普段レグルスは「何でも屋」の店先に、店先といっても酒場の一角だが、出ることはなくなった。招かざる客が訪れた時に居留守を使う為だ。周囲の人たちの中には、そこまでしなくても良いのではないかと思う人もいるが、レグルスにとっては大事なことだ。細かく刻まれたスケジュール通りに日々を過ごす。それが乱れれば、それだけ成長が遅れると考えている。もちろん、全てを拒絶しているわけではない。レグルスの中で基準があり、決められたスケジュールよりも優先度が低いとされていることだけを排除しているのだ。
そしてディアーンは、そのレグルスの基準の中で、もっとも優先度が低い存在の一人だ。
「なんだろう? どうして俺の周りには、こういう身勝手な人物が多いのかな? もしかして俺が優しすぎるのか?」
「……強引なのは申し訳なく思っているが、そういう嫌味は少し大人げなくないか?」
レグルスに会う為にディアーンが考えた手は、中央学院に押し掛けるというもの。必ずレグルスが捕まる場所はどこかを考えれば、すぐに思いつくことだ。問題は、学院にいるレグルスを話し合いの場に引き出すことだが、そこは分家とはいえブラックバーンの名が威力を発揮した。学院側が手配してくれたのだ。応接室まで用意して。
「時間も勿体ないか。用件は?」
「まずは、もう一度謝罪を。私がレグルス殿を後継者として否定したのは、これを言うとさらに怒らせるかもしれないが、母親の血が理由だ。レグルス殿自身の能力は尊敬に値するもの。それを知らず、侮辱したことについては、心から謝罪する。申し訳なかった」
「……前にも言ったが謝罪は無用だ。謝られても許す気はない。だからといって、仕返しも考えていない。関わる気はないから、もう近づいてくるな」
ディアーンが理由としてあげた「母親の血」。母親の記憶がまったくないレグルスにとっては、初めて知る事実。どうやら自分の母親は、腹違いの弟の母よりも身分が低いようだとレグルスは思った。
「……当家は苦しい状況に追い込まれている」
「それが少数民族との戦いのことを言っているのであれば、話す相手を間違えている。ああ、もう話しているか。それで拒絶された?」
ディアーンの家のことは、レグルスも調べていた。王国に反抗的な少数民族、ゲルメニア族の抑えとして領地を任されている。広くなく、決して豊かとも言えない領地。そんな領地からあがる税収だけで、ゲルメニア族と対峙しているのだ。
「はっきりと拒絶されてはいない。ただ、考える気もないのは明らかだ」
「元々、分家が力を持たないようにということだろうからな。助けてくれるはずがない」
「小競り合いであっても人は死ぬ。それが頻繁に続けば、犠牲者の数はとんでもないものになる。そんな状況の当家に新たに仕えようという者もいない。このままだと当家は滅びてしまう」
ディアーンの家は度重なるゲルメニア族との戦いで、多くの犠牲者を出している。犠牲となった人々の代わりとなる新たな騎士も思うように雇えない。報酬が低いのに危険な仕事。そんな職場を求める人が多くいるはずがない。
「滅びれば、また、少し力を持った分家が領地替えでそこに移ることになる」
「当家が滅びてもかまわないと言うのか?」
「俺の考えを話しているわけじゃない。ブラックバーン本家はそう思っているだろうと言っているだけだ」
ブラックバーン家内での勢力争い。それにディアーンの家の領地は利用されている。利用しているのは本家だけで、分家にとっては消えてなくなって欲しい領地だろう。
「そうだな……」
「次は自分の番だと恐れている分家は支援してくれないのか?」
ディアーンの家が滅びれば、また別の分家がその領地に移ることになる。レグルスがこれを言ったのは、ディアーンの家など、どうでも良いという意味ではなく、分家同士で協力し合えば良いという考えがあったからだ。
「支援していることが知られることを、それ以上に恐れている」
「それだけ本家の力が強いということか……爺、さすがだな……なんて言ったら、お前が怒るか」
そんな分家との力関係を作り上げたのは現北方辺境伯。それ以前の当主たちの力も大きいのはレグルスも分かっているが、揺るがすことなく次代に渡せたというのは評価されるべきことだ。功績を評価するのは本家の人たちだけだが。
「爺というのは……閣下のことか?」
「他に誰がいる? そういえば……爺は元気なのか?」
「いや、もしかすると既に」
ディアーンが王都まで移動し、こうして滞在している間に、すでに亡くなっているかもしれない。明日にもそれを伝える使者が現れるかもしれない。ディアーンも話に聞いただけの情報であるが、こう思ってしまうような容体だったのだ。
「そうか……」
花街で北方辺境伯はレグルスの為に涙を流した。ブラックバーン家で唯一、家族としての愛情を示した。それを知ったレグルスの祖父に対する意識は、少しだけだが変わっている。
「代替わりとなれば……そのあとは、どうするつもりだ?」
