ゲルマニア族との和解交渉を終えたエリザベス王女は、そのままゲルマニア族の居住地に向かった。彼女にとっては、こちらのほうが一番の目的。レグルスの母方の血、ゲルマニア族の人々との関係を深めたいと考えているのだ。
ブラックバーン家からはジャラッドとディアーンが同行することになった。ジャラッドはそれが護衛である自分の義務と譲らず、さらにエリザベス王女が受け入れを決めてしまうと、レグルスも拒絶出来ない。ディアーンは今後のことを考えてのこと。ゲルマニア族との窓口として、顔を売っておく必要があるからだ。
残されたベラトリックスとドミニクはモルクインゴンの街にすぐに戻った。この地に残っていても得られるものはない。ベラトリックスとしては、これ以上、忌々しい思いをすることも嫌なのだ。
「……ドミニク、何を考えている?」
ベラトリックスの怒りは分家のドミニクに向けられた。他に相手がいないというだけでなく、会見の場での差し出口を不快に思っていたのだ。
「ブラックバーン家にとっての最善を考えたつもりでおりました」
「領地を分け与えることが最善だと?」
「王国に別の領地を与えられてしまえば、レグルス様は王国の直臣だという立場が確立してしまいます。恐れながら閣下、そうなった時、周囲がどう思うかをお考え下さい」
「…………」
レグルスを追放したことに対して、ブラックバーン家内でも徐々に不満の声が高まっている。レグルスの良くも悪くも目立つ活躍を聞き、他家がブラックバーン家をどう見ているかを知り、最初はどちらかといえば賛成だった人たちも間違った判断だったのではないかと思うようになった。自分は関係なく、本家が勝手に決めたことだと言うようになった。
それをベラトリックスも知っている。
「閣下。レグルス様はゲルマニア族の次期族長になったわけではありません。本人は中立、はっきり申し上げればブラックバーンでもゲルマニア族でもないという態度を見せております」
「族長には、ずいぶんと打ち解けていたようだったがな」
「ディアーンから聞くところによると、あれが素顔です。族長に限ったことではなく、飾る必要のない相手にはああいう態度を見せるそうです」
「…………」
ドミニクの説明は、ベラトリックスの心を緩めることにはならない。ベラトリックスはレグルスにその素顔を一度も向けられたことがないのだ。
「誤解を解くべきです。レグルス様の誤解だけでなく、閣下の誤解も」
「私の誤解?」
「レグルス様は閣下の御子です。閣下とポーティア様との間に生まれた御子です」
「…………」
レグルスは父であるコンラッドの子。ブラックバーンではこの噂が広まっていた。そんなことはあり得ないと思った。だが、ポーティアがコンラッドに向ける信頼は、自分へのそれ以上だと知った。ベラトリックスの心の内の疑いは膨れ上がっていった。
「閣下、我々は誤ったのです。異民族とポーティア様を蔑み、向き合うことをしなかった。御子であるレグルス様とも向き合うことを避けた。彼の怒りを、苦しみを、誰も理解しようとしなかった」
「……そんなことは分かっている。誰よりも目を背けていたのは私だ。お前に言われなくても、とっくの昔に分かっている」
「閣下……」
ドミニクは知った。自分たちはベラトリックスの苦しみにも目を向けていなかったことを。コンラッドとポーティアの噂を、ベラトリックスがどういう気持ちで聞いていたのかを、考えることをしてこなかった。
「レグルスは幼い頃の記憶を失った。それに気づいた時、私は安堵したのだ。レグルスは私の仕打ちを覚えていない。一からやり直せるのではないかと」
「やり直せます」
「無理だった。あいつはそれ以前よりも、さらに遠くに行ってしまった。私は顔を会わせることも出来なくなった。それだけではない。あれは私を敵として見ている。レグルスにとって私は父ではなく、父親を殺した敵なのだ」
レグルスが自分に向ける感情にベラトリックスは気付いている。レグルスが執事のミゲルを殺した時から、それに気づいていた。恨まれる覚えが、ベラトリックスにはあるのだ。
