アリシアはようやくレグルスと会うことが出来た。彼女の望んだ形ではない。レグルスが望むものでもない。レグルスのほうはアリシアに会うつもりはなかった。二人の共通の幼馴染であるリキたちが関係するこの件にアリシアを近づけるべきではないと考えていた。
リキとアリシア、さらにレグルスとの関係を知られることは、素性を知られることと同じ。アリシアがリサであったことは、レグルスにとって絶対に隠し通さなければならない秘密なのだ。
「お願いだから、もう止めて! これ以上、多くの人を巻き込まないで!」
「お前、何を言っている? 俺は今忙しい。そういう訳の分からない話は後にしろ」
アリシアの言葉は、レグルスには通じない。彼女が何を言いたいのか理解出来ない。確かにレグルスは行動を起こそうとしている。首謀者が集まっているという報告をエモンから受けて、そこに向かうつもりだ。
だがそれは多くの人を巻き込むものではない。その逆で少数の犠牲で終わらせるつもりなのだ。
「行かせない! これ以上、君に悪いことはさせない!」
「だから何を言っている!? 俺は急いでいるんだ! 邪魔をするな!」
「私は行かせないと言っているの!」
「……何のつもりだ?」
剣を抜いてレグルスの前に立ち塞がるアリシア。その行動にレグルスは戸惑っている。「一緒に行く」と言い出すのは、まだ分かる。レグルスが何をしようとしているかアリシアは分かっていないので、そんなことを言うはずがないが、そのほうが彼女らしいとレグルスは思う。
「私が君を止める。そう誓ったの」
「お前……何か勘違いしていないか?」
ようやくレグルスはアリシアの勘違いに気が付いた。何を勘違いしているかまでは分かっていないが、これから自分が行おうとしていることは、間違ったことではない。アリシアが止めようと思うようなことではないはずなのだ。
「勘違いだと言うなら、ちゃんと説明して」
「分かった。説明する。後でな」
「今して!」
「後だって言っているだろ! 俺は行かなければならないんだ! そこをどけ!」
レグルスにはアリシアの求めは、我儘に思えてしまう。レグルスは急いでいる。この機会を逃しては、次はいつになるか分からない。次などなく、第三の襲撃が行われてしまう可能性だってある。その可能性のほうが高いのだ。
「どかない!」
「……じゃあ、俺が避ける」
剣を持って目の前に立ち塞がったくらいでは、レグルスは止められない。ただ逃げるだけであれば、方法はいくらでもあるのだ。実際にレグルスは、あっさりとアリシアを躱すと、そのまま一気に屋根の上まで駆けあがって行く。
「アオ! 待って、アオ! 行かないで! お願いだから!」
いくら叫んでもレグルスには追いつけない。アリシアも同じくらいの動きは出来る。やったことがないので、本人が諦めているだけだ。
ただ同じ動きが出来たからといって、それでレグルスを追えるわけでもない。気配を隠して追跡を躱すのはレグルスが得意とするところ。それを追いかける力はアリシアにはないのだ。
「……アオ……行かないで、アオ……行かないでぇええええっ!」
彼女に出来たのは大声で叫ぶことだけ。これ以上は、もう能力も関係ない。涙で視界が滲んで、動けなくなってしまっている。
力を失い、その場に崩れ落ちるアリシア。その彼女を支えたのは。
「……ジーク」
ジークフリート王子だった。
「もう良い。もう良いから。これ以上、君が悲しむ姿を私は見ていられない。君を不幸にしたくない」
「……でも、私は……ん……あっ……」
アリシアは言葉を発することを邪魔された。重なるジークフリート王子の唇が、それを許さなかった。
「謝罪はしない。私が君を幸せにする。もう他の男のことで悩むことは許さない」
「ジーク……あっ、だ、駄目……」
またジークフリート王子は強くアリシアを抱きしめ、唇を押し付けてくる。彼らしくない強引さ。だがその強引さをアリシアは拒み切れない。仮に一時のことだとしても、涙を忘れさせてくれるジークフリート王子を拒み切れなかった。
そんな自分を見ている人がいるなんて、気づきもせず。
(……なるほどな。もう、そういう関係になっていたのか)
アリシアの涙声を聞いて、少し邪険にし過ぎたかもしれないと心配して戻って来たレグルスが、屋根の上から見つめていることなど、まったく気が付いていなかった。
(……まっ、収まるべきところに収まっただけだ。それだけのことだ……)
初めから分かっていたことだ。アリシアはジークフリート王子と結婚する。それが彼女の運命で、レグルスが望んでいた幸せの形。その通りに物事が進んでいるのだから、喜ぶべきだとレグルスは思う。頭でそう考えた。
(……あとはサマンサアンさんが、どういう形であっても無事であれば、か……)
それで自分の役目は終わり。この人生はレグルスが思い描いた結果で終わる。そうであるはずなのだ。
(……やば、時間がない。急ごう)
