レグルスに興味を持ったのは、初めて会ったホーマット伯爵領での戦いの時だ。自分が知る王国騎士団とは異なる動きを見せる部隊。その指揮官と思われる若い騎士の言動もかなり異質だった。
その実力はどうなのかと考え、確かめる為に戦いを挑んでみたが、ホルスは安易な自分の行動をすぐに後悔することになった。レグルスは強く、全力を出してなんとかなるレベル。そんな相手だとすぐに分かった。
幸いレグルスのほうにホルス一人の相手をしている余裕はなく、戦いの途中で離れることが出来た。負け戦は見えていると考え、戦場を離れて逃げ出したが、レグルスに対する興味はますます強まった。
はたして何者なのか。この疑問が解けるのに長い月日は必要なかった。王女が作った騎士団の情報はすぐに手に入った。その副団長がレグルス・ブラックバーンという元北方辺境伯家の公子であることも。
北方辺境伯家の公子であった者が、どうして王女の騎士団の副団長なんてやっているのか。四辺境伯家と王国の微妙な関係を知っているホルスには不思議だった。
その理由もすぐに分かった。エリザベス王女とレグルスの男女としての関係は有名だった。レグルスは後継者の座を追われた腹いせに、王女との関係を利用して、王国に付いたのだという内容だ。そうなのかもしれないとホルスも思った。だがそうなると、どうしてレグルスは公子の座を追われたのかが気になる。レグルスは長兄だ。本妻の子でもある。そのレグルスを後継者から外せば、家中は混乱するはず。ホルスはこう考えた。
そして、レグルスが公子の座を追われた原因も、簡単に調べることが出来た。レグルスが為した数々の悪行。中でも、王都の悪党と喧嘩して、百人を超える平民を殺したという話は有名だ。郊外の農民を扇動して、暴動を起こさせたという話もあった。いくら北方辺境伯家の公子とはいえ、許されざる所業。これ以上、ブラックバーンの名を汚すことは許されない。父である現北方辺境伯家の判断は理解出来る。
ただ、ホルスが気になったのはそういった一般に広がっている理由ではなかった。極々少数の考えとして知らされた理由。現北方辺境伯は息子であるレグルスを恐れているという話。レグルスには北方辺境伯という器でさえ小さい。そういう人物を自家に置いておくことの危険性を、現北方辺境伯が考えた結果、追放という極端な処分になったという理由だ。
この話がホルスの耳に届いたのは、偶然だ。そういった考えは公で話すようなものではない。調査をしていた者がたまたま、そして運良く、かどうかは分からないが、その話を知る者に当たったのだ。
もしそのごく少数の考えが正しかったら。アルデバラン王国貴族の頂点である辺境伯という地位でさえ収めきれないような資質を持つ人物が存在することは、どういう影響を与えるのか。その人物を手中に収めた王国は、どう考えるのか。当代の国王は領土拡張に消極的だ。アルデバラン王国は、小競り合いはあっても、他国への本格侵攻を何年も行っていない。その方針が変わることにならないか。
それを恐れたホルスは、レグルスをもっと良く知ろうと考えた。虎穴に入らずんば虎子を得ず、ではないが、危険を承知で黒色兵団への入団を求め、それは実現した。実際にレグルスが危険な人物であると分かった時は、殺すつもりだった。
だが、側にいるとレグルスという人物がますます分からなくなった。善行の為には平気で悪行を為す。しかも他国民の為に自国民を殺すという非常識さ。善人なのか悪人なのか。分かったのは見る方向によってそれは変わるということだ。これは別にレグルスに限った話ではない。ある人にとっての正義は、立場の異なる人にとっては悪というのは当たり前にあることだ。ホルスが分からないのは、レグルスはどの方向から見ているのかということ。アルデバラン王国人であるレグルスが、どうしてラスタバン王国から見る正義を行ったのかということ。
「おい、傭兵。報酬分は働け」
そのレグルスが声をかけてきた。
「あ、ああ……というか、もう働いた」
考え事に没頭していたホルスはレグルスが近づいてきたことに気付いていなかった。だが焦りを表に出すことは、なんとか堪えて、言葉を返した。
「戦闘以外は働かないつもりか?」
「傭兵というのはそういうものだろ?」
「なるほど。それはそうか……でも、働き以上の報酬を得ていないか?」
