レグルスは転生して、すぐに前世の記憶を紙に記している。ただ何から何まで記録出来ているわけではない。原因は分からないが、転生直後から前世の記憶は急速に失われていく。残しておかなければならないと思う記憶を選りすぐって記録するのだ。
久しぶりにブラックバーン家に戻ってレグルスは、その記録を読み返していた。大切なことを記録から思い出そうとするのとは少し違う。そういう考えもないわけではないが、主目的はそれではない。疑問に思うことがあって、記録を見ながら、それを考えようと思ったのだ。
(……これを見ただけでは分からないか。でも、他にヒントになるようなものはないからな)
残した記録を一通り、読み返してみたが、それでも疑問は解けない。ヒントになるようなものは見つからなかった。
(……前の前に残した記録がどのようなものかを分かるようにしておけば……って、この人生が失敗する前提でどうする?)
レグルスが疑問に思ったのは、このようにして残した前世の記憶は、本当に重要なものなのかということ。記憶はどのような順番で失われるのか分からない。そもそも転生した直後に全ての記憶が残っているという保証もないのだ。
(これらが人生の結末を変えられる記録であるとすれば、どうして俺は何度も失敗している?)
何度人生をやり直しても、悲劇は防げなかった。前世の記憶は、悲劇を防ぐ役には立たなかった。それがレグルスには分からない。問題を改善していけば、いつか結果は良くなるはず。何度も試みていれば、これが最適だという方法が見つかってもおかしくないはず。だが、彼の人生はそうなっていないのだ。
(結局、俺は前世をなぞる生き方をしていたということかもしれない……)
前世の記憶を頼りに新しい人生を生きていた。だがそれは、前世をなぞる生き方だったのではないか。人生の結末を変えると決意していながら、同じ結果に繋がる行動を選んでいただけではないか。こんな思いが心に浮かんでしまう。
(今回の人生はどうなのだろう?)
何かが変わっていると感じていた。仇敵であるアリシアとの関係は、それを示す最大のものだ。そう思っていた。だが本当にそうなのか。前世でのアリシアとの関係は、本当に今のようなものではなかったのか。変わっているという証をレグルスは持たない。忘れているだけである可能性を否定出来ないのだ。
(……リサの為に俺は、サマンサアンを切り捨てたのか?)
この可能性もあるのだ。サマンサアンの幸せを奪ったのは、もしかすると自分なのかもしれない。そうであるとすれば、自分は一体、何のために生きているのか。アリシアを守るという想いは、結局、同じ結末を迎える為のものではないのか。また自分は同じ人生を歩んでいるのか。レグルスの心に不安が広がっていく。
(俺は俺の意思で人生を生きているか?)
この疑問は、レグルスにとってはかなり重い。人生を変えると強く決意していたはずが、それさえも自分の意思ではない可能性がある。決してあってはならない可能性をレグルスは思いついてしまったのだ。
(俺は……何者だ?)
自分は何者なのか。自分が存在することに、どのような意味があるのか。これを考えるレグルスは、ゲームの操り人形ではない。本人がこれを知ることはないが、そういう存在になっているのだ。
(……転生を繰り返していることが、すでに異常な存在か……この世界は普通じゃないということだ。そして普通がどういうものか、俺は知らない)
転生を繰り返す自分は異常な存在。そういう異常が存在する、この世界は普通ではないのだろうとレグルスは思う。異常な世界でしか生きていない自分には、何が普通なのかは分からないだろうと思いながらも。
(……それでも俺は……俺として生きるしかない)
テーブルの上に広げられていた紙が、一気に燃え上がる。前世の記憶を記した紙だ。レグルスは、それを無用のものとして燃やした。何度も読み返しているので、ここで燃やしたからといって、頭から消えるわけではない。それでも燃やしてしまおうと思った。
覚悟を、もう一度、覚悟を定める為に。過去の人生との決別の証として。
◆◆◆
白金騎士団はジークフリート第二王子が従士たちを集めて結成した騎士団。形式としては彼の近衛騎士団ということになる。まだ王子であり、学生でもあるジークフリートが、軍組織の指揮権を持とうと思えば、そういう形にするしかない。軍の統帥権は国王の手に有り、将軍も国王から指揮権を預かっているだけ。ジークフリートが求めたのは自分の騎士団、自分だけに忠実な騎士団であるので、それでは駄目なのだ。
その白金騎士団は、少しずつ数を増やし、今では三十名ほどの組織になっている。数だけが増えたわけではない。その質もかなり向上している。厳しい鍛錬を続けてきた結果だ。
「もっと歩調を合わせて! まだまだずれている!」
団員たちに指示を飛ばすジークフリート第二王子。今行っているのは、馬に乗っての訓練だ。十騎をひとつの小隊としての騎乗訓練を行っていた。
