途中で、これも訓練の一環として、野営を行い、その翌日の夕方に目的地に到着した。予定通りの到着だ。一泊二日程度の行軍で予定が狂ってしまうなど、移動が困難んになるほどの嵐に襲われたなどということがない限り、あり得ない。予定通りに到着出来て当たり前だ。
目的地の砦は、先に到着していた教官たち、そして訓練に協力する猛獣使いたち以外は誰もいなかった。砦として軍が籠るのは有事だけ。王都から二日でたどり着ける場所に、部隊を常駐させておくのは経費の無駄だと考えられているのだ。実際にその通りだ。外壁を突破されたのが分かってから準備をし、部隊を移動させても余裕で間に合う位置に砦はあるのだ。
到着してすぐに用意されていた夕食。食事が済んだあとは、明日の訓練に備えて、早めの就寝となった。浮かれて部屋で騒いでいる学生はいない。ここまでの行軍で皆、それなりに疲れている、わけでもない。
「ん……んん……んん……こら、ケル! いたずらは駄目!」
ぐっすりと寝ていたところをケルに顔を舐められてレグルスは起こされてしまう。
「ケルは眠くないのか? 確かに寝るのが早かった……あれ? 俺、いつの間に寝た?」
消灯になってもレグルスたちにはやることがある。呼吸法からの魔力の鍛錬。日課であり、外での鍛錬が許されないとなれば、いつもよりも時間をかけて行うつもりだった。
だが、いつの間にか寝落ちしてしまっていた。普段であれば、あり得ないことだ。
「…………なんか、頭がボーっとする。なんだこれ? 風邪でも……」
ケルに無理やり起こされた。それが原因と思えない。寝起きは悪くない。というより、どれだけ熟睡、することがまず滅多にないのだが、していても、すぐに覚醒して動けるように自分なりに鍛えてきたつもりだ。
「……オーウェン、ジュード。オーウェン! ジュード! 起きろ! 何か起きている!」
外の様子がおかしいことにレグルスは気が付いた。静寂の中に、わずかだが音がしている。それだけではない。窓から見える外は、夜にしては明るい。消灯して真っ暗になっていないのだ。
「起きろ! さっさと起きろ!」
体をゆすって寝ている二人を起こすレグルス。それもまたおかしい。そこまでしないと起きない二人ではないはずなのだ。
「レグルス様……何が……」
「なんか、頭が回らない。これ……何?」
ようやく目覚めた二人も普段とは感覚が違っていた。レグルスと同じ感覚だった。
「急いで準備しろ。すぐに外に出る。敵がいるかもしれないから、武装を怠るな」
「敵……承知しました!」
敵がいる。それを聞いたオーウェンはすぐに動き出す。そうはいっても、いつもよりは鈍い動き。完全に頭も体も目覚めていないのだ。
「戦闘体勢に入れ。効果があるか分からないけど、今の状態よりは少しはマシになるかもしれない」
「はい」
魔力を体内に巡らすオーウェン、そしてジュード。鍛錬の成果が出て、二人は魔力をある程度は扱えるようになっている。ある程度、はレグルスの基準だ。
準備を終えて、外に出た三人。敵の姿は確認できない。確認出来なかったが。
「……あそこは?」
外を明るくしていたのは燃え上がる炎。建物のひとつから炎があがっていた。レグルスが想像していたよりも遥かに勢いのある炎で、建物全体に広がろうとしている。
「確か、教官と協力者たちが宿舎としていた建物です」
「後回し。アリスのところに行く」
「承知しました」
失火とはレグルスは考えていない。なんらかの方法で全員を眠らせた上での放火。計画的な殺人だ。そのターゲットが教官と訓練の協力者である猛獣使いたちだけである可能性は低い。ここには命を狙われる理由がある人物が他にもいる。アリシアはその一人であり、レグルスが守るべき唯一の対象だ。
アリシアがいるはずの建物に向かうレグルスたち。幸いにもその建物に炎があがっていなかった。
「いるか!? いるなら起きろ! 今すぐ起きて、外に出ろ!」
扉を叩きながら叫ぶが反応はない。眠らされている可能性を考えて、レグルスは強硬突破を図ることにした。ガラスを叩き割って、窓から中に飛び込んでいくレグルス。
「寝てる……まったく……」
これだけ大騒ぎをしているのに、アリシアはベッドの上ですやすやと寝ていた。
「貴方、何をしているの?」
「あっ、さすが。起きたのならすぐに着替えてください。武器も忘れずに」
同室で寝ていたキャリナローズは、物音で目を覚ましていた。それに感心するよりも、呑気に寝ているアリシアにレグルスは苛立ってしまう。
