通りを塞ぐ形でジャラッド他、ブラックバーン騎士団の騎士たちが並んでいる。それに文句を言う人はいない。不便に感じている人はいても、彼らが作り出す張り詰めた空気が、それを声にすることを許さない。
ジャラッドを頂点とした楔形に並んでいる騎士たち。その上半身は、この寒空の中で裸。だが、彼らの体から放たれる熱気は見る人にも寒さを感じさせない。じっと固まったまま動かない彼らであるのに、その体からは白い湯気が立ち昇っている。気持ちを高めるだけで、体温も上げているのだ。
「セイヤッ!!」
沈黙を破ったのは、頂点に立つジャラッドの声だった。
「ハッ!!」「オォ!」「ハーッ!!」
それに続いて後ろの騎士たちが、それぞれ気合の入った声を放つ。
「ブラックバーンッ!!」
「「「おおおおっ!!」」」
雄たけびの声が花街に響き渡る。一斉に踏み出された足が地を踏む音。握りしめた拳が空を斬る。空手の、この世界に空手と呼ばれる武術は存在しないが、型のような動き。それが次から次へと変化していく。
全身に力を込めて動く彼らの体から汗が噴き出す。立ち昇る湯気はその濃さを増し、その熱気は、ますます人々の心を熱くする。
「「「我が心は剣っ! 我が身は盾っ!」」」
一糸乱れぬ力強い動きを続けながら騎士たちは叫ぶ。血を踏む音。拳が空を切る音。ひとつひとつの動きが生む音が、音楽のリズムのように聞こえてくる。
「「「たぎれ、我が血っ! 燃えよ、我が命っ!」」」
自らの気持ちを高める言葉を叫ぶ。
「「「いざ、戦いの時っ! 我らの時っ!」」」
戦いを前に気持ちを高ぶらせ、闘志を燃やす為の儀式。ウォークライと呼ばれる儀式だ。いつこれが生まれたのか、ブラックバーン家でも、はっきりとした記録は残っていない。
「「「死を恐れるなっ! 汚名を恐れよっ!!」」」
まだアルデバラン王国が小国と言われる規模であった頃。今とは異なる、国の存亡を賭けた戦いが頻繁に行われていた動乱の時代。とっくの昔に、その頃を知る者はいなくなっている。
「「「我らはブラックバーン!! 強き者たちなり!!」」」
多くの人がウォークライを叫び、そして死んでいった。それでも儀式は引き継がれた。今の時代まで残った。動乱の時代は終わっていない。これからも多くの戦死者が生み出される。
これを見て、それを感じている人はどれだけいるか。圧倒的な少数派であるのは間違いない。
「……またあれが戦場で見られる日が来てしまうのか……私はその場にはいられないでしょが……」
お座敷の窓からそれを眺めている北方辺境伯はその少数派の一人だ。すでにウォークライは騎士団のイベントなどで行われているだけ。伝統の儀式として受け継がれているだけ。だが、北方辺境伯は、儀式が本来のものに戻ることを予感している。
「……伯。ここだけの話として聞いてくれ。娘が、暗い未来を示唆している」
「それは……ま、まさか……?」
未来視については北方辺境伯も知っている。全ての貴族家ではないが、各家には独自の能力を持つ者が生まれることがある。ブラックバーン家にも、そういう能力は受け継がれている。王家同様、滅多に現れるものではなく、北方辺境伯はそういう者に会ったことがないが、受け継がれているはず、になっている。
「実際にそうなのだろう。否定することは私には許されない」
王家に受け継がれている能力。その能力による予測を否定するわけにはいかない。王家の人間として、自家の血を否定するような真似は出来ないのだ。
「……その先にも更なる未来があります。彼らがそれを、いえ、我が家の者だけではなく、王国の新たな力が闇を払ってくれることでしょう」
「新たな力か……」
「少なくとも我が家は次代に引き継がれることになります。正直、もっと先延ばしに出来たらという思いはありますが、そうすべき時代が訪れるのだと諦めることにしました」
近いうちに訪れる死。納得しての死ではない。生きられるのであれば、もっと生きたいと北方辺境伯も思っている。だが、永遠の生などない。人はいつか死ぬと北方辺境伯は考えている。そうであるなら無駄に足掻くことなく、受け入れるしかない。
