レグルスが立っているのは王都から一週間ほど西に移動した場所となる街道。王都を中心に四方に伸びる主要街道とは違う、そこから外れた支線というような道で、さらにその行き着く先は登山口とあって、道行く人の姿は見えない。そんな場所に、どうしてレグルスが突っ立ているのかというと、ある人と待ち合わせをしているからだ。レグルスが決めた待ち合わせ場所ではない。相手の指示だ。
こんなところでどうやって話をするのかと思いながら、相手を待っていたレグルス。だが、それはそれほど長い時間ではなかった。近づいてくる馬車。貴族家の馬車のような紋章などない。誰の物か分からない真っ黒な馬車が近づいてきていた。
「あれが?」
待っているのはレグルス一人ではない。今回の面会を仲介してくれた男も一緒だ。
「分からん。俺も会ったことはないからな」
ただ仲介者も相手に会ったことはないのだ。そういう存在なのだ。
「すぐに分かるか」
レグルスの目の前に止まったその馬車。中から出てきたのは厳つい体の男たち。それがレグルスが待っていた相手、ではないことはすぐに分かる。相手の顔も年齢も知らないレグルスだが、そういう風体ではないことを想像がつく、出てきた男たちが護衛であることも。
「レグルス・ブラックバーン殿?」
「叙位を機に、レグルス・ゲルメニアにでも改名しようかと考えているところですが、今はまだそれで結構です」
レグルスが応えるのを聞いて、仲介者は苦い顔だ。このような軽口を叩いて良い相手ではない。怒らせるわけにはいかないのだ。
「……どちらでも構いません。貴方が貴方であることに変わりはないのでしょう?」
馬車の中から聞こえてきた声。大声を出しているわけではない、落ち着いた低い声。だがその声は、馬車の外にまで届く、良く通る声だ。
「はい。ただ、その件でまずはお詫びを。王都で商いを行っている「何でも屋」のアオとして面会を申し込んでおりましたが、それは誤りでした。申し訳ありません」
仲介してくれた男とは、アオとしての繋がり。レグルスはアオとしてこの面会の仲介を頼んでいたのだ。だが、用件があるのは「何でも屋」のアオではなく暁光騎士団のレグルス。その誤りをレグルスは謝罪した。
「謝罪は無用です。ただのアオであれば、この場はなかった。私はレグルスという名の貴方だから会いに来たのです」
「ありがとうございます」
「会ってみたかったのは事実ですが、長く時間をとるつもりはありません。用件を聞かせてもらえますか?」
相手は自分の存在を隠している。裏社会では知らない者はいない存在であるが、その顔も本当の素性も隠されている。そうしなければならない立場。いつ誰に命を狙われてもおかしくない身なのだ。
「用件は貴方がホーマット伯爵領で行っている商売のことです」
「何の話でしょう?」
「まずは話を聞いてください。そこでの商売について提案があります。手を引いてください。言い方を変えると切り捨てていただけませんか?」
相手は、ホーマット伯爵の犯罪に関わっている。違法薬物を取り扱っている元締めがこの相手、相手の組織なのだ。
「……やはり、何の話か分かりませんね?」
だが相手はその商売を認めない、認めるはずがない。問答無用で死刑となる罪。そして話しているレグルスは、形式だけとはいえ、王国騎士団の人間なのだ。
「ホーマット伯爵はすでに王国に目を付けられました。より詳しい、専門家による調査が入る可能性があります。私としてはそういう面倒なことになる前に、事件を解決したい。ホーマット伯爵に罪を償わせたいのです」
相手が商売を認めないことは、レグルスも最初から分かっている。認めてもらう必要もない。レグルスが必要としているのはホーマット伯爵の犯罪の証拠だけ。とにかく要求を伝え、それに相手がどう応えてくれるかだ。
「そのホーマット伯爵はどういう罪を?」
「違法な物を製造し、それを売って、利益を得たという罪です」
「そうですか……製造から販売までの全てを、そのホーマット伯爵が?」