心を騒がす得体のしれない感情、頭に浮かぶ形にならない何か。それらを振り切る為に、レグルスは目の前のことに強引に気持ちを向ける。レグルスは全力でその場を離れて、目的地に向かった。
◆◆◆
王都郊外で襲撃事件を引き起こしている首謀者たちには、アジトと呼べるようなものはない。郊外にいくつもある農民たちが暮らす集落。それらの集落のどれもがアジトとして利用されている。ずっとそこに居続けることはないので、アジトというより会合場所と呼ぶのが正しい。
臨時招集がかかった今日も、それぞれ酒を持ってきたり、つまみを持ってきたり、農民が集まって酒盛りを開いているかのように偽装して、集落に集まった。
「次の襲撃までは会わないはずじゃなかったか?」
全員が揃ったところで打合せ、なのだが、まずこの臨時招集の理由を一人が尋ねてきた。次の襲撃に向けてのすり合わせはすでに十分に行われている。あえて集まる危険を犯す必要はないと思っているのだ。
「計画変更の必要性が出てきた」
「計画の変更? この期に及んで?」
もう実行を残すのみ。そうであるのに、計画変更となると、また同じようなことを繰り返すことになる。王国に気づかれないように襲撃準備を行うことは、かなり神経を使う。いつ捕らえられるかと怯えながらの準備だ。何度も行いたくはない。
「襲撃予定場所が知られた可能性がある」
「……別に構わないだろ? 今はどこも警戒している。知られていようと知られていまいと、そんなに変わらないはずだ」
農場主たちも怯えて暮らしている。次は自分の番かもしれない。そう考えて、出来る限りの警戒を行っているのだ。どの農場主を襲っても簡単な相手はいない。今はそういう状況だ。
「農場主だけが相手ならそうだ」
「それって……まさか王国が動いたのか?」
彼らにとって、もっとも起こって欲しくない事態。王国が軍を動かせば、確実に襲撃は失敗に終わる。それが分かっているから、王国が動けなくなる状況をなんとか作ってきたのだ。彼ら自身が動いたわけではないが。
「まだ可能性だ。それに襲撃場所が知られなければ良いだけだ」
「……そろそろじゃないか?」
「そろそろ? それはどういう意味だ?」
「そろそろ限界じゃないかってことだ。王国が動いたとなれば、もう襲撃は上手くいかない。計画は止めるべきだ」
首謀者たちも一枚岩ではない。最初は同じ志を持って行動を共にしていたが、徐々に考え方に差が生まれてきていた。失敗すれば死。その恐怖に耐えられない者たちが出てきたのだ。
「……襲撃は成功する。その為の計画変更だ」
中には恐れを抱くことなく、突き進む者もいる。信念が恐怖を凌駕している、ということではない。そういうことであったとしても、結果は変わらない。計画が完遂するまで止まることはない。
「仮に次、成功したとして、その次はどうなる? 失敗した後では遅いのだ」
「彼に失敗したとして、それが何だ?」
正しくは計画が完遂するまで止まらないのではない。自ら止まることが出来ないのだ。
「何だ? 何だって、何だ!? 失敗すれば大勢が死ぬ! 俺たちのせいで殺されるのだ!」
死の恐怖は自らの死に対するものだけではない。失敗すれば襲撃に加わった人たちが真っ先に死ぬことになる。自分たちの過ちで、多くの人が殺されるのだ。それへの恐怖もある。失敗するよりは計画を諦める。自らの死を避けるだけでなく、罪悪感から逃げる為にもそうしたいのだ。
「だから、それが何だ?」
「……何だ、だと?」
「大義の為であれば、少々の犠牲は仕方がない。それによって、より多くの人たちが幸せになれるのだ」
志を完遂する為には犠牲が出るのは仕方がない。これは別に特別な考えではない。正しくもない。大義を理由にして、多くの人を死に追いやった者は、過去において数えきれないほど大勢いるということだ。
「……仲間の犠牲を仕方がないと言えるのか?」
「より多くの人を救うためだと言っている」
「仲間の死をそんな風に割り切れるはずがない! お前はこれまで犠牲になった人たちを仲間と思っていないのだ!」
これまでの襲撃の中でも犠牲者は出ている。襲われる側も無抵抗ではいない。戦闘のプロではない農民たちでは。たとえそれが少人数での抵抗であっても、命を落としてしまう人はいたのだ。
「困ったな。指導者であれば、もっと広い視野を持て。我々は人々を導く立場だ。同じ高さで物事を見ていては優れた指導者とはいえない」
「……そういうことか。良く分かった」
「分かってくれたか」
「ああ、分かった。お前はそうやって他人を見下しているのだ。俺たちのことを仲間だなんて思っていないのだ」
この男は同じ考えを持てない。自分も雇われ農民の一人であることを忘れていない。
「……どうやら理解してもらえないようだ」
「ああ、俺はお前を仲間とは認めない」
「それはこちらの台詞だ」
「なっ……あっ、あああああああっ!」
男の絶叫が響き渡る。男の腹を貫いた剣先が引き抜かれ、そこから流れ落ちる血が床を濡らす。ゆっくりと膝をつく男。恨めしそうに目の前に立つ、元仲間をにらみつけるが、その瞳もすぐに光を失い、何も訴えなくなった。
