ゲームストーリーが始まって、約二年。プロローグ部を除くと一年が経つ。現時点で、アルデバラン王国の情勢に大きな変化はない。ただそれは、目に見える変化がないというだけのこと。数年後に起こるはずのイベントに向けて、様々な事柄が水面下で動いているのだ。アリシアはそれを知っている。知っているが、それを止める手段が分からない。どのようなイベントが将来にあるか分かっていても、それがいつ、どこで、誰が、どのように画策したことで起きるのかまでは知らないことが多いのだ。
本人は知っているつもりだ。全ての陰謀の影にサマンサアンとレグルスがいる。そう思っているのだ。
「教会騎士団長が交代……何かあったのか?」
教会から教会騎士団長の交代が通知されたという報告。それに対して国王は疑問を持った。前騎士団長は引退にはまだ早い年齢のはず。特別な事情がないと交代なんてことにはならないはずなのだ。
「まだはっきりとしたことは分かりませんが、教会内での権力争いの結果と思われます」
国王にこの報告をもたらしたのは、国王直轄の諜報部の長。彼も疑問に思って、調査を行っていた。その結果、途中経過であるが、を報告したのだ。
「権力争いか……それで?」
「東部教区の司教も失脚した模様です。退いた二人が敗者で、とどまった者が勝者ということかと」
「勝者が分からないな」
教皇が勝者とは国王は考えない。今の教皇が、権力争いを積極的に行うような人物でないことを国王は知っている。まして、勝者になることなどないと思っている。
「教皇だと思われます」
「あの人物が……しかも勝った」
諜報部長の答えは、国王が否定していたもの。まさかの結果に驚くことになった。
「直接動いたのは、別の人物でしょう。それが誰かは現時点では分かりません。新しい騎士団長について、少し調べて見たのですが、そういった争いに向く人物とは思えませんでした」
諜報部はまだ事実の多くを掴めていない。教会内部は、ただでさえ探りにくい場所。その上、今回の件は教会内だけを探っていても分からない。それに気付くにも、情報が少なすぎるのだ。
「……いずれ詳しいことは知れるか。良い。教会のことはそれほど重要ではない」
教会の中で誰が権力を握ろうと、王国にはたいした影響はない。かつてとは違い、一国内での活動しか出来ない教会では、王国に背く意味がない。王国の衰えは教会の衰えに繋がってしまうのだ。
「承知しました。では本題となります」
諜報部長には、より重要な案件についての報告がある。教会の件を、調査途中であるのに、伝えたのは、その重要案件のついでなのだ。
「何か分かったか?」
それは国王も知っている。教会についての話を切り上げたのは、そちらの報告への関心が強いこともあるのだ。
「残念ながら陛下が望まれる報告はございません。怪しい動きがあるのは、間違いないと分かりました。ただそれが何者の指図によるものか、そもそも指図されたものなのかも調べきれておりません」
「そうか……動きは大きくなりそうなのか?」
「今はまだ王国に対する不満を煽っているだけという状況です。ですが、その火が大きくなる可能性は否定できません」
国王が懸念しているのは、国政への不満を持つ者たちの動き。これまでもなかったわけではない。勝利を重ねているといっても、長引く戦争で、犠牲になった人は大勢いる。日々の暮らしに不自由を感じている人はさらに多いはず。不満がないはずがない。
だが今回、より強く懸念するには訳がある。
「首謀者たちに横の連携は見られるのか?」
不満を煽る扇動者の存在だ。その存在は諜報部からもたらされた。それを知って一気にこの件は需要事項になったのだ。
「今はそのような動きはありません。ただ、すでに繋がっている可能性もあります」
「そう思う理由は?」
「人々の気持ちを煽る手法が似ていると見ております。この考えに間違いがなければ、元から同じということになるかと」
諜報部長は何人もいる扇動者の全てが、何者かの指示を受けて動いている可能性を考えている。この考えに間違いがなければ、ただ一部の国民が抑えきれない不満を周囲に広げている、では済まない。反乱というところまで考えなければならない。
「……今後の対応は?」
何者がそのようなことを企むのか。思い当たる人物はいる。何人も。遂にそのような時が訪れてしまうのか、という思いも国王の心に湧いていた。
