ホーマット伯爵領に向かう王国騎士団は、少数に分かれて移動している。まとまった数で王都を出ては、軍が動かなければならないようなことが起きたと、すぐに広まる。長年戦争続きのアルデバラン王国の人々は、そういう動きに敏感なのだ。その情報をホーマット伯爵の関係者が掴んでしまう可能性がある。ホーマット伯爵家の屋敷も王都にはあるのだ。
とにかく目立たないように、そして速く。これは暁光騎士団にとって得意なところであり、苦手でもある。多くがそういった移動は得意なのだが、エリザベス王女を同行させるとなると途端に移動速度は落ちてしまう。こういうことだ。
結果、レグルスたちは深夜に移動することを選んだ。昼間に馬車を全力で駆けさせていては、目立ってしようがない。だから人が移動しない夜に移動するというだけのことだ。
「だから俺は眠いの」
「アオなら一晩や二晩、寝なくても平気でしょ?」
そんな状況であるのにアリシアは、レグルスと話をしたいというだけで後を追い、居場所を突き止めてきた。レグルスにとっては迷惑なことだ。夜に備えて、昼間は寝ていたいのだ。
「お前な。目的地まで何日かかると思っている。ずっと寝ないでいられるわけないだろ?」
「今日だけ、それも今だけじゃない。私もすぐに移動しなければならないもの」
アリシアたち、白金騎士団は普通に昼間に移動している。ずっとレグルスと話をしているわけにはいかないのだ。
「我儘……相変わらずだな」
「少し話したいだけでしょ」
「……じゃあ、何?」
こうしている時間が無駄。諦めて話を聞こうと考えたレグルスだったが。
「冷たい態度」
「お前がそうさせるのだろ!?」
さらに数秒、無駄な時間を使うことになった。
「どうやって証人見つけたの?」
「秘密」
「けち!」
「そういうことじゃない。証人がどういう人かは隠さなければならない。ホーマット伯爵に言い訳を考えさせるわけにはいかないだろ?」
実際は、証人を提供してくれた人物の存在を秘匿する為。だがそれもアリシア相手に話して良いことではない。絶対に協力者には手を届かせないようにしなければならないのだ。
「じゃあ……カリバ族の人たちは?」
アリシアが本当に聞きたかったのはこのことだ。ただ聞くのには少し勇気が必要だった。必ず助かっていると考えられる状況ではなかったのだ。
「秘密」
「あのさあ……」
「無事であることは教えてやる。でも、どこで何をしているかは秘密。これは彼らを守る為」
カリバ族は無事に救出出来た。救えなかった人もいる。だが、可能な限り、多くの人を逃がすことが出来た。助けられなかった人たちは、レグルスたちの到着が間に合わなかったから。アリシアが守れなかったからだ。それを話すつもりは、レグルスにはない。
「そうか……良かった」
「いつか会える日が来る」
「ホーマット伯爵を倒したら会えるでしょ?」
レグルスの言う「いつか」は、かなり先のことのように聞こえる。ホーマット伯爵さえいなくなれば、それで彼らは居住地に戻れるはずだ。アリシアはこう考えていた。
「戻るとは限らない」
「どうして?」
「一番は違法薬物の運搬に関わっていた奴らがいないことを証明できないこと。街を襲撃した奴らが、全て死んでいることも同じだ」
証明出来なければ、カリバ族も罪に問われることになる。それを避けるには、誰かが罪を全て被って死ぬ必要がある。そういった選択をするほど居住地に戻りたいのかは、レグルスには分からないのだ。
「そうだった……」
「今いる場所は悪い場所じゃない。ただそれも俺がそう思うというだけで、彼らがどう考えるかは分からない。つまり、戻るとは限らないが、戻らないとも決まっていないってこと」
カリバ族が逃げ込んだ先はハートランド。ラクランの地元だ。盗賊が跋扈していた山中にカリバ族は隠れ住んでいる。隠れ住んでいるといっても、領主であるハートランド子爵は承知してのことなので、領内では不自由はない。ホーマット伯爵、そして王国から隠れているのだ。
「安心して暮らしているなら、それで良い」
「お前に感謝していた。さすがは俺の元婚約者だって」
「それって、何か違わない?」
それではレグルスが褒められていることになる。アリシアはそう思った。カリバ族の感謝の気持ちは本当だ。少しアリシアを揶揄う意味で、そういう言い方をしただけなのだ。
「違うか? さすがって言われているのに?」
「そうだけど……」
「元婚約者でもある。合っているじゃないか」
無理やり、アリシアを納得させようとするレグルス。こんな風にアリシアを丸め込むのが、レグルスは楽しいのだ。
「う~ん。まあ、良いか。アオが少数民族と呼ばれている人たちに信頼されているのは事実だし、私の言葉を信じてもらえたのも、アオの元婚約者という肩書のおかげだものね?」
「そうなのか?」
「そう。あっ、エリザベス王女も信用されているわね。フルド族の件が理由みたい」
「ああ。フルド族を守る為に領主軍に立ち向かおうとしたからな。そういう人に、それも王家の人になんて初めて会ったはずだ」