だが、血の繋がらない男を父として慕い、自分を家族の敵と見ることには納得がいかなかった。やはりレグルスは自分の子ではない。そう考えて、納得しようとした。
「……モルクインゴンは引き続き任せる。戦いではなく、交渉でゲルマニア族を押さえろ。今のブラックバーンでそれが出来そうなのはドミニク、お前だけのようだ」
交渉相手はレグルスになる。王女の騎士団としての活動を続けるのであれば、ほとんど領地にいることはないだろうが、それでも窓口はレグルスになる。そのレグルスが交渉相手として認める相手は誰かと考えれば、今はドミニクしか思いつかない。もう一人のジャラッドはブラックバーン騎士団の副団長だ。モルクインゴンに置いておくわけにはいかないのだ。
「……閣下も、お忙しいでしょうが、またこの地を訪れてください。その時までには、バウリアン殿が安心して、この街に来られるようにしておきます」
「……無理ではないかな? 義理の息子に話を聞こうとすることなく、いきなり戦争を仕掛けるような相手だ」
「時間はかかるでしょうが、必ず」
「……そんな日が来るのであればな」
だがその日は来ない。ベラトリックスはこう思っている。今も自分は向き合うことから逃げている。レグルスからも、ポーティアの死からも自分は逃げ、ドミニクに押し付けようとしている。
分かっているのだ。だが引き返せない。ブラックバーン家当主、北方辺境伯の地位が引き返すことを許さない。
◆◆◆
丘陵地を超え、森に入り、山を登っていく。道はところどころ狭くなっている。馬車など通れない。馬でも一頭が通れるのが、やっとの狭さだ。こんなところに攻め込むことなど考えるべきではない。そう思うような道のりだ。
その険しい道が突然、開ける。そこがゲルマニア族の居住地。山々の間を開拓して作られた場所だ。
「……素敵な場所ですね?」
「…………」
エリザベス王女の感想にレグルスは無言。疑わし気な目を向けている。
「お世辞ではありません。自然豊かな美しい場所だと本当に思いました」
青々した緑が周囲を囲んでいる。遠くには高く険しい山々。青空に浮かぶ雲が近く感じられる。美しい景色だとエリザベス王女は思った。
「自然は豊かですね。自然だけは」
「嫌味を言わないでください。王都のような便利さがないのは分かっています。ずっと住み続けることの苦労も、なんとなくですが分かります」
この場所にはカフェも酒場もない。花街のような場所は、あるはずがない。商人がここまで来ることもない。多くを自給自足で賄わなければならないのだ。
「実際は不便とは思わないですけど……さすがに王女殿下は」
「私も慣れるようにします」
「いや、別にここでの暮らしに慣れる必要はないですから。こういうところだと知っておけば良いだけです」
エリザベス王女に対しては否定的な言い方をしているが、レグルス本人はここでの暮らしは快適だと思っている。疲れきっていた心と体を癒してくれた場所だということも影響しているが、元々、王都での暮らしも衣食住は最低限のもの。不便さを感じることがないのだ。
「R&g%r%%s!!(レグルース!!)」
「あっ、見つかった」
子供たちが駆けてくる。現れた一行の中にレグルスがいるのを、遠くから見つけたのだ。
「あれ?」
だが先頭を走っているのはゲルマニア族の子供ではなかった。
「レグルス~!」
名前を呼びながらレグルスの足に抱きついてきたのはココ。ココはレグルスと一緒に居住地に来て、交渉の間、残って待っていたのだ。
「どうした、ココ? 退屈だったか?」
「ううん。楽しかった」
「そうか。それは良かっ……ち、ちょっと? 皆、落ち着け! 危ないぞ!」
ココに続いて、次々と子供たちが足下に集まってくる。レグルスの足に抱きつける数は限られているが、そんなことは関係ない。子供たちは、レグルスに抱きつくことではなく、押し合いへし合いが楽しくなっているのだ。
「子供に好かれる男でして」
子供たちに押し出されてしまったエリザベス王女に、申し訳ないという気持ちもあって、バウリアンが声をかけてきた。
「分かっていたつもりですけど、大人気ですね?」