「伯でもそう思うのか……」
北方辺境伯は国王よりも年長。年齢だけでなく、あらゆる面で自分を超える存在だと国王は思ってきた。動乱の時代に相応しい資質を持った人物だと。その北方辺境伯が、自分の時代ではないと考えている。国王には意外だった。
では自分はどうなのか。深く考えるまでもなく答えは出ている。それがずっと国王を不安にさせているのだ。
「お話し中、失礼いたします。お二人の準備が出来たようです」
話の邪魔にならないようにと、離れた場所で控えていた桜太夫が近づいてきて、踊りの準備が整ったことを伝えてきた。
「……そうか。では席に戻るとしよう」
窓の外から聞こえてきた歓声は、ジャラッドたちを称える声。それを聞いて、未来の不安にとらわれて、彼らの演武を最後まで見ていなかったことに国王は気が付いた。
暗い気持ちを引きずったまま席に戻る国王、そして北方辺境伯。その気持ちを一瞬で払ったのは、部屋に入って来たレグルスとエリザベス王女の姿だった。異国のものであろう衣装を身にまとった二人。羽織袴姿のアオも二人を驚かせたが、それ以上に二人の、特に国王の心を惹きつけたのは純白の着物を身にまとったエリザベス王女だった。
「いや、これは……この踊りを選んでいたのか……」
その姿を見て親分は、驚くというより、戸惑っている。
「あれはどのような踊りなのだ?」
親分の戸惑いの声を聞いた国王は、その理由が気になった。自分の娘であるエリザベス王女がこれから踊るのだ。おかしなものであっては困る。
「それが……異国の結婚式を模した踊りでして」
「なんと? 結婚式?」
おかしなものではない。だが、これはこれで父親としては抵抗を感じるものだ。
「北方辺境伯様へのおもてなしとして用意しておりました踊りですので。本来は別の方に踊っていただく予定だったのですが、いらっしゃらなくて」
驚く国王に桜太夫が事情を説明した。この踊りは主賓である北方辺境伯の為のもの。来訪の目的を教えられた桜太夫は、レグルスと婚約者であるアリシアの二人で踊らせようと考えていた。二人の本当の結婚式を見られそうもない北方辺境伯の為に。
だが、そのアリシアが予想に反して同行してこなかった。そうなると代わりは、百合太夫か朝顔太夫のどちらかと桜太夫は考えていたのが、エリザベス王女の来訪を知った二人が王女を差し置いて代わりなど努められないと言い出したのだ。
百合太夫は、そして彼女から話を聞いた朝顔太夫も、エリザベス王女こそ、レグルスに相応しい女性と思ってしまっている。その二人の思いを無視することは桜太夫には出来なかった。するつもりもない、が正確だ。
「いや、そうだとしても娘が、いや、相手として不足というわけではないが、まだ、そういう話には……」
ただの踊り、とは国王は受け取れないでいる。二人の結婚が既成事実になってしまうように感じているのだ。
「ご納得いただけないかもしれませんが、私はお似合いの二人だと思いました。殿下は私が尊敬するある女性に似ていらっしゃいます。外見ではなく、放たれる雰囲気と申しますか……気品があるだけではなく、芯を感じる雰囲気が」
エリザベス王女はリーリエに似ている。桜太夫はそう感じた。立ち居振る舞いに関しては、当然といえば当然。エリザベス王女こそ、王国における正統な立ち居振る舞いを身につけている女性なのだ。だが、それだけではリーリエに似ているとは思わない。似ていると思う何かをエリザベス王女は持っている。それは前回会った時には感じなかったものだった。
「……その女性というのは?」
花街の女性に似ていると言われても、国王は喜べない。この場では決して口にしないが、金で身を売る女性と王女である娘を並べられたくないという思いがある。
「アオが母のように慕っていた女性です」
桜太夫も国王の内心は分かっている。元太夫であることを話すつもりはない。
「そのような女性が……?」