「この馬鹿。さっさと起きろ。火事だぞ」
声をかけながらアリシアの口と鼻を指でつまむレグルス。優しく起こすのが馬鹿馬鹿しくなったのだ。
「ん、んんん、んんんっ、離せ! 死んじゃうだろ!?」
いたずら、ではないのだが、しているのがレグルスだと気が付いて、乱暴な言葉で文句を言うアリシア。
「寝てても死ぬ。さっさと起きて、着替えろ」
「何? どうして、アオが部屋にいるの? まさか……変態な真似を?」
「ふざけている時間はないから。頭は、はっきりしているか? ボケているなら魔力を活性化させろ」
無事にアリシアと合流出来たことで、レグルスも少しだけだが気持ちが緩んでいる。緩みといっても、アリシアと普段通りの会話をするくらいもの。周囲への警戒を怠っているわけではない。
「……何かあった?」
「教官たちの宿舎が燃えている。全焼するくらいの勢いだ。恐らくは、放火だな」
「嘘?」
放火と聞いて、驚いているアリシア。ここでそんなことが起きるはずがない。何か起きるのは明日、訓練が始まってからのはずなのだ。
「嘘じゃない。いや、確信はないけど、確率は高い。頭がはっきりしなくないか? 起きているのに頭が回っていない感じ」
「……そんな感じ」
「薬を盛られた可能性を考えている。薬で眠らせた上で寝ている建物に火をつけて殺す。こういう目的だと推測している」
「薬を盛るなら毒のほうが早くないかしら?」
会話に割って入って来たのはキャリナローズだ。放火殺人が進行していると聞いて、黙って聞いているだけではいられなくなったのだ。
「そう。つまり、殺したいターゲットが決まっている可能性がある。それが教官か猛獣使いの中の誰かであれば、事は済みだ」
「そうではないと考えているのね?」
「いや。そうではない可能性を警戒しているだけ。個人的にはそうであって欲しいと思っている」
教官と協力者たちが寝ていた宿舎を燃やし、対象がそれで亡くなっていれば、それで犯人は目的達成。あとは好きに逃げれば良いとレグルスは考えている。レグルスは、犯罪を取り締まる立場でも正義の味方でもない。やるべきこと以上を行うつもりはない。
「そうね。貴方はそういう人だったわね」
「ただまだリスクは残っている。キャリナローズさんの下着姿は魅力的で、ずっと見ていたいけど、そろそろ戦う準備を、痛っ!」
「この変態!」
レグルスの後頭部を思いっきり拳で殴りつけたアリシア。
「冗談だ! ていうか、お前もさっさと着替えろ!」
「着替えたいけど、アオがいるから着替えられないの! 後ろを向いているか、外に出ていて!」
「それもそうか。じゃあ、外に出ている。ケル!」
レグルスの呼びかけに応えてケルが窓から部屋の中に飛び込んできた。自分がこの場を離れている間の護衛として、レグルスは呼んだのだ。
「あとは頼むな」
ケルの頭をなでながら、あとを頼むと、外に出ていくレグルス。
「ケルも連れてきていたのね。気づかなかった」
ここまでの移動中、アリシアはケルの姿を見ていなかった。周囲に不審に思われないように、レグルスが隠していたのだ。
「その犬は?」
「……レグルスの飼い犬です」
「猛獣相手の訓練に犬を連れてくるって……」
「とても可愛がっているので。それよりも急ぎましょう」
ケルについては長く話をしていたくない。ケルは犬ではなく魔獣。今の姿からはキャリナローズには想像も出来ないだろうが、それでもアリシアは話を逸らしたかった。
「そうね。急ぎましょう」
実際にのんびりとレグルスの飼い犬について話をしている場合ではない。レグルスの想像通りであるとすれば、どこかに誰かの命を狙っている者がいるのだ。その命を狙われているのが、自分である可能性もゼロではなないのだ。
キャリナローズとアリシアは大急ぎで戦闘用の装備に着替え始めた。
◆◆◆
宿舎の外に出たレグルスは、周囲の様子を探っている。教官たちの宿舎は完全に炎に包まれた。中に人がいれば、まず助からないだろうと思うほどの勢いだ。ただ炎があがっているのは、その宿舎だけ。他の宿舎は無事だ。
襲撃者は目的を達したのか。その可能性を考えたレグルスだったが。
「お待たせ」
着替えを終えて外に出てきたアリシアとキャリナローズ。
「ああ、待った。急いで、まだ寝ている奴らを起こせ。来るぞ……いや、来てるだ!」
宙を跳ぶ獣を、宿舎を燃やす炎が照らす。その獣に向かって、レグルスは剣を斬り上げた。
「ぎゃんっ!」
地面を転がる獣。その獣に剣を突き立てたのはジュードだ。とどめをさされて、動かなくなった獣。
