月の文庫ブログ

月野文人です。異世界物のファンタジー小説を書いています。このブログは自分がこれまで書き散らかしたまま眠らせていた作品、まったく一から始める作品など、とにかくあまり考えずに気の向くままに投稿するブログです。気に入った作品を見つけてもらえると嬉しいです。 掲載小説の一覧(第一話)はリンクの「掲載小説一覧」をクリックして下さい。よろしくお願いします。 

SRPGアルデバラン王国動乱記~改~ 第108話 示された片鱗

異世界ファンタジー SRPGアルデバラン王国動乱記~改~

 王立中央学院と王国騎士団による合同演習は、学院ではなく王国騎士団施設で行われている。合同演習は、元々は年に一回行われる国王による王国騎士団視察の定例行事。王国騎士団を統べる立場である国王に日頃の努力の成果を示す、という王国騎士団の行事に、中央学院が参加するという形なのだ。これは過去に例のないこと。異例なことが行われるのには当然、理由がある。
 合同演習も最終盤。王国騎士団の三神将と十旗将に、王立中央学院の学院生が挑むという演習だ。一対一の立ち合いではない。総がかりでの、それも魔法の使用を許可しての対戦。何十人もが入り乱れての乱戦で、参加した学院生たち、それに来賓も楽しみにしていた演習だった、のだが。

「つ、強い……」

 実力を試す絶好の機会と勇んで挑みかかった学院生たちは、王国騎士団の将たちを前に、立ち上がれなくなるほどの敗北を喫することになった。

「君たちも中々、頑張った。ただ、王国騎士団のレベルにはほど遠いということだ」

「仕方がないだろ? 学院生の中でも王国騎士団に入団出来るのは一握りの人物だけ。確かめるまでもなく、多くがその程度の実力ということだ」

「それはそうか。わっはっはっはっ!」

 十旗将たちの、わざとらしい笑い声が響く。学院生には、はっきりと嘲笑だと感じられる笑いだ。怒りと屈辱で学院生たちの顔が変わる。彼らが楽しみにしていた演習は、思っていたものとは異なる形となったのだ。
 それはそうだ。元々、彼らが考えていたものとは違うものだったのだから。

「……圧勝という表現で良いか?」

「まあまあ、よろしいと思います」

 演習の様子を観覧席で見ていた国王の問いに答えたのは王国騎士団長。
 王国騎士団側は実質、対戦に参加したのは十旗将のみ、それも半分の五人だけ。それで四十人近い中央学院の学院生たちを、立ち上がれなくなるまで叩きのめしてみせた。騎士団長はそれでも不満が残るようだが、圧勝という表現は間違っていない。

「そうか……ここまでのことを行う意味があったかな?」

 まだ二年生の学院生を相手にやり過ぎ。国王はこう言っているのではない。

「若い者たちには、自分の実力がどの程度であるか、しっかりと認識させる必要がございます」

 実力差を認識させたいのは学院生たちだけではない。来賓として招かれている王国貴族の関係者たちにもだ。
 王国はこのところ何かと騒がしい。それは、王国が既に認識している反抗勢力だけが騒いでいるのではないと王国は考えている。反抗心を隠して、裏で糸を引いている貴族家がいるのではないかと疑っているのだ。
 この合同演習は、王国貴族に王国騎士団の強さを見せつける為のもの。王国は守護家の、それもかなり優秀と評価されている公子たちがいる二年生を狙い撃ちにして、それを行い、野心を持つ者たちを牽制しようと考えたのだ。

「……そうだな。どうやら私の判断は早過ぎたようだ」

 ここまで大がかりにして、どれだけの効果があるのか。この国王の疑念は、それを考えるのが早すぎた。まだ最後の演習は終わっていないのだ。

「……そのようです」

 学院生たちの中に、まだ立ち上がって十旗将に立ち向かおうとしている者がいる。

「よりにもよって……レグルス・ブラックバーンか」

 それがレグルスであることが、国王にはすぐに分かった。忌々しいという思いが、国王の顔に浮かぶ。これは父としての感情だ。国王としてはレグルス一人でどうにかなることではないと、軽く考えていた。

