レグルスは平日であるのに酒場を訪れている。引き受けた仕事があるからだ。正確には引き受けた仕事が終わり、その結果について依頼人と話し合いを行う必要があるから。
日程は依頼人が提示した候補日から選んだのだが、レグルスの都合でもある。休日だと、また招かざる客が来るかもしれないと考えて、平日を選んだのだ。
「こちらの予想通りでしたか……それで、どこの関係者か分かりましたか?」
「はい。西部騎士養成学校の関係者です」
「西部? ブロードハースト家がタイラー様のお命を狙ったということですか?」
依頼人はディクソン家。以前と同じ、タイラーの暗殺阻止に協力して欲しいという依頼だ。新たな暗殺計画は、五校剣術対抗戦を利用して、実行されようとしていた。騎士養成学校の関係者として王都に来た者の中に、暗殺を企む者がいたのだ。
「そのように単純に考えて良いものでしょうか?」
「……ブロードハースト家が協力者に過ぎないことは分かっております」
タイラーを暗殺しようとしているのはタイラーの兄。後継者の座からだけでなく。ディクソン家からも追い出されてしまった兄が企んでいることと考えられている。
「協力者と決めつけることもどうかと思います。そんな単純な構図なのでしょうか?」
「違う可能性があるとお思いですか?」
「確証はありません。ただ、たとえばディクソン家は他家に協力者を抱えていないのですか? 裏切りまで行かなくても、ちょっとした手助けをする程度の」
「……隠しても意味はありませんね。おります」
ディクソン家は他家に協力者を持っている。別にディクソン家に限ったことではなく、ブラックバーン家でも同様なことは分かっているので、依頼人は正直に話してきた。
「同行者に潜り込ませるくらいは出来るのではありませんか? そうだとするとそれを働きかけた人物がどこかと繋がっていないかを疑うべきです。私が言っているのは黒幕と思われる人物以外のことです」
「それが本当の協力者ということですか……」
「さきほども申し上げたように確証はありません。ただ、同じ辺境伯家が他家の乱れを望むのでしょうか?」
タイラーとキャリナローズ、二人だけの意見だが、それはないとレグルスは聞いている。競争、対立することは本格的な争いに発展することは、まずあり得ない。他家が乱れ、それで国境の守りが緩めば、その負担は自家に回ってくることになるのだ。
「……アオ殿が申される通りだとすると、協力者と疑う対象は一つとなります」
「いえ、二つです」
「……ミッテシュテンゲル侯爵家が?」
依頼人は、王家だけを疑っていた。同じ守護家であるミッテシュテンゲル侯爵家がディクソン家の争乱を望むとは考えてもいなかったのだ。
「少なくとも、貴家に何かあっても悪影響は受けません。王国ではなく自家は、ですが」
「ですが、利も……いえ、これまで考えてこなかっただけですか……」
ディクソン家を乱してもミッテシュテンゲル侯爵家に利はない、とは言い切れない。その可能性を考えてこなかったので、見つけられていないだけだ。
「教えて欲しいのですが、もし、タイラーに何かあった場合、ディクソン家は後継者の決定にどれくらいの時をかけますか?」
「誰が後継者に、ではなく、決定にかかる時間ですか?」
レグルスがそれを聞く意味。依頼主には、すぐに思いつくものがなかった。
「はい。決断までの期間です。おおよそで結構です。すぐに決断するのか、五年くらいか、十年を超えても問題ないのか」
「……あくまでも私の考えですが、決断は早いと思います。時が経てば、自然と流れは定まります。ですが、閣下はそういう決まり方を良しとしないはずです」
後継者不在が長く続けば、親子の縁は切られているとしても、血の繋がりがあるタイラーの兄を跡継ぎにと考える家臣が増えることになる。他の候補者が出てこない限り、そういう流れになる。
だがそれを現南方辺境伯は許さないと家臣である依頼人は考えている。南方辺境伯が決めた形にしないと、退く前から影響力が薄れる恐れがあるからだ。
「決断は早いですか……それで家中が収まる可能性もありますね?」
「……当家を乱すことが目的ではないということですか?」
依頼人は南方辺境伯家、ディクソン家の家臣であり、さらにこういった裏仕事のようなことを任される人物だ。察しが早い。
「次代の南方辺境伯に恩を売る。これであれば、もう一方にも可能性が出ます。他の辺境伯家である可能性も生まれてしまいますけど」
「……恩を売ることで得るものがあれば、ですか。確かに」
南方辺境伯家に乱れが生まれることにならなければ、他の守護家が協力者になる可能性はある。協力者と考えられる対象が広がってしまった。依頼主にとってであり、レグルスの頭にはひとつの可能性が浮かんでいるが。