そもそも王家の人間に会うということ事態がない。昔はそうではなかった。被征服民である者たちを王国に融合させようと王家の人々は、様々な理由を作って、各地を訪問していた。だがそれは、いくつか襲撃事件が起こり、王国の力が圧倒的なものになるにつれて、なくなっていったのだ。
「……凄い人だね?」
「凄い……あまりそういう感覚はないけどな。お前に似ているとろこがあるからかな?」
「……どういう意味?」
馬鹿にされているのか、褒められているのか、良く分からない。アリシアも反応に困ってしまう。
「良く言えば真っすぐ、悪く言えば猪突猛進。こうだと思ったらそれに向かって迷うことなく進んでいくところ」
「ああ……まあ、そういうところはあるかも。エリザベス王女もなんだ?」
レグルスが言うような面は確かに自分にはあると思った。良い方策が思いつかないから、真っすぐ進むしかないという悪い意味で。それがエリザベス王女も同じというのは意外だった。
「そう。二人の違いは、リズは上品でお前は下品だってところだな」
「死ね!」
「お前になんて殺されるか!」
ふざけて殴りかかって来たアリシアの拳を掴んだレグルスは、そのまま彼女を引き寄せ、体を入れ替えて押さえつけてしまう。それほど力はいれていない。力を入れていないが、アリシアは動かないままだ。
「…………」
動かないまま、じっとレグルスを見つめている。息がかかるほどの距離。わずかに二人の顔が、さらにその距離を詰めようと動いた、のだが。
「…………俺の勝ち」
沈黙に耐えられなかったのはレグルスのほうだった。耐えたのかもしれないが。
「……負けた。これで何勝何敗?」
「もう覚えていない。何年前の話だよ?」
幼い頃、一緒に鍛錬していた時も、よくこうしてふざけ合っていた。その当時はもっと本気で、ふざけるというより鍛錬のひとつのようなものであったが。
「……リズって呼ぶのね?」
「えっ? ああ、王女殿下がそうして欲しいというから」
「へえ~。へえ~。へええ~~」
「なんだよ、その変な相槌? 別に親しくなったからこう呼ぶわけじゃない。なんだろう、疎外感? それが嫌らしい」
アリシアが向ける変な笑みに苛立ちながら、事情を説明するレグルス。
「疎外感? 何、それ?」
「うちの団、俺のことをアオと呼ぶ奴が多いし、口調もため口だろ? でも、リズに対してはそうはしない。苦手な奴もいるけど、きちんとした態度で接している。それが嫌みたいだ」
「……ああ、ジュードとか? 彼、きちんとした態度は偽物だものね? スカルだと話すこと自体を避けそう」
「その通り。それを感じたのかな? だからリズ。まあ、オーウェンやラクランにそう呼べと言っても無理だから、リズ様と呼ぶ奴もいる。ココは予想通り、リズ姉」
そのココは、実はすぐ横で眠っている。寂しいと言って、移動中はいつもレグルスの横で寝ているのだ。スカルが一緒なので寂しいはずがない。レグルスとずっと一緒にいられる機会に、さらに甘えようとしているだけだ。
「……リサ姉は忘れられちゃったかな?」
「そんな風に呼ばれたことあったか? ココには、どちらかと言えば、嫌われていただろ?」
「言うな。でも、良いの? 戦場になるかもしれない場所に連れて行って」
今回の任務は軍同士が衝突する戦争になるかもしれない。そのような場所にココを連れて行くのは、アリシアは心配だった。
「王都に置いていくことも出来たけど、ココがな。それに、出来るだけ一緒にいたいという思いもある」
「愛しているのね?」
「愛って……でも、そうなりたいとは思っているな。ココは俺と同じ、いや、俺以上に両親の愛情を知らない。幸運にも、俺にはそれを教えてくれる人がいた。父親は無理だけど、家族の愛情みたいなものは、ココにも感じさせたい。スカルと二人だけで生きるしかないとは思わせたくない」
親に愛されたことがない。その事実は、自分では分かっていなかったが、自分の心を傷つけていた。悪い方に向けさせていたとレグルスは思っている。ココとスカルに、そうなって欲しくないのだ。自分がマラカイとリーリエに与えてもらえた何かを、二人にも教えたいと思っているのだ。
「……私もそうしたいな。嫌わないで欲しいな」
寝ているココの頭を優しくなでながら、呟くアリシア。自分はレグルスの家族。レグルスがココとスカルに家族としての愛情を注ぎたいと思っているなら、自分もそうでありたいとアリシアは思う。
「どうして嫌われるのだろうな? お前、俺の知らないところでココを虐めたのか?」
「虐めるわけないでしょ!」
「また大声。ココが起きるだろ?」
「お前が大きな……そう、アオのせいだから。アオを私に……あれ? どうして私は駄目で、エリザベス王女は良いの?」
ココが自分を嫌うのはレグルスの婚約者という立場にあったから。レグルスを奪われたくないから。アリシアはそれが分かっている。だがそうであれば、何故、エリザベス王女は嫌われないのかという疑問が沸く。公式には何も決まっていないが、エリザベス王女とレグルスは将来結婚することが濃厚、ということになっているのだ。