「ほう。まだ立ち上がるか。骨のある者もいるのだな。ただ気持ちだけではどうにもならないこともある。大人しく寝ていたらどうだ?」

 それはレグルスと向き合っている十旗将も同じ。四十人近い学院生を完膚なきまでに叩きのめしたつもりの彼らにとって、レグルス一人が立ち向かってきても何の脅威でもない。

「だってよ。大人しく寝ているか?」

「冗談でしょ? 私はまだ戦える」

 立ち上がったのはレグルスだけではない。アリシアも立ち上がって、前に出てきた。

「そうか……じゃあ、お前に任せようかな?」

「ちょっと!? 君も戦いなさいよ!」

 初戦で負けた悔しさと、再戦では必ず一矢報いるという強い気持ちが、アリシアに飾った言葉を忘れさせている。良くあることだ。こうして二人が並ぶのは久しぶりのことであるが、頻繁に会っていた頃は。

「俺は、こいつらの勝ち誇った顔が気に食わないから立ち上がっただけで、お前が代わりに、ぶちのめしてくれるなら楽するほうを選ぶ」

「それで気が済むの?」

「……済まないか。じゃあ、やるか。足引っ張るなよ?」

「それはこっちの台詞。ちゃんと後ろに下がって、私の背中を守ってね?」

 ついさっき完敗したはずのアリシアだが、不思議と今は負ける気がしない。その理由は分かっている。敵にするのは怖いが、味方であればこれほど頼もしい相手はいない。そう思うレグルスが横にいるからだ。

「仕方がない。私が相手をしてやろう。掛かって来なさい」

 前に出てきたのは十旗将の一人、黒犬軍のカート将軍だった。

「なんだろう? その上から目線が気に入らないのか? それとも……たんに嫌いなのか」

 はっきりとした理由は分からないのだが、十旗将の面々がレグルスはどうにも気に入らない。ちょっとした言動で心が苛つくのだ。過去の人生で何かあったのかもしれないと思ったが、考えても思い出せないのは分かっている。

「貴様のほうこそ、その態度は何だ? 騎士団では爵位は関係ない。軍の序列にあった礼儀を示すべきだろ?」

「俺、騎士団の人間じゃないから。なんかいい感じにムカついてきた。そろそろ始めるぞ」

「待ちくたびれた!」

 一足跳びでカートとの間合いを詰めるアリシア。

「遅い」

 だがその速さはカートを驚かせるものではない。不意を突くことは出来なかった。アリシアは。

「俺もそう思った」

「なっ!?」

 アリシアの剣を余裕で躱したつもりのカートに、レグルスが襲い掛かる。その動きはカートの予想の範囲外。余裕など見せられずに、カートはなんとかレグルスの攻撃を自らの剣で受け止める。

「わざとだっての!」

 そこにアリシアの追撃が、先ほどからは一段上の速さで襲い掛かる。それも躱せば次はレグルス。次はアリシア、と思わせてそれはフェイントで、またレグルスの攻撃が襲い掛かる。次々と繰り出される二人の攻めを受けるのに、カートは精一杯。反撃を行う余裕は見えない。

「なんだ!? なんだ、こいつら!?」

 初戦とは動きがまるで違う。乱戦の中なのでレグルスとアリシア個々を認識してカートは戦っていたわけではないが、これほどの動きを見せる学院生はいなかったはずなのだ。

「大勢いると邪魔なんだよ!」

「同じくね!」

 乱戦では動きが制限される。速さを得意とする二人にとって、大勢が入り乱れる乱戦は持ち味を発揮できない戦場だ。実際はそれだけではなく、お互いにお互いの動きが読める二人のコンビネーションにカートは戸惑っているのだ。
 それでも二人の攻撃を躱し、受け続けるカートが強いことは間違いない。

「……う~ん、もう一押しが足りない。何かあるか?」

「必殺技とか? まだそういうのは作ってない」

「まだって……作れるのかよ? だったら俺にも作り方教えろ」

 それでもレグルスは手応えを感じている。どのような相手であろうと戦うからには勝つことが目的なので、手応えだけでは満足出来ないが。

「今度ね。今は……どうする?」

「結局、俺かよ。一段上げる。遅れるなよ」

「嘘!?」

 レグルスにはもう一段上がある。それを知って驚くアリシア。だが、驚いている場合ではない。レグルスはすでにカートに襲い掛かっている。アリシアは慌てて、その後を追った。
 レグルスの動きは一見、さきほどまでと変わらない。一段速くなったわけではない。攻撃のリズムを変えたのだ。レグルスとアリシア二人のコンビネーションに苦戦していたカートは、その変化に咄嗟について行けなかった。ついて行けないようにレグルスが、ここぞというタイミングまで変化させるのを待ったせいだ。