レグルスの父、コンラッドが北方辺境伯となり、その次の後継者も決められる。後継者をすぐに定めなければならないという決まりはないが、王都における最上位者が誰ということは明らかにしなければならない。王家との応対は、後継者が行うべきことなのだ。
その王都における最上位者は、おそらくレグルスの弟、ラサラスがなる。そうなった時、レグルスはどうするのか。ディアーンはそれが気になる。
「それを話す義務はない。これも前に言わなかったか?」
「……次期当主となって、当家を助けてくれないか?」
「……それは無理だな。万一、跡継ぎになったとすれば、その立場で行動することになる。お前の家を追い込む立場ということだ」
「では……いや、無理だな」
ブラックバーン家の人間としてではなく、レグルス個人としての協力。これを求めても無理なことをディアーンは知っている。勝手に知っていると思っているだけだ。
「人に頼ることを考えるだけでなく、自分で何とかすることも考えたらどうだ?」
「俺一人で出来ることなど限られている。現状を変えることなど出来ない」
「今はそうだというだけだろ? 五年後、十年後はそうじゃないようにすれば良い」
「そんな簡単に……! いや、そうか……お前はそうしようとしているのだな?」
そんな簡単になんとかなることではない、という言葉は途中で飲み込むことになった。レグルスは将来の為に何事かをしようとしているのだと気付いてしまったのだ。
「今日明日、一年二年でもどうにもならないことくらい、俺にだって分かる。でも、お前は次代を支える立場なのだろ? その時に必要な力は何か。もう考えておかなければならないはずだ」
ディアーンは跡継ぎではない。上に兄がいる。それもレグルスは調べて、知っている。だがディアーンは、少なくとも今は、自家をなんとしようと考えている。次の代になってもそれは続くはずだ。
「必要な力……それはどのようなものだろう?」
「自分で考えろ、と言いたいところだが、仕方ないから一つ教えてやる。ただし、役立てることが出来るかどうかは、お前次第だ」
分家が、ブラックバーン家がどうなろうと自分の知ったことではない。という思いがレグルスにはあるが、こうして話を聞いてしまうと、何かないかと考えてしまう。ディアーンの為だけではないが、思いついたことが一つあったのだ。
「それは何だ?」
「口で説明しても分からない。放課後、また来い。連れて行ってやる」
「……本当に?」
言われた通りに放課後来てみれば、すでにレグルスはいなかった。あり得る話だ。ディアーンも、レグルスが自分の為に時間を使うことを嫌がっていることは、分かっているのだ。
「じゃあ、俺の授業が終わるまで、ずっと待っていろ」
「ああ、そうする」
「俺って信用ないな……」
当たり前だ。
◆◆◆
建物の中にある板敷の大きな部屋。そこで激しい打ち合いが行われている。真剣による立ち合いではない。歯を潰した鍛錬用の剣でもない。使われているのは木で作られた剣だ。
ディアーンが初めて見る鍛錬の様子。木剣だから緩い鍛錬とは思わない。立ち合いを行っているレグルスたちは防具を着けていない。魔法を使っている様子もない。生身で、全力で振られた木剣を受けているのだ。受け損なえば、実際に何度か、レグルスではなく彼の部下は受け損なって、まともに木剣を体に受けている。かなり痛そうだった。
防具に身を固めた状態で、歯を潰した鍛錬用の剣で立ち合いを行うよりも、ずっと緊張感がある。ディアーンはそう思っている。
ここに来るまでに聞いた話では、平日は、ほぼ毎日、ここに通って鍛錬を行っている。強くなるはずだとディアーンは思った。これがレグルスたちの鍛錬の全てではないと知らなくても、ディアーンがそう思う内容なのだ。
「止め!」
長い、いつまで続くのかと思ってしまうほど長い鍛錬がようやく終わった。正しくは中休みなのだが、初めてここに来るディアーンには、それは分からない。
荒い息を整えているレグルスたち。最後に何度か深呼吸を繰り返して、息を落ち着かせると、床に座った。相手をしていた師匠たちも、そのレグルスたちに対峙する形で座る。
「後ろに座れ」
レグルスはディアーンに声を掛けてきた。言われた通り、斜め後ろに、レグルスを真似て、あぐらで座るディアーン。
「師にご相談したいことがあります」
背筋を伸ばし、師匠であるロジャーに話すレグルス。それを見て、ディアーンも姿勢を正す。
「まずは師にお詫びしなければなりません」
「詫びとは?」
ロジャーの眉間に皺が寄る。レグルスに謝罪される覚えは、まったくないのだ。
「私は師から受け継ぐ舞術の優れた技を、次代に引き継がせることが出来ません。それが分かっていて、弟子入りしてしまいました」
「……それを詫びる必要はない。そんなことは初めから分かっていた。お主がそれをずっと気にしていたのだとすれば、詫びるのは我々のほうだ」