「そもそも報酬額と仕事内容が合っていたかという問題がある。ここまで危険な仕事だと聞かされていなかった。報酬の増額を要求しても良いくらいだ」
黒色兵団の任務に参加する。事前に決められた報酬はそれだけが条件だ。だが本来は、任務の危険度によって報酬は変わるもの。今回の任務は傭兵として割に合わないとホルスは思っている。
「確かに、あれは助かった。俺はやっぱり部隊指揮は下手だ。結構、勉強したつもりだったけどな」
「本を読んだだけでは無理だ。実際に指揮してみないと」
「ああ、経験が必要だな。それに無意識のうちに勉強もおざなりになっていたみたいだ。自分自身の力を高めるほうが、成果が分かり易いからな」
一方で戦術の勉強は知識が増えるだけで、実際に通用するかどうかは分からない。中央学院の授業は基本、騎士としての能力を高める為のもの。将としての訓練は卒業後、騎士団に入団してから学ぶものとされているのも成長を感じる機会がない原因だ。
「考えてみれば。その年齢で指揮官をやっていることが異常なのだ」
「それは仕方がない。だからまずはもう一度、詰め込めるだけの知識を詰め込んでみた」
本当に一からレグルスは勉強をし直した。謹慎がそれを行う時間を与えてくれた。
「だから頭だけでは通用しないと言っている」
「分かっている。だが知識は少ないよりは多いほうが良い。現場で気づくことが多くなる」
「それはあるか……しかし、頭でっかちになりすぎるのはどうだろう?」
「それは気を付けないとだな。そうならないように助言してくれそうなお前は、この団では貴重な存在だ」
黒色兵団の他の団員たちは、レグルス以上に指揮能力がない。知識も少ない。かろうじてブラックバーン騎士団での経験があるオーウェンが、レグルスに並べるかどうかというところだ。
「報酬次第ではいくらでも助言してやる」
「いや、無理だな。お前はこれ以上、一緒にはいられない」
「……何故? 俺にはまだ働くつもりはあるが?」
ホルスの心に警戒心が湧いてくる。レグルスは何を言おうとしているのか。「一緒にいられない」という言葉の意味をホルスは考えている。
「お前には別にやってもらいたいことがある」
「別の任務ということか?」
それであれば安心。「一緒にいられない」は一時的な話ということだ。
「そうだ。解放した人たちを連れて、ラスタバン王国に行ってくれ」
「ああ、そういうことか。だが、俺一人か?」
国境で「さようなら」とはいかないことはホルスにも分かる。暮らしていた村までは、それなりに距離がある。他国との国境付近は軍が動きにくく、野盗の類が活動するには好都合の場所。サイリ子爵家から奪った財宝を運んでいるのを知られれば、間違いなく狙われるだろう。無事に帰るには戦える護衛が必要なのだ。
ただ護衛役が自分一人で大丈夫かとホルスは考えた。
「必要なら何人かつける。ただ、どうしてもお前でなければ出来ない仕事がある。正確には出来るかもしれない仕事だな」
「何だ、それは?」
「ラスタバン王国に事を大きくしないように頼むこと。簡単に言うと、こちらは何もなかったことにするから、そちらもそうしてくれ、っていう交渉」
「……それは一傭兵に過ぎない俺には無理だ」
またホルスの心の中の警戒心が膨れてきた。レグルスはどこまで分かってこれを言っているのか。これが気になった。
「話を戻すと、俺が勉強した戦術はアルデバラン王国のものだけじゃない、他国の戦術も勉強した」
「それがどうした?」
「アルデバラン王国では陣形をレギオーなんて恰好良い名称で呼ばない。あれに近いのは……第一方陣かな? 基本陣形なんて呼ぶのが一般的。徴兵された兵たちが真っ先に習う基本中の基本だ」
「…………」
気づいていなかった自分のミス。それを指摘されてホルスは黙り込んでしまう。
「こういう時は、ラスタバン王国でも傭兵として働いたことがあったので見様見真似で指揮しただけだ、と返すのが正解かな?」
「……そうだな。それだ」
先に良い嘘を教えられてしまったせいで、ホルスは誤魔化す気が薄れてしまう。
「お前、何者だ?」
「それを知ってどうする?」
「殺されることを心配しているなら、それは無用。殺す気ならこんな話をすることなく、油断させたまま殺っている」
