領境の砦を奪った王国騎士団は、長くそこに留まることなく、進軍を開始した。他の貴族家軍も別の領境に到着する頃。その軍と合流を図る為だ。千に届かないであろう貴族家軍が単独で行動していては、数で優るホーマット伯爵家軍による各個撃破の標的になるだけ。速やかにひとつにまとまる必要があると判断したのだ。
ホーマット伯爵領を進む六百の軍勢。その進軍を遮る敵の姿はない。人々の暮らしも見えない。
「老人も子供もいない」
街道を逸れてすぐにところに集落がある。人の気配のしない集落だ。それを見て、アリシアは悲しそうに呟いた。
「さすがに軍に加わってはいないだろ? 俺たちが来たと知って、どこかに逃げただけだ」
いくらなんでも老人と子供まで戦わせることはしないはず。領境の砦にいたホーマット伯爵家の軍勢にはいなかったことをレグルスは知っている。
「逃げる必要なんてないのに……」
自分たちは犯罪者を捕える為に、この場所に来ただけ。そうであるのに、領民に殺戮者であるかのように恐れられているのが、アリシアは悲しかった。
「王都から離れた場所では、耳に届く王国の情報は少なくなる。さらに領主が自分に都合の良い情報だけを広がるようにしていれば、そうなるのも仕方がない」
「それは分かっている」
ホーマット伯爵が情報統制を行っていたことは、アリシアもジークフリート王子に聞いて、知っている。
「……どうでも良いけど、どうしてお前はここにいる?」
アリシアは何故か、レグルスの隣で、暁光騎士団と一緒に行軍している。戦闘が始まる気配はないとはいえ、任務中であることに違いはない。指示なく部隊を離れて良いはずがないのだ。
「それが……ちょっと気まずくて」
だがアリシアは指示なく、この場所に来ている。適当な理由を作って、ここに来ることはジークフリート王子には伝えているが、命令を受けたわけではないのだ。
「また何かやらかしたのか?」
「また、って何よ? 私、そんな風に言われるほど、頻繁にやらかしていないから」
しかもアリシア・セリシールではなく、本来のリサのような話し方をしている。周りにいるのは暁光騎士団だけなので、そんな態度を見せても問題になるようなことはないだろうが。
「じゃあ、何だ?」
アリシアの口調は、レグルスの話し方が畏まったものでないことも影響しているのだ。
「戦いを止めようとした」
「戦いを……ああ、あれか? あの無駄な努力な」
「殺す!」
「返り討ちにする」
二人のやり取りが問題を起こしたとすれば、それはココが不機嫌になっていること。それとエリザベス王女が複雑な表情を見せていることだ。
「話が進まない」
「お前がいちいち反応するからだ。それで、結局、何だ?」
いつものことだ。こうして会話の合間に意味のないやり取りを混ぜるのは、いつの間にか染みついた二人の習慣のようなものなのだ。
「私が戦いを止めようとしていたから、皆も戦いづらかったみたいで。最初の攻撃以外、ほとんど何も出来なかった」
初戦で白金騎士団は目立つ活躍がなかった。あるとすれば、アリシア個人が敵を降伏させたことくらい。それも暁光騎士団の活躍が、と表現するのを王国騎士団の騎士たちは嫌がるだろうが、あったからだ。
「えっ? まさか、戦功をあげられなかったと文句を言われたのか?」
「そんな風には言われていないけど……」
「意外。そんなに戦功に飢えているのか? それを悪いこととは思わないけど、戦った相手は軍人じゃない」
敵のほとんどは、急遽かき集められたであろう領民たち。徴兵経験もないのではないかと思うくらい、戦う力のない者たちが多かった。そんな敵相手に戦功を求めるのは、さすがにどうなのかとレグルスは思っている。
「いや、前回のこともあって」
「前回……カリバ族の時のことか?」
「そう」
カリバ族討伐任務でもアリシアは戦いになるのを止め、結果として白金騎士団は何もしないままに終わってしまっている。
「……罪のない人を殺さなくて良かったとは思わないのか?」