「獣、殺しても面白くない」
「面白くなくても殺せ。まだまだいる」
「はあ、やっぱりね」
ジュードはこの襲撃はレグルスのせいだと思っている。レグルスが狙われているということではなく、何かと騒動に巻き込まれるレグルスの性質のせいだと考えているのだ。
「なんか違う……けど、それを考えている場合ではないわね!」
このイベントはこういうものではなかったはず。アリシアはこう思ったが、それを今考えても仕方がない。現実に迫った脅威を、まずは払うことだ。
レグルスに言われた通り、まだ寝ている人たちを起こす為に動き出すアリシア。それなりの実力がある学生たちであっても、寝ている間に襲われるとどうにも出来ない。時間はないのだ。
「……やっぱり、目標がいるな」
「どうしてそう思われるのですか?」
レグルスの呟きを聞いて、その理由を尋ねるオーウェン。
「俺たちを襲ってこない」
「……確かに。目標を探しているのでしょうか?」
襲ってきたのは最初の一頭だけ。獣は周囲に沢山いるが、レグルスたちに向かってくる様子はない。次々と宿舎の中に飛び込んでいっている。
「そうだろうけど、獣に人を見分けられるのか? ケルは俺が分かるけど……いつも一緒にいる俺たちとは違うと思うけどな」
護衛を終えて戻ってきたケルは、レグルスが広げたマントに飛び込んでいく。ケル用に作った特大内ポケットがあるのだ。特大といっても変体前の小さな体を収める程度。マントを降ろせば、その存在は外からは分からない。
「つまり、対象を見分ける人間がいる?」
「猛獣使いがな。それも、この明るさで顔を見分けられる距離に」
砦を照らす炎。だがそれは、昼の明るさとは比べものにならない。人の顔を視認するには、かなり近くにいなければ無理なはずだ。
「……オーウェン。お前、速射得意か?」
「得意と言えるほどではありませんが、近距離であれば」
「俺の右斜め後ろ。角度から宿舎の屋根の上か。腕伸ばすからその方向の屋根の上にいる奴を討て」
視線をまったく別方向に向けたままオーウェンに指示を出すレグルス。オーウェンも同じ。さりげなく弓を手に持ち、射る準備は行っているが、顔はまったく関係のない方向を向いている。
「行け」
左斜めに腕を伸ばすレグルス。それを頼りに視線を向けたオーウェンは、素早く矢を射る。
「ジュード。とどめを」
「了解!」
屋根から転がり落ちてきた影に向かって駆けて行くジュード。すぐに断末魔の叫びが響いてきた。
「レグルス!」
レグルスの名を呼んだのは、キャリナローズ。寝ている仲間を起こしに行った彼女が戻って来た。ジークフリート第二王子やタイラー、クレイグを連れて。
それ見て、こんな時でも嫌そうな顔をするレグルス。これはもう条件反射のようなものだ。
「状況を教えてくれ」
ジークフリート第二王子たちがここに来たのは、レグルスに状況を聞くため。真っ先に行動したレグルスが、一番状況を把握していると考えてのことだ。
「猛獣使いと思われる襲撃者を一人倒しました。でも、状況はご覧の通り。まだ獣の襲撃は続いています」
「数は?」
「分かりません。訓練の協力者として集められた猛獣使い全員である可能性があります。その他にもいる可能性も」
そして襲撃に加担しているのは猛獣使いだけではない。食事の薬を盛れる人物、恐らくは学院関係者も襲撃グループの一員だ。
教官たちの宿舎を燃やしたのは、目標を見極める為に明かりが必要だったことと、誰が襲撃に加わっているか分からなくする為。レグルスはこう考えている。
「犠牲者は?」
「それは私には。キャリナローズさんとアリシアに聞くべきだと思います」
レグルスはアリシアとキャリナローズを起こしたあと、ずっと動かないでいる。他の学生たちがどうなっているかは知らない。それは彼らを起こしにいった二人が分かっていることだ。
「そうか……どうかな?」
「私が分かっているのは、怪我人が数人。ああ、戻ってきたわね」
アリシアも戻って来た。大勢の同級生を連れて。
「怪我をした人が何人かいます。治療が出来る人はいますか?」
アリシアが連れてきた中にも怪我人がいる。逆に動ける怪我人だけで済んでいるということだ。
「重傷者はいないね? 簡単な手当であれば、自分たちでなんとかしてもらいたい。戦える人は、他にやることがあるから」
学生たちが集まれば、襲撃者も集まってくる。数えきれないほど多くの獣が、彼らを囲んでいた。イベントは、まだこれからなのだ。