パーティー会場を離れてレグルスは、国王と共に執務エリアの奥の小会議室に入った。レグルスが初めて訪れた会議室。国王が少人数で他に聞かせられない相談を行う為の会議室なのだが、そんなことはレグルスには分からない。
会議室に入ると、先に宰相と諜報部長が待っていた。これで会議のメンバーは全員だ。四人だけで話すのは、当然、任務のこと。サイリ子爵領での出来事についてだ。
「見世物?」
だが本題に入る前に国王は、パーティー会場でレグルスが口にした言葉について問いかけてきた。
「違いましたか? 彼女への評価を誇張し、さらに助けられたスタンプ伯爵を登場させて感謝の言葉を述べさせ、成果を拡大して皆に知らしめる。そういう目的の場だと思っていました」
「お前という奴は……どうして分かった?」
レグルスが考えた通りの思惑が国王にはあった。それをあっさりと認めた。隠すことに意味はないのだ。
「ひとつはあの場にジークフリート王子がいなかったこと。団長であるジークフリート王子ではなく、白金騎士団全体でもなく、アリシアだけを褒め称えるのはおかしい」
「ひとつというからには他にもあるのだな?」
「それ以前に、アリシアの出席はおかしい。白金騎士団だけ特別に全員を招待するには訳がある。普通、こう思うのではないですか?」
自分だけが気付いたとはレグルスは思っていない。少し考えれば、誰でも思うことだと考えている。
「あとは?」
「白金騎士団、スタンプ伯爵、王国騎士団の将、そして貴族たち。任務を考えれば貴族は部外者です。ではわざわざ貴族が参加するパーティーを開いて、それを行う理由は何か。貴族がいなければならない理由は何かを考えました」
アリシアの功績を貴族たちに知らしめ、貴族たちのネットワークで王国全体に広げさせる。貴族がいる理由はこれだとレグルスは考えた。
「他の者でも分かるか?」
「分かるでしょう。でも、別に構わないのではないですか? 陛下の意向を知ることで、彼女の重みは増すことになります」
国王が特別に目をかけている人物、というだけでもアリシアは注目される。そうする価値のある人物だと思われる。国王の目的は達せられるとレグルスは考えている。
「やはり、お前は彼女を高く評価しているのだな?」
「最初から知っているでしょう? 猊下から話を聞いたはずです」
「……知っていたのか?」
「余計なことを話してしまったと猊下は後から反省されたようで、わざわざ私に謝罪を伝えてきました。猊下に文句は言わないでください。こういうのがあの方の良さですから」
これを聞いていたから、レグルスはすぐに先ほどの場がどういうものか気付いたのだ。教皇から聞いた話を真に受けて、国王はアリシアを祭り上げようとしているのだと。
「本当に彼女にはその価値があるのか?」
「価値があるかないかは、陛下が彼女に何を求めているかです。完全な正義など私は全面否定しますが、限りなく完全に近い正義を求める心は否定しません」
「なるほどな……ひとつ込み入ったことを聞いても良いか?」
レグルスがアリシアをどう見ているのか。少しではあるが、それが分かった。さきほどの二人の会話を聞いていても感じたことだ。
「嫌だと言っても聞くのではないですか?」
「その通りだ。どうして彼女と別れた?」
「ええ? それ国王が臣下に尋ねることですか?」
「私が気にしているのは男女としての関係ではない。二人が組めば、実現出来ることはもっと多く、大きくなるとは考えなかったのか?」
二人はお互いを信頼している。尊重し合っている。何かを行う上でのパートナーとして、もっとも上手くやっていける組み合わせではないかと国王は考えたのだ。
「……仮にそうだとして、それが万人にとって良いことですか? 陛下のお立場だと、王国にとって良いことですかと聞くべきですか」
「そうはならないと思っているのだな?」
だからレグルスとアリシアは別れた。少なくともレグルスの理由はこういうことだと国王は理解した。
「分かりません。たとえば、陛下と王国の求めるものに少しもズレはありませんか?」
「……正直、あるな。二人が為すことが、私にとって良いことであっても、王国にとっては害となる可能性か」
王国は領土拡大を求めているが、その為に戦争に駆り出される国民はそんなものを望んでいない。国王の考えは国民がそうであろうことに近いが、それを王国は受け入れない。レグルスとアリシアも。どちらかにとっての敵となるのだ。
「そして一番の問題は、私の汚名は、今後彼女が得るかもしれない栄光に影を差すということです。それは陛下が望む形ではありません」
「……光と影か」
光が強ければ影は濃くなる。だが影が濃くなれば光は覆われて輝きを失ってしまう。レグルスとアリシアの関係はこれと同じ。影であるレグルスが前に出ては駄目なのだ。レグルスのほうはこう考えているのだと国王は理解した。納得出来てしまう考えだ。
