レグルスは、スケジュールの内容は平日とは違っているが、基本的には規則正しい毎日を送っている。乱れることがあるとすればそれは、自分のことを調べようと様子を探っている者が現れた時だ。心底鬱陶しいと思い、排除を考えたこともあったが、調べさせているのが東方辺境伯家で、それをあっさりと調べられてしまうほどの技量となると、調べようとしている人物の想像がつく。キャリナローズだ。
何を調べようとしているのかは分からないが、下手な行動に出て、より深い疑いを持たれるのも困る。そう考えて放置しておくことにした。放置といっても、自由に後をつけさせるわけではなく、振り切る時は振り切っている。とりあえずは、それで十分だと考えたのだ。
用がない時は、道場には朝から通っている。体力作りの為の基礎鍛錬よりも、稽古をしていたほうが良いと考えた結果だ。自分に厳しくしてきたつもりのレグルスだったが、道場では本当に限界を超える稽古が行われる。そうさせる指導者がいないと、どうしても甘えが出ることを知ったのだ。
朝稽古で動けなくなるまで体を動かし、昼に回復させる。さらに技の習得で、楽というわけではないのだが、さらに体力を回復し、ある程度動けるとなったところで、また限界までの稽古。師匠である三人が最初、あまりの熱心さに驚く、を超えて、呆れしまったくらいの内容だ。
それを月曜日に行うと、次の日は体力を削るような稽古ではなく、じっくりと動きや技の反復稽古。水曜日は休み、といっても『何でも屋』の仕事を行い、木曜日はまた激しい稽古、翌日は反復稽古、土曜日はまた激しい稽古を行って、日曜日は休み。フランセスやエリカとの約束がなければ、やはり『何でも屋』で仕事となる。
毎日、夕方から夜にかけては主に勉強。魔法の鍛錬は『何でも屋』にいる時に空き時間があればいつでも、という感じ。基本、道場での稽古だけしか一緒にはいないオーウェンでも、これだけ鍛錬を行っているブラックバーン騎士団の仲間はいないだろうと思うくらいの量となっている。
「どうして、ここまでのことが出来るのだろう?」
オーウェンにはレグルスの動機が分からない。北方辺境伯家の公子であるレグルスに、個の武力はそれほど必要ないはずと思っているのだ。レグルスが裏でとんでもないことをしているのは、教会の一件でオーウェンも知ったが、それが他人とは比べものにならない鍛錬を行える理由とは思えない。
「……味方がいないからでしょ?」
ジュードにはオーウェンが見えていないものが見えている。
「それは、どういう意味だ?」
味方はいる。自分もそうだが、もっと頼りになる人たちもいる。こう思っているところが、まだオーウェンが見えてないところだ。
「言葉の通り。アオには信頼できる味方がいない。前に教えたよね? ブラックバーン家もアオの敵だって」
頼れる味方はいないから自分が強くなるしかない。この考えはジュードも持っていたものだ。世の中は自分の敵。そう思ってジュードは生きてきたのだ。
「……私にはまだ分からない。どうしてそんな風に思える? 家族同然に思っていた人たちを殺されたという話は聞いているが、本当の家族のほうが大切なはずだ」
「はず……どうして『はず』なんて言えるのかな?」
「家族だ」
これが言えるオーウェンは恵まれているのだ。家族に愛情を感じられる環境で育ってきたのだから。
「まったく理由にならないね? 家族だから無条件で許せなんて、あり得ないから」
「許す許さないではなく、家族とはそういうものだ」
「あんた……親に殺された子供に向かっても、それを言えるの? 家族だから許せって」
ジュードの雰囲気が変わる。仮面を外した、殺気と感じるくらいの黒い感情が露わになった。
「……それは、さすがに」
オーウェンはその感情をすぐに読み取った。自分が何か失言してしまったことに気が付いた。
「親は平気で子供殺す。殺しても反省することなく、また別の子を殺そうとする。家族だって敵さ」
「……君の親がそうだったのか?」
そういう親もいるかもしれない。だがそれは普通の親ではない。それを当たり前のように話すジュードは、そんな異常な親を知っているのだとオーウェンは思った。
「さあ? 忘れちゃった。もう死んでいるからね」
「……そうか」
何故、亡くなったかをオーウェンは聞けなかった。聞くのが怖かった。頭に浮かんだ可能性が、現実であったと知ってしまう可能性を恐れた。
「誰を敵に回しても戦える力がアオには必要なのさ」
「……現実的には無理だ。一人の力には限界がある」
「別に一人で戦うわけじゃないと思うけどね? あんたはブラックバーン家とは戦えないかもしれないけど、教会とは戦った」
敵の敵になるのはレグルス一人というわけではない。他にも敵になる人はいる。利害が一致していれば、手を組める相手がいる。
