二学年前期のイベント。学院のイベントであり、ゲームシナリオにおいてもイベントのひとつとなっている模擬実戦訓練が始まった。始まったとは言っても、まずは現地への移動。王都外壁内の防衛拠点のひとつである砦がある山まで、二日かけての移動だ。
それはそれで行軍訓練のようなもので、意味のある時間なのだが、ただ移動するだけというのは、やはり学院生たちには退屈なものだ。これが一般兵の訓練であれば、教官も緩みのないように厳しく指導するのであるが、貴族家の子弟ばかりの学院生相手だと、同じような厳しさは見せられない。とにかく決められた時間までに目的地に到着すれば良いという、かなり緩い行軍訓練になってしまった。
だといって、全ての学院生がそれに甘えるわけではなく、自ら厳しくする者もいる。レグルスは当然その一人だ。ただ、レグルスにとって厳しいかは、微妙になってしまったが。
「遅い……どうして、そこまで体力ないかな? 同じ鍛錬をしているはずなのに」
「そ、それは、私も、不思議、です。どうして、ですか?」
オーウェンとジュードが、レグルスの走るペースに付いていけないのだ。二人に合わせると、レグルスにとっては手を抜くのと同じ。厳しさは薄れてしまう。
「走るのは小さい時から続けてきたからな……といっても最近はサボっているか。どうしてだろう?」
学院に入る前は、ひたすら体力作りを行っていた。それしか行っていなかったと言っても良いくらいだ。だが、近頃は他の鍛錬に時間を取られて、走り込みなどはあまり行っていない。走力が落ちていてもおかしくないとレグルスは思った。
「ふ、普段から、わざと、負荷を、かけて、いるから、でしょ?」
その答えを与えてくれたのは、意外にもジュードだった。
「ああ、それはあるか。ちょっとしたことだけどな」
基礎体力の訓練が疎かになっていることを自覚しているレグルスは、別の鍛錬においても、出来るだけ負荷が強くなるようにしていた。なんとか日課を終わらせることを目標としているオーウェンとジュードとは、同じようで違う鍛錬なのだ。
「そ、そうでしたか……私は、気づいて、いません、でした」
自分には気づけなかったことをジュードは分かっていた。それに少し落ち込むオーウェンだが、こういうことは時々ある。初めの頃ほどショックを受けることはなくなった。無意識の内にジュードを格下と見ていた自分の思い上がりを、オーウェンはすでに改めている。
「ふう。息が戻ってきた。オーウェンは真面目だからね?」
「真面目であることは悪いことか?」
「そういうことじゃない。自分の鍛錬だけに集中していると周りが見えなくなるよってこと」
「……それも悪いことか?」
ジュードの言う通り、オーウェンは、鍛錬の間は自分のことに集中している。それがジュードが気づけたことを自分は見えなかった理由だとしても、改める必要があるかについては疑問に思う。
「悪いというのとは違う。どう言えば良いのかな……?」
ジュードはオーウェンのやり方を否定しているわけではない。ただ自分とは違うということを言いたいだけだ。ただ、どこがどう違って、だからどうなのかということを上手く説明出来ないでいる。
「目の前の敵だけに集中していては、戦場全体の動きを掴めない。これは悪いことだと思うけどな」
そんなジュードにレグルスが助け舟を出してきた。オーウェンが理解しやすい例を考えたのだ。
「……確かに、その通りです」
「一対一で戦っていても、横槍が入ってくる時がある。不意打ちをくらわない程度に、周囲の状況を把握しておくべきうだな」
「はい……しかし、それはどのように鍛えるものなのでしょう?」
レグルスの指摘と似た内容を、以前にもブラックバーン騎士団で言われたことがある。それをオーウェンは思い出した。その時から自分は変わっていないことを知った。
「鍛えることは変わらない。とにかく強くなること。それが戦闘中の余裕に繋がると俺は思う」
「余裕というのは?」
「ギリギリの戦いはしないってこと。全てを目の前の相手に向けていたら、他のことに対処できない。六割くらいの……いや、具体的な数字は状況次第だけど、とにかく全力で一人の敵に向かうなんて真似は駄目ってことだ」
レグルスとジュードは経験でこれを知っている。二対多数の戦いを何度も経験している二人は、自然とそれを学んだのだ。その点、オーウェンは経験不足。ブラックバーン騎士団でも、一対一の戦闘訓練がほとんどだったのだ。
