夏休みも終わり近くになった頃、城でパーティーが開かれた。レグルスの二歳上であるエリザベス王女は、夏休みに入る前の終業式で王立中央学院を卒業している。その卒業祝いという名目でのパーティーだ。
王家主催のパーティーではあるが、今回は大規模なものにはならなかった。エリザベス王女がそれを望まなかったのだ。学院生の中でも近しい人たちだけ、といっても同学年に限ったわけではなく、必ずしも全員が学院生活において親しかったといえる人たちではないのだが、を招いた形でのパーティーになっている。
レグルスも招待され、きちんと参加している。王国の催しであろうと平気で欠席するレグルスだが、エリザベス王女絡みとなると、なんとなくそれが出来ないのだ。
「ジュリアン殿下……その制服、どうやって入手したのですか?」
パーティーには第一王子のジュリアンも参加している。とっくに卒業しているというのに、王立中央学院の制服姿だ。
「ん? これは私自身の物だ。太っていなくて安心した」
ジュリアン第一王子が着ているのは、この日の為に用意したものではなく、元から持っていた物。自分が使っていた制服だ。
「よく持っていましたね?」
学院の制服など卒業してしまえば使うことはない。今日のパーティーも、全員が全員、制服を着ているわけではないのだ。
「捨てる理由がなかったからな」
「思い出の品というやつですか?」
「思い出……正直、思い出といえるほどの何かはなかったな。学院でも、いや、学院だからこそか。行動は制限されていた。話す相手も決まっていたし」
王家の人間として、それに相応しい振る舞いをしなければならない。愚鈍と評されているジュリアン第一王子であるが、幼い頃のレグルスのような破天荒な行動をみせているわけではない。どちからというと真逆で、とにかく大人しく、目立たないようにと周囲から言われ続けていた。
「それ、学院に行く意味ありますか?」
「それを言えるレグルスは、私とは異なる学院生活を送っているのだな。リズからも少しだけだが話は聞いている」
レグルスの学院内での交友関係は、ジュリアン第一王子から見ると、かなり広い。レグルス本人はそれとは真逆で限られた人たちとだけ接しているつもりなのだが、その限られた人たちのほとんどが貴族家以外の学生であるので、ジュリアン第一王子にはそう思えてしまうのだ。
「……王女殿下から何を?」
「守護家以外の学生とも仲良くしていると聞いている」
「ああ……守護家以外の学生とは仲良くしているが正しいですね? いや、仲良くはしていませんか。普通に接しているが正しい表現です」
この点においては二人は、実際に真逆だ。ジュリアン第一王子の周りにいたのは上位貴族家の関係者。それ以外は畏れ多くて近づけないという状況だ。
一方でレグルスのほうは、彼の悪評を昔から聞いている貴族家の人間は、恐れて近づかない。貴族家以外の学生たちもそうだったのだが、エリカなど一部の学生たちの影響で、徐々にそういう思いが薄れていき、普通に話をする人が増えている。ただこれは、レグルスのクラスが平民の学生のほうが多いというのもあってのことだ。
「その普通というのが難しいと私は思うがな。どうすれば平民と普通に話せる? いや、これは違うか。話してもらえる?」
「……難しく考えなくても、ジュリアン殿下なら普通に話してもらえると思いますけど?」
ジュリアン第一王子は、レグルスが気安く話が出来る相手。そういう思いがあるので、自分よりもずっと仲良く出来るとレグルスは思った。
「それが出来なかったから、聞いているのだ」
「出来なかったのではなくて、やらなかったのではないですか?」
「……確かに」
レグルスの言う通りだ。平民の学生との接点を積極的に作ろうとはしていなかった。それは周囲が許さなかった。待っているだけで、平民の学生から近づいてくるはずがないのだ。
「そんな深く考えることではありません。必要があれば話しかけてくるし、そうでなければ距離を保ったまま。私だってこんな感じですから」