これは過去の人生においてレグルスが使った手。こうしたやり方がレグルスを最悪の謀略家と評させた。いつ裏切るか分からない卑怯者と、周囲に思わせたのだ。
ジュードは何も知らないのに、この考えに辿り着いた。どこか通じるものがあるのだ。
「……そのような戦いが何故、必要なのだ? レグルス様がそのような道を歩まれる必要はない」
「それは僕には分からないよ。本人が必要だと思っているのだから、必要なんじゃないの?」
聞かれてもジュードには分からない。将来のことなど知らないのだ。そもそもジュードにとっては、レグルスが異常なくらい頑張る理由など、どうでも良いことだ。
次々と敵が現れる状況は、ジュードにとって望むところ。そんな中で生き抜くために、自分も努力しなけれならない。それだけだ。
「……そのような考えで、レグルス様のお役に立てるのだろうか?」
「あのさ、あんたはそういうことを考えなくて良いんじゃないの?」
「考えるべきだろう? 私はレグルス様にお仕えしているのだ」
オーウェンは、レグルスに信頼される家臣になりたいのだ。その為には、ただ強いだけでは駄目だと思っている。このように思ってしまうのは、レグルスにも原因がある。筋肉馬鹿などと言われるので、考えることを求められているとオーウェンは思ってしまっているのだ。
「だから、あんたは、ただ信じて付いていけば良いだけじゃないの?」
「ただ信じて……」
ジュードの言葉にハッとするオーウェン。本人にそんな意識はなかったのだが、レグルスの在り方に疑問を抱いていると受け取られていたとすれば、それは仕える身として問題だと思ったのだ。
「分からないけど、アオに必要なのは、そういう人だと思うよ」
「ジュード、君は……」
ジュードからこのような言葉を聞くことになるとは、オーウェンは思っていなかった。それはジュードを軽視していた自分の愚かさではないかと考えた。
レグルスは仕えにくい主だとオーウェンは思う。だからこそ、少しでも彼を理解しようと考えていた。だが、ジュードの言うように、何も考えずに付き従うという在り方もある。死ねと命じられれば迷うことなく死ぬ。騎士として正しい忠誠の向け方なのだ。
自分にそれが出来るのか、ともオーウェンは考えた。その在り方は、これまで以上に難しい。理解しがたい主の言動を信じて、それに従い続けるには強い意思が必要。死も悪名も恐れない強い意思が求められるのだ。
◆◆◆
レグルスが営む「何でも屋」は、その業務範囲を拡大している。「何でもやります」と謳っていても、基本受ける依頼は雑用ばかりだった。庭の草むしりであったり、粗大ごみの処分であったり、トイレ掃除なんてものもある。自分でやるのは面倒と思う家事を、少しお金に余裕のある人が依頼してくるのだ。その仕事も拡大を続けている。口コミでそういう仕事を請け負う店があるということが、広がってきたおかげだ。
ただ、そういった仕事は利益が少ない。少しのお金で楽出来るのであれば、というのが依頼する側の気持ちであるので、依頼料を高く出来ないのだ。
そういう仕事が大多数の「何でも屋」の売上を支えているのは、稀に、どこで聞いて依頼してきたのかと思うような依頼。公には出来ない依頼だ。
その全てを受けるわけではない。たとえば、他人の金儲けの為に人を殺すなんて真似をするつもりは、レグルスにはないのだ。受けるのは、国や公的機関には相談出来ない問題で困っている人の依頼。実際のところ、基準は曖昧なのだが、そうしている。
「……困っているからといって、罪が許されるわけではありませんよね?」
「そうだな。だから、俺たちにやらせたいのだろ?」
「失敗しても裁かれるのは我々だけですか。まあ、今更ですけど」
困っている人の依頼が、必ずしも正義というわけではない。立場を変えて見れば、それは犯罪。そういう依頼もレグルスは引き受けているのだ。
「……前回の依頼でも思っていたのですけど、泣かれないのですね?」
「ん? そうか? 意識したことないから分からない」
レグルスは子供を抱いている。まだ赤ん坊と言うべき小さな子供だ。当たり前だが、レグルスの子供ではない。まったく血の繋がりのない、今日初めて会う子供なのだ。
寝ているわけではないのに、その子供は大人しい。レグルスの顔を触ったり、髪をくしゃくしゃにしているのを大人しいと表現するのは違うだろうが、泣き叫ぶようなことはまったくないのだ。
「……誘拐の才能ですね?」
「そんな才能、まったく嬉しくない」
他人の子供をレグルスたちは連れ出しているのだ。エモンが言葉にした通り、誘拐だ。何故、そのような真似をしたのか。身代金目当てということではない。そういうことで金を稼ぐつもりは、レグルスにはない。
「ああ、来ましたね」
子供を連れだしたのは、それを依頼した人がいるから。その依頼人が姿を現した。
「……この子が?」