国王の耳には入っていない情報。問いかけの視線を北方辺境伯に向けたが、それに対する反応はなかった。北方辺境伯の意識は国王ではなく、桜太夫に向いていた。
「その女性は……孫のことをどう思っていたのだろう?」
「正直、花街の外で二人がどのように暮らしていたのか私には分かりません。ですが、間違いなく母としての愛情を注いでいたと思います。それはアオの行動が教えてくれています」
桜太夫の言葉に、親分はわずかに顔をしかめている。リーリエを殺したのはワ組だが、その背後には北方辺境伯家がいる。事実は分からないが、レグルスはそう考えている。レグルスが考えている通りで、しかも北方辺境伯自身の指示によるものである可能性もあるのだ。
「そうか……あれは、母親の愛情を知ることが出来たのか……」
だが、北方辺境伯の反応は親分が恐れていたものではなかった。それは悪いことではないが、北方辺境伯の言葉の意味が分からない。
「父親もいたな?」
「はい。アオが尊敬している人物です。アオが着ている羽織をご覧になったと思います。背中にかかれているのは『二代 胆勇無双』の文字。その人が背負っていたものをアオは二代目として継いでいるのです」
元々は桜太夫がレグルスに贈ったもの。それをアオは、花街にいる時は必ず。外でもアオとしている時は、ほぼずっと身に着けている。気持ちを受け取ってくれたのだと桜太夫は考えている。
「……そうだったか」
北方辺境伯の視線が前で踊っているレグルスに向く。エリザベス王女と踊っているレグルス。その表情は穏やかで、エリザベス王女への愛情が感じられる、ように北方辺境伯には見えた。
「……伯。一杯どうだ?」
なにやら複雑な事情がある。そう感じた国王は、雰囲気を和ませるつもりで北方辺境伯に酒を勧めた。だが、北方辺境伯は無言。国王を無視するなど無礼なことではあるが。
「…………」
それを咎めることは国王には出来なかった。この場の雰囲気を壊すから、という理由ではない。北方辺境伯の頬を伝う涙が見えてしまったのだ。
北方辺境伯は人前で涙を見せるような人物ではない。国王は、花街に来てから経験したどの出来事よりも驚くことになった。
「……お恥ずかしいところをお見せしました。あれは……母親の愛情を知らずに育っておりまして……その責任の一端は私にもあるのです。それを思うと……ああして笑みを浮かべている孫を見るだけで……柄にもなく涙が零れてしまいました」
「そうか……」
「孫は笑わない子でした。あれの笑顔を見たのはいつ以来か……それだけで、ここに来た甲斐があったというものです」
今の北方辺境伯は身分を忘れて、祖父としての感情で語っている。ようやく、本来の在り方とは少し違っているとしても、一人の人間として花街で過ごすことが出来た。
静かな音楽が部屋の中に流れている。その音楽に合わせて、ゆっくりと踊っているレグルスとエリザベス王女。ついさっき覚えたばかりとは思えない、息の合った舞だ。
結婚式を模しているといってもただの踊り。そうであるのだが、ずっと気にかけていた孫が幸せな時を迎えている姿を見ることが出来た。北方辺境伯は、そう思えた。
「陛下……色々あっても良い人生であった。どうやら、そう思って死ねそうです」
「そうか……それは、羨ましいな」
死にゆく人の言葉。それに対してどう答えるべきか国王は迷った。「良かったな」は相応しくない。そう考えて、出てきた言葉が「羨ましい」だった。
口に出してから国王は、本当にその通りだと思った。暗い未来を見ることなく、それを背負う必要もなく北方辺境伯は、この世を去る。未来への不安が心に重くのしかかっている国王にとっては、本当に羨ましいことなのだ。
◆◆◆
花祭りは夜遅くまで続けられる。客が引けた後、花街の人たちだけで、もうひと騒ぎするのだ。無礼講が宣言され、すでに多くが祭りを楽しんでいるが、それでも全員ではない。仕事を全て終えてから合流する人たちもいるのだ。
