王都に帰還しているエリザベス王女一行。いよいよ王都外壁までたどり着き、残る旅程もあとわずか、となったところで想定外の事態が起きた。先に進むことを、外壁の門を守っている衛兵たちに止められたのだ。
「王都郊外で暴動が起こっているようです」
先に進めない理由を衛兵に聞いて、近衛騎士はそれをエリザベス王女に伝えた。
「暴動? それはどういうことですか?」
話を聞いて驚くエリザベス王女。郊外であっても、王都であることに違いはない。王都で暴動が起きたなどと聞けば、動揺しないではいられない。
「農民たちが農場主を次々と襲っているようです。襲撃に参加している農民たちの数は、把握出来ないくらい多いらしく、郊外はかなり危険な状況になっているようです」
農場主襲撃は最初の三件だけでは終わらなった。次々と雇われ農民たちが雇い主である農場主を襲う事件が起こり、郊外は混沌とした状況になってしまっている。といっても暴動という言葉から連想されるように、郊外が無法地帯になっているわけではない。誰が襲撃に参加していて、誰が無関係なのか。誰が狙われて、誰が安全なのかが王国には分からないので警戒するように、可能であえば引き返すように王都に向かう人たちに伝えているのだ。
「憲兵隊は何をしているのですか?」
そのような事態を何故、放置しておくのか。エリザベス王女には理解出来ない。農民といっても、すでに犯罪者。慈悲を与える相手ではない、少なくとも拘束はするべきだと思っているのだ。
「王都の民は襲撃を支持しているようです。悪いのは農場主のほうだと認識されています」
「そうだとしても移動を妨げるような真似をしている人たちを、そのままにしておく理由にはなりません」
「その襲撃を行っている人たちは、どんな主張をしているのですか?」
ここで、苦い顔をして黙り込んでいたレグルスが口を開いた。こうなる原因には心当たりがある。想定していた以上の状況であるようだが、少し読めている部分もあるのだ。
「ああ……王家の為とも言っているそうです。自分たちは王家への強い忠誠心から、悪党退治を行っていると宣言したと聞きました」
「実際に襲われた側が悪事を行っている証拠も示して、でしょうね。自分たちが正義であると思わせて……さすがに王国は騙されないか。騙されたのは一般の人々。世論を味方につけたってことですか」
自分たちの行動を正当化する理由。罪を軽くする為ではなく、罪を裁けないようにする為だとレグルスは考えた。実際にそれは成功した。王国が動けない間に、事態はますます悪化していくのだ。
「そのようなことが出来るのですか?」
「出来たから、今の状況になっているのです。問題はこの先……ここにとどまっていては分かりませんね」
「どうするのです?」
「先に進みます。話を聞きたい相手がいます。上手くすれば、もっと詳しい状況が分かるかもしれません」
レグルスの心配はリキたちがどうなっているか。暴動に加わっているとは思わない。だが加わらないことで問題が起きている可能性があるのだ。
「危険ではないのですか?」
「俺が襲われたら、彼らの主張が嘘であることが明らかになります。俺は王家の人間ではありませんが、農場主でもありません。襲われる理由はありません。彼らの主張では」
これでレグルスを襲ったら、彼らは王国貴族も敵視しているということになる。それは王家の為にはならない。貴族家は、守護家は王家の敵なんて主張を展開すれば、もう王国は動かないではいられない。襲撃者たちを黙らせなければならないのだ。敵視されていると思った王国貴族たちが動かないでいることを許さないだろう。
「それなら私も安全です」
「……そうかもしれませんが、まずは私が」
実際にエリザベス王女の言う通りだ。レグルスよりも、エリザベス王女のほうが襲われる可能性は低い。王家の為と主張している襲撃者たちが、王家の人間を襲うわけにはいかないのだ。
だがレグルスは、それでも慎重になろうとしている。わずかなリスクも回避したいのだ。
「いえ、一緒に行きます」
一方でエリザベス王女は、レグルスだけにリスクを負わせたくない。ドイル伯爵領での出来事のようなことは、もう嫌なのだ。
「…………」
「行きます。私も一緒に」