「ぐっ、あ……」

 レグルスの攻撃をまともに受けたカートの口からうめき声が漏れる。それだけでは終わらない。カートが動きを止めた一瞬を狙って、レグルスは猛攻を仕掛けた。息つく暇もなく繰り出されるレグルスの攻撃。

「……あの野郎」

 それを見て悔しそうな声を漏らしたのは地面に座ったままのタイラーだ。レグルスの攻撃が自家の猛撃、本来の連撃を真似たものであることに気が付いたのだ。
 そのレグルスの攻撃に耐えきれず、ゆっくりと地面に膝をつくカート。まさかの光景に学院生たちからどよめきがあがる。

『立てっ! 立って戦えっ! ここで引いたら、二度と立ち向かえなくなるぞっ!』

 その瞬間をとらえたレグルスの激。王国の思惑など知らないレグルスであるが、ここで心をくじかれては駄目だということが本能的に分かっていた。十旗将たちが気に入らないというだけでなく、学院生たちの重苦しい雰囲気をぶち壊したいという気持ちもあったのだ。

「貴様っ!」

 十旗将のほうはレグルスが王国の思惑を知っていて、その邪魔をしようとしているのだと受け取った。余裕を捨て、レグルスの隙をついてでも倒してしまおうと動いた。だが。

「なっ、これは?」

 レグルスへの攻撃を阻む壁。その壁が完璧に十旗将の攻撃を受け止めてみせた。

「うおぉおおおおっ!」

 ラクランの防御魔法に動きを止められた十旗将の一人に、雄たけびを上げながらオーウェンが襲い掛かる。

「舐めるな!」

 そのオーウェンの剣を受け止める十旗将。だがそこに、オーウェンとは違い静かに、そして速くジュードが攻めかかった。腰よりも低く体を沈め、相手の足を狙うジュード。オーウェンの剣を受け止めたままの十旗将の反応が遅れる。

「ちっ」

 だがジュードの攻撃は別の十旗将に阻まれた。すかさず相手から距離を取るオーウェンとジュード。

『下がれ! 間合いを空けろ!』

 レグルスの声が響く。その意図は分からない。分からないが、再び立ち向かおうとしていた学院生たちは、素直にその言葉に従って、一旦、下がっていった。

『ラクラン! 棒柱だ! 全力でぶちかませ!』

 また訳の分からない言葉を発するレグルス。だが、その言葉の意味はすぐに分かることになる。誰の目にも明らかに。
 地面から突き上がる何本もの柱。その柱が十旗将たちを囲む。囲むだけではない。乱立する柱は、まるで木々のように宙に伸び、交差し、演習場の一部を森のように変えてしまった。

『タイラー! 柱の左翼に二人いる! 接近戦が得意な奴を何人か連れてぶちかませ!』

『おう! 行くぞ!』

『キャリナローズさん! クレイグ! 中央に来い!』

『分かったわ』『偉そうだけど、分かったよ』

 レグルスの指示で学院生たちが一斉に動き出す。何を始めるのか注意深く見ている十旗将たち。彼らにはまだ余裕がある。死にかけの敵が最後の力を振り絞っているだけ。戦場でも稀にある、一時的に実力以上の力を発揮する状態と思っているのだ。やがて力は尽きると。