「余力ですか……」
「また頭で考えようとしている。どれくらいなんて考えても意味はない。相手次第で変えないと。相手が圧倒的に強ければ、周囲を気にする余裕なんて持っていられないからな」
「相手の力量を見極めた上で、自分の力を」
レグルスに注意されても、結局、オーウェンは理屈で考えてしまう。これは彼の弱点だ。長所になる時もあるが、実戦では悪い方に働くことになる。
「オーウェンは理屈ばかり。ジュードは本能だけ。お前らは極端過ぎる。足して二で割った……ら特徴がなくなるか。まあ、意識して鍛錬していれば丁度良くなるだろ」
レグルスの評価では、ジュードは天才肌で、オーウェンは努力型となる。どちらが優れているということではない。どちらに偏っていても駄目だと考えているのだ。
「あの方の場合は、どうなのですか?」
オーウェンが言う「あの方」はアリシアのこと。レグルスと同じか、それ以上かもしれないと思う勢いで、アリシアは走っている。アリシアの普段の鍛錬をほとんど知らないオーウェンには、それが不思議だった。
「ああ、アレな。アレは本当の天才が努力するとこうなるって例だ」
「努力ですか……」
「あいつは強くなることしか考えていないからな。女を捨てていると言っても良い。それくらい割り切って……っと」
ふいに話を止めて、大きく横に跳ぶレグルス。そのレグルスが立っていた場所には、不満を思いっきり顔に出しているアリシアがいた。
「避けるな」
レグルスに不意打ちを避けられたのが不満なのだ。
「背後から襲い掛かってきておいて文句を言うな」
「人の悪口を言うからだ」
「それ絶対に嘘。俺が悪口を言う前に攻撃しようとしていただろ?」
それが分かっていたからレグルスは、わざと悪口を言ったのだ。アリシアは揶揄う為に。
「そういうのどうして分かるの?」
自分の気配をさとられた。どうしてそれが出来るのかアリシアは疑問に思った。かなり本気で、魔力まで使って、間合いを詰めたつもりだった。常人であれば一瞬と感じてもおかしくない時間なのだ。
「魔力を感じるから」
「ええ? 私、出来ない。どうやるの?」
「どうやるって……口では上手く説明出来ない。どうしてお前は出来ないのかが分からないくらいだ」
魔力を察知することに関して、レグルスは意識して何かをしているわけではない。なんとなく魔力が動いているのを感じる。そういうもので、アリシアも出来ているものだと思っていた。
「鍛錬したわけじゃないのに出来るようになったってこと?」
「そうだな。意識しては、ああ、関係あるとすれば、気配探知の魔法は訓練した。でも常時発動なんてしていないと思うけどな」
魔力を探知するということだけであれば、気配探知魔法の訓練はしていた。それが、無意識のうちに役に立っている可能性はある。実際にどうかは、レグルスには分かっていないが。
「その気配探知ってどうやるの?」
「はい? 補助魔法系にあっただろ?」
「……あったかな?」
「あった。お前、さては、単純な強さだけを追求していたな?」
魔法については一通り、学院の授業で教わる。ただ、実習は任意だ。実技授業の時間にどの魔法の鍛錬を行うかは学生が自分で決める。アリシアはその実技授業で、補助魔法系の鍛錬に力を入れなったのだとレグルスは理解した。
「気配探知って、鍛錬を繰り返さないと使えないものなの?」
レグルスが思った通り、アリシアはいくつかの魔法については、鍛錬対象から外している。彼女なりの基準があって優先順位をつけたのだ。気配探知の魔法については、発動さえ出来ればそれで効果は得られる魔法と考えて、鍛錬することはしていなかった。
「探知範囲は変わるな。あとは、気配の見極め。どの方向で、どれくらいの距離にいるかの見極めには慣れが必要だと思う」
「そっか。じゃあ、鍛錬しないと駄目ね」
「俺の経験から言うと、それほど時間は必要ない。実技授業の時間に、何度か試すだけでいける。大勢の人がいるし、魔法を発動している人、していない人もいる。魔法の結果を、実際に目で見て、確かめることが出来るから成長が分かり易い」
多くの人がいる分、最初は見極めるにも難易度が高いのだが、レグルスには気になることではない。最初から上手く出来ることなどない、という考えなので、難し過ぎて心がくじけてしまうということはないのだ。