「結局、元を絶つのが一番なのですが、今回も繋がりを示す証拠は得られませんでした」
「……どこかで決断しなければならないことは分かっております」
タイラーに恨まれることになったとしても、兄を排除する。その決断をどこかで行われなければ、ずっとタイラーは狙われ続けることになってしまう。それは依頼人にも分かっている。
「それでは、この先、ご依頼はどうされますか?」
「まだ続けていただけるのですか? 先日の競技会では、周囲を驚かせたようですが?」
レグルスの実力は公になった。実際にブラックバーン家がどのように認識していたかは依頼人には分からないが、公での過去の評価が改められるのは間違いない。そうなれば、勝手気ままは許されないだろうと考えていたのだ。
「ああ、おかげで煩わしいことがいくつか……そうだ。郊外で使わない土地を持っている人を知りませんか? 貸していただきたいのです。出来れば、格安で」
「郊外の土地ですか……どのような目的でお使いになるかは教えていただけるのですか?」
「簡単に言うと隠れ家です。この場所も静かに過ごせる場所ではなくなりそうですので、代わりの場所がないかと思いまして。といっても郊外ですので、鍛錬する時に使うくらいですけど」
この場所にいることがアリシアに知られてしまった。そうなるとタイラーやキャリナローズ辺りに知られるのも時間の問題だとレグルスは考えている。秘密を守るという点において、レグルスはアリシアを信用していない。秘密の重要度についての認識が、自分とは違っていると考えているのだ。
「当たってはみますが……当家の知り合いでよろしいのですか?」
「私が煩わしく思う相手はブラックバーン家の関係者ですので。貴家は私の邪魔にはなりません。今のところは、とは言わせてもらいますが」
「なるほど……承知しました。そういう人がいれば、ご紹介いたします」
レグルスに恩を売っておくのも悪いことではない。依頼については誠実に対応してくれる。秘密も守ってくれているようだ。この先も、何かあった時には協力してもらいたいと思える相手なのだ。
「よろしくお願いします。ご依頼については、これまで通り、何か情報を入手しましたらお伝えいたします。その後の対応については、都度ご相談ということで」
「それで結構です。お願い致します。では、今日はこれで」
席を立って、もう一度レグルスに挨拶をしてから、依頼人は酒場を出て行った。
「……郊外の土地であれば、すでに探していますが?」
依頼人が酒場を出て行ったのを見送ったバンディーが、レグルスに問いかけてきた。郊外の土地は、対抗戦に関係なく探していた。カロの隠れ家としてだ。
「俺は”今のところは”と言いました。本当の隠れ家は、本気で隠れたい時に使うものですよね?」
「分かりました。そうなると貸主は、慎重に選ぶ必要がありますね?」
貸主から情報が洩れる可能性も最小限に、出来ればゼロにしなければならない。借主が誰か確認することなく、土地を貸すような相手も選択肢のひとつだ。
「そうですね。少し時間がかかっても良いから、それでお願いします」
将来への備えも、これまでと少し違ったものにしなければならない。そんな状況になったことをレグルスは感じていた。まだ詳しいことは何も見えていないが、何かが動き出している。そんな予感がしているのだ。
◆◆◆
ディアーンは王都に残ったまま、ブラックバーン家の屋敷に滞在している。レグルスへの謝罪は中途半端なままで終わってしまった。それで王都を離れるわけにはいかないと思っているのだ。
中途半端に終わった理由は分かっている。レグルスではなく、自分の問題だとディアーンは考えているのだ。
頭も気持ちも整理出来ていないままにレグルスに会いに行ってしまった。レグルスが本家の跡継ぎになることなど認められない。そう思って王都に来たのだが、その思いは揺れている。今も後継者に相応しくないという思いはある。だが、本当にそうなのかという疑問もまた心に浮かんでいるのだ。
レグルスは、ディアーンが、まったく歯が立たないほど強い。ただ強いだけではない。立っているだけで気圧されてしまう雰囲気を持っている。そうディアーンは感じてしまったのだ。かつてブラックバーン家の当主であるベラトリックスに会った時と似たものを感じてしまったのだ。
そうなると、レグルスを退けて後継者になる、レグルスにとって腹違いの弟であるラサラスはどうなのかということになる。改めて確かめてみる必要はない。レグルスから感じるような威圧感は一切ない。まだ若いからというのは理由にならない。レグルスもまだ若いとされる年齢なのだ。