「間違ってはいないと思います。この家に他に何人も同じ年くらいの子供がいれば、間違った可能性もありますが、それはないはずです」
きちんと下調べは行っている。違う子供を連れだす失敗を、そもそも誘拐で捕まるつもりもレグルスたちにはない。出来るだけリスクを避ける方法を、現場を調べて、選んでいるつもりだ。
「……抱かせてください」
「ああ、はい」
依頼人の求めに応じてレグルスは、子供を渡そうとする。だが、子供はそれを拒絶した。
「痛い。髪引っ張るな。痛いから」
レグルスの髪を掴んで離さないのだ。離すように言っても聞いてくれない。レグルスが痛がっているのが面白いのか、キャッキャと笑い声をあげている。
「お母さんだぞ? 抱っこしてもらえ」
依頼人は子供の母親。母親だが、身分差から結婚は許されず、子供は父親に引き取られた。それ以降、子供に会うことも出来ていなかったのだ。
「お前の母親。分かるか? 久しぶりの再会だぞ?」
分かるはずがない。子供はそういう事情を理解出来る年齢ではないのだ。少し力を入れて引き離そうとしても、嫌々をして抵抗してしまう。大声で泣かれては困るので、それ以上の無理も出来ず、通じないと分かっていても言葉で説得しているのだ。
「…………」
まさか子供が自分に抱っこされるのを嫌がるなんて、まったく考えていなかった。この状況に母親はかなりショックを受けている様子だ。
「えっと……このままでも触るくらいは出来ますけど?」
「……そうですね。その……この子の名前は?」
子供の名前を知らない。呼びかけることも出来ない。母親が傷ついているのは、これが分かってしまったこともある。
「……すみません。そこまでは調べていません」
このレグルスの答えに、エモンは軽く驚いている。名前は調べてあるのだ。だが、レグルスをそれを教えなかった。
「そうですか……元気? お母さんよ」
レグルスに抱きついたままの子供の頭をなでる母親。だが、そうされても子供の興味はレグルスに向けられたまま。満面の笑顔でレグルスの頭に手を伸ばしている。
「……あまり時間はありません。騒ぎになる前に返さないと。それに、貴女が姿を見られるとまずいのですけど?」
「……はい。分かりました」
「では、これで子供を返しに行きます」
再会の時間はわずか。あらかじめ、そうなることは伝えてあるが、そうだとしても母親はあっさりと受け入れた。少しでも長くいたいと、ごねるのが普通。この母親は物分かりが良すぎるほうだ。レグルスたちとしては、ありがたいことだが。
母親を置いて、子供の家の玄関に向かって歩く二人。
「……これで満足なのでしょうか?」
母親の物分かりの良さを、エモンも疑問に思っていた。
「満足はしていない。でも、良かったんじゃないか? 生んだというだけで子供は母親とは認めない。それが分かったはずだ」
「……諦めがつくということですか」
「そこまでは分からない。俺に母親の気持ちなんてわかるはずがない。でも、別れの辛さは薄そうだ」
会わせたは良いが、そのまま連れ去ろうとした母親が同じような依頼であった。それを許せば、本当に誘拐。無理やり引き離し、父親の家に返したのだが、後味は悪かった。もう同じ依頼は受けないと、その時は決めたくらいだ。
「……アオ様は?」
「俺? ああ、俺の母親のことか……覚えていない。今、会ったらこの子と同じかもな」
領地にいる母親との記憶はない。会っても母親とは実感できない。王都にいる父親に対してもそうなのだ。間違いないとレグルスは思う。
ただ、母親がどういう人なのかは、少し気になった。六歳までの自分を母親は愛してくれていたのか。それを覚えていないと知ったら、どう思うのか。これまで考えなかったことをレグルスは考えた。
「俺にとって母親だと思える人は一人しかない。これはどうしようもないことだ」
「そうですか……」
レグルスが母親だと思っているのは亡くなったリーリエ。エモンはそれを知っている。血の繋がりはまったくなくても、レグルスが母と慕う人はリーリエ一人。
それで良いのかという思いがエモンにはある。本当の母親がリーリエのような人であれば、レグルスの考え方は少し変わるのではないかと思うのだ。敵と位置づけるブラックバーン家に、心から信頼できる人がいてくれたらと。
「さて、聞き分けの良い家だと良いな」
「どんな相手であろうと言い張るしかありません。誘拐した証拠なんてないはずですから、相手にはどうにも出来ません」
「そうだな」
子供の家の玄関を叩くエモン。子供は正面から堂々と返す。壁の穴から子供が道に出てきた。つい最近出来た、レグルスたちが作った壁の穴からなんてことは言わない。
怪しまれてもかまわない。誘拐の証拠はなく、しかも子供を返そうとしているのだ。万一訴えられても、罪に問われない自信がある。
こんな犯罪すれすれの仕事が、何故か、近頃増えているのだ。