サイリ子爵を討ちとり、共に出撃してきた子爵家軍を殲滅、とまでは行かなかったが壊滅的な打撃を与えた黒色兵団は、そのままサイリ子爵の館に攻め込んだ。建物が堅牢であっても防衛戦力が壊滅してしまっていては守りきることなど出来ない。館に残っていた人々は抵抗することさえしなかった。
サイリ子爵家の人々を追い出し、建物内に残されていた馬と馬車、それにありったけの武器、だけでなく、財宝を積み込めるだけ積み込んで、黒色兵団は館を出て、国境に向かう。建物という建物全てに火をつけて。
「……このような真似をして大丈夫なのか?」
その行いは、傭兵であるホルスが心配してしまうものだ。領主を殺し、領地の財を盗み出した。アルデバラン王国から見れば、そういうことなのだ。
「家に帰るのだから、お土産は必要だろ?」
「助けた者たちに?」
レグルスは盗んだ財宝を捕らわれていた人たちに渡すつもりだ。それを知ってホルスは驚いた。
「仕事でここに来た俺たちが、その立場を利用して財宝を自分の物にしたら、それは犯罪だろ?」
「それについてはそうかもしれないが……」
着服したしないの問題ではない。領主を討った上に、領主館とはいえ防衛施設である建物をひとつ、放火して使えないものにした。その罪が問われるのではないかとホルスは考えている。
「サイリ子爵が貯め込んでいた財宝は、強制労働によって生み出されたもの。本来、受け取るべき人に渡して、何が悪い?」
「理屈としては正しい。だがお前はアルデバラン王国の人間だ。とんでもなく正義感が強いのだとしても、あれはやり過ぎなのではないか?」
ホルスが指さす先には、燃え上がる畑がある。黒色兵団が火をつけて回っているのだ。
「ああ、あれか」
「サイリ子爵とその非道な行いに加担していた家臣たちを討つのは正義感で説明出来る。だが、領民を苦しめるような真似はどうなのだ?」
「お前、傭兵にしては固いな?」
レグルスがどういった方法を選ぼうが、ホルスは生き残ることが出来、報酬を受け取れればそれで良いはず。傭兵とはそういうものだとレグルスは考えている。
「お前たちが柔らかい、いや、過激過ぎるのだ」
「過激……そうかもしれないけど、必要だから行っているだけだ」
必要なことを行っているだけ。ただ手段を選ばないという点については、レグルスも自覚がある。それが周囲から過激と見られようが、非道と思われようが、レグルスにとってはどうでも良いことだ。それを恥じたり、躊躇ったりする気持ちは、過去の人生でとっくに失っている。
「領民の努力を無にすることが必要なのか?」
「しつこいな。ひとつ訂正しておく。田畑の実りは領民の努力の賜物じゃない。あれもまた連れてこられた人たちが強制的に働かされた結果だ」
「なんだと……?」
「ここの奴らは領主の非道に胸を痛めるどころか、恩恵に与れると喜んでいた。辛い作業は全て押し付け、怠けて暮らしていた。収穫を分配するなんてこともしていない。多くの領民は共犯者だ」
サイリ子爵領の労働は強制的に連れてこられ、奴隷にされた人々がほぼ全てを担っていた。多くの領民たちは自分たちは働くことなく、収穫を得ていた。全ての領民ではないが、そういった者たちが多数なのだ。
「……そうか」
「各家にも奴隷として働かされている人がいる。そういう家は基本的に許すつもりはない」
そういった人たちを解放する為にも人が動いている。戦闘に参加していないエモンたちだ。
「分かった。分かったが……お前は大丈夫なのか?」
この任務ではかなり裁量が認められている。だがその一方で問題になった場合は容赦なく処分されることになる。そういう条件であることはホルスも知っているのだ。
「さあ? 大丈夫になるようにはしているつもりだけど、結果がどうなるかは俺に分かることじゃない」
「大丈夫にならなかったら?」
「はあ? そんなこと、お前が気にしてどうする? 心配しなくてもお前は平気だ。任務が終わっても王都に戻るのは俺一人。他の皆はしばらく様子見だ」
どういう処分が下されるか、実際にその通りだと分かるまで、他の黒色兵団のメンバーは隠れ潜んでいることになる。レグルスは皆を巻き込まないようにと考えてのことだが、隠れ潜む皆は悪い結果になった時にレグルスを救出するのに自由に動けなければならないと考えてのことだ。
「……どうして他国の民の為に、そこまでしようとするのだ?」
「お前、本当にしつこいな。単純に自分が良いと思うほうを選んでいるだけだ」
「それで死ぬことになってもかまわないと言うのか?」