「はい。全てを行っておりました。ただ、その証拠がない。貴方はある種の世界では顔が広い。ホーマット伯爵も知っている可能性があると思って、手を切ったほうが良いと、失礼を承知で、助言させてもらっています」
あくまでも目的はホーマット伯爵。相手には一切、手を伸ばすことはない。そうレグルスは約束をしている。
「そうですね。色々と悪いこともしていますから。分かりました。忠告を受け入れましょう。そのホーマット伯爵とやらとは、今後一切関わりません」
「それだけですか?」
「繋がりのある者がいたら、それを差し出しましょう。どう扱おうが、貴方の勝手です」
「……ありがとうございます。ただ、本当にどう扱っても良いのでしょうか?」
証人となる人間を差し出してくれる。そういう意味だとレグルスは理解した。ただ、その者は確実に死罪になる。それでも良いのかを、一応、念押ししてみた。
「かまいません。私にも、私の組織にも関わりのない人間です」
「そうでした。では、ご厚意に甘えさせていただきます」
あくまでも自分と、自分の組織は無関係。そういうことでなければならない。だからこそ協力をしてもらえる。その証人をどうやって用意するのかは分からないが、それは知る必要のないことだとレグルスは理解した。
「……短い時間ですが、思っていた通りの人物のようですね? 次はもう少し、ゆっくりと時間を取りましょう」
「……ありがたいお言葉ですが、それは無用です」
「おい?」
レグルスの言葉に、仲介者が思わず声を漏らした。レグルスは相手の好意を拒絶した。それは危険なことだと考えたのだ。実際にその通りだ。
「……何故ですか?」
「私は必要に迫られて、今回こういう話をさせてもらいました。ですが、貴方の商売そのものは受け入れていません。この先、もし王国からの命令があれば、迷うことなく貴方の敵となります」
さらにレグルスは、仲介者が怯えるようなことを口にしてしまう。実際に護衛役の男たちの雰囲気も険しいものに変わった。
「……ひとつ言っておきましょう。貴方の言う商売の客は庶民ではなく、そのほとんどが貴族か軍人です。これは知っていましたか?」
「いえ、知りませんでした……その先が庶民……いや、違うのですね? もしかして、理由は戦争ですか?」
違法薬物は快楽を求める為のものではなく、戦争の、死の恐怖を薄れさせる為のもの。その可能性をレグルスは考えた。
今は大きな戦争は起きていないが、戦場から戻ってきてからも苦しんでいる人たちがいる。それをレグルスは知っている。異常な精神状態が原因で裏社会に落ちる人がいることを、聞いていたのだ。
「理由は戦争そのものではなく、戦争を作り出す世の中です。もちろん、全てがそうだとは言いません。私は善人であろうと思っていませんから。ただ、そういう事情もあるということは、貴方に知ってもらいたいと思いました」
自分に罪があることを否定しようとは思っていない。自分が悪であることは認めている、受け入れている。だが、全てを罪を犯した当人たちだけに押し付けられるのは納得がいかない。そうしなくてはならない者を生み出したのは、誰の責任なのか。これを王国貴族の最上位であるブラックバーン家のレグルスに言いたかった。
「……貴族にも、騎士にも、そういう世の中を変えたいと思っている者はいます。これは分かってください」
「貴方もその一人ですか?」
「いえ、違います。私は世の中を良くしようなんて考えていません。目の前にあることを、自分の都合の良い結果にしたいだけです」
世の中を良くするのは自分の役目ではない。この気持ちはずっと変わらない。それがアリシアにはないレグルスの強さであったりするのだが、レグルス本人はそう思っていない。
実際にそうだ。強さの種類が違うだけ。アリシアにもレグルスが持たない強さがあるのだ。
「……やはり、もう少し語り合いたい相手ですね。ですが、今は諦めましょう。他に用件はありますか?」