だがアリシアの説明で、レグルスはますます白金騎士団の騎士たちの考えが分からなくなった。白金騎士団が討伐しようとしていたカリバ族は無実だった。無実の人たちを殺さないで済んだのだから、アリシアに感謝しても良いくらいだと思っている。
「思っているよ。皆、そう思っている。ただ……」
「良く分からない。どういうことだ?」
レグルスには今一つ、アリシアの事情が分からない。カート総指揮官が率いる王国騎士団本隊の騎士、それも平騎士あたりが功を求めるのは、まだ分かる。騎士も生活の糧を得る為の職業のひとつと考えれば、戦功はより高い地位とより多くの金を得る為に必要だ。
だが、アリシアの仲間はジークフリート王子の騎士だ。評価はまた違うのではないかとレグルスは考えている。
「戦功を求めているのは、騎士たちではなく、王都にいる人たちということです。はっきり言うと、ジークに国王になって欲しい人たち」
事情を理解しないレグルスに、それを説明したのはエリザベス王女。アリシアが言いづらそうにしているのを見て、少し躊躇いを覚えたが、会話に割り込むことにしたのだ。
「……なるほど。それは分かりました。でも、それでどうしてこの女が気まずく感じるのですか?」
エリザベス王女の説明で状況は分かった。だが、それでもレグルスは、アリシアが気まずく感じる理由を思いつけなかった。
「それは、本人に聞いたらどうですか?」
「確かに。どうしてだ?」
「なんというか……板挟みになっている皆を、さらに私が追いつめているような気がして」
今回の任務では絶対にジークフリート王子を活躍させなければならない。白金騎士団の騎士たちは支援者から、そんなプレッシャーを与えられている。だがそう都合良く事が運ぶはずがないことも分かっている。白金騎士団として戦功は必要だ。だが、レグルスの言った通り、庶民を殺してまで得たいとは思わない。とはいえ、そんな甘い考えで戦功をあげられるのか。こんな風に気持ちを揺らしている中、アリシアだけが戦功という要素を無視して行動している。それが気まずい、というより申し訳なく感じてしまうのだ。
「……そんな苦労があるのか……でも、それについて、本人はどう考えている?」
「本人? 皆と同じだと思うけど」
「同じは駄目だろ? 本人はどちらなのかを、しっかり決めておかないと。団員はその意志に従うわけだから」
ジークフリート王子は白金騎士団の団長。団の方向性を決める責任があるとレグルスは思っている。それが曖昧だから仕える騎士たちは迷ってしまうのだと。
「……確かに。でも、期待に応えたいという思いがあると、簡単には決められないと思う」
支援者の期待に応えたいという思いと、無駄な血は流したくないという気持ち。ジークフリート王子もこの二つの感情の間で揺れているのだとアリシアは考えている。そう思うから、アリシアは自分の考えを押し通すことに躊躇いを覚えてしまうのだ。
「まあ、決めたとしても、お前は従わないだろうけどな」
「私だって! 納得すれば、従う……と思う」
反論を口にしようとしたアリシアだが、無条件で従うかとなるとそうではないことに気付いてしまった。罪のない、戦う力のない領民を殺せと命じられて、彼女が受け入れるはずがないのだ。
「……お前はそれで良い。自分の良心に正直でいろ」
アリシアは、正しい道を進んでいく。レグルスはそう信じている。そうあって欲しいと願っている。だから、自分が側にいてはいけないと考えたのだ。異なる道を進まなければならないと思ったのだ。
「……アオ。ありがとう」
だがアリシアにとってはレグルスが道標なのだ。レグルスが良いと言ってくれることは正しいこと。それに従っていれば、自分は自分が望む正しい道を歩める。正道を進むのは難しい。正しければ皆が支持し、付いてきてくれるわけではない。それはアリシアも分かっている。
レグルスは、揺らぎそうになる自分の心を支えてくれる存在。もし自分が間違ったとしても、正してくれる存在。だから自分は足を踏み出せる。アリシアは、改めて、そう思った。
◆◆◆