「……かなり拘っているのですね?」
アリシアはその訓練には参加していない。馬術に関しては彼女はまだまだ未熟。訓練に参加出来るレベルに達していないのだ。
「バラバラに馬を駆けさせるよりも、まとまっていたほうが攻撃力があがると考えている」
「だから、馬に乗っても一糸乱れぬ動きを出来るように?」
考え方は、なんとなくだが、アリシアにも理解出来る。ただ、ジークフリート第二王子の拘りはかなりのものだ。アリシアの基準では、すでに団員たちの動きは見事なもので、何が不満なのか分からない。
「それもあるけど、それだけではないよ。私は彼らに集団行動の重要さを知らしめたいと思っている」
「……個の力で戦うのでは駄目だということですか?」
これについてはアリシアも同じ考えだ。個人の武勇を頼みに戦うというのは古いと考えている。深く勉強した結果ではなく、具体的に何かは覚えていないが、元の世界で耳にした知識だ。
「そう。個の力を高めることは必要だよ。でも、一人の力には限界がある。何人もで支え合い、補い合うことで一の力が十にも百にもなると、私は思っている」
「そうですね。私もそう思います」
「ただ、この考えを全ての騎士が受け入れてくれるわけではない。受け入れさせるには、結果で示す必要がある」
正々堂々と一対一の戦いで決着をつける、なんて考えが、騎士として正しいこととされている。こういった考えを変えることは、王子であるジークフリートでも難しい。言葉で説得しても無理で、結果で示すしかないと考えているのだ。
「結果ですか……大丈夫です。必ず、ジークの考えが正しいことは証明されます」
学院を卒業した後は、結果を出せる機会は何度もある。その機会を確実にものにすれば、ジークフリート第二王子の考えは王国騎士団に浸透するはずだ。そうでなければならないとアリシアは思っている。
「アリシア……君も手伝ってくれるよね?」
「もちろんです。私で力になれるのであれば、いくらでもお手伝いします」
「そうか。ありがとう。アリシアが一緒だと心強いよ」
満面の笑顔をアリシアに向けるジークフリート第二王子。ここまで喜ばれると、アリシアとしても嬉しい。この人を支えることが自分の使命。そうであることを喜ぶことが出来る。
そんな二人の様子を、肯定的とは言えない目で見ている人たちがいることに気付くことなく。
「……兄上もご自分の騎士団を作られたらどうなのですか?」
その一人、エリザベス王女はかなり渋い顔だ。アリシアとジークフリート第二王子が仲良さげにしていることが気に入らないのではない。白金騎士団の存在を不満に思っているのだ。
「私は武のほうは、さっぱりだからな。ジークが頑張ってくれるのであれば、ありがたい」
ジュリアン第一王子は、エリザベス王女のような不満顔ではなく、苦笑いを浮かべている。
「王国の為の騎士団であれば、私も文句は言いません」
「そうでないとしても、父上が認めたことだ。文句を言うべきではないな」
白金騎士団はジークフリート第二王子が自分だけの為に作った騎士団。次期国王の座を争うジュリアン第一王子の為に活動することはない。そうであることはジュリアン第一王子も分かっている。分かっているが、国王がその結成を認めているのだ。文句は言えない。
「私は、兄上もご自分の騎士団を持ったほうが良いと言っているだけですわ」
エリザベス王女も、建前上は、文句を言っているわけではない。ジークフリート第二王子が自分の為だけに働く騎士団を持つなら、ジュリアン第一王子も同じようにするべきだと言っているのだ。
「同じ土俵に立つ必要はあるかな?」
しかも武は、ジークフリート第二王子が得意としている領域だ。そこで争うことの意義を、ジュリアン第一王子は見いだせない。負け戦と分かっていて戦いを挑むのは無駄だと思うのだ。
「……世の中が、それが必要な方向に進んでいるとしたら?」
「今よりも更に、という意味か?」
「そうです」
今も平和な時代ではない。大きな戦いはこの数年起きていないが、小競り合い程度の戦いであれば、頻繁に起きている。アルデバラン王国は、ずっと戦争中なのだ。
「……もし、激しい動乱の時代が訪れるのだとすれば、私は王になるべきではないな」
「兄上!」
「アルデバラン王国にとって望ましいのはどちらかということを考えれば、そうなる。王家の人間として、個人の感情を優先するべきではない」
自分は動乱の時代に向く人間ではないとジュリアン第一王子は考えている。謙遜しているわけではない。周囲の評価はもっと低い。王には相応しくないというものだ。だがジュリアン第一王子本人は、治世であれば、自分にもやれることはあると考えているのだ。
「……私は兄上が国王になるべきだと思っています」
「どうした? まさかと思うが、レグルス絡みではないよな?」