「いえ、改めて今回のことの御礼と、無礼をお詫びします」
その場で、深々と頭を下げるレグルス。それを見て、険しかった護衛の男たちの顔が戸惑いに変わる。彼らの主は力を持つ存在であるが、裏社会の人間。ブラックバーン家の公子が、元なのだが、頭を下げる相手ではないことは分かっている。
「……デッド。今回の仲介役、ご苦労でした」
「は、はい」
いきなり声を掛けられて、仲介者のデッドは声を震わせている。彼にとっては予想外の出来事なのだ。
「行きますよ」
「はっ!」
主に促されて馬車に乗り込む男たち。その間もずっとレグルスは頭を下げたままだ。馬車がゆっくりと動き出してからも。
レグルスの頭が上がったのは、馬車がかなり遠ざかってからだった。
「……ビビったぁ。顔も見えないのに感じる気。やっぱ、大物は違うな」
「馬鹿野郎! ビビったのは俺のほうだ! 怒らせていたら、仲介した俺まで殺されていたのだぞ!?」
「殺されなかっただろ?」
「そうだけど……運が良かっただけだ。しかもかなりの幸運だな……名前を呼んでもらえた」
この仲介者も裏社会では結構な顔だ。だからこそ、裏社会のドンと呼ばれる相手に話を持って行くことが出来たのだ。だが、そこまでが本来は限界。本人は話しかけることも許されない。それが当たり前の相手。その相手に名を呼ばれ、労われたという事実は驚きでしかなかった。
「……分かっていたつもりだったのにな。自ら望んで罪を犯している人は実際には少ないってことは」
自分の欲望を満たす為に悪事を働いている。この考えは、裏社会の人たちを知ることで、正しくないことだと分かった。中にはいる。一度味わった欲望の充足を忘れられずに、罪を重ねる者もいる。だが、始まりはそれぞれ、様々な事情で追いつめられた結果。そうであることをレグルスは知った。知ったつもりだった。
「俺だって驚いた。まさか、あんなことを言う人だとはな」
世の中への、それを動かす権力者への不満。そんなものを抱いているとは思っていなかった。そういう者たちと上手くやって、財を築いているのだと思っていた。実際に上手くはやっているのだ。ただ内心を隠しているだけで。
「……やっていることはともかく、多くを生かしているという事実はある」
「おい? 俺もそのつもりだぞ?」
世間からはみ出した、はじかれた、普通の世界では生きられない者たち。デッドの下にもそういう者たちがいる。デッド自身も元はそうなのだ。
「そうだった、悪い、それと、ありがとう。今日の件は百回、御礼を言っても足りないな」
「あ、ああ。まあ、これくらいはな。何かあったら、またいつでも言ってこい」
当たり前に謝罪を口にし、普通に御礼を言ってくる。見下すことなく、蔑むことなく、対等に接してくる。怖ろしい一面がありながら、親しい相手には年下らしい甘えを見せてくる。デッドにとって、他の者たちにとっても、これがレグルスの魅力。頼まれると嫌と言えない理由だった。
◆◆◆
王国騎士団長による非常招集。それを伝えられたのはジークフリート王子と副団長のブライアン、そしてもう一人の副団長であるアリシアだった。
何か新しい任務が与えられることはアリシアにも分かる。だが、わざわざ王国騎士団長に呼ばれて、命令を伝えられる意味が分からない。それだけではない。集合場所の騎士団中央官舎の大会議室に入ると、そこには王国騎士団十旗将の一人、カート率いる黒犬軍の将官たちまでいた。白金騎士団だけに命じられる任務ではないということだ。
これだけの人数を、実際には王国騎士団の招集としては少人数なのだが、集めて発せられる命令とはどういうものなのか。アリシアには分からない。
「どういう任務なのですか?」
ジークフリート王子であれば、あらかじめ聞かされているはず。そう思って尋ねてみたが。
「分からない。こんな風に呼ばれることも聞かされていなかった」
