ホーマット伯爵家軍は万の軍勢を有している。この情報は任務についている王国騎士団の面々を驚かせた。数で劣っていても質で凌駕する、というのが最初からの作戦方針ではあったが、さすがにここまでの大軍であるのは想定外だったのだ。
この情報は速やかに王都にも伝えられることになる。だが、使者が往復する間、ただ待っているだけでいることなど許されない。現場は現場で対応を考え、それを実行に移さなければならないのだ。
その為にまずカート総指揮官が行ったのは、更なる情報収集。考えるにしても、もっと多くの情報が必要だったのだ。
「元々、伯爵家軍の数は多く、四千から五千くらいは抱えていたようです。常備軍としての数です」
このエリザベス王女の報告は、レグルスたちが捕虜にした男たちから聞き出したもの。すでにカート総指揮官の耳には入れているのだが、全体会議の場で改めて説明を行うことになった。
「どうしてそこまでの数を抱えていたのです?」
任務における立場としては一部隊の指揮官に過ぎないジークフリート王子にとっては、初めて聞く情報。すぐに疑問点を問いにした。
「それは我々が得た情報の中にはありません。それを知る立場にはない者からの情報ですから」
「そうですか……」
「情報を聞き出した相手は、諜報を任務とする部隊の所属ということです。具体的な数までは分かりませんでしたが、それなりに大きな組織のようです」
それなりに力のある貴族家であれば情報収集担当は抱えている。辺境伯家がそうで、かなりの数を雇っている。だがそれは、国境守護を任せられているからには他国の動向にまで耳目を広げる必要があるから。実際には国内にも情報収集の手は伸ばしているが、建前ではそうなっている。国境から遠い伯爵家とは状況が違うのだ。
「戦争に備えていた。国境から遠い中央部の貴族家が……姉上はこう思っているのですね?」
「私は何の結論も出していません。その立場でもありません」
結論を導き出すには、まだ情報が少なすぎる。軍とされているが、実態は犯罪の実行部隊である可能性もあるのだ。
「総指揮官はどう思いますか?」
結論付ける立場にいるのはカート総指揮官。ジークフリート王子はこう考えて、問いを彼に向けた。
「立場は違うが、結論を出していないのは同じだ。まだ全ての情報が頭に入っているわけではないからな」
「……すみません」
その全ての情報を確認する為に、この会議がある。ジークフリート王子の質問は早過ぎるのだ。
「説明を続けてくれ」
「はい。現在その数は三倍以上になっている模様です。徴兵によるものです」
「三倍以上……四倍、五倍である可能性もあるということだな?」
「徴兵は今もまだ続けられている可能性がありますから」
捕虜となった男は、徴兵を続けている状況で、任務遂行の為に軍から離れた。どれだけの数が集まったかまでは知らないのだ。
「追加の情報はあるか?」
「ご報告出来るほどのものはありません」
捕虜への尋問だけでなく、新たな情報源の確保もレグルスたちは試みている。その結果はまだ出ていなかった。
「分かった。では、続けて説明してくれ」
カート総指揮官は続けて、諜報部の人間に報告を求めた。諜報部も、当然だが、情報収集に動いているのだ。
「ホーマット伯爵は領内の情報統制を進めていたようです」
「情報統制?」
「王国はホーマット伯爵領で暮らす全ての人を討伐しようとしている。これを領民のほとんどが信じているようです。つまり、徴兵は強制されたものではない可能性が高い」
「そんな馬鹿な。王国はそのような残忍なことは行わない」
カート総指揮官としては、そのようなデマを領民が信じてしまうことが理解出来ない。王国はそんな風に思われてしまう悪政は行っていないはずなのだ。
「これはあくまでも想像ですが、自らの悪政を王国の命令ということにしていた可能性もあります。そういうやり方は珍しくないものです」
領民に重税を課すのは王国に命じられているから。こんな嘘で、自分への批判を逸らそうとする貴族は珍しくない。悪者にされている王国も、よほどの事が起きなければ、それを知ることはない。
領政への介入を行えば、それがその領地で暮らす民にとって正しいことであったとしても、他の貴族たちの反発を招くことになる。王国が積極的に動くことはないのだ。
「……最悪は領民全てが敵ということか」
「軍勢は、まだ断言するには早いですが、三か所に集結しようとしている模様です。ホーマット伯爵が潜んでいる可能性が高いとされる場所です」
「なるほど……潜伏場所の特定は?」
「命令とあれば強引な手段も考えますが、正直申し上げて、軍勢が集結し始めた今となっては難しいかと」