ココやカロ、騎士団にもまだ子供な二人がいる。二人とレグルスの様子を見ていれば、子供に好かれるのは分かるが、ここまで大勢に囲まれている姿を見るのはエリザベス王女も初めてだ。
「あれの母も子供に好かれていた。血の繋がりだけを理由にするのは、あれですが、似たところはあるのだと思います」
「好かれるのは子供だけではないようですが」
二人の会話にいきなりジャラッドが割り込んできた。
「ジャラッド殿……そういう方でしたのね?」
「当主の前では畏まる必要がありますので。ああ、団員たちの前でも」
ジャラッドはかなり気持ちを解放させている。これは意識してのことだ。レグルスは畏まった態度には、同じ畏まった態度で返す。交渉の場で、レグルスの祖父、族長もそうではないかとジャラッドは考えた。今回の訪問は関係改善を目的としている。ブラックバーン家の人間として同行しているのは自分とディアーンだけであるので、護衛としての態度だけでは駄目だと考えたのだ。
「ちなみにポーティア様は?」
エリザベス王女もジャラッドの軽口に乗ることにした。ゲルメニア族とブラックバーン家の関係改善はエリザベス王女も望むところ。個々人への悪感情はあっても、戦いなどないほうが良いと思っているのだ。
「娘に色目を使う男は、片っ端から叩きのめしてやりました」
「それは、やはり好かれていたということですね?」
「……そうですな。老若男女問わず、好かれていた娘です」
皆に愛される女性だった。だからこそ、娘の復讐という族長の私怨に、皆が同調した。ゲルマニア族の皆が、復讐の炎を燃え上がらせることになったのだ。
「母親だけに似たほうが良かったかもしれませんな?」
「ジャラッド殿、良いのですか?」
「告げ口されなければ問題ありません。告げ口されても、きっと自覚はあるでしょうから問題にはなりません」
ジャラッドの軽口は止まらない。ただこれも意識してのことだ。ベラトリックスへの印象を少しでも柔らかいものにしようと、わざと悪口を言っているのだ。
「そういえば……ジャラッド殿はポーティア様を知っているのですよね?」
「はい。お目にかかったことはあります。ただ親しく接する機会はありませんでした。ブラックバーン家はポーティア様に対して冷淡だった。これについては謝罪いたします。申し訳ございません」
バウリアンに向かって、頭を下げるジャラッド。ディアーンも後ろでそれに倣っている。
「……別に」
素直に謝罪を受け入れる気にはバウリアンはなれない。復讐は諦めた。だがそれは、ゲルマニア族全体のことを考えたからであって、恨みが消えたわけではないのだ。
「……これは父から聞いた話ですが」
「国王陛下ですか?」
「亡くなったコンラッド殿は悔やんでいたそうです。レグルスに母親の愛情を与えてあげられなかったと。レグルスが仲の良い人たちと楽しそうにしている様子を見ながら、涙を流して、そう語ったそうです」
花街を訪れた時のことだ。レグルスの母がゲルメニア族で、そのゲルメニア族の居住地にエリザベス王女が訪問することが決まって、国王はこの話を伝えた。何の役に立つわけでもないだろうが、知っておいたほうが良いと思ったのだ。
「コンラッド様が……信頼できる御方でした。この方であれば大丈夫と思って、娘を預けたのです」
だがその信頼は裏切られた。コンラッドに対する恨みは薄いが、ないわけではない。コンラッドからの申し入れがなければ、娘のポーティアがブラックバーン家に嫁ぐことはなく、早逝することもなかったのだ。
「……そのおかげで、レグルスが生まれました。私にはバウリアン殿とポーティア様の苦しみは分かりません。だから言えるのですが、レグルスをこの世に生み出した出会いは、正しいものだと思います」
「……そうかもしれません」
ゲルメニア族の里に笑顔が戻った。子供たちは大人に遠慮することなく大騒ぎをし、大人たちはそんな子供たちを見て、心からの笑顔を向けている。
レグルスが現れた時が始まりだった。子供たちが笑い、大人たちが笑顔を取り戻し、戦いは終わった。亡くなった娘は大切な存在をゲルメニア族の為に残してくれた。バウリアンはこう思えた。