主催者である北方辺境伯も、他の客と同じタイミングで花街を出た。国王、そしてエリザベス王女も当然、一緒だ。
「……殿下がいらっしゃるところで話すべきではないかもしれませんが、明日には王都を発ちますので」
馬車も同じ。国王はお忍びなので王家の馬車は使えない。北方辺境伯家の馬車に同乗してきていたのだ。
「……かまわない。何の話だ?」
「先日お話したことの続きです。その時は曖昧にお話しましたが、まず間違いなく、レグルスは北方辺境伯を継ぎません。私が存命の間に次の次の代まで決めてしまおうと思っておりましたが、それは止めました」
北方辺境伯はレグルスを次の跡継ぎにと考えていた。家内に反対があっても、それを押さえ込んでしまおうと考えていた。だが、それは止めた。それがレグルスにとって正しいことだと思えなくなったのだ。
「……それは北方辺境伯家が決めること。口出しするつもりも、その権限もない」
「はい。ただ祖父として、ブラックバーン家を離れる孫が心配です。あれは、ブラックバーン家には収まらないような人間である可能性がありまして」
「……つまり、何だ?」
守護家の一つ、北方辺境伯家に収まらないというのはどういう意味なのか。一貴族では収まらない器という意味だとすれば、それは、国王にとって問題だ。
「殿下に器になっていただけないかと」
「リズに、器?」
北方辺境伯の言葉に戸惑う国王。自分の話だと分かったエリザベス王女は複雑な表情だ。このような場でどうにかなる内容ではないと思っている。
「もちろん、殿下にそのようなお気持ちがあればの話。決めるのはエリザベス王女ご自身です」
「ち、ちょっと待て。リズだけで決めて良い話ではない」
エリザベス王女に決断させたら、北方辺境伯の望みを受け入れてしまいかねない。国王としては、それを許すわけにはいかない。
「それは分かっております。こちらにはそのつもりがあるということを、お伝えしておきたかっただけです」
「そうか……分かった」
ホッとした表情の国王。娘をレグルスに嫁がせることには強い抵抗がある。だが、簡単に断れることでもない。北方辺境伯がそれを望んでいるのだ。その意思を個人の感情だけで拒絶するわけには、これは国王として、出来ない。
「……ひとつ聞いて良いですか? 北方辺境伯はどうしてレグルスに後を継がせないのですか?」
エリザベス王女は、これが気になった。長兄であるレグルスが、次の次に北方辺境伯を継ぐのが正しい在り方。あえて歪めようとする北方辺境伯の気持ちが分からない。
「後を継げないだろう理由については、お話が進むと決まった時に、いえ、正式に決まる前にはご説明させて頂きます」
「そうですか……」
事情は説明出来ない。王家の人間というだけのエリザベス王女には話せないことなのだ。
「ただ私が継承者と決めない理由はそれとは別の話です。無理に押し込んでは器は壊れる。器が壊れなければ中に入れられたものが歪む。それを恐れるからです」
「……私はレグルスの器に相応しいのでしょうか?」
そうは思えない。自分では無理だとエリザベス王女は思っている。
「正直申し上げて、根拠のない私の願望に過ぎません。結婚式を行っている二人を見て、これが正しい在り方だと、なんとなく思ったのです」
「結婚式、ですか? 私とレグルスはそんな……あっ、あの踊り?」
「知らされないままに踊られていましたか。あれは異国の結婚式を模した踊りだそうです。あくまでも模した踊りですので、結婚式と言うのは違いますな」
だが北方辺境伯にとっては、最後に見る孫の晴れ姿。あれが現実のものとなって欲しいと、未来の形であって欲しいと望んでいる。そう思える雰囲気だったのだ。
「あれが……」
「とにかく、考えることは考えてみる。それで良いな」
ほんのりと赤くなるエリザベス王女の頬。それを見て、国王は慌てて話を終わらせた。なんとなく既成事実のようになってしまう雰囲気。それを感じ取ったのだ。
――翌日、北方辺境伯は自領に向けて旅立った。彼の死が王都に伝えられたのは、その半年後だ。