「俺が死んでも誰も困らない」
「…………」
そんなはずはないだろうとホルスは思う。近くにいる黒色兵団の何人かが困った顔をしていることで、それが分かる。レグルスは自分の命を軽く考えている。これに関しては仲間が増えても変わらない。仲間が増えても、逆に増えれば増えるだけ、レグルスは自分の存在を恐れてしまう。世の中を乱す存在、これまで自分が殺してきた人たちを遥かに超える犠牲をもたらす混沌を生み出してしまうことを恐れているのだ。
「そろそろ説明しておくと。まだ皆、助かったわけじゃあないからな」
「どういうことだ?」
「サイリ子爵家軍はあれが全てじゃない。国境近くに配備されている部隊が残っている。まず間違いなくこれまで戦ったサイリ子爵家軍より強い部隊だ」
今向かっている国境近くにはサイリ子爵家軍の部隊が配置されている砦がある。隣国ラスタバン王国から攻め込んでくることはまずないと思っていても、まったく備えることをしないほどサイリ子爵は馬鹿ではなかった。侵攻が分かってから迎撃準備、もしくは逃げる準備を整えるまで足止めする為の部隊は置いていたのだ。
「そうか……いや、だったらすぐに火をつけるのを止めさせろ! こちらの居場所が分かってしまうだろ!」
「分からせている。野戦になったからといって勝てる保証はないが、砦に籠られるよりはマシだ」
「それは……そうだな」
レグルスはサイリ子爵家軍を壊滅させるつもりだ。それはホルスも、もう分かっている。悪事に加担した者たちに罰を与えるというだけでなく、解放された人たちが安心して暮らせるようするという理由もあってのことだと。
「次が本番だ。つまらないことを気にしている場合じゃないと分かったか?」
「……ああ、分かった」
つまらないことではない。レグルスがどう考えようとホルスにとっては大切なことだ。だがこれをレグルスに伝えることをホルスはしない。どうして大切なのかを説明出来ないからだ。
少なくとも次の戦闘で生き残り、解放した人々を隣国に送り届けるまでは。
◆◆◆
国境に配置されていたサイリ子爵家軍は、レグルスの思惑通り、砦から出撃してきた。だからといって黒色兵団が有利になったわけではない。不利な状況がわずかに改善されただけだ。厳しい戦いであることに変わりはない。
布陣した子爵家軍の動きもそれを予感させるもの。千名ほどの部隊は、黒色兵団と解放された人々の集団からある程度の距離を取り、そこで陣形を整えている。部隊指揮官の号令の声とそれに従って、素早く動く部隊。きちんと鍛えられていることはそれだけで分かる。
「想像以上か」
その統率された動きはレグルスの予想を超えていた。サイリ子爵家はラスタバン王国が攻めてくる可能性は低いと考えていた。国境守備を担っている部隊といっても甘さはあることを期待していたのだ。
「まったく油断している様子は見られません」
オーウェンも敵部隊の動きを見て、かなり警戒している。八百超の人数とはいえ、そのほとんどは戦力とならない。こう考えて油断する様子はまったくないのだ。
「分かっている。手に入れた情報だと部隊長の評判は良くなかったのだけどな……無能たちの悪評は、実際とは逆ということか」
部隊を率いている部隊長については、一応は調べていた。ただ砦ではほとんど情報は得られず、かろうじて子爵家館で仕えている家臣の評判を入手出来たのみ。それは良い評判ではなかったのだが、間違った情報だったようだとレグルスは考えた。
「アオ様ほどではないことを願うのみです」
「……どういう意味だ?」
「深い意味はありません」
レグルスの評判もかなり酷い。だがその評判が実態とかけ離れていることを側にいるオーウェンは分かっている。
「……さて……少しは頑張ってもらわなければならなそうだな」
統制がとれた軍隊を相手に十名そこそこの黒色兵団だけで戦えるはずがない。黒色兵団だけが生き延びれば良いというわけではない。解放された人々を国に帰すことが目的なのだ。
それを実現する為には、当事者として戦ってもらう必要があるとレグルスは考えている。解放すると決めた時から考えていたことだ。
「……生きて国に帰りたければ戦え。守りたい人がいるのであれば、命を捨てて守れ! 無力を恥じるな! 無様な戦い方だと笑われようと気にするな! 自らの行いを! 自らの心が恥じることがなければ、それで良いんだ!」
振り返って人々に向かって叫ぶレグルス。
「生きるか!? 人の為に死ぬか!? 自らの心に問え!」
それでも決めるのはそれぞれの人々。レグルスはこう考えている。同じ人の為に命をかけるでも、相手は選びたい。こんな気持ちが心の奥底にあるのだ。
「俺は……恥じない生き方を選ぶ」
誰に、は言葉にすることなく、心に飲み込んだ。自らの覚悟を決めた。人々に背中を向けて、正面の敵を見据えるレグルス。その左右にオーウェン、ジュード、その他の黒色兵団のメンバーたちが並ぶ。誰の顔に恐れの色はない。彼らはとっくに覚悟を決めているのだ。自分たちだけは、どのような状況であってもレグルスと共に戦い続けると。
「……戦う力のない女性たちは後ろに下がれ! 徴兵経験のある者、盾を持って前に出ろ! 他の者たちはその後ろに並べ!」
人々に指示する声。それはホルスの声だ。
「陣形はレギオー! 急ぎ、敵の攻撃に備えろ!」
ホルスの指示を受けた最前列の人々が、その後ろに並ぶ人々に指示を出す。整然、とは言えないが、陣形が整い始めた。
「……なるほどな。これが狙い……いや、偶然か? そうだとすれば……悪い巡り合わせではないな」
背中から聞こえてくるホルスの指示を聞いていたレグルスの顔に笑みが浮かぶ。
「ラクラン、アンガス、来るぞ」
「「はっ!」」
こちらの陣形が整い始めたのを見て、敵にも動きが見えた。
すぐに敵陣形の後方から放たれた矢が見える。数百の矢が一斉にレグルスたちに向かって、飛んでくる。それを防いだのは宙に浮かんだ光の壁。ラクランとアンガスの防御魔法だ。防ぎきれなかった矢も、空中にある間に燃え尽きた。
「……お互い様だな」
矢を燃えつくした魔法は、まず間違いなく、ホルスが放ったもの。これまでの戦いでは見せていなかった魔法だ。ホルスも手の内を隠していたことを、レグルスは知った。
「騎馬来ます!」
「ラクラン! 進路を狭めろ!」
「は、はい!」
敵部隊から騎馬が飛び出してきた。すぐにラクランが騎馬の行く手を阻む為に、防御魔法を前面に展開。完全に塞ぐわけではない。進路を限定するのが目的だ。
防御魔法を無視して、槍を掲げて突撃した騎馬もいたが、それは魔法の壁に衝突して地面に転がることになる。ラクランの魔法は、馬の勢いを利用しても槍の一撃で粉砕するようなものではないのだ。
「逃したやつは頼む!」
「はっ!」「任せて!」
壁を躱して突撃してきた騎馬の群れに向かうレグルス。背負っていた剣を左手に持ち、低い構えで間を図る。見る見る近づいてくる騎馬の群れ。先頭の騎馬がレグルスに届く、と見えた瞬間、漆黒の影がレグルスの手元から伸びていく。
足を斬り払われた馬が次々と倒れ、振り落とされた騎士が地面を転がる。うめき声をあげる敵騎士に留めを刺すのはオーウェンとジュードの役目。それにレグルスも加わった。
セブとロスはレグルスの斬撃を逃れた騎馬をブーメランで遠隔攻撃。スカル、ヘイデン、シアレはセブとロスは馬から落とした騎士を討つ為に、動き回っている。
「盾構え! 槍、用意!」
それさえ逃れた騎馬は、後方で陣形を組んでいる人々が対応する。ホルスの号令に合わせて、動く人々。
「衝撃に備えろ!」
盾を構える人たちは大勢を低くして馬の突撃に耐えようとしている。
「突けぇええええっ!!」
号令に合わせて、一斉に前方に突き出される槍。突撃してきた騎馬はその勢いのまま槍を受け、地に倒れていく。完全に止めきれなかった騎馬を討つのはホルスだ。火属性魔法で、槍を突き上げ、敵騎馬を討っていく。
「陣形を整えろ! 次に備えろ!」
第一波は、怪我人が出るのは防がなかった、それでもなんとか守り切ったと言える。といっても数十騎を討っただけ。敵はまだ九百以上いるのだ。
「敵前衛、前進!」
騎馬隊の攻撃を完全に防がれたのを見て、敵は陣を前進させてきた。槍を並べ、足並みを揃えて、前に進み出てくる敵部隊。
「……普通の盾かな?」
「あれ全てが魔道具ということはないと思うのですが……」
集団で、ゆっくりと前に出てきてくれるのであれば、レグルスにとって好都合。一度の攻撃でまとまった数を討てる、だがその攻撃はすでに見せている。何か策があるのではないかとレグルスは疑った。もしくは構えている盾で絶対に防げるという自信がある可能性を。
「……遠目で試してみるか」
また低い姿勢で居合抜きの構えをとるレグルス。魔力の制御に気持ちを集中させるには、これが一番良い姿勢なのだ。理屈ではなく、レグルスがそう感じるというだけだが。
素早く剣を抜くレグルス。体から剣に伝わった魔力が、黒い影となって前方に伸びていく。そのまま敵前衛を切り裂く、と思われた瞬間、黒い影は砕け散った。
「……魔法の盾じゃなくて、人か」
レグルスの魔法を粉砕したのは陣形から飛び出してきた一人の男。その男が振るった剣だ。
「……変わった魔法だな?」
その男がレグルスに話しかけてきた。
「良く言われる」
「まさかと思うが……ブラックバーンか? ブラックバーンにはシャドウと呼ばれる奥義があると聞いたことがある」
「まさか。俺はラスタバンの出身だ」
顔色ひとつ変えずに嘘をつくレグルス。必要とあらば平気で嘘はつけるレグルスだが、ブラックバーン家の名が出ても動揺することはない。ブラックバーン家の人間ではないという意識は植え付けられている。当然、植え付けたのはレグルス自身だ。
「嘘をつけ。お前のような者がろくに鍛錬もしていない名ばかり騎士に大人しく捕まるはずがない」
「お仲間に対して、辛らつだ」
男の言う名ばかり騎士は今戦っている中にはいないはず。これまでの動きでそれは分かる。
「同じ家に仕えているからといって、仲間とは限らない」
「おお、その考えには俺も共感できる。だったら、仲間じゃない奴らの尻ぬぐいをする必要はないだろ?」
ブラックバーン家の者たちはレグルスにとって仲間ではなかった。今は悪意を持たない人もいるが、男の考えについてレグルスは強く肯定出来る。
「それは任務を放棄しろということか?」
「王国の許しもなく攫ってきて、強制的に過酷な労働を強いるのがお前の任務なのか?」
「いや、違う。だが、他国の人間が領内で暴れているのを放置するのは任務放棄だ」
「なんだろう? 意外と真面目な奴が多い。お前がこの部隊の部隊長であるなら、真逆の不真面目な人間なはずだろ?」
集めた情報ではそうだった。任務に熱心ではなく、酒と女が大好きな騎士失格な男。こういう情報だったのだ。
「他国の人間を攫ってくることを任務と言うなら、それを行わない俺は不真面目なのだろうな」
「なるほど……もう一度聞く。任務を放棄するつもりは?」
どうしても殺さなければならない相手ではない。それが分かったレグルスは、戦いを避けようと考えたのだが。
「ない」
「じゃあ、仕方がない」
男の気持ちに揺るぎはない。そうであれば戦うしかない。
一気に間合いを詰めて、剣を振るうレグルス。男はそれを自らの剣で受けると、上手く剣の刃を滑らせてレグルスの勢いを逸らす。やや前かがみになったレグルス。そこに男の剣が振り下ろされた、と周囲が思った瞬間、男は大きく後ろに跳んで間合いを外した。
「誘いか……」
あのまま攻撃していたら、逆に振り上げられたレグルスの剣を受けていた。
「誘ったつもりはない」
わざと相手の攻撃を誘ったつもりはレグルスにはない。どのような体勢からでも攻撃に転じることが出来る体を作る。これは舞術の基本だ。
「……そうか。手強いな」
「こっちの台詞だ」
身につけている技か経験か。とにかく男は簡単に討ち取れる相手ではない。数手やり合っただけでレグルスにはそれが分かった。
ただ問題はこの状況がどちらに有利に運ぶか。
「……ああ、悪いな。こちらに運があったみたいだ」
「なんだと? それは」
何故、レグルスがこのようなことを言うのか。理由を尋ねようと思った男に答えを返したのは、背中から聞こえてきた爆発音だった。
「伏兵か!?」
「伏兵というか……援軍が間に合った? 居場所が分かるように火をつけて回ったのは正しかったな」
田畑に火をつけて回っていたのは、自分たちの居場所を援軍に知らせる意味もあった。上手く行くか分からないが、やれることはやっておく。それが今回は功を奏したのだ。
「援軍? ラスタバンは戦争になるのを恐れ……いや、違うな。お前、やはりアルデバラン王国の人間だな?」
援軍の姿が男にも見えた。魔道具であろう爆発だけでなく、宙を行き交う何だか分からない飛び道具で、味方を背後から攻めている援軍が。そんな武器を、戦い方をラスタバン王国軍が行うなど男は聞いたことがない。アルデバラン王国内に変わった飛び道具を使う少数民族が暮らしているという噂は知っていても。
「仲間を無駄死にさせたくなければ降伏を勧める。あの援軍は、解放した人たちとは比べるのも馬鹿らしいくらい強いからな」
「……分かった。降伏する」
そして男は目の前の若者が何者かも分かった。王国内の情報を積極的に求めていれば、必ず耳に入る。王国北東部であれば確実に。そして男はそういう人物だった。行き交う人の少ない王国の外れにいても、広く情報を求めていたこの男は、ゲルメニア族を従えて領地を拝領した元ブラックバーン家の公子の噂を知っていたのだ。