『中長距離の攻撃が出来る奴も集まれ!』

 さらにレグルスは中長距離攻撃魔法を使える学院生を中央に集める。それに従って集まって来た学院生は十人ほど。

『あそこで澄まして立っている奴に全力でぶちかませ! 殺そうとしても死なないことは、もう分かっただろ!』

 集まった学院生たちに、柱の森の外にいる十旗将への攻撃を指示するレグルス。水火風土、属性混在の魔法が十旗将に向かって、一斉に放たれた。躊躇のない威力全開の魔法だ。

「少しは考えたか」

 初戦は入り乱れての乱戦。敵味方入り乱れている中、中長距離魔法を放つのは難しかった。まして今のように集団で攻撃するというやり方は、まったく行われていない。
 魔法の集団運用。これは戦術の基本だ。個の魔法は、特別な才能を持つ者のそれは別だが、それほど脅威ではない。魔法を使える特選騎士であれば防ぐことが出来る。離れた場所からの攻撃だ。避けることも難しくない。

「だが、この程度の攻撃!」

 十旗将は正面から防ぐことを選んだ。学院生が束になって魔法を使ってきても、それを防ぐ自信がその十旗将にはある。騎士団長、三神将に次ぐ王国騎士団の実力者なのだ。それくらいのことは出来る。出来ることを知らしめなければならないと思っている。
 実際に十旗将は攻撃を防いで見せた。魔法が消えた後、その場に立ったままの十旗将。ダメージは感じられない。

「この!?」

 だがそれは想定内。魔法で視界が塞がれていた隙に、キャリナローズが十旗将に突撃をかけていた。

「舐めるな!」

 だがその攻撃も十旗将には通じない。キャリナローズとの間合いを測り、剣を振り下ろす。その動きもまた、レグルスの想定内だと知ることなく。

「なっ? がっ……」

 キャリナローズは、剣を振り下ろすのが間に合わなくなるほどの驚くべき加速で、十旗将の懐に飛び込んだ。そのまま体当たりのような状態で鳩尾に剣の柄を、胸に肘を叩き込む。
 さらにその勢いに耐えきれず、地面に倒れた十旗将の顎にキャリナローズの膝が落とされた。

「……これ、どうなったら倒したことになるの? 首を落とさないと駄目なのかしら?」

 不適な笑みを浮かべて、倒れた十旗将の首に剣をあてるキャリナローズ。

「……味方に魔法を打ち込むって……レグルスの奴、とんでないことやらせるよね?」

 そのキャリナローズに近づいてきたのはクレイグ。キャリナローズの加速は彼の魔法のおかげ。後ろからキャリナローズの背中に風属性の魔法を撃ち込んだのだ。硬化を使った状態のキャリナローズの背中に。

「大丈夫。痛くなかったわ。さすがね?」

 自分にダメージを負わせることなく、加速を補助する。クレイグの絶妙なコントロールのおかげだとキャリナローズは考えている。

「次は通用しない。どうする?」

「私と貴方はレグルスとアリシアのコンビに負けるかしら?」

「……負けるつもりはないね。行こうか」

 奇襲がなくても十旗将に勝つ。二人の速さを組み合わせて攻撃すれば、レグルスとアリシアのように十旗将相手でも互角に戦える。二人はそう思っている。初戦の惨敗など忘れている。
 それは他の学院生たちも同じ。二人の十旗将を倒したという事実が、彼らに自信を取り戻させた。無策で、ただ相手に群がり戦うのではなく、小集団でそれぞれの得意を活用した戦法であれば通用すると彼らに思わせた。

「……騎士団長?」

 勢いは学院生たちにある。それは観覧席で見ている国王にも、はっきりと分かる。 

「醜態を晒しております。申し訳ございません」

「醜態を晒したままか?」

「いえ。恥の上塗りとなりますが、私自らでこの場を収めます」

「そうか……任せる」

 王国騎士団長自らが出て行く事態。それだけ王国騎士団側が追い込まれていると周囲は思うかもしれない。だが、このまま学院生に押し切られる事態は許すわけにはいかない。王国騎士団の将が学院生に負けたなどとなれば、それは王国騎士団の権威を貶めることになる。思惑と真逆の結果になってしまう。

『王国騎士団! 下がれ!』

 観覧席を立ち、演習場に向かいながら王国騎士団長は叫んだ。聞く者の心を震わせてしまう声。強い覇気を感じさせるその声に、王国騎士団の将たちだけでなく、学院生も動きを止めた。
 ゆっくりと歩を進める王国騎士団長に、皆の視線が集まる。ある意味、国王よりもずっと威厳を感じさせる佇まい。これが王国騎士団の、王国の全ての騎士の頂点に立つ人物であると、誰にも分からせた。