「納得いただけましたか? そうであれば、そろそろ本題に入って欲しいのですが?」
「ああ、そうだな。何の話かは分かっているな?」
「そのつもりです。サイリ子爵領での任務についてですね?」
これ以外に今呼び出される理由に覚えはない。この件について呼び出されないはずがないとも思っていた。
「一応聞く、状況は?」
「サイリ子爵領で原因不明の疫病が流行っております。王国全体に広めない為に燐家との領境は封鎖。人の往来は絶対に許さないよう、勝手ながら陛下の名をお借りして。命令させていただきました」
「疫病だと?」
「嘘に決まっています。サイリ子爵領の人間を逃がさない為。逃げて好き勝手話させない為です」
サイリ子爵領で何があったかを知られるわけにはいかない。その為にレグルスは領民を領内に閉じ込めることにした。隣の領主はまさかの情報に、当然だが、疑いを持った。だが事実を調べる方法がない。調査させて事実であった場合、その者たちは戻ってこられなくなる。サイリ子爵領内で謎の疫病に感染してしまうかもしれないのだ。
「領内の状況は?」
「生き残ったサイリ子爵家軍は完全に掌握できました。領民の封じ込めも彼らに任せています。反抗的な家臣の生き残りに対する処置も彼らに」
「信用出来るのか?」
「家臣として仕えながら拉致に関わってない者たちです。当然、彼らの証言だけで判断しているわけではなありません」
たとえば、捕らわれていた、女性も含めた、人たちに面通しをして、顔を知っている人がいれば、その者はサイリ子爵の行いに加担していた者、という調べ方だ。
「……どうしてこのような荒事を選んだ?」
現地は、すぐに何か対処しなければならない状況ではない。それが分かって国王は一安心。だがレグルスに対する追及はここからが本番だ。
「その時、捕らわれていた人たちをどうにかしても、また同じことが行われます。再発を防ぐには元を絶つしかありません」
「サイリ子爵だけを処分するのでは駄目だったのか?」
「サイリ子爵を消して、それで止まるとは思えませんでした。また新しい領主が同じことをする。もしくは領主の知らないところで、家臣と領民が勝手に行う。悪事に手を染め、それを反省しない人は必ず繰り返します」
一度、味わった欲望の味は簡単には忘れられない。それは家臣も、楽に生きることを覚えた領民も同じ。レグルスはこう考えている。
「……ラスタバン王国から使者が来た。言葉は濁していたが、何もなかったことにしたいと言っているのは分かった」
「素早い対応です」
「素早過ぎる。何をした?」
一国が、それも友好的とは言えない国に向けて使者を送るとなれば、決定までにかなりの時間を必要とするはず。重臣たちを集めて、何度も議論を重ねることになる。アルデバラン王国ではそうなのだ。
だがラスタバン王国は驚くべき速さで使者を送って来た。最初に使者の来訪を聞いた時、国王は別件ではないかと考えたくらいだ。
「私ではなく説得した人が優れていたのでしょう」
「説得した人?」
「ラスタバン王国第三王子のエドワード。あっ、伝えるのを忘れていました。その第三王子は情報収集目的で王国に潜入していました。半年やそこらではなく、それなりの期間だと思います」
「お前な……どうやって知り合った?」
伝えなかったのはわざと。レグルスにそうさせる理由があるのだと国王は考えた。
「黒色兵団に傭兵として働いていました、それで。ちなみに任務に加わることになったのは偶然です。ラスタバン王国の諜報組織が極秘任務の情報を知り得るくらい優秀であれば、必然の可能性が生まれますが」
「……そうか」
国王は一度、諜報部長に視線を向けてから言葉を発した。ラスタバン王国に情報が漏れた可能性があるかを諜報部長に確認したのだ。諜報部長の反応は否。防諜に自信があるというだけでなく、黒色兵団が任務を請け負うことまで知ることは不可能だという判断だ。国王と自分しか知らなかったことなのだ。
「それに、ラスタバン王国には自国民がアルデバラン王国の貴族を殺し、その領内を荒らしてしまったという負い目があります」
「負い目というが、それはお前が行ったことだ」
「それをわざわざ我が国が認める必要はありません。ということで、ラスタバン王国については一安心。あとは自国内の問題だけです」
「なるほどな……あとは領民たちの口をどう塞ぐか、か」
レグルスの過激な行動には、一応、意味があった。国王はこう思って、少し、安堵した。ただ暴虐な人間というのでは、この先、何も任せられなくなってしまう。
「……私が行ったことはお咎めなしですか?」
国王にはレグルスのやり方について、これ以上、追及する意志がない。それにレグルスは少し驚いた。
「どのような方法をとるかはお前に任すと私は言った。そしてまだ問題になっていない」
これまでの説明を聞く前であれば、国王はこれを口に出来なかったかもしれない。だが、すでにレグルスのやり方について、不満が全て消えたわけではないが、納得してしまっている。