そして、ディアーンがレグルスと比べた相手は、ラサラスだけではなかった。
「そうか……そんなことを言っていたか」
「それだけですか?」
レグルスに北方辺境伯を継ぐ意思はない。それをレグルスの父であるベラトリックスに伝えたが、その反応はディアーンが思うようなものではなかった。
「そのように考えていることは以前から分かっていた。今更、驚くようなことではない」
「そうであるとしても、このままでよろしいのですか?」
「……レグルスが跡継ぎになることに反対ではなかったか?」
ディアーンが五校対抗戦でやらかしてしまったことは、ベラトリックスも知っている。知っているどころではない。ベラトリックスは五校対抗戦に、他の守護家関係者と共に来賓として招かれていたのだ。
「反対です。ただ……レグルス殿はブラックバーン家からも離れるつもりではないですか?」
口にしようとした言葉とは異なるものを、ディアーンは伝えた。本当に反対なのかという迷いが、こういうことしか話すことを許さなかった。
「それは……個人の考えで決まるものではない。そこまで勝手を許すつもりはない」
「……閣下はどうお考えなのですか?」
ブラックバーン家の当主である北方辺境伯はどう考えているのか。ディアーンはこれが気になった。
「父上は何も申されずに王都を去られた。後継の座を決めるのは、私の権利ということだろうと思う」
「では、ご自身はどうお考えなのですか?」
後継者を決める権限がベラトリックスにあるのだとすれば、その考えを聞きたい。ディアーンがこう思うのは当然だ。
「……レグルスが後継者の座に一番近いのは確かだ」
返ってきたのは曖昧な答え。だが曖昧であることが答えだとディアーンは受け取った。ベラトリックスには、レグルスを後継者にするつもりはないのだと。
「レグルスの弟殿もやはり強いのですか?」
ラサラスではなく、レグルスの弟という言い方をディアーンは選んだ。ベラトリックスの曖昧さが、ディアーンの心を固める方向に向かわせたのだ。もともとの考えとは逆の方向に向かうように。
「どうだろうな? まだまだ努力が必要だろう。ラサラスはまだ学院に入学する前だ」
理由にならないはずの若さを答えにするベラトリックス。それがディアーンの心にベラトリックスに対する不審を生むことを分かっていないのか、分かっていて分家の公子などどうでも良いと思っているのか。
「……では成長に期待することにしましょう」
不確かな将来に期待しなくても、ブラックバーン家の当主に相応しい存在はいる。ディアーンの気持ちはこう変わってしまった。だとしても分家の公子に出来ることはない。ベラトリックスに侮られても仕方のない立場なのだ。
「いつまで王都に?」
「……軍事支援についてのお答えを戴ければ、すぐにも戻ります」
「それについては父上の裁可が必要だ。戻って連絡を待った方が良いのではないかな?」
「……そうですか。分かりました」
当主であるコンラッドに先がないのはディアーンも知っている。そうであるから間もなく当主となるベラトリックスに頼みに来たのだ。
そうであるのにコンラッドの裁可を待てというのは、望みを叶えるつもりがないということ。これ以上、何を話しても得るものはない。こう考えてディアーンは席を立った。
「……レグルスにもう一度会う」
部屋の外で待っていた家臣に、ディアーンはレグルスにもう一度会う意思があることを真っ先に伝えた。
「何かありましたか?」
「何もない。ベラトリックス殿と話しても得るものは何もないのだ」
「……そうでしたか」
ディアーンは、レグルスを貶める為だけに王都に来たわけではない。本家に自家の窮状を伝え、支援を求める目的も、こちらのほうが一番の目的だったのだ。自家を苦しい状況に置いているのは、支援を求めようとしている本家であるので、希望が叶えられる可能性は極めて少ないと分かっていても。
「あれであればレグルスのほうが余程、閣下の資質を受け継いでいると思える」
「それは……つまり、噂は事実だと?」
「そんなことは分からん。ただ、どちらを頼りに思えるかとなると、レグルスを選ぶというだけだ。あくまでも個人としての比較だがな」
ブラックバーン本家に力がなければ、レグルスに頼っても自家は救われない。それは分かっている。それでも、もう一度レグルスに会うべきだとディアーンは考えた。ブラックバーン家を離れ、何やら怪しげなことを行っている様子のレグルス。ブラックバーン家公子という特別な立場を捨て、自らの力で立とうとしているレグルスに会って話をしたいとディアーンは思ったのだ。