もう少し泳がせて、情報を入手してからだが。ここまでは尻尾を掴ませてこなかったホルスだが、ラスタバン王国に行けば何らかの動きを見せる可能性がある。そうでなくてもラスタバン王国内で情報を探る選択もある。簡単に国境を超えられることは分かっているのだ。
「知りたいのは、ラスタバン王国との交渉能力があるかということか?」
「その通り。まったく可能性がなく、ラスタバン王国がこの件を利用する可能性が高いというなら、こちらも考えを改める」
「…………」
無言のままレグルスを睨みつけるホルス。怒りを向けているというより、その真意を探っているのだ。
「分かっていると思うけど、今のは脅し。解放された人々の命を救うには、アルデバラン王国の不利益にならないという前提が必要だからな」
またレグルスは自分から答えを与えてきた。これが逆にホルスを混乱させる。混乱させようとしていることだけが、ホルスにもはっきりと分かった。
「……分かった。俺の本名はエドワード。ラスタバン王国の第三王子だ」
「おっと、思っていた以上の大物。しかし、第三王子が敵国に潜入?」
レグルスが考えていた以上の地位。ホルスはそれほど年上には見えない。ラスタバン王国騎士団の特選騎士。百人将、いって千人将くらいだと思っていたのだ。
「小国の第三王子の価値なんて、そんなものだ」
「ラスタバン王国は小国とは言えない。アルデバラン王国が侵攻を躊躇うくらいの国力はあるはずだ」
アルデバラン王国の周辺に小国とされる国はない、国力が低い国は、とっくに吸収されているのだ。現国王が領土拡大に消極的というのは、こういう周辺国の事情もある。一国相手であれば、まず間違いなく勝利出来る。だが万一、占領に手間取るような事態になれば他の周辺国が牙をむくかもしれない。全方位で戦争となれば、さすがにアルデバラン王国も厳しい戦いを強いられることになるのだ。
「王家の人間に与える領地がない。進む道は軍事しかないのだ」
「傭兵に成りすますことが軍事?」
「仮想敵国に潜入しての情報収集は立派な軍事だ。というか、ここまで言わせるな」
どうして自ら諜者であることを白状しなければならないのか。そんな状況を作ったレグルスに、ホルスは呆れている。本来であれば、解放された人々を犠牲にしても自分の素性を隠すべきなのだ。王子であるということだけが理由ではなく、諜者とはそうあらねばならない。他人の命よりも得た情報を守るべきなのだ。
「……そうなると……黒色兵団に加わったのは、この任務があったからなのか?」
情報収集が目的であれば、黒色兵団に加わる必要はない。こうレグルスは考えた。
「黒色兵団と自分で呼ぶのだな?」
黒色兵団は騎士と認めないということから来る蔑称。副団長であるレグルスが自分で呼ぶ名称ではないとホルスは思った。
「ああ。リズの前では絶対に言えないけど、暁光騎士団は前からなんかあれで。それに比べると黒色兵団は、自分としてはしっくりくる……って、今話すことじゃない。誤魔化すな」
「誤魔化すつもりはない。気になったことを尋ねただけだ。お前の問いへの答えは否。情報収取が目的なのに、素性がばれる危険のある任務に参加するはずがない。実際にこうしてバレた」
「情報収集を諦めても、自国民を助けようと考えたのだと思った。でも、まあ、極秘任務だからな。それを知っていたのだとすれば、ラスタバン王国の諜報能力は警戒するべきレベルだ」
「そこまでの能力があれば、俺が危険を冒してここにいる必要はない。これは警戒させない為の嘘ではないからな」
実際に嘘ではない。王国内でも極一部しか知らない極秘任務の情報を入手できるほど、ラスタバン王国の諜報組織は、アルデバラン王国に浸透出来ていないのだ。
「……そうだとしても疑問は解けていない。どうして黒色兵団に?」
「だから情報収集。白状すれば、お前のことを調べる為だ」
「どうして俺? 隣国の王子であれば、もっと調べるべき人はいるだろ?」
自分の存在はラスタバン王国に何の影響も与えない。レグルス自身はこう考えている。これは謙遜しているわけでも、自らを過小評価しているわけでもない。どういう形であれ、自分が他国と関わることはない。過去の人生においてもそうだった、とレグルスは思っているのだ。
「王女の騎士団という異質な組織ではあるが、王国騎士団の一員であることに変わりはない」
「それ考え過ぎ。俺が他国に関わることは……あっ、いけね。こんな口を利く相手じゃなかった」