「……分かりました」
国王は自分が口にしたことを、きちんと守ろうとしている。それは少し意外で、少し見直した。国王は自分に対して悪意を抱いているという考えを、少し改めた。
「ひとつ考えていることがある。お前を領主にするという案だ」
「……はっ?」
だが続く国王の言葉で「見直した」という思いは一瞬で消え去ることになった。
「最後までお前が面倒見ろ。領民を懐柔し、余計なことを話させないようにすれば良い」
「……私はああいう人の不幸の上で、あぐらをかいて自分が楽しようとする奴らは大嫌いなのですけど?」
「そういう腐った性根を叩き直すのも領主の仕事だ」
「騎士団の仕事があります」
領主なんて真っ平ごめん。すでに領地持ちであるレグルスだが、その領地は何もしなくても勝手にやっている。ゲルメニア族の族長たちがこれまで通りに領民たちを率いている。サイリ子爵領の領主になることはそれとは違うのだ。
「王都にいなくても出来る。北部、東部の任務であれば王都より近い」
「……建物を燃やしました。武器も財宝も全て」
「ああ、それは厳しいな。仕方がない。準備金として少し用意してやろう」
レグルスと話をする前に、国王は諜報部長にも相談し、何度も考えてきた。その結果なのだ。レグルスが何を言おうと、決定を覆すつもりはない。
「……何を言おうと無駄ですか?」
レグルスにもそれが分かった。
「その通りだ」
「……もしかして厄介払いということですか?」
レグルスの視線は宰相に向いている。これは自分を王都から追い出すことを目的とした人事。そういうことを考えるとすれば、宰相だと考えたのだ。この場に宰相が同席しているのは、そういうことだと。
「その意図があることを隠すつもりはない。貴殿は良くも悪くも目立ちすぎる。一方で、過程はともかく、結果については私も認めているので活動は続けてもらいたい。折衷案を選ぶのは単純過ぎる考えであることは認めるが、そういうことだ」
「……分かりました」
納得は出来ていないが、これは王命なのだ。逆らうことは許されない。国王に撤回する意志がないのであれば、レグルスは受け入れるしかない。
「ただひとつだけ問題がある」
「何ですか?」
「お前……………………」
「何ですか?」
国王は「お前」の先をいつまでも口にしない。焦れたレグルスがまた問いを向けた。
「……リズを娶るか?」
「はあっ!?」
国王の口から飛び出してきたのは、まさかの問いだった。
「いや、騎士団の仕事は続けてもらう。だがそうすると団長であるリズもお前の領地に行かないわけにはいかなくなる。それでお前に……リズを弄ばれるのは」
「弄びませんから!」
「弄ぶは冗談だ。だが周りの目というものがある。二人で領地で暮らして、何もないが通用すると思うか?」
レグルスとエリザベス王女の恋愛話は有名だ。近頃は少し盛り上がりも収まってきたが、これで二人が王都から遠い領地で暮らすとなれば、また面白おかしく話題にされるのは間違いない。
そんなことになるのであれば、いっそのこと。国王はこう思うようになったのだ。軽い口調で切り出したが、こう考えるようになるまで、かなりの葛藤があった。レグルスのやり様を王国の意志と同一視されてはならないという考えは今もある。だが王都ではなく、王国の外れで二人が暮らすのであえばどうか。レグルスが何をやらかそうが、エリザベス王女が王国を離れた存在となれば、悪影響は少ないのではないか。こんなことを国王は考えたのだ。
「……あの、王女殿下に側にいて欲しくないというわけではないのですが、王都を離れる必要がありますか? 王女殿下ご自身が任務に赴く機会はそれほど多くないと思うのですが?」
今回のような危険な任務に、戦う力のないエリザベス王女は同行出来ない。そして危険ではない任務など、そもそもないのだ。
「確かにそうなのだがな……そうだな、とりあえず、婚約までにしておくか」
「いや、おかしい。私のこと嫌っていましたよね? 絶対に王女殿下との結婚は認めないと言っていましたよね?」
「父親とはそういうものだ。ただ近頃、リスは落ち込んでいる様子でな。子供のこともあって、自分も何か証が欲しいのではないかと思った」
「子供……それに証って……」
エリザベス王女と自分は恋愛関係にある。国王の話をそういう前提になっている。ずっと否定してきた国王が。レグルスには納得出来ない変化だ。
「まあ考えておけ。ただ、領地のことは決定だからな」
「……はい」
レグルスの領地替えが決まった。具体的なことはまだ分からないが、とんでもなく大変であることは分かる。なんといってもレグルスには家臣がいない。実際には家臣のような存在はいるのだが、レグルスがそれを認めていない。
まったく信用していない生き残りのサイリ子爵家の文官たちと領民を従える。レグルスにとっては悪夢でしかない。