「扇動者の中から、まずは一人を始末しようと思います」
諜報部長の目的はこの許可を得ること。まだ証拠は十分ではない。一般庶民が周囲に不満を訴えているだけである可能性も残っている。その状況で始末、殺してしまうという話なのだ。
逆に国王に知らせないで、勝手に実行したことにしたほうが良い。こうも考えたが、事態が大きくなれば、報告せざるを得なくなる。それでは国王を怒らせてしまうと考えて、許可を得ることにしたのだ。
「……それをする意味は何だ?」
「新たな扇動者が現れるようであれば、まず間違いなく、裏で糸を引いている者がいると考えます。出来れば、その扇動者から繋がりを探りたいとも考えております」
対象を一つの集団に絞り込み、徹底的に調べ上げる。そこまで行えば、もっと掴めることがあるのではないかと諜報部長は考えた。予定にない人物が送り込まれたのであれば、黒幕との接触もあるのではないかとも考えたのだ。
「……分かった。許可する」
平凡な王。こう評される現国王でも、こういった判断は行う。より多くの被害を防ぐ為に、少数を犠牲にするくらいのことは出来るのだ。正しいことでなくとも。
アルデバラン王国に再び、動乱の時代が訪れようとしている。英雄の登場に相応しい時代に向かおうとしているのだ。
◆◆◆
動乱の時代に、良くも悪くも、踊り出て行く者たちは、その時の為に毎日、自分を鍛えている。当人たちにその予感はない。ただ一人、アリシアだけが、予感ではなく現実に訪れるものとして知っているだけだ。
だから、というわけではないが、鍛錬の密度において彼女に優る人はいない。王国騎士団での稽古にジークフリートが作った従士隊との鍛錬。そしてタイラーたち、守護家の面々との鍛錬に、夏休みの全てを費やしている。
「……もしかして、レグルスと会っていないの?」
「えっ?」
このような指摘をキャリナローズから受けるほど。
「会っていないのね? ふうん、婚約者とは一日も一緒にいないのに……へえ……」
ジークフリートとは毎日会っている。それに対する嫌味だ。アリシアに意地悪しようというのではない。それで良いのかと問いかけているつもりなのだ。
「……強くなる為ですから」
「それは分かっているわ。でも……別に良いか。私にとって悪いことではないものね」
「……どういうことですか?」
話を途中で終わられると、アリシアは気になってしまう。しかも、なんだか思わせぶりな言い方だ。キャリナローズは自分の知らない何かを知っている。アリシアはそう受け取ったのだ。
「どうしようかな……告げ口は好きじゃないわね」
キャリナローズはそれを認めた。アリシアの反応で、自分の知る情報を彼女が知らないことが分かったのだ。それは少し、キャリナローズにとって、興味深いことだ。
「……何を知っているのですか?」
「教えて欲しい?」
教えて欲しいに決まっている。そうであるのに、わざわざそれを確認するのは。
「……教えて欲しいです」
アリシアの口からこれを聞きたいから。
「じゃあ、目を閉じて」
「……はい?」
「教えてあげる。じっくりとね」
「…………」
頬を真っ赤に染めるアリシア。それを見て、自分にはこういう一面もあるのかとキャリナローズは思った。人を虐めるのが楽しいのか。アリシアだから楽しく思うのかまでは分からないが。
「冗談。でも、レグルスは冗談では終わっていないかもね?」
「……もしかして、フランセスさんですか?」
異性関係、キャリナローズは同性だが、だと分かれば思いつくことはある。今、レグルスにもっとも近い、自分とは違う意味だとアリシアは思っているが、女性はフランセスなのだ。
「そう。彼女とレグルスは夏休みの間も会っているみたいよ。彼女の屋敷も訪れているみたい」
「……あの……どうしてキャリナローズさんはそれを知っているのですか?」
フランセスとのことだと分かれば、アリシアの気持ちは落ち着く。心配するようなことではないと思っている。
「調べたから」
「どうして調べたのですか?」
「彼のことが気になるから。異性としてではなく、彼が何をしているかが気になるの。彼は強いのか弱いのか。これについてはタイラーも気にしているわ」
キャリナローズの中で、レグルスへの興味が、かなり強まっている。かつてのレグルスと異なり、今の彼はかなり分かりにくい。得体が知れないと感じるのだ。
