エリザベス王女とゲルメニア族との交渉とは異なる時と場所でも、王国と少数民族との間で交渉が行われている。少数民族は王国中央北西部に暮らすカリバ族。王国側の交渉役はジークフリート王子だ。元々反抗的なカリバ族が大規模な反乱を起こそうとしている。暴発を止めて、カリバ族を大人しくさせること。これがジークフリート王子率いる白金騎士団に与えられた任務だった。
任務はそうであっても、実際はすぐに戦闘になる。こうジークフリート王子は考えていたのだが、意外にもカリバ族は交渉のテーブルについた。あくまでも席についた、というだけであるが。
「王国に対する反抗は重い罪だ。これは分かっているはずだね?」
「我らは王国と戦おうとしていない。敵と戦うだけだ」
「だからその敵が王国だ。反抗は止めて、武装解除してもらえるかな?」
「武器を捨てれば、我らは滅ぼされる」
交渉はこのようなやり取りが、ずっと続いている。議論は平行線、というやつだ。
「恭順の意を示せば、滅ぼされることはない。反抗するから攻撃を受けるだけだ」
「我らは抗っているだけだ」
「だから反抗は重罪だと言っている」
議論が平行線なのは、どちらも歩み寄ろうとしないから。まずは武装解除が先とジークフリート王子は言い、カリバ族はその前に問題を解決しろと言う。お互いに相手を信用していないで、交渉を行っているからだ。
「……お前とでは話にならない」
平行線だった話し合いに変化が生まれた。良い変化ではないのは、明らか。決裂に向かおうとしているだけだ。
「私は父から交渉役を任されている。私以外の誰と話をするというのかな?」
「エリザベス様」
「……何だって?」
「レグルス・ブラックバーンでも良い。この二人を連れてこい」
カリバ族が交渉相手として求めているのはエリザベス王女とレグルス。王国が交渉を申し入れてきたと聞いて、てっきり二人が来てくれたと思い、交渉の席についたのだ。
「……姉上は遠い場所にいて、ここには来られない」
「問題ない。我らは来られるまで待つ」
「姉上が来ても同じだ。求めるものは武装解除であることに変わりはない。父上の命令が変わるわけではないからね」
もともとエリザベス王女がこの任務を受けるはずだった。それはジークフリート王子も知っている。だが、交渉相手であるカリバ族から交代を要求されるのは気分が悪かった。
「いや、違う。エリザベス様はフルド族を救った。我らはそれを知っている」
「それは……領主側に非があったからだ」
「ここでも同じだ。悪いのは領主。だがお前はそうであることを調べようともしない。ならば我らは、やはりエリザベス様に期待する。来てくれるのを待つ」
フルド族の居留地で起きたことをカリバ族は詳しく知っている。少数民族の多くは自ら望んで閉鎖的な暮らしをしているわけではない。他の部族、に限った話ではなく、様々な交流を行っている。フルド族はもっとも近い位置に暮らす、同じ少数民族であるので、より交流が深いというだけだ。
「……仮に、仮にだけど、領主に非があったとしても反乱を起こせば、罰せられるのはカリバ族になる。だから私は、まず武装解除をして欲しいと言っているのだよ」
では、我々は引き上げる、なんてことは間違っても言えない。ジークフリート王子はこの地で、しっかりと成果を得たいのだ。
「領主の犯罪を暴き、罰してくれれば、我らに戦う理由はなくなる」
「しかし、君たちはこれまで何度も反乱を起こしている」
カリバ族の反抗は今回が初めてではない。過去に何度も争乱を引き起こしている。領主を罰して終わりなんて言葉は、ジークフリート王子には信じられない。
「それは何度も領主が問題を起こしたからだ」
「そうであれば王国に訴えれば良かった。いきなり戦いを始めるべきではない」
「訴えれば、領主を裁いてくれたのか? 今、我らが訴えても、お前は聞く耳を持たないではないか」
カリバ族にも言い分がある。王国は少数民族の声に耳を傾けることなどしないという主張だ。
「聞く耳は持っている。私はただ、まずこちらを安心させて欲しいと言っているだけだよ」
「それはこちらの台詞だ。王国が本気で領主の罪を暴くつもりがあることを示して、我らを安心させて欲しい」
結局また話し合いは平行線に戻ろうとする。どちらが先に相手が望む行動に出るか。これの押し付け合いだ。
「では私が調べます」
「アリシア?」
ずっと黙っていたアリシアが、いきなり割り込んできたことに戸惑うジークフリート王子。交渉経験などない、団員でしかないアリシアには交渉する権限がない。黙って話を聞いているだけの約束だったのだ。