無理に潜入してもホーマット伯爵の居場所までたどり着ける可能性は低い。それが出来るのであれば、諜報部はとっくに動いている。その上、軍勢が集まり始めた今は、さらに難しい状況になろうとしているのだ。
「暁光騎士団は?」
「潜伏している建物の見取り図。使われている鍵の情報などは最低限必要となります」
レグルスたちでも、まったく潜入先の情報がない状況での行動は躊躇われる。無理してそれを行うくらいであれば、全部隊で攻め込んだほうが良い。こうも考えているのだ。
「……入手できるか?」
「入手できる状態で放置されているのであれば」
「そうだな……」
よほどホーマット伯爵が愚かでない限り、潜伏場所の情報を敵に奪われるような場所に置いておかない。手元に置いているか、すでに破棄しているかのいずれか。つまり、入手出来ないということだ。
「……可能性の高い場所を選び出すくらいまでであれば、なんとかなるかもしれません」
「それはどうやって?」
「ご命令を頂ければ」
自分たちの手の内を全て晒すつもりはエリザベス王女にはない。それがたとえ王国騎士団であっても。今回は共同任務ということで、レグルスと話し合って、あらかじめそう決めているのだ。
「……分かった。調査を頼む」
「承知しました」
「潜伏場所が分かったとして、次はどうするか。数千の敵がこもる砦を攻撃するには、さすがに味方の数が足りない」
一騎当千の強者たちと表現される王国騎士団の特選騎士とはいえ、実際に一人で千人の敵を相手に戦うわけではない。それでも野戦であればまだ戦いようはあるのだが、砦攻めとなればさすがに厳しいとカート総指揮官は考えている。
「援軍の到着はいつですか?」
隣接する領地の貴族家軍であれば、そう遠くない時期に到着するはずだ。それで数も揃うのではないかとジークフリート王子は考えた。彼としては、王都からの援軍を待って戦うという結論は避けたい。それでは白金騎士団の、自分の戦功が薄れてしまう可能性が高いのだ。
「数日中に到着する予定だ。ただ数は……いや、少ない方が良いのか」
援軍の数は多くても千。実際に派遣されてくるのは、恐らくは、もっと少ないはずだ。領内の治安維持が目的で、せいぜい盗賊退治くらいしか実戦がない貴族家軍がすぐに揃えられる数など、その程度。四、五千の常備軍を抱えているホーマット伯爵家が異常なのだ。
だが、その少ない数でも出来ることがある。カート総指揮官はそれを思いついた。
「援軍の第一陣が到着したら、すぐに行動に移る。そのつもりで備えていてくれ」
「「「はっ!」」」
◆◆◆
援軍の貴族家軍は五百。敵のホーマット伯爵家軍の十分の一程度の数であるが、それでも頑張って揃えたほうだ。新たに徴兵している時間はなかった。自領を空っぽにして、援軍として派遣されてきたのだ。
その五百の援軍が合流してすぐに、あらかじめ決めていた通り、王国騎士団は動き出した。領境の砦を避け、ホーマット伯爵領に続く街道を大きく迂回して領内に侵入したのだ。
砦からある程度、距離をとったところで街道に戻り、領内深く進軍していく王国騎士団。だが、その動きは砦のホーマット伯爵家軍に察知されていた。援軍の貴族家軍五百の領境への接近は目立つ。普通に見張っていれば、気付かないはずがないのだ。
砦を出て、王国騎士団を追う形で街道を進むホーマット伯爵家軍。その数は二千。五百の援軍を加えても六百程度の王国騎士団の三倍以上だ。
「足を速めろ! 追いついたらそのまま交戦だ!」
王国騎士団との距離がかなり詰まったところで、指示が出る。このまま一気に後背を突こうという作戦だ。隊列を整えることに拘らず、進む勢いを速めていくホーマット伯爵家軍。
「……とりあえず、優秀な指揮官はいないようですね?」
その様子をレグルスは、街道から外れた林の中から眺めていた。レグルスだけではない。エリザベス王女率いる暁光騎士団、潜伏地の調査に動いているカロとエモンたちを除いて、全員が揃っている。
「敵だぁああああ!」
「伏兵だ! 戦闘態勢をとれ!」
ホーマット伯爵家軍からあがった声。
「早っ。功を焦ったりしているのですかね?」
街道を挟んで反対側に潜んでいたジークフリート王子率いる白金騎士団が襲い掛かったのだ。
「焦ってはいるでしょうね? 前回の雪辱を、ということです」
ジークフリート王子の、彼の支援者の思いはエリザベス王女も分かっている。前回の任務を失敗と評価するのはどうかとエリザベス王女は思うが、支援者にとっては初めてジークフリート王子が自分たちの期待を裏切った出来事となっているのだ。
「なるほど。では、我々も少し頑張りますか」
「頼みます」
「行ってきます。じゃあ、ココとケル、護衛は頼むな」
「はあい」