「そうか……」
問題は当人だけではない。レグルスの周りにいるジュードやオーウェンは、誰が近づいてきても遮ることはない。話しかけたそうにしている人がいれば、「何か用?」と問いかけるくらいだ。そんなレグルスと、身辺警護を真剣に行っている騎士たちに囲まれていたジュリアン第一王子では、条件が違い過ぎる。これはエリザベス王女も同じだ。
「……そんなに色々な人と話したいのでしたら、もっと外に出たらどうですか?」
まだ納得していない様子のジュリアン第一王子を見て、レグルスはもっと出歩くように勧めた。城にずっといては、それは話す人は限られる。多くの人と接したいのであれば、その機会を作る為に外に出るしかない。当たり前の提案だ。
「それには私も連れて行ってもらおうかしら?」
「おっ、ようやく主役のお出ましか」
参加者に挨拶をして回っていたエリザベス王女がやってきた。それが分かったところで、さりげなくジュリアン第一王子は、その場を離れて行く。二人だけで話をさせようと考えたのだ。
「王女殿下。ご卒業おめでとうございます」
「ありがとう。でも、正直嬉しくないわ。これから面白くなりそうだったのに」
「面白く? 学院生活がですか?」
どうしてエリザベス王女がそんな風に思うのか、レグルスには分からない。レグルス自身も学院は鍛錬の場としか考えておらず、楽しもうなんて思いはないのだ。
「この一年は、レグルスは全然、顔を見せてくれなかった」
「いや、上級生の校舎には行きづらいですから」
用もないのにエリザベス王女に会いに行くのもおかしい。周囲をお堅い護衛騎士が固めていることも、レグルスが避ける理由のひとつだ。周囲を気にして話をするのは疲れる、と思ってしまうのだ。
「レグルス……また何かしましたか?」
「えっ……?」
「暗く……表情が暗く見えます」
こう言いながらレグルスの頬に手を伸ばすエリザベス王女。
「……どうして? どうして、貴方はそうなの?」
レグルスが纏う闇。その闇が宿す絶望が、悲哀が、孤独が、エリザベス王女には視えてしまう。そんな暗い感情を背負って生きているレグルスを見ると、胸が痛む
「……殿下。これは……ちょっと……」
誤解を招く行動だとレグルスは思う。だからといって手を払うわけにもいかない。エリザベス王女の雰囲気がそれをさせてくれない。
「貴方の人生は、多くの人を傷つけてしまう」
「…………」
エリザベス王女の言葉に驚きの表情を見せるレグルス。自分が、彼女の言葉通りの人生を歩むことをレグルスは知っているのだ。
「でも、誰よりも傷つくのはレグルス、貴方自身よ。そんな貴方を見るのは辛い。でも、ずっと側で見守りたいとも思う。貴方の人生に、私の居場所があったらと……」
エリザベス王女の瞳から零れ落ちる一筋の涙。それをレグルスは見つめている。何故この人は涙を流すのか。この涙は自分の為なのか。そうだとしたら、自分はどう応えれば良いのか。
エリザベス王女の頬に手を伸ばして、その涙に触れるレグルス。指先に染みる涙が、温かく感じられた。
「……俺は……貴女の悲しむ顔を見たくありません。だから……俺の人生には……」
自分の人生に関わるべきではない。そうレグルスは思う。エリザベス王女には、輝く未来が待っている。そうであって欲しいと願う。
「……私には選択する力はありません。それは私だけではありません。貴方は、運命を作る人だから」
「……そんな力は、俺にはありません」
抗っても抗っても、定められた運命に押し流されて終わった。運命を作るなんて力が自分にはないことを、レグルスは思い知らされてきた。
もしそのような存在がいるとすれば、それは自分ではなく、アリシアだとレグルスは思っている。
「それは貴方次第。レグルス、私は貴方を信じています。私は貴方を……」
最後まで言葉にされなかった想い。そのまま、エリザベス王女はその場を、会場を離れて行く。呆然としたままの、周囲から驚きの目で見られているレグルスを一人残して。