「ただ調べるには、貴方たちの協力が必要です。犯罪に加担した人がいますね? その人の持つ情報を全て、こちらに教えてください」
「お前……知っているのか?」
アリシアの話に驚いているカリバ族。アリシアの要求は、領主の犯罪を知っているからこそ。それもカリバ族がそれに加担していたことまで知っているとなれば、かなり詳しいことまで分かっていることになる。
「知っていることはわずかです。犯罪を暴くには、明確な証拠が必要。それを提供してください」
「……明確な証拠はない。関わっていた者たちは全員殺された」
「そうでしょうか? 実際には生きている人もいるのではありませんか? 犯罪に加担していたことを隠している人が」
生きているはずなのだ。カリバ族の反乱には二つの動機がある。一つは仲間を犯罪に引き込んでおいて、用なしとなると殺す領主の非道に憤りを感じて武器を取ろうとしているというもの。そしてもう一つは、自らの罪を隠す為に、追及から逃れる為に戦いを起こして、邪魔者を殺してしまおうという動機。本来、敵味方に分かれる者たちが、同じ陣営で反乱を起こそうとしているのだ。これをアリシアは知っている。敵は領主側だけでなく、カリバ族にもいるということを知っているのだ。
「……お前は我らを愚弄するのか? それとも嘘で我らを混乱させることが目的か?」
「そんなつもりはありません。ただ領主側だから悪、カリバ族だから善というのは違うと言っているだけです。何者であろうと罪を犯した人は裁かれるべきだと考えているだけです」
「お前……何者だ?」
自分をまっすぐに見るアリシアの瞳からは強い意志が感じられる。それを知り、カリバ族の男はアリシアの言葉を少し信じる気になった。
「私はアリシア。この肩書で貴方の信頼を得られるか分かりませんが、レグルス・ブラックバーンの元婚約者です」
アリシアが選んだ自分の肩書は、レグルスの元婚約者。相手の信頼を得る為に、一番良いと思われる肩書を選んだつもりだ。
「婚約者……だが元……つまり、今は無関係ではないか。振られたのか?」
信頼は得られなかったが、ずっと難しい顔をしていたカリバ族の男の顔を緩ませることは出来た。
「振られたというか……もともとレグルスとはそういう男女のそれではなくて…………でも、彼に恥じない行動をしたいとは思っています」
レグルスとの恋愛の話になって、少し恥じらいを見せるアリシア。だが、すぐにその瞳には強い意志が戻った。
この任務は本来、レグルスが受けるはずだったもの。代わりを務める自分は、レグルスに納得してもらえる結果を追及しなければならないとアリシアは考えている。レグルスの背中を追いかける為に、いつか追いつく為に。
「……分かった。我々も協力しよう」
「ありがとうございます」
その為の一歩をアリシアは踏み出すことが出来た。カリバ族はアリシアの言葉を受け入れてくれた。
「……アリシア……君は……?」
「ジーク、頑張りましょう。私たちは私たちの正義を追求しましょう」
「……ああ、分かったよ。アリシアの言う通りだ」
◆◆◆
エモンとその仲間たち、すでにエモンとその一族は、と表現したほうが正しいくらい協力する人が増えているが、それでも活動範囲は限られたものになっている。一つの一族で王国全土を網羅するなど無理な話。無理やり広げても良いことなどない。得られる情報が上辺だけのものになってしまうだけだ。
固定された拠点は移動を効率的にする為の場所、レグルスとの関りが深い場所に限定し、活動範囲は基本、レグルスの動きに合わせて移動してさせている。だがたまに、その少ない拠点から情報がもたらされることもある。今日届いた情報もそれだ。
「私が聞いても良いものなのですか?」
報告の場にはエリザベス王女も同席することになった。これは珍しいことだ。
「騎士団の活動に役立つ情報を集めているつもりです。団長である殿下が聞くのは当然です」
レグルスは別に情報を隠しているわけではない。通常はエモンに情報が伝わり、それをレグルスが聞いているので、こういう場を用意しないだけ。今日は、たまたまエモンが側から離れていて、直接報告を聞くことになったので、こういう場となったのだ。
「殿下……」
「えっ? ここでデレます?」
「デレって……考えてください。他の人たちと自分がいつもどのように話しているか。皆、貴方をアオと呼び、親し気に話します。貴方も」
特別レグルスとデレデレしたいわけではない。自分だけが殿下という畏まった呼び方をされているのが気に入らないだけだ。レグルスだけでなく、他の団員にも殿下とは異なる呼び方をされたいのだ。