「戦いを止めよ!」

 改めて命令しなくても、すでに戦いは止まっている。誰もが、王国騎士団長が放つ覇気に抗えず、動けなくなっていた。

「このままだと負けちゃから、もう許して、じゃないの?」

「ジュード。本当のことを言ったら可哀そうだろ? 一応、騎士団の頂点に立つ御方だぞ? ごめんなさいって素直に言えない立場なんだよ」

 レグルスとジュードの二人を除いて。

「……学院生たちの戦いぶりは見事だった。それに敬意を表する意味で、この私がお相手しようと思う。三神将、十旗将、下がれ」

「「「……はっ」」」

 騎士団長の命に従い、その後ろに下がっていく将たち。騎士団長一人がその場に残り、四十人近い学院生に向かい合っている。

「そうくるか…………タイラー、キャリナローズ、クレイグ、皆と一緒に下がれ。ジュードとオーウェン、ラクランもだ」

「あら、呼び捨て?」「レグルス、一人では無理だ」

「少しは頭使え。これが正しい選択、のはずだ」

 一人でも、仮に全員で立ち向かっても結果は同じ。レグルスはそう考えている。そうであれば、立ち向かう相手は一人のほうが良い。それも自家を背負う立場にはない自分が最適だと考えた。

「……分かったわ。タイラー、クレイグ、下がるわよ」

 真っ先にレグルスの考えを読み取ったのはキャリナローズだ。まだ納得していない様子のタイラーの腕を取って、強引に後ろに連れて行く。クレイグも、少し躊躇いを見せたが、黙って下がっていった。オーウェンたちは、当然、レグルスの指示に従う。ラクランも同じだ。

「……良いのか?」

「ビビっている奴は足手まといになるだけだ。まっ、平気な奴もいるけどな」

「そうか……では、来い」

 覇気、というより殺気が王国騎士団長の体から放たれる。それを感じたタイラーが、悔しく思いながらも、後ろに下がったことは正解だったと思ってしまうほどの凄まじい殺気。物理的な圧力さえ感じる殺気だ。
 それは他の学院生も同じ。つい先ほどまでの高揚感は完全に消え失せ、戦ってもいないのに敗北感が心を占める。

「……それで本気か? そんなんじゃあ、俺は殺せねえぞ」

 その殺気の圧力を突き破ってレグルスは前に出た。その彼の背中を見るまでは――
 勝てないまでも、王国最強を謳われる騎士団長にたった一人で立ち向かうレグルスの背中は、それを見る学院生たちの心に広がっていた敗北感を突き破り、かすかではあるが、希望を与えることになった。

 

 

◆◆◆

 そしてレグルスの戦いは、来賓として招待され、観覧していた者たちにも、心に何かを残した。それが何であるかは人それぞれだ。それぞれの立場、心に宿しているものによって異なってくる。

「……アン。あれがレグルス・ブラックバーン。英雄と呼ばれる男だよ」

「英雄?」

 珍しく、少し興奮した様子の兄ジョーディー。レグルスを英雄呼ばわりまでする兄に、サマンサアンは戸惑っている。サマンサアンには、兄ジョーディーが感じているような気持ちの高揚はないのだ。

「ただ……英雄の片鱗を示すのは少し早かったね。彼を危険視する者は少なくないはずだ。その者たちがどう出るか……考えないといけないね」

「お兄様?」

「アン。君は今のままでいれば良い。自分の幸せだけを考えて」

 サマンサアンはレグルスと関わらせないほうが良いとジョーディーは思うようになっている。状況はサマンサアンにとって良い方向に進んでいる。アリシアの存在は相変わらず目障りであるが、ジークフリート王子との婚約を破棄され、処刑台に送られる結果に比べれば、共存を受け入れたほうが遥かに良い。こう考えているのだ。

(……レグルス。どうやら行く道は違ってしまったようだね?)

 レグルスはサマンサアンの為にならない。こう思うようになれば、ただ自分の邪魔をするだけの存在になる。邪魔者は排除しなければならない。ジョーディーには実現しなければならない未来があるのだ。その実現をレグルスが邪魔するというのなら、それを許すわけにはいかない。