ジークフリート王子も何も知らなかった。この時点では二人は知らないが、重臣会議で決定されて、すぐに招集されているのだ。事前に聞けるはずがない。
さらに二人を驚かせたのは。
「レグルス」「姉上まで?」
レグルスとエリザベス王女の二人も大会議室に現れたこと。暁光騎士団も任務に加わるということだ。ではレグルスはどういう任務か知っているのか。それを確認しようとしたアリシアだったが。
「待たせたな」
騎士団長が入室してきて、動けなくなった。動く必要もない。知りたいことは騎士団長の口から語られるのだ。
「緊急出動が決まった。目的地はホーマット伯爵領」
「えっ?」「嘘?」
目的地はまさかのホーマット伯爵領。前回の任務地だった。
「目的はホーマット伯爵と家臣たちの拘束だ」
じろりと、声をあげたアリシアとジークフリート王子まで睨みながら、王国騎士団長は話を続ける。
「言い訳のしようのない重罪。死刑確定の罪であるので、激しい抵抗が予想される。伯爵家軍との戦いも大いにあり得る。反乱鎮圧と同様だと思え」
「……団長、質問よろしいでしょうか?」
こういう場であるので、あくまでも王国騎士団の騎士としての態度で、ジークフリート王子は騎士団長に問いかけた。
「何だ?」
王国騎士団長の態度も部下に対するものだ。この場は王国騎士団の会議で、王国騎士団の将として呼んでいるのだ。騎士団の統制を乱さない為にも、そういうことを、王国騎士団長は意識して、明確にしようとしているのだ。
「ホーマット伯爵はどのような罪に問われているのですか?」
「違法薬物の製造、販売だ。死刑以外の罰はない」
「……証拠があるのですか? あ、いえ、我々はその証拠を見つけられなかったものですから」
自分たちが見つけられなかった犯罪の証拠を、王国はどのようにして見つけたのか。ジークフリート王子はそれが気になった。
「証人の証言に基づいて調査したところ、製造工場と倉庫に保管されている違法薬物を発見した。ホーマット伯爵は確実に黒だ」
「証人……」
「どのような証人かは情報秘匿の観点から説明出来ない。実際に私は知らない。今ここで知っているのは、エリザベス暁光騎士団長だけだ。正確には副団長もか」
正確には副団長であるレグルスだけ。そう言いたいのだが、ここで嫌味を言う理由はない。レグルスは犯罪の証拠を掴むという功績をあげた。それは嫌味ではなく、誉め言葉を与えるべきことだ。
「……そうですか。分かりました」
「逃亡の恐れもあるので、情報の秘匿と迅速な行動が必要だ。その為、ホーマット伯爵家の全軍と戦うには少ない数で、現地に向かうことになった。ただ、数では劣っても質では遥かに凌駕している。問題はないはずだ」
たとえ十倍の敵であっても勝てる。そういう軍であるはずだ。少なくともカート率いる黒犬軍は。王国騎士団長はこう考えている。白金騎士団を参加させるのは、前回任務の失敗を挽回する機会を与える為。そういう意見が重臣会議の場で出たからなのだ。
「総指揮官はカート。お前に命じる」
「はっ」
「白金騎士団、暁光騎士団はカートの指示に従うように。良いな?」
「はい」「分かりました」
くれぐれも勝手はしないように。本当はこう言いたいのだ。それもジークフリート王子とエリザベス王女ではなく、レグルスに直接。
「すぐに発ってくれ。物資は移動中に受け取れるように手配している。では諸君、健闘を祈る!」
「「「はっ!!」」」
次の任務はホーマット伯爵家との戦い。軍規模の衝突になる可能性がある。それを恐れる気持ちはアリシアにはない。恐れるどころか、喜びが心に溢れている。
「レグルス……」
カリバ族の人たちの敵が討てる。前回は何も出来ないままに終わったが、次は正面から堂々とホーマット伯爵を敵として戦える。そういう機会を作ってくれたのは、間違いなくレグルスだ。
「……今度はちゃんと働けよ。正面からの戦いはお前の得意とするところだろ?」
「ええ、任せて」
自分には自分の得意な戦いがある。今度はそれを活かせる番。レグルスの期待に応える機会だ。