「ああ……でも、殿下を止めても団長ですよ?」
「それは、ちょっと……」
「ええ、皆にリズと呼ばせようとしています? ココは躊躇いなくそう呼ぶでしょうけど、他はどうかな?」
オーウェンがエリザベス王女をリズと呼ぶ様子など、レグルスには想像出来ない。ラクランも絶対に無理だろう。呼べるとしたら、そういうことに遠慮のないココとスカル、二人につられてカロくらいだとレグルスは思う。
「……分かりました。良いです」
「拗ねなくても……じゃあ、リズ様くらいにしておきますか? それならオーウェンあたりも抵抗ないでしょう。ココ、スカルはリズ姉とか呼びそうですけど」
「……それにします」
殿下、団長に比べれば、かなりマシ。エリザベス王女は妥協することにした。
「ということらしい。リズ、リズ様、どちらでも」
「どちらでもと言われても……とにかく報告です。カリバ族の居住地に白金騎士団が向かっております。今はすでに到着しているはずです」
いきなり振られても報告者は困ってしまう。元は盗賊稼業に足を突っ込んでいた身だ。自国の王女を馴れ馴れしく呼ぶのは気が引ける。
「カリバ族……フルド族と同じ王国中央北西部か」
王国のどこにどういった少数民族がいるかは頭に入っている。暁光騎士団の担当武官であるレノックスがまとめてくれた情報だ。
「情報はフルド族からのもので、とにかくレグルス様に伝えて欲しいということでした」
「内容は?」
「もし白金騎士団の任務がカリバ族の討伐であるなら、なんとかして救って欲しいというものです」
「救うのはカリバ族側で良いのかな? 理由は?」
レノックスの情報では、カリバ族はかなり狂暴な部族となっていた。討伐に向かった側が返り討ちにされる可能性もあるくらいの。だが、フルド族が白金騎士団を救って欲しいと伝えてくるはずがない。
「カリバ族は領主の犯罪に巻き込まれています。若者を誘い、贅沢を覚えさせて、犯罪に手を染めさせるという手法です。良くある手です」
カリバ族相手でなくても、そういうことは行われている。裏社会の組織が手足を増やす為に、当たり前に行っていることを、貴族である領主が行ったのだ。
「なるほど……」
レグルスの視線がエリザベス王女に向く。王国には悪事を働く貴族がいる。エリザベス王女がそういう悪人を知ったのは、これで三人目になる。王国の王女として、どう思うか。それをレグルスは、少し、心配している。
「さらに秘密が漏れないように使い捨てにしていたようで、それを知ったカリバ族の長老会議が領主との戦いを決断したそうです」
「それで王国は白金騎士団を派遣した、か」
「カリバ族はお二人に来て欲しかったようです。フルド族にそのような相談をしていたと聞きました」
あからさまな動きは、エリザベス王女とレグルスを呼び寄せる目的でもあった。だが、それは上手く行かなかった。
「すでに戦いになっているとすれば、到着する頃には終わっているな」
白金騎士団は強い。人数差を物ともしない強さがあるはず。レグルスはこう考えている。ジークフリート王子とアリシアの実力を高く評価しているのだ。二人はそういう存在だと知っているのだ。
「それでも向かうべきではありませんか?」
「……戦いが始まっていない可能性はありますか……行く必要もない可能性も」
「それは……アリシア・セリシールがいるからですか?」
レグルスの思いを、エリザベス王女は正しく読み取った。レグルスがアリシアに向ける信頼を知って、少し胸が痛くなった。
「必ず善悪を見極めようとするはずですから」
何も考えることなく命令に従って、カリバ族と戦うような真似はしないはず。正しい道を探すはずだとレグルスは考えている。
「でも団長はジークです」
「……それでも自分が正しいと思うことを行うはずです……いや、本当かな? こんな風に持ち上げるのは間違いだな。やっぱり、行こう。それも大急ぎで」
だが、ふとアリシアは、リサはそこまでしっかりした人間だったかという疑問が湧いた。普通に周りに流されてしまう馬鹿だったのではなかったかと思った。
「……では命じます。レグルス、現地の状況を確認し、為すべきことを行いなさい」
「はっ」
急ぎの移動となると自分が付いて行ってはいけないことをエリザベス王女は分かっている。レグルスに全てを任せるしかない。任せるのは良いのだ。ただ、自分が置いて行かれるのは寂しかった。アリシアがいる場所にレグルスが向かうのに、付いて行けない自分が悔しかった。