「師に非はありません。弟子入りは私が志願したことです」
「そうではないのだ。我々は自分の代で舞術を絶やしてしまうことを恐れた。恐れ、その重荷をお主に背負わせてしまったのだ」
ブラックバーン家の公子であるレグルスが、舞術の継承者となるはずがない。それは分かっていたことだ。分かっていてもロジャーは、レグルスの弟子入り志願を喜び、受け入れた。自分たちが最後と思っていた舞術が、次代に引き継がれる。それだけで喜んでしまった。
「……私もその重荷を別の人間に背負わせようと考えております。後ろにいる、この男に」
「その方もブラックバーン家ではなかったか?」
「はい。分家の人間です。ですが、この男は戦いに勝つ為の力を求めております。格式や形式、慣習にこだわっている場合ではない事情がございます」
同じブラックバーン家でも事情が違う。戦場で勝つことを優先させるのであれば、舞術を自家に広めることを躊躇うべきではない。レグルスは、そう考えたのだ。舞術などという雅な名をつけているが、その本質は勝てば何でもありの実戦武術。ディアーンが求める戦場で勝つ為の武術だと、レグルスは考えている。
「……ご本人はどう思っているのかな?」
「……正直言って、私にはまだ判断つきません。何も聞かされず、今日初めてここに来て、鍛錬の様子を見ただけですので。ただ……勝てるのであれば、犠牲者が減るのであれば、私に必要なものです」
舞術がどの程度のものかなど、初めて見るディアーンには分からない。立ち合いを見ただけで、どのような武術なのかも、まだ分からないのだ。
だが、レグルスが学ぼうと思った武術。それに対する信頼はある。
「学んでみれば良い。まずはそれからだ。ただし、師が条件を受け入れてくださるのであればだが」
「条件?」
「師には、この男の領地に赴いていただきたいと考えております。お二人も共に。すぐにとは申しません。準備が整い次第ということです」
ディアーンに舞術を学ばせるということは、こういうことだ。彼はずっと王都にいられるわけではない。実際はもう帰途についていなければならないくらいだ。
「……王都を離れて、その地に根付けと言うのだな?」
「はい」
「考える前に、ディアーン殿に伺いたい。はたして貴家に我らを受け入れる意思はあるのだろうか?」
この話はレグルスが勝手に進めていること。これは明らかだ。王都を離れることを考えるにしても、状況が整っているとは思えない。
「私は……当主ではなく、兄もいて……私の一存では」
「関係ない。大切なのは、お前がどうしたいかだ。仕える人たちを救いたいという想いを実現する為に、お前はどうする?」
レグルスは分家の為にこのような話をしているのではない。ディアーンの想いを聞いて、自分に何が出来るかを考えた結果、これが良いと考え、行動しているのだ。ディアーン個人の想いの手助けになればと思っているのだ。
「……私は……師から学びたいと思っている。私だけでなく、私に従う者たちに学ばせてやりたいと思う」
「では、そうしろ。そうする為に、出来ることを行え」
「……お願いします。私と私に従う騎士、従士、百余名の師になって頂けないでしょうか? 我らが領地で、師の教えを広めてください。どうか、私の願いを聞き届けてください」
ロジャーに向かって、深々と頭を下げるディアーン。レグルスに押される形ではあるが、ディアーンは決心した。領地の人々の為に、自分が為すべきことを為すと。
「……レオン、まずはお前がディアーン殿と共に領地へ」
「承知しました」
「レイフ。お前も学院との調整が済み次第、向かえ」
「はい」
まずは息子二人、長兄のレオンを先に行かせ、中央学院の教官でもあるレイフは、退職手続きが終えてから後を追わせることにした。
「私はまだレグルスたちに教えることがある。それが済み次第、後を追う」
ロジャーはまだしばらく王都に残るつもりだ。王都に残ってレグルスたちを教え続けるつもり。それがいつまでかをレオンとレイフは聞こうとしない。命尽きるまでが父の望みであることを分かっているのだ。
「これでよろしいかな?」
「ありがとうございます」
あとは自分が家内を納得させるだけ。すぐに納得してもらわなくても良い。自分と直属の家臣たちが、結果を出せば、それで良い。ディアーンはそんな覚悟を決めた。
「レグルス」
「はい」
「お前がどう思っていようと、儂にはお前に伝えたいものがある。未来など考える必要はない。儂も、今そうしたいからそうするのだ」
舞術の未来など関係なく、ロジャーは自分の技をレグルスに伝えたい。そうしたいと思える弟子に巡り合えたことだけで、一個の武人として、運命に感謝出来ている。心残りなどない。
「……ありがとうございます。師の期待に応えられるよう、これからも全力を尽くします」
レグルスも一個の武人として、舞術を極めたいという想いがある。それは叶えられない夢だと分かっていても、その想いが消えるわけではないのだ。