「何をしているか分かりました?」
「分かったことと分からないことがある。彼も毎日のように鍛錬をしている。どこかの流派に入門したみたいね」
「流派、ですか?」
アリシアの知らない事実。その視線が少しきつくなる。抜け駆けされているように感じてしまうのだ。
「聞いたこともない流派よ。どうしてそこを選んだのかは分からないわ。あとは『何でも屋』という意味不明の看板を出している建物に出入りしている」
「それは……」
何でも屋はアリシアの父、マラカイが行っていた商売。レグルスが同じ商売をやっているという事実は、道場の話とは違って、アリシアを喜ばせるものだ。それでも内緒になれていることは納得いかないが。
「で、フランセスと会っている。もう一人、名前を知らない女の子とも会っているそうよ。何故か三人で」
「……多分、エリカさんですね」
エリカと美術館に行ったことは、アリシアも知っている。エリカが教えてくれたのだ。レグルスが私的な時間を削ってまで会う相手は限られている。それもアリシアは分かっている。
「こちらとしては、それだけって感じ。彼は警戒心が強いのね? 尾行するのが難しいと調査した人間が嘆いていたわ」
レグルスの行動全てを調べられたわけではない。そんな真似はレグルスが許さない。同い年、同じ守護家の公子であるレグルス相手ということで、キャリナローズは頼む相手を間違えた。よほど諜報に長けた人物でなかれば、今のレグルスを尾行など出来ない。逆にエモンやその仲間たちによって、探り返されることになる。
「……鍛錬はそのどこかの流派で行っているだけですか?」
そんなはすはないとアリシアは思っている。郊外での体力づくりは日課のはず。それ以外にも、様々なことを行っているはずだと。
「調べた限りは。見失っている時間もかなりあるから、その時に鍛錬を行っている可能性はあるわね」
「そうですか……」
郊外に鍛錬に出ようとしているところを見失うものなのか。アリシアは疑問に思う。付いていけなかったというのであれば分かる。だがキャリナローズから郊外に行っているという話は出ていないのだ。もし本当にレグルスが郊外に行っていないのだとすれば、彼の鍛錬はその中身を変えたことになる。それがどのようなものなのか、アリシアには分からない。
アリシアは初めて、夏休み期間中にレグルスと会う機会を持たなかったことを後悔した。久しぶりにレグルスに対する不安が心に浮かんだ。
「アリシア。明日の予定なのだけど」
そこに間が悪いことに、見方を変えれば都合よく、ジークフリートが割り込んでくる。
「明日、ですか?」
レグルスに会いに行こうか、と思っていたところでこれ。アリシアの心に複雑な思いが湧いてきた。
「そう、明日。騎士団長から戦術指導を受けるから、アリシアも一緒にと思って」
「ああ……そうですね」
王国騎士団の戦術を知りたいと言ったのはアリシアだ。その機会を用意してくれたジークフリートには感謝するべきで、迷惑に思ってはいけないと、アリシアは反省した。
「戦術指導って、アリシアに必要なの?」
それを聞いて不満顔になるキャリナローズ。彼女はアリシアがそれを臨んだとは思っていない。ジークフリートが会う口実として、その機会を作ったのだと思っているのだ。
「階級が何であろうと戦術理解は必要だよね? 分かっていて動くのとそうでないのでは、大きな違いがある」
「……じゃあ、私も聞かせてもらうわ」
「えっ?」
この展開になる可能性を思いつけないジークフリートは、やはりどうなのかとアリシアは思う。ゲームでの彼とキャラクターが違うように感じるのだ。
「タイラーとクレイグも誘ったほうが良いわね。皆で聞けば、気づくこともそれだけ多くなるはず。より為になるわ」
ジークフリートにお伺いを立てるという気持ちは、キャリナローズにはまったくない。行くと決めたら行くのだ。
「……そうだね。それが良いね」
そんなキャリナローズの雰囲気は感じ取れるジークフリート。抵抗することなく、全員の同席を受け入れることになった。
こうなるともう、事はアリシアからは離れて行く。レグルスと会うことは、別の日にすることにして、戦術指導を受ける時間を実のあるものにすると心を切り替えた。
当人の感情とは関係なく、ジークフリートと過ごす時間が増え、レグルスとのそれは失われていく。つい先ほど、ふと思ったこれを思い返すこともなく。