エリザベス王女がここまで、はっきりと自分を支持したのは、これが初めてのこと。中立的な態度に徹していたはずのエリザベス王女の変化にジュリアン第一王子は驚いている。
思い付いた理由は、レグルス。王妃という立場でなければ、アリシアがジークフリート第二王子の妃として認められる可能性が出てくる。それを期待しているのかと考えた。
「それこそ個人の感情です。私はジークでは駄目だと言っているのです」
「レグルスへの個人的な感情は認めるのだな?」
「……今はそういう話は無用です。アルデバラン王国の未来を誰に託すべきかを話しているのです」
「王国の未来……話が大きくなってきた」
次期国王は自分かジークフリート第二王子か。国王に誰がなるかは確かに重要なことだ。だが、王国の未来は大げさな表現だとジュリアン第一王子は思う。国王一人にそこまでの影響力は、今のアルデバラン王国では、ないと考えているのだ。
「……では、せめて彼女とジークを近づけないようにするべきです」
「リズ、私にはお前の話が分からない。それと王国の未来の話は、どう繋がるのだ?」
アリシアとジークフリート第二王子の関係を気にするのは個人の感情としか思えない。レグルスの為を思っての言葉だとジュリアン第一王子は受け取っている。だが、何故、いきなりそんな話になるのかが分からない。話が繋がらないのだ。
「……彼女は……彼女は運命を作る側の人ではない。そう思うようになったからです」
アリシアは誰よりも眩い輝きを放っている。その光は多くの人々を照らすことになる。この見方は変わらない。以前と違うのは、アリシアの輝きに影響を受けない存在がいると分かったこと。もっと言えば、影響を受ける存在はレグルスだけなのではないかと思うようになったことだ。
「……ちなみに、運命を作る側にいるのは?」
「レグルス……とジーク。今、分かるのは二人だけです」
「なるほど。リズ、お前、視えているのだな?」
未来視についてはジュリアン第一王子も当然、知っている。エリザベス王女の話が分からなかったのは、自分には視えないものを視て話しているから。それがジュリアン第一王子にも分かった。
「視えていても、何も視えていないのと同じです。私には、先がどうなるのか、具体的なことは何も分かりません」
「……それでも選ぶとすればどちらだ? 私とジークではなく、レグルスとジークであれば、どちらを選ぶ? 念のために言っておくが、夫としてではないからな」
「…………」
ジュリアン第一王子の問いにエリザベス王女は無言。この反応は、ジュリアン第一王子にとって、想定外だった。ジークフリート第二王子の次期国王就任を否定するのだから、選ぶのはレグルス。こう考えていたのだ。
「どちらも選べる相手ではないということか……これは困ったな。第三の選択肢が必要なのか……そしてそれは彼女ではない……だからといって私に求めるのは酷ではないか?」
自分は、エリザベス王女の言うところの、運命を作る存在ではない。そんな自分がジークフリート第二王子に、場合によってはレグルスにも、対抗しろと言われても、それは無理だとジュリアン第一王子は思う。敗北を恐れるというより、敗北の結果、訪れる未来を恐れてしまう。
「ごめんなさい。でも、他に話せる人がいないから」
「……レグルスは何故、駄目なのだ?」
「彼の闇は深い。光が強くなる瞬間があることを知ったけど、闇が消えるわけではないわ」
レグルスの纏う闇は、きっと消えることはないとエリザベス王女は考えている。彼の輝きが強くなれば、その分、闇も濃くなる。そんな関係だと感じている。レグルスは王国に繁栄をもたらすような存在ではない。それだけは、何故かエリザベス王女には、はっきりと分かるのだ。
「ジークは?」
「彼の運命は血塗られているわ。多くの死を彼はもたらす」
ジークも闇をまとっている。レグルスとは異なる闇であることが、エリザベス王女には分かる。ジークの闇は、はっきりと死を感じさせる。混沌としていて何も視えないレグルスの闇とは違っている。
「……王道ではなく覇道か。意外だな。意外だが……それも道だ」
ジュリアン第一王子は、エリザベス王女のように拒絶はしない。国王が血塗られた道を歩むなんてことは、当たり前にあること。領土を広げるには敵味方の犠牲が必要。力による支配を選び、多くの屍を生み出したとしても、その先に国の繁栄があるのであれば優れた王として評価される。
実際にジークフリート第二王子が覇道を選んだとしても、それを否定することは出来ない。
「道、ですか……そうですね」
その道を作り出す運命をジークフリート第二王子は持っている。だた視るだけの存在である自分に、それを変えることは出来ない。ジュリアン第一王子の話を聞いて、エリザベス王女はそう思った。
ジークフリート第二王子が作り出す道を変えることが出来るとすれば、同じ運命を背負った人物。レグルス・ブラックバーンしかいないのだと。