ホーマット伯爵は自家の軍を三か所に分散させている。自分が潜伏している場所を王国騎士団に知られない為だ。潜伏している可能性が高い場所と王国騎士団が考えている三か所は、いずれも守り易く攻めにくい。建物そのものは普通の屋敷のようであっても、濠と高い壁に囲まれており、進入路は限られている。そういう場所をあらかじめ造っていたのだ。
「王国騎士団が、こちらに向かってきているだと?」
その中の一か所に、王国騎士団が考えている通り、ホーマット伯爵は潜伏していた。その潜伏場所に王国軍が向かっているという情報が届いたのだ。
「はい。そうとしか思えません。新たな貴族家軍と合流したあと、まっすぐにこの場所に近づいてきております」
「忌々しい。どうする? 移動するのか?」
王国騎士団が三か所の中から選んだのが、たまたま本当の潜伏先だった。ホーマット伯爵はそう考えている。諜者に対する侵入対策には自信がある。実際に王国諜報部は潜入を躊躇った。だがまさか小動物が自分の居場所を探し当てたなんてことを思うはずがない。
「王国の見張りがいるはずですので、移動は危険です」
王国諜報部が見張りとして張り付いていることは分かっている。ホーマット伯爵がこの場所を出れば、必ず何かしてくるはずだ。ホーマット伯爵を捕らえてしまえば。それで王国騎士団は目的を果たせるのだ。
「この場所で戦うと?」
「どこかでは戦うことになります。そうであれば、守り易いこの場所を選ぶべきだと思います」
家臣には追い詰められているという感覚はない。少数の王国軍をまんまと自軍に有利な戦場に引き込んだ。勝てると思っているのだ。そう考えるのは当然だ。勝つために考えた作戦が、今の状態なのだから。
「では他の場所にいる軍勢を呼び寄せるか」
「はい。ただ、敵を引き付けてからのほうがよろしいと思います。まだ敵の策である可能性も残っておりますので」
移動させる軍勢は、守り易い拠点を出ることになる。それを王国騎士団は誘っている可能性もある。数は多くても、野戦となれば自軍が不利であることを家臣は理解しているのだ。
「敵に攻めさせるということか……」
ホーマット伯爵自身は、勝利に対する強い自信があるわけではない。負ければ自分は死ぬ。その恐怖が過信を許さない。
「簡単に落ちることはあり得ません。仮に援軍が来なくても、一か月以上は軽く持ちこたえてみせます」
「そうか……」
「この日の為に鍛え上げた軍です。王国騎士団相手であっても互角以上に戦えます。まして、数はこちらが圧倒的に多いのですから」
ホーマット伯爵家は軍事力の増強に力を入れてきた。犯罪に手を染めることまでして稼いだ金の多くは、その為に費やされた。この事実が家臣に勝利への自信を与えているのだ。
「……王国軍にはレグルス・ブラックバーンがいる」
「確かに彼の武勇は有名ですが、それは個人の力。軍同士の戦いで、勝敗を決するものではありません」
「お前は彼を知らないのだ。彼の才能は個の……いや、勇名に怯えていては戦いにならないか」
「……はい。自信を持って、戦うべきです」
そして家臣は、ホーマット伯爵が知っていることを知らない。レグルスは個人の武勇ではなく、軍を率いての強さで王国を驚かせたという前回の伯爵の人生における出来事を。
「……分かった。必要な措置をとれ」
「はっ」
命令を発する許可を得て、戦いの準備を進める為に部屋を出て行く家臣。その家臣の背中を見ながら、ホーマット伯爵は小さく溜息をついた。
「……なにがどうなっているのだ? どうしてこのようなことになる?」
溜息に続いて、口から漏れ出た嘆きの言葉。こんなはずではなかった。自分の領地に戦火が及ぶのは、まだずっと先のことであるはずなのだ。
その時の為にホーマット伯爵は自家の軍備を増強させてきた。動乱の時代を利用して成り上がろうという野心を抱き、その日に備えてきた。
だが今、ホーマット伯爵は王国の軍勢に攻められようとしている。しかもその王国軍の中には、成り上がりの機会を作ってくれるはずだった動乱を引き起こす存在がいる。ホーマット伯爵にとって未知の未来が訪れたのだ。