎士服を着たレグルスだ。
「黒衣の貴公子は騎士服を着ていても素敵」という囁きにしては大きな声がアリシアの耳にも届く。
「……あいつ」
いつの間に自分が知らない女性まで虜にしていたのか。そんな思いが、アリシアの言葉遣いを乱してしまう。
「はっ?」
「あっ、いえ、レグルス様がいらっしゃったようです」
「あの方が……もしかして、お知り合いなのですか?」
レグルスのことはスタンプ伯爵も噂に聞いている。悪評だけでなく、弱い立場の人々の側に立って行動しているという話も。
「婚約者です……元」
あえて婚約者だった関係をスタンプ伯爵に伝えるアリシア。自分の気持ち以外には、好意に対して、まあまあ敏感なのだ。
「元……あ、ああ、でもお知り合いであることに変わりはありませんね?」
「はい。今もそれなりに親しく話をする関係です」
「もし、よろしければ紹介して」
「ああ、良い。私が呼ぼう。あの男とは私も話すことがある」
紹介を求めようとしたスタンプ伯爵の言葉を遮ったのは国王だ。特別な事情がなければパーティーに顔を見せることなどないレグルスが、遅刻したが、姿を現したのは国王に呼ばれていたからなのだ。
また侍従が呼びに、レグルスのところに向かう。
「皆、待たせておいてすまない。次の予定の時間だ。話はまたの機会にさせてくれ」
国王は挨拶待ちの人々を解散させようとする。パーティーの場を離れて、レグルスと話をするつもりなのだ。仕方なくその場から離れて行く人々。
「遅くなりました」
その人々と入れ替わりにやってきたレグルス。
「もう少し何かあるだろ?」
「決まりきった挨拶はもう聞き飽きたかと思いまして」
「……それは認める。さて話の前に紹介する。エド・ターナーだ。スタンプ伯爵家を継ぐことになった」
本題に入る前に約束の紹介を行う国王。
「初めまして。エド・ターナーです」
「初めまして。レグルス……ブラックバーンです」
ブラックバーンの姓を変えると言いながら、公式には何の手続きもしていない。今もレグルスはレグルス・ブラックバーンなのだ。
「ご活躍は聞いております」
「それは褒め言葉ですか?」
「そのつもりですけど……?」
レグルスの反応はスタンプ伯爵が思っていたものではない。それはそうだ。普通はこんな返し方はしない。
「悪評が多い人なので」
戸惑うスタンプ伯爵にアリシアが、レグルスの態度の理由を教えた。
「ああ、そういうことですか。私は貴方が救った人々の話を聞いております。ご活躍と申し上げたのはそのことです」
「ご活躍と言われるほどのことではありません。失礼ですが、ひとつ質問してよろしいですか?」
「何でしょう? お答えできることでしたら」
「貴方は亡くなっていたことになっていたはずです。どこでどのようにして暮らしておられたのですか?」
レグルスはスタンプ伯爵について知っている。白金騎士団の任務について、ある程度の情報を集めるようにしているのだ。
「ご存じでしたか。善意の人に助けられ、その人たちに匿われていました」
「つまり、家臣の方々ではないということですね? その善意の人たちは。どのような方たちなのでしょう? 以前からお知り合いでしたか?」
「いえ……あの、その方たちが何か?」
レグルスの質問の意図がスタンプ伯爵には分からない。なんとなく尋問されているように感じてしまった。
「単純に不思議に思っていただけです。あとお話を聞いて、世の中には良い人もいるものだなと思いまして」
「ええ、偶然の出会いですが、今は運命だと思っています。その人たちのおかげで今の私があるわけですから」
「偶然ですか……それは確かに運命かもしれませんね? また機会がありましたら話を聞かせてください。運命の巡り合わせの話は、失礼ですが、面白そうです」
「ええ、是非」
偶然、暗殺の場に居合わせて、危険を顧みずに暗殺者に立ち向かい、助けた後もずっと匿っていた。それを運命と受け入れるほど、レグルスは単純ではない。だがそれをスタンプ伯爵に言っても意味はないことも分かっている。
「さて……何故、軍服?」
「えっ? 駄目?」
「駄目ではないけど、ドレスくらい着てくれば良かったのに。そのほうが周りも喜ぶだろ?」
これは一応、ドレスのほうが素敵に見えると褒めているつもりだ。
「周りって……私は見世物ではありません」
長い付き合いのアリシアでも通じないが。
「それはどうかな?」
レグルスの視線が国王に向く。アリシアを見世物、という表現は少し違うが、にしようとしていた国王に。
「どういう意味?」
「別に。俺は陛下との話があるから、じゃあな」
深く追求されても困る。国王の前で自分の考えを話せるはずがない。そうでなくてもアリシアに説明するつもりはないのだ。
「ええ? パーティーに参加しないの?」
「パーティーに来たつもりはない。それだったら来ない」
「相変わらず……しばらく王都にいるの?」
この場で話せなくても、王都にさえいてくれたら話す機会はある。逆にこの場でないほうが、アリシアも話しやすい。素の自分で話せるからだ。
「それは陛下、騎士団長? とにかく上次第だ。個人的には少し休みたいけどな」
「珍しい」
「実戦ばかりだと剣が乱れるらしい。体も整えないといけない」
レグルスの休みはあくまでも任務を行わないというだけのこと。鍛錬は当たり前に、仕事中以上に行うのだ。
「そう。私も気を付ける」
「そうしろ。じゃあな」
待たされて少し不満気な国王の後に続いて、会場を出て行くレグルス。
「仲がよろしいのですね?」
「レグルスと、いえ、レグルス様とですか? それは……その、お付き合いしていた時期がありますので、距離は他の男性より少し近いところはあります」
婚約解消してもそのままの関係というのはおかしくないか。スタンプ伯爵がこう思っているだろうことはアリシアも分かっているが、他に言い訳が思いつかなかった。
「アリシア」
「えっ? あっ、ジーク」
国王とレグルスがいなくなったことで、ジークフリート王子がアリシアの側にやってきた。本当はもっと前からそうしたかったのだが、機会が掴めなかったのだ。
「陛下はレグルスと何の話を?」
「分かりません。何を話すかは聞いていなくて」
「そう……じゃあ、皆でパーティーを楽しもうか?」
「ええ、そうね」
アリシアが元婚約者であるレグルスと親しく話をしている様子を、やきもきして見ていたジークフリート王子が、邪魔者がいなくなったところで巻き返しに入った。周りの人にはこう見えている。パーティーの場にはゴシップネタ好きの女性たちが大勢いるのだ。