「……お前が下品だから?」
「真面目に聞いているのっ!」
「さあな。第一印象とかじゃないか? リズにもらったドレスは、今もココのお気に入りだ」
レグルスにも理由は分からない。思いついたのは初めてエリザベス王女とココが出会った時のこと。王城に迷い込んだ、正しくは忍び込んだ、ココに対して、エリザベス王女は優しく接した。パーティーの場に相応しいおめかしをさせてくれた。
「物かぁ……」
「気持ちだ」
「そ、そっか……でも、気持ちにそんなに差がある?」
「ココに届いていないってだけだろ? 別に気にすることない。好きも嫌いも感情であることに変わりはない」
ココが、嫌いという感情をあからさまにするのも珍しい。好意か無関心のいずれかなのだ。そういう意味で、アリシアはココにとって特別な相手。悪感情であっても、特別であることに違いはないとレグルスは思っている。
「嫌われるより、好かれるほうが良い」
「それはそうだろうけど……でも、そんなに気にする必要ないだろ? お前にはお前の……あれだ……」
「何よ、あれって? それじゃあ分からない」
分からないが、良くないことであるのはレグルスが言葉にするのを躊躇ったことで分かる。だったら聞かない方が良い、とはアリシアはならない。レグルスとは、どういうことも話したいという思いがあるのだ。
「……何年かすれば、会うこともなくなるだろってこと」
「それは……そんなの全然、決まっていない」
曖昧な答えだが、レグルスが何を言いたいのかは分かった。ジークフリート王子の妃になればココとは、レグルスとも会うことはなくなる。そういう意味だと。
「それはあれだ。先約がいるから」
「先約だけで良いはず。私が続く必要はないわ」
アリシアもはっきりと「ジークフリート王子との結婚」という言葉は口にしない。レグルスとは何でも話したいという気持ちはあっても、例外はあるのだ。
「お前…………そろそ時間じゃないか?」
「はい?」
レグルスもこの話題を避けた。話題そのものではなく、これ以上、深くアリシアの気持ちを聞くことから逃げたのだ。
「出発の時間。のんびりしていて良いのか?」
「あっ、駄目。もう行かないと」
「じゃあ、急げ。ああ、外までは見送ってやる。超特別に」
「……ありがと」
確かに「超特別」だとアリシアは思った。レグルスが何を考えて、そんなことをしてくれるのかは分からない。だが断る理由はないのだ。
大きな荷物を、レグルスに持たせて、立ち上がるアリシア。そのまま二人は廊下に出て行った。
「……鈍感」
扉が閉まる音とほぼ同時にココがつぶやく。
「それは何に対して?」
その呟きに反応する声。声と同時に天井裏からエモンが降りてきた。
「盗み聞きは悪いこと」
「いや、見張りだから。俺の仕事。それにそれを言うならココだって、寝たふりして二人の話を聞いていた」
エモンが天井裏に潜んでいたのは見張りと護衛の為。アリシアが訪れている時にそれは必要ないかとも思ったが、レグルスは何度か命を狙われている。警戒を解くべきではないと考えたのだ。
「あの女に起こされただけだもの」
「あの女って……まあ、そう言いたくなる気持ちは分かるけどね?」
「何が?」
「二人とは違って敏感なココは、もっとも警戒しなければならない相手が誰か分かっているってこと」
ココがアリシアを嫌うのは、エリザベス王女以上に警戒すべき相手だと分かっているから。エモンはこう考えているのだ。
「…………」
エモンの言葉に、ココは無言。肯定も否定もしたくないということだ。
「彼女とはそれなりに長い付き合いだから擁護させてもらうけど、二人は特別だから。アオ様の話を聞いていただろ? ココとスカルが、二人だけで生きるしかないと思わせたくないって」
「……どういう関係があるの?」
「かつてのアオ様は頼れるのは自分だけだと思っていた。一人で生きて行こうとしていた。そのアオ様に仲間という存在を教えたのは彼女。彼女がいなければ今のアオ様はいない」
アリシアの存在がいつの間にかレグルスの支えとなっていた。さらにアリシアは、リキという仲間をレグルスに引き合わせた。アリシアの両親はさらに大きなものをレグルスに与えてくれた。レグルスの周りに多くの笑顔が集まるようになった。それをエモンは知っている。
「男女の関係とはまた違う。家族が近い。ココとアオ様と同じだ。彼女は良い姉だと思うけどな?」
「……したいと言った」
アリシアは「したい」と言った。「してあげたい」ではなかった。
「どういう意味?」
「なんでもない。ココ、眠いから寝る」
「はいはい。じゃあ、お休み」
今の話だけでココのアリシアに対する気持ちが変わるはずがない。エモンにもそれは分かっている。そもそもココの気持ちがどういうものかエモンには分かっていない。異性としての好意というには、まだ早いと思うのだ。