ホルスは、本名、エドワードはラスタバン王国の王子。こんな口の利き方をして良い相手ではないことに、今になってレグルスは気が付いた。
「止めろ。今更、口調を改められても気持ち悪い。素のお前を知ったあとでは、馬鹿にされているように思える」
「えっ、それって……俺、すごい厭な奴って思われているってことじゃないか」
「嫌な奴って……お前は他人の下につくような人間ではないって……ああ、なるほどな。少し分かった」
レグルスの父親、現北方辺境伯も同じように感じた。レグルスは人に仕えるような人物ではない。だからブラックバーン家からレグルスを追い出した。王国に反旗を翻す可能性を考えたのではないかとエドワードは思った。
「一人で納得するな」
「……お前はこの先、何をするつもりだ?」
「先のことは考えないようにしている。は嘘か。自分が考える自分にならないようにしている。その結果はきっと、そう遠くない死だ。未来の俺を気にしても無駄だな」
過去の自分のようにはならないように。そう考えていても、待っているのは長生きにはほど遠い死だとレグルスは思っている。生きる為に、方法の善悪は別にして、必死だった自分でも早死にしたのだ。そんな自分を避けていれば、やはり早死が待っている。レグルスはこう考えているのだ。長く生きた未来を心の奥底で恐れている自分がいるということを認めることなく。
「……どうしてお前がそのような考えを持つのかを知りたかった」
「それはきっと、俺の立場では知られたくないことじゃないかな?」
「そうなのだろうな。残念だが諦める。正体がバレてはアルデバラン王国では活動出来ないからな」
無理して活動しても、逆に情報を提供することになるだけ。アルデバラン王国になんとか浸透している諜報網を暴かれ、全てを失うだけだ。エドワードには自国に戻るという選択しかないのだ。
「じゃあ、交渉は?」
「求める交渉は行う。だが絶対に説得するとは約束出来ない」
「それは分かる。でも、ラスタバン王国がこの事実を利用しようとすれば、アルデバラン王国もまた同じことをするのはお忘れなく。自国の貴族を殺され、領土を荒らされ、貴族と国民の財産を奪ったという事実は、反論するには十分だと思いませんか?」
サイリ子爵の行いは悪だが、解放されたラスタバン王国の人々の行いも悪。アルデバラン王国がラスタバン王国を非難するには十分な悪行だ。
「……やっぱり、馬鹿にされているように聞こえる」
これを考えてレグルスが領主と家臣を討ち、田畑に火をつけたのだとすれば、最初から自分の素性を知っていたのではないかと思えてくる。誤解だが。
「ええ……」
「冗談だ。説得材料を教えてくれたのだと受け取ることにする。実際に交渉の成功可能性は高まるだろう。アルデバラン王国への怒りも高まるだろうが」
要は脅しだ。脅された側が根に持つのは当然のことだ。
「一応、助けた俺はアルデバラン王国人ですけど? それに命令したのは国王です」
「……分かった。貴族が勝手に行ったことで、アルデバラン王は自らその解決に動いたと伝える。これで良いな?」
エドワードとしても事を荒立てたくない。アルデバラン王国と戦争しても勝ち目はない。レグルスを知った後では、尚更、そう思う。
「よろしくお願いします」
「……正直な気持ち。もう少しお前と行動を共にしたかった。情報収集とは関係なく、お前を見ていたかった」
レグルスに対する興味はさらに強くなっている。ラスタバン王国にとってどうなのか、は関係なく、レグルスという人間をもっと知りたいとエドワードは思っているのだ。
「……それは喜んで良いのですか? あっ、答えは良いです。誉め言葉と勝手に思っておきますから」
「誉め言葉だ。もし次に会う時があるとしたら、その時も味方でいたいと思う。これは分かり易い誉め言葉だろ?」
「そうですね」
「……では、さらばだ」
「はい。さようなら、です」
今この瞬間に別れるわけではない。ラスタバン王国に入る前に準備することはまだあるはずで、それが終わるまでにレグルスとまだ何度も話す機会はある。それでもエドワードは別れの言葉を口にした。きちんと別れの言葉を告げておきたいと思ったのだ。
数日後、エドワードに率いられてラスタバン王国の人たちは国境を越えた。サイリ子爵領での任務を終わった。