◆◆◆
国王の部屋はいくつかある。国王がいるのは、その中のひとつ。仕事を行う執務エリアと寝室などがある私的エリアとの境にある部屋だ。ここに通される人物は極限られている。仕事とプライベートの狭間にあるこの部屋は、個人的に親しい人物と語り合う場所とされているのだ。
今、国王がこの場に招いているのは、エリザベス王女。娘である彼女相手であれば、プライベート空間で話をしても良いものだが、国王はこの場所を選んだ。エリザベス王女が誰にも聞かれたくない相談があると、言ってきたからだ。
「……さて、何の話かな?」
いつになく緊張した様子の国王。娘の相談がどのようなものなのかは分からない。分からないので不安に思っているのだ。
「注目しておいて欲しい人物がいます」
「注目? それは誰のことかな?」
話の内容は、予想していたどれにも当てはまらないものだと国王は考えた。エリザベス王女が何を求めているのか、この段階では、さっぱり分からない。
「アリシア・セリシールです」
「アリシア・セリシール? 聞き覚えのある名だが……誰だったかな?」
アリシアの名を聞かされても、国王はすぐに誰だか思い出せない。今はまだ、その程度の存在なのだ。
「セリシール公爵の娘で、レグルスの婚約者です」
「レグルスか……話は少し聞いている。娘のお前の望みをかなえてやりたいという思いはあるが、これについては難しい」
パーティーでの出来事は国王の耳にも入っている。エリザベス王女とレグルスの、男女としての関係を感じさせるものだ。父としても重要な情報だ。
「レグルスは関係ありません。アリシア・セリシール本人に注目していてくださいと、私は申し上げているのです」
「……それは何故かな?」
「彼女が、王国の運命を左右するかもしれないからです」
「何を根拠にそんな…………まさか……視えるのか?」
何を根拠にそんな話をするのか、と思った国王だが、途中であることに気が付いた。王家の血筋を引く者の中に稀に現れる、未来視という能力を持つ存在を。
「漠然としたものですが。私に見える彼女の輝きは人とは異なるものです。大いなる輝きを放っています。その輝きは多くの人たちを照らすものと感じます」
「……そうか。しかし……そのアリシア・セリシールは北方辺境伯家の婚約者だ」
エリザベス王女に見えるその輝きは、北方辺境伯家だけを照らすものになるのではないか。国王はそれを恐れる。
「はい……だから私は、これをお父様に告げることを迷いました」
父である国王の恐れは、エリザベス王女には予想出来たこと。その結果、国王が、王国がどのような動きを見せる可能性があるのかを考えた。それはエリザベス王女にとって、心に痛みを感じさせるものだ。
それでも話さなければならないと思ったのだ。それが王女である自分の努めだと考えたのだ。
「……ひとつ聞いて良いか?」
「なんでしょう?」
「レグルス・ブラックバーンは、お前の目にどう見える? 女性としての目ではなく、未来視ではどう彼は映る?」
レグルスという存在について国王は、アリシアよりも、ずっと気になっている。エリザベス王女の話を聞いた後でも、これは変わらない。
「……光と闇が見えます」
「闇とは?」
「混沌……感じるのはそういったものです。レグルスは……世を乱す存在でも、世を導く存在でもあります。ただ、正直、私にもよく分かりません。未来視はもともと漠然としたものですけど、彼は特にその時々で変わってしまうので」
光と闇。その狭間で揺れ動いているようでもあり、両立しているようでもある。そのあたりは、エリザベス王女には、よく視えないのだ。
「……ジークは以前から彼を気にしていた」
「ジークが? それはどうしてですか?」
「分からん。ただ、お前とは違う理由だろう。ああ、そうか……アリシアという女性は、ジークが執着している女性だ」
ここで国王は、何故、アリシアの名に聞き覚えがあったのかを思い出した。ジークフリートがご執心の