「なるほど。これから習慣にしようっと」
「それで?」
「それでって、何?」
いきなり「それで?」と聞かれてもアリシアには意味が分からない、はずはないのだが、話がいきなり飛んだことに頭が追いついていないのだ。
「何か用があって近づいてきたのだろ?」
「あっ……そう。猛獣相手だからって油断しないでね?」
「わざわざそれを言いに?」
模擬実戦訓練の相手は猛獣。訓練の前に油断を戒めようとする気持ちは分からなくはないが。今わざわざ言うことかとレグルスは思った。
「実戦って何が起こるか分からないじゃない」
想定外のことが起こる可能性。可能性ではなく、実際に起きることをアリシアは知っている。猛獣が制御を外れて暴れることになるのを、アリシアはゲーム知識で知っているのだ。
「……それは分かっているつもりだ。油断するつもりはない」
敵は殺すか、戦闘力を完全に奪ったと分かるまでは油断など出来ない。そうなっても完全に気を緩めることは、レグルスはない。それは今もだ。敵の存在を感じなくても、常に一定程度は警戒し続けている。自然とそうなっていた。
「それで良い」
「何かあるのか? それともあった?」
何故、アリシアはこんなことを言ってくるのか。少し考えて、レグルスはひとつの可能性を思いついた。アリシアがまた命を狙われている、もしくはすでに狙われた可能性だ。
「何もない。最後にあったのは……あれだけど、最近は全然ない」
「お前……襲われたのを隠していたな?」
「襲われたといっても全然危険じゃなかったから。すぐに、その……あれだし……」
ジークフリート第二王子が助けてくれた。それをレグルスに話すことが、アリシアは出来ない。後ろめたさを感じてしまうのだ。
「あれって……まあ、無事だから良いけど。怪しい気配もないのだな?」
「ない」
怪しい気配はない。ゲームイベントが起きることを知っているだけだ。
「……分かった。分かったから、もう行け」
「えっ……なんか冷たくない?」
用件が終わったら、すぐに追い返される。そんな対応をされると、距離を感じて、寂しくなってしまう。自分の立場を奪う女性、と女の子が現れたことで落ち込んでいた気持ちは少し立ち直ったものの、まだ完全に消えているわけではないのだ。
「お前がいつまでもここにいると、近づいてきて欲しくない奴らがやってくる。そいつらは俺にとって邪魔でしかない」
「……悪い人たちじゃない」
レグルスが言う邪魔な奴らは、ジークフリート第二王子たちのこと。出来ることなら彼らとの距離をもっと近づけたいとアリシアは思っている。この時点で仲良くなっておけば、将来も敵対することにはならないのではないか。こんな思いがあるのだ。
「良い悪いじゃなくて、邪魔かそうでないか。重要なのはその点だ」
「一緒に鍛えるのも良いことだと思うけど?」
「その鍛錬の内容が、根本的に異なることは知っているだろ? 俺は俺に必要な鍛錬を行う。それは奴らのそれとは違う」
入学する前に基礎鍛錬を終えている彼らと同じことを行っても、自分の為にはならないとレグルスは思っている。今ある差を詰める為には、遠回りに思えても、基礎をきっちりと身につけるべきだと考えて、学院の実技授業もそれにあったグループを選んでいる。彼らとの鍛錬を嫌がるのは、好き嫌いだけではない。
「……アオは自分が思っているより、強いと思うよ」
「お前な。そういう甘い自己採点をしていて強くなれると思っているのか? 俺は今の自分にまったく満足していない。もっともっと努力して、努力だけでなく工夫して鍛錬しないと駄目だ」
これを聞いて、オーウェンとジュードは苦い顔だ。彼ら二人は、アリシアと同じ評価。レグルスは同世代では強いほうだと思っている。
だがこれをレグルスに伝えても意味はない。同世代の中では強い、では、やはりレグルスは満足しない。その同世代にアリシアを含め、ジークフリート第二王子やタイラーたち、かなりの強者がいるとしても関係ない。レグルスは彼らを目標にしているわけではない。彼らを超えるのは最低限の目標に過ぎないのだ。
レグルスは、ゲーム設定では最強の敵役。そういう見方をしているアリシアには、それが分からない。比べる相手は主人公である自分とその仲間たちだと思ってしまうのだ。