エリザベス王女の護衛役はココとケル。林の中で潜んでいるだけであれば、二人?で十分だとレグルスは判断したのだ。
先に駆け出していたジュードとスカルがホーマット伯爵家軍に襲い掛かる。さらにオーウェン、ヘイデン、アンガス、シアレが続いた。
「挟み撃ちだ! 方陣! 陣形を方陣に!」
三十名にも満たない王国騎士団の襲撃に動揺しているホーマット伯爵家軍。
「……少なく見積もっても三分の二は素人か」
その様子を見たレグルスは、ホーマット伯爵家軍の多くが素人、ろくに訓練経験もない領民の寄せ集めだと判断した。それでも数は敵が圧倒的多数なのだが。
「正面から敵!」
ここで前を進んでいた王国騎士団と貴族家が反転して、攻撃を仕掛けてきた。ここまでは作戦通り。あとは全軍で攻勢をかけ、この戦場での勝利を確定させるだけ。
「これ以上の抵抗は無駄です! 降伏してください!」
アリシアが求める通り、降伏してくれれば、決着は早くなる。犠牲も少なくて済む。そうなのだが。
「戦え! 降伏する者は裏切りとみなし、処刑する! 死にたくなければ戦え!」
敵の指揮官はそれを許さない。
「下がれ! 下がって、隊列を整えろ!」
「決死隊! 敵を足止めしろ! 急げ!」
一旦、後退して体制を整えようとするホーマット伯爵家軍。王国騎士団はそれを許すまいと攻勢をかけようとするが、その前には敵が決死隊と呼ぶ部隊が立ち塞がった。
「武器を捨てて!」
「前に出ろ! 一人でも多くを道連れにするのだ!」
降伏を促すアリシアの声に、敵指揮官の非情な命令が重なる。決死隊はそう呼ばれる通り、自らを犠牲にして敵を倒す部隊だった。
「お願い! 降伏してください!」
重ねてアリシアが降伏を促すが、その声は敵兵には届かない。決死隊の兵は、ただ死ぬためだけに前に出てくる。貴族家軍の兵士相手であればまだしも、特選騎士とまともに戦える力などないのだ。
それでも怯むことなく、味方の屍を乗り越えて、前に出てくる敵兵。逆に貴族家軍の騎士や兵士がその異様さに怯んでしまう。
「言葉じゃあ、止まらないだろうな」
アリシアがどれだけ必死に呼びかけても無駄。レグルスはそう考えた。
「あれ、何なの? どう見ても普通の人だよね?」
ジュードの目にも敵兵は異常に映っている。剣もまともに触れない庶民が、死を恐れずに戦っている。その理由が分からないのだ。
「薬だろ?」
「ああ、そういうこと。それは、ある物は使うだろうね?」
ホーマット伯爵の罪は違法薬物の製造販売。その用途の多くは、後遺症も含めて、戦争での恐怖を忘れさせる為。その用途通りに使っているのだとジュードは理解した。非道だとはジュードも思う。だが、勝つためには手段は選ばずという考えを否定するつもりはない。
「これを知っても、あいつのやることは変らないだろうけどな」
「彼女はね。そして僕のやることも変わらない」
「ああ。忘れようとしている恐怖を思い出させてやれ」
「了解」
また最前線に向かって、駆け出していくジュード。どのような状況であろうと彼のやることは変わらない。アリシアとは、真逆とも言える、やり方だ。
「ぎやぁああああ!」
ジュードが最前線に向かって、すぐに絶叫が戦場に響く。もともと絶叫は響いていた。ただ声の大きさと凄惨さが違っている。
「良いねえ! その叫び! もっと聞かせてよ!」
「ぐぁああああっ!」
「まだまだ! もっと出せるよね!? どうすれば良い!? ここを刺せば良い!?」
「ぎやぁああああああああっ!!」
さらに大きく、長く響き渡る絶叫。あまりの残虐さに、周囲の戦いが一時的に止まったくらいだ。
「まだ死なないでよ! もっともっと僕を楽しませて!」
「がっ……」
死なないでと頼まれても、何度も体に剣を突き刺されれば死ぬ。死なないまでも、痛みと出血で気を失ってしまう。
「死なないでって言ったのに。まあ、良いや。次、君ね?」
「……た、助けて」
「駄目ぇ。助けるわけないよね!?」
「ぎぁあああああああっ!!」
そして次の犠牲者が生まれる。その犠牲者が死ねば、また次が。
「俺たちに刃を向けて、生きるという選択肢はない。これ以上ない苦しみを与えられて死ぬか、ひと思いに死ぬか。どちらかを選べ」
さらに血を滴らせた敵指揮官の生首を持って前に出てきたレグルスが、その首を敵兵の前に転がして脅しながら、選択を迫る。どちらを選んでも死、という選択を。
「……降伏してください。私は皆さんに生きて欲しい」
それに続いたアリシアの言葉が、ようやく敵兵の心に届いた。その言葉を否定し、戦いを迫る敵指揮官の多くがすでに殺されていることも、それを助けたのだが、この時点ではそれを為した者たち以外には分からないことだ。
ホーマット伯爵家軍の制圧は完了。王国騎士団は領境の砦を奪った。