「愚かな。所詮は雇われ農民程度が相応しい男。崇高な志など理解出来なかったか」
床に倒れている男を冷たい目で見降ろす男。殺された男が思った通りなのだ。この男は実際に襲撃を行う人々を仲間だとは思っていない。男の言う大義を実現する為の駒程度にしか見ていないのだ。
「なるほどな。俺もお前の志なんてまったく理解出来ないから、農民になろうかな? そのほうが救われそうだ」
「……誰だ?」
突然現れた相手に、少なくとも表向きは驚いた様子を見せることなく、男は問いを向けた。
「今言っただろ? お前の言う雇われ農民程度だ」
「……そうは見えないが、話を聞かれたからには」
「違う! 彼は! 彼は……レグルス・ブラックバーンだ!」
この場には現れた男、レグルスの顔を知っている者がここにはいる。サムだ。
「な、何だと?」
現れたのがレグルスだと知った男は、今度は驚きを表に出している。
「ちょっと予想外だった。もっと欲望が肥大した感じだと思っていたのに、大義? 志? どうしてそうなるかな?」
要求は肥大化する。その可能性は考えていたレグルスであったが、男の主張は予想外。どういう表現を使おうと要求が肥大化したことに変わりはなく、権力欲も欲望のひとつではある。だが、思っていたのと何か違うのだ。
「……我々が志を持つようになったのは貴方のおかげだ。それには感謝する。だからといって、貴方に我々を止める権利はない」
「お前たちを止めるつもりはない。自分たちだけで、勝手に王国軍に突撃をかけるのであれば、好きにすれば良い」
彼らが何をしようとレグルスには関係ない。死のうが殺そうが好きにすれば良い。好きにしてその報いを受ければ良い。だが、それに他人を巻き込むことは受け入れられない。まして、仲間とも思っていない人たちだけを死地に送り込むような真似は決して許せない。
「……残念だ。所詮は貴方も我々の踏み台に過ぎない……何?」
レグルスを貫くはずだった剣は、それを持つ腕ごと宙に舞った。真っ赤な血をまき散らしながら。
「……魔力か。まさかと思うが、魔力を使えるようになっただけで、そんな風に思い上がったのか? そんなものは特別でも何でもないのに」
背後から襲い掛かって来た男の動きは、明らかに魔力によって強化されていた。ただそれだけのことだ。魔力を使えるというだけで、レグルスに通用するはずがない。せいぜい憲兵隊の隊員とどうにか戦えるくらいだ。それだって、技では遥かに劣る。絶対に勝てるというわけではない。
「……殺せ! こいつを殺せ!」
膨れ上がった、中身のない自尊心が引くことを許さなかった。自分たちが縋っているものを否定されたのが許せなかった。そんな感情に支配されるなど愚かなことであるのに。
十人が二十人でも、レグルスに敵うはずがない。鍛え方も経験も比べものにならないのだ。
「……ア、アオ……こ、殺さないよな? お、俺は……」
わずかな時間で立っているのはレグルスとサムだけになった。
「殺すわけ…………逃げろ!」
「えっ?」
「囲まれている! 早く逃げろ!」
周囲を囲む何者かの気配をレグルスは検知した。油断だ。何かあればエモンが異常を伝えてくる。それに安心して、自ら周囲を探ることをしていなかった。
レグルスに言われて、慌てて建物外に飛び出すサム、だったが。
「動くな! 周囲は完全に包囲した! 無駄な抵抗は止めて、投稿しろ!」
すでに手遅れだった。
「憲兵……軍も混ざっているか」
建物を出たレグルスはそれを知った。周囲は完全に囲まれている。それでも逃げようと思えば、強行突破しかない。だがそれも。
「……レグルス・ブラックバーン殿」
「貴方は……なるほど」
早々に相手に素性を知られてしまった。顔を知る人物が、諜報部長がいたのだ。
「レグルス・ブラックバーン殿? それは本当ですか?」
さらに憲兵隊員もその事実を知った。そうなると強行突破は躊躇われる。真正面から憲兵隊に逆らうわけにはいかないのだ。
「本当です」
「……同行してもらいましょう。事情を聞かせてもらう必要があります」
すでにサムも捕らえられている。レグルスに抵抗する理由はなくなった。憲兵隊に周囲を囲まれて歩き出すレグルス。ただ、ひとつだけ気になることが残っている。
「……落とし物なら、ここではなく別の場所ではないかな?」
周囲を探っていたレグルスに、諜報部長が問いかけてきた。今、この状況で問うような内容ではない。
「……その場所を知っているのですか?」
だがレグルスにはその意味が理解出来た。気になっているのはエモンのこと。近くで見張っていたはずのエモンが、どうなったのかを知りたかったのだ。
「いや、知らない」
「そうですか。分かりました」
エモンは逃げた。それを責める気持ちはレグルスにはまったくない。正しい選択をしたのだと思っている。状況を分かっていて、自由に動ける人間がいるのは頼もしいことなのだ。
レグルスは農場主襲撃事件の重要参考人として拘束されることになった。