「……分かりました」
結局、レグルスのほうが折れることになった。実際のリスクはかなり低いと思っているからこその妥協だ。そういう状況で、レグルスが主張を押し通せるはずがない。エリザベス王女のわずかに潤んだ瞳が、それを許さなかった。
◆◆◆
先に進むことを決めたエリザベス王女一行だが、選んだ道は正反対。何日もかけて外壁沿いに東に進んで、最初の門とは真逆にある東門から王都に入った。同じ郊外でも東のほうが、レグルスにとっては勝手知ったる場所。それだけでなく、話を聞きたいリキがいるのは東側という理由もある。レグルス一人であれば、別に西から戻っても構わないのだが、エリザベス王女も話を聞きたいと言い出したのだ。先に、話を聞く相手がいることを伝えてしまったレグルスの失敗だ。
「アオ! 戻ったのか!?」
農場に行くとすぐにリキのほうがレグルスを見つけてくれた。待ちわびていた人物がやって来たのだ。リキはかなりの勢いで駆け寄って来た。
「久しぶりだな」
「ああ……この方は?」
レグルスの隣にいる、明らかに庶民とは異なる、上品な女性。さらにその背後には見た目も豪華な鎧を着た騎士がいる。この場所には似つかわしくない存在。その人に気が付いて、リキは戸惑っている。
「エリザベスです。レグルスが、いえ、貴方にはアオと呼んだほうが良いようです。アオが世話になっているようですね。ありがとう」
「エリザベス、さん……」
エリザベルと名乗られてもリキはすぐに正体に気づけない。それに名前よりも、まるで奥さんのような物言いのほうが気になった。
「馬鹿。エリザベス王女だ」
「……ええっ!? 王女? 王女ってあの王女か!? 嘘だろ!? 馬鹿はアオのほうだ! どうしてこんなところに王女様を連れてくる!?」
レグルスに教えられて、一気にパニックに陥るリキ。平民が王女とこれほど近づくことはない。姿を見ることさえ、王都の富裕層以外では、まずないのだ。
「どうしてって、話を聞きたいから。良いから落ち着け」
「落ち着けるわけないだろ?」
「それでも落ち着け。大事な話だ。郊外で何が起こっている?」
「……ああ、それか」
だがそのパニックも、郊外で起きていることの話だと聞いて、すぐに落ちついた。王女に会えたと浮かれている場合ではないとリキは思った。
「農場主を、雇われている農民たちが襲っているというのは聞いた。一か所、二か所ではないことも。何がどうなっている?」
「それは……」
リキの視線がエリザベス王女に向く。彼女の前でどこまで話をして良いのかと思ったのだ。
「過去の話はして構わない。どうせ関係あるのだろ?」
「……ああ。今回のことを主導しているのは前回と同じ奴らだ。ただ前よりも数はかなり増えている。いつの間にか仲間を増やしていたみたいだ」
「目的は知っているか? 待遇改善だけが目的にしては、やり過ぎだ。待遇改善どころか働く場所がなくなってしまう」
襲われた農場主が雇用を続けるはずがない。自分を襲った者たちなど雇えないというだけでなく、農業を続けるどころではないのだ。そうなると雇われ農民たちは仕事を失うことになる。
「はっきりとしたことは分からない。俺が聞いているのは、世の中の在り方を根本的に変えるということ。働く農民たちの為の世の中を作るということだ」
「大きな目的だな。ただそんな夢物語のような話だけで、皆が乗せられるはずがない。もっと具体的な方法があるな。実現出来ると思わせる方法だ」
「それは俺には分からない。誘いを拒否した俺に情報は入ってこない。ずっと見張られていたくらいだ。アオは何か分からないのか?」
具体的な方策まではリキは知らない。仲間になるのを拒否した段階で、情報が入らないようにされている。リキと、リキと一緒に働く仲間たちは、村八分のような状態にされていたのだ。村八分といってもリキたちとその家族だけで一つの集団を形成しているので、他の集団に無視されても実質的な問題は何もなかったが。
「……考えられるのは雇い主を変えること。自分たちに都合の良い雇い主、もしくは自分たちが雇い主になる」
「そんなの認められるのか?」
「普通は認められない。農地の所有者は襲われた人たち。他人の農地を勝手に使うのは違法だ。ただし、王国が特例として認める可能性はある」
自分ならどうするかをレグルスは考えていた。欠陥はあるが、実現する方法はないわけではない。
「どうして王国は認める? 何を訴えようと彼らは犯罪者だ。犯罪者を許すどころか厚遇するなんておかしいだろ?」
「認めなければ農地は放棄されたままになる。王都はいずれ食糧不足になる。いざとなれば、なんとかするだろうが、王都に暮らす人々の不満は募るだろうな」
郊外の農地は王都で暮らす人々の食糧庫。収穫がなくなれば、備蓄があるはずなので一定期間は持つだろうが、王都は食糧不足に陥ることになる。他所から調達する方法はあるが、それでは値段が高くなる。それに、無事に郊外を抜けて運び込める保証はない。
「それは……王国を脅しているのと同じだ」
「その通り。前回と同じだ。困るだろ? だったら俺たちの要求を呑め。最後はこうなる」
待遇改善を求めた時と、結局、方法は同じだ。農作地を押さえておいて、そこで働くことはしない。農民たちが働かなければ収穫はあがらない。それを避けたいのであれば、農民たちが従う者に農作地を与えるしかない。こういう要求になるとレグルスは考えている。
「そこまでのことを……」
「実際に考えているかは分からない。でも、きっと王国は俺と同じように考えている。だから手を出すのを躊躇う。全ての農民を処罰してしまっては、結局、農作業を行う人がいなくなるからな」
「そうか……だから雇う側である俺にも声をかけてきたのか」
リキは雇われ農民ではなく雇う側。彼らの襲撃を受ける側の人間だ。そうであるのに声を掛けてきたのは、自分のところで働く仲間たちの待遇が他とは違うからだと思っていたが、別の理由があったのだとリキは思った。
襲撃犯たちは、自分たちの意向を無視して働く農民がいては困るのだ。リキたちにそうされるのを防ぎたかったのだ。
「大丈夫か? 身の危険を感じるのであれば、すぐに中に逃げ込め。匿うことは出来る。家族全員でもなんとかする」
「……今は大丈夫。危なそうになったら頼む」
「任せろ。ああ、あの場所を使っても良い。逃げやすいほうを選べ」
「ああ、そうする」
郊外にレグルスは隠れ家を持っている。ディクソン家に紹介してもらった持ち主から借りた場所。それと本当に隠れ家として、自分たちで調達した場所の二か所だ。
ディクソン家の伝手で確保した隠れ家についてはリキも知っている。万が一、レグルスが行方をくらませなければならなくなった場合、リキとの繋がりを調べられる可能性がある。尋問を受けた時に、素直に白状する場所として教えてあるのだ。
「……何か聞きたいことはありますか?」
「……いえ、急いで城に戻らなければならないことは分かりました」
本当に王国はレグルスが考え付いたと同じことを理解しているのか。エリザベス王女は不安だった。それを急ぎ確かめなければならない。理解していない場合は、すぐに伝えなければならない。そう思って、少し焦っている。
「では、行きましょう」
「ええ」
エリザベス王女と一緒に馬車に戻ろうと歩き出すレグルス。
「あっ、そうだ! そういえば、仲間に頼まれていたことがあった」
「ん? 何だ?」
「ちょっと言いづらいのだけど……」
「はっ? 何だよ、それ?」
少し待って欲しいという意味でエリザベス王女と視線を合わせてから、リキのところに戻ったレグルス。
「……サムがあっち側にいる」
リキは小声でサムが襲撃側に加わっていることを告げた。これはエリザベス王女に聞かせるべきではないと考えていたのだ。
「……そうか」
それを聞いたレグルスは無表情。何も感じていないわけではない。負の感情。それが重ければ重いほど、レグルスは表に出さない。そうであることをリキは知っている。
「すまない。アオの忠告を無駄にしてしまった」
「いや。リキが悪いわけじゃない」
「……すまない」
本当はレグルスにも言うべきではないかもしれないとリキは思っていた。サムのことを聞いたレグルスは、何とかしようと動くかもしれない。レグルスが関わる必要のないことなのに、何の利もないのに、危険を冒してしまうかもしれない。
申し訳ないと思いながらも、それを期待している自分がいる。それをリキは謝罪したのだ。