何か所かに分かれて強制労働をさせられていた人々を、レグルスたちは解放した。女性も含めて、八百人を超える数だ。その数を連れてレグルスが向かったのは、サイリ子爵がいる城。逃げるのではなく攻める。捕らえられていた人々のほとんどが想定していなかった選択を、レグルスは行ったのだ。
八百を超える集団が領内を移動していれば、さすがに気づかれる。レグルスたちのように人目を避ける隠密行動が出来る人々ではないのだ。城に到着する前に、サイリ子爵家軍が行く手を阻んできた。その数は二百ほど。数では圧倒的にレグルスたちが優っているが、戦意がある人の数となると黒色兵団のメンバーだけとなる。
「奴隷どもが、愚かな真似をしおって! 後悔しても遅いからな!」
サイリ子爵家軍から巨漢の男が一人、進み出てきた。この部隊の指揮官であり、特選騎士だ。レグルスたちは初めて見る男だが、そうであってもこれくらいは分かる。他の者たちに比べて豪奢な鎧が、男の体から漏れ出ている魔力がそれを教えてくれる。
「死にたくなければ土下座して、許しを乞え! その姿が笑えれば許してやる! そうでなければ、八つ裂きだ!」
捕らえていた人たちが集団脱走して反抗しようという状況であるのに、男には余裕がある。現場で殺された監視役のほとんどはサイリ子爵家軍の人間ではなく、領民の中から選ばれた者たち。こうして軍が出動すれば、すぐに鎮圧出来ると考えているのだ。
「……お前が八つ裂きにされるという選択肢もあるだろ?」
「何だ、お前は? ガキが調子に乗るな」
集団の中から一人、前に出てきたのは、明らかにまだ若い男、レグルスだ。着ている服は他の者たちと同じでボロボロで、サイリ子爵家軍の指揮官は奴隷だと思っている。
「お前みたいな奴はたまにいる。自分の実力も知らず、ろくに戦ったこともないのに思い上がって、粋がる奴が。俺はそういう奴を何人も殺してきた。お前もその一人に加えてやろう。二十人目か三十人目か、もう忘れたがな」
「遠慮しておく」
「……口の減らないガキが。口だけでは戦えないことを教えてやる!」
巨体に似合わぬ俊敏な動きで男は間合いを詰めてくる。振りかぶられた、これは男の巨体に合った、巨大な剣。だがその剣が振り下ろされることはなかった。遥かに速いレグルスの剣が、それをさせなかった。
「お前にな」
動かなくなった男にレグルスは蹴りを叩き込む。男の半身が後ろに吹き飛んだ。
「なっ……!?」
頭から真っ二つに切り裂かれた男の半身を見て、サイリ子爵家軍から驚きの声があがった。その動揺しているサイリ子爵家軍に向けて、投げられた筒のようなもの。それは地面に落ちた瞬間に、爆発した。
「うわぁああああっ!」
「何だ、何が起きた!?」
「魔道具だ! 気を付けろ!」
爆発したのは魔道具。それに気づいた者が警告の声を発した。だがその時には、爆発で乱れた隊列の隙間に指揮官を真っ二つにしたレグルスが飛び込んでいた。
血しぶきが宙に舞い、次々とサイリ子爵家軍の者たちが地面に倒れていく。
「落ち着け! 落ち着いて、敵を囲め!」
「敵は一人だ! 早く討て!」
上位の騎士たちがなんとか部隊を落ち着かせようとするが、思うようにはいかない。命令を発する者がいれば、その者が真っ先に狙われ、地面に倒れることになる。サイリ子爵家軍は完全に統制を失っている。
「……また一人で全てを行うつもりか」
それを見て、ロイスは少し呆れた様子だ。この任務でも、レグルスは自分の力を頼りに行動している。忠告したのに反省していないと思って、呆れているのだ。たった一人でも、まったく危なげない戦いをしているので呆れていられるのだが。
「あれはわざと」
ロイスが誤解していることをジュードが教えた。
「作戦だというのか?」
「そう。上手く行くかはまだ分からないけどね?」
レグルスが一人だけで戦っているのは、わざと。次の戦いの為の作戦なのだ。
「どういう作戦だ?」
「見ていれば分かるよ。敵が逃げ始めている。先に進むよ」
サイリ子爵家軍の部隊は混乱を収めることが出来ないまま、完全に統制を失って、敗走に移っている。ここでの戦闘はこれで終わり。次の戦いに向けて、先を急ぐことになった。ここから先が本格的な戦闘。そうなるはずなのだ。
なんといってもサイリ子爵の館を攻めようというのだから。
◆◆◆
公式には隣国に通じる道はないことになっているとはいえ、隣国と国境を接している領地。サイリ子爵の館は城と呼んでもおかしくない堅牢の造りになっている。小高い丘の上に建っている館は二重の高い防壁に囲まれていて、その外側には水をたたえた濠がある。黒色兵団と戦意のない八百の人々だけでは、攻め落とすことは厳しい。レグルスの計画は無謀だった。サイリ子爵が部隊を率いて、出撃してこなければ。
「上手く行ったね?」
計画通りの展開。ジュードはそれを知っている。
「どういうことだ?」
ロイスは計画を聞かされていない。初戦でレグルスが一人で戦ったことと、今の状況がどう繋がるのか分からない。
「ここのご領主様は腕に自信があるらしくてね。それを自慢するのが大好きらしい」
「だから野戦を挑んできたというのか?」
「敵には手強い奴が一人いる。でも、その一人以外は戦意もない雑魚。ご領主様がその手強い奴を討ち取れば、それで一件落着。自慢できるでしょ?」
サイリ子爵の性格を調べ、その動きを予測した作戦。それはここまでのところは上手く行っている。
「……その腕自慢に彼は勝てるのか?」
「さあ、どうだろう? 領主がどれくらい強いかまでは僕は知らない」
「またレグルス頼りか……」
結局、この戦いでもレグルスがサイリ子爵を討てるかどうか次第。まったくやり方は変わっていないとロイスは思った。
「そうだけど、僕たちもやることはある」
「それはそうだろう。俺たちは何を?」
ただレグルスとサイリ子爵の一騎打ちを見ているだけではいられない。
「後ろにいる奴らを殲滅する」
「それは分かる。具体的な作戦はどのようなものなのだ?」
「だから、アオがサイリ子爵を引き付けている間に、他の奴を一人残らず討つという作戦」
「一人残らず?」
サイリ子爵は初戦で敗走した家臣たちを加え、八百名ほどの部隊を率いてきている。ジュードはその八百を一人残らず討つという作戦だと言っている。ロイスにとっては、耳を疑う内容だ。
「ご領主様が戦っているのに、家臣が逃げるわけにはいかないよね? 逃げないなら全滅は可能だ」
「……助けた八百は当てに出来ない」
「最初から当てにしていない。もちろん、戦力になってくれればありがたいけど、足を引っ張られてもね」
参戦するのは黒色兵団のメンバーだけ。最初からそのつもりだ。
「最初からか……」
不確実な戦力を考慮から外した上で、この作戦。それは八百の敵を討つ力が黒色兵団には、レグルスを除いたメンバーにも、あるということ。そういうことだとロイスは考えた。
「始まった」
両軍勢がにらみ合う中央で、レグルスとサイリ子爵の一騎打ちが始まった。先手を取ったのはレグルス。素早い動きでサイリ子爵との間合いを詰めると、低い施政から剣を振り上げる。反応が遅れたサイリ子爵の腕は、レグルスの剣を受けて――そのまま跳ね返した。
「……ふふ、ふはははははっ! その程度か? それでは私の体に傷一つつけることは出来ないぞ!」
「……まさか……硬化?」
「ほう、知っているのか? ああ、そうだ! 我が一族に伝わる能力は【硬化】! 実戦で鍛えられたこの力は、ホワイトロック家のそれに勝るとも劣るものではない!」
サイリ子爵家の血筋に伝わる能力は東方辺境伯家、ホワイトロック家と同じ力。魔力で体を硬化させて、あらゆる攻撃をはじき返すというものだ。
「……拙いのではないか?」
攻撃が通用しない。それでは討ち取れるわけがない。計画に狂いが生じた、とロイスは考えた。
「そろそろ行くよ」
だがジュードに動揺は見られない。当初の計画通り、後ろに控えているサイリ子爵家の軍勢に突撃を仕掛けようとしている。
「おい? 大丈夫なのか?」
「他人の心配している場合じゃないでしょ? それともここで待っている?」
「……行くに決まっている」
少し遠回りをして、左右から黒色兵団のメンバーがサイリ子爵家の軍勢に襲い掛かっていく。右からはジュードとロイス、それにラクラン、セブ、ロスの五人。左から攻めるのはオーウェン、スカル、ヘイデン、シアレ、そしてアンガスのこれも五人だ。わずか十人で八百の軍勢と戦おうというのだ。
「一騎打ちの最中に卑怯な!」
「敵は少数だ! 撃退しろ!」
黒色兵団の接近に気が付いたサイリ子爵家軍も戦闘態勢に入る。陣形を整え、迎撃態勢を整えるサイリ子爵家軍。その陣形を突き破ったのは魔道具の爆発、それとラクランの魔法だった。
地面から突き上がる魔法の壁。その壁が割った陣形の隙間にジュードが突入する。
「うりゃああああっ!!」
雄たけびをあげながら剣を振るうジュード。それによってさらに乱れた敵の陣形にセブ、ロスが突っ込んでいく。
「攻撃にもなるのか……」
防御魔法を敵陣形を崩すのに用いる。ロイスは、これまでそういう戦い方を見たことがなかった。
「アオが堅い岩を放り投げるのと同じだろうと……ロイスさんは戦わないのですか?」
「あっ、いや、戦う」
敵は圧倒的多数。傍観している場合ではない。ロイスも慌てて、三人の後を追い、敵陣に攻撃を仕掛ける。
「……なるほど……そういうことか」
ジュードたちは圧倒的多数の敵を相手に、互角以上に戦っている。ロイスは自分が彼らの実力を見誤っていたことを、見誤されていたことを知った。陽炎をまとっているように見える彼らの体。体から魔力が漏れ出しているのだ。
そんな彼らをロイスは初めて見る。感じ取れる魔力以上の強さを彼らから感じていたが、それは実力を隠していたからだと判断した。
「さぼっていないで戦ってくれる!?」
「すまない!」
ロイスが知る以上の実力を見せつけているジュードたちではあるが、それでも状況は厳しい。サイリ子爵家の側にも当然、それなりに実力者はいるのだ。その実力者たちが前面に出てくると、数の差がより重くのしかかってきてしまう。
周囲の敵に剣を振るうロイス。その彼の実力もかなりのものだ。次々と敵が地面に倒れていく。
(……彼らがそうだということは)
だがロイスは目の前の戦いに集中しきれていない。もともと黒色兵団の、レグルスの力を見極めることが、入団した目的なのだ。ジュードたちが本気を見せている状況で、レグルスがどういう戦いを行っているのか気になってしまう。
(……あれは? 何だ?)
レグルスが持つ剣から噴き上がっている、炎のように見える黒い影。先ほどまではそんなではなかった。普通の剣を握っていて、黒い影など見えなかった。
「……何だ、それは?」
黒い影に驚いているのは、それを向けられているサイリ子爵も同様。つい先ほどまでそんなものは見えなかった。そもそも、持っている剣が変わっている。
「折れたから代わりの剣」
最初に持っていた剣は、サイリ子爵の硬化の能力によって折れてしまった。レグルスが今、持っているのはフルド族から譲られた剣。魔道石の剣だ。
「……そのような見掛け倒しに騙されるか!」
心に浮かんだ不安を振り払って、サイリ子爵は前に出る。自家の能力、硬化に絶対の自信を持っているのだ。それが思い上がりだと知らないで。
「騙しているつもりはないけどな。あっ、騙したか。最初に普通の剣で戦ったのは油断させる為だ。ちなみに硬化についても前から知っていた」
「馬鹿な……そんな馬鹿な、はずは」
レグルスの剣がサイリ子爵の体を貫いている。硬化の能力で、いかなる攻撃も跳ね返すはずの体を。
「魔法の基本だろ? 攻撃魔法も防御魔法も元となる魔力の質と量によってのその威力が違ってくる。絶対の防御魔法なんてものは存在しない」
魔法の強弱は、属性等による相性はあるが、原則、源となる魔力の質と量で決まる。防御魔法でなくてもその威力が相手の攻撃魔法よりも強ければ、打ち消すもしくは粉砕することが出来るのだ。もっといえば素の魔力であっても、同じことが出来る。
「そんなことは分かっている。それでも硬化は属性としての……馬鹿な……そんなことは……」
防御属性を付与された魔力は、守りという面で、より強化される。魔力が互角であっても防御魔法側が上回ることになる。これも魔法の常識だ。
それがそうならないということは、補正が意味をなくすくらい魔力がかけ離れているということ。それにサイリ子爵は気が付いた。気が付いたが、認めたなくなかった。
「馬鹿な、馬鹿なって……じゃあ、納得するまで考えていれば良い。お前にはまだ時間がある」
「時間?」
「お前が死んだら、さすがに皆、逃げるだろ? お前は家臣が全滅するまで生かしておく」
「なっ……ぐ、ぐあぁああああっ!」
足に突き刺されたレグルスの剣が、激痛をもたらす熱を感じさせる。生きたまま炎に焼かれているようで、サイリ子爵は堪らず叫び声をあげた。
「はあ……きっと俺もろくな死に方しないのだろうな」
サイリ子爵よりも遥かに多く、自分は人を殺している。その報いはいつか必ず自分の身に降りかかってくる。レグルスはそんな風に思った。恐れや不安はない。とっくに覚悟は決めている。それに、過去の人生に比べればマシ。そんな思いもあるのだ。
サイリ子爵が倒れたことで、家臣たちに動揺が広がった。彼らもサイリ子爵が負けるはずがないと考えていた。その過信が、守りの堅い館を出て戦うという誤った判断を許してしまった。危険だと思っていても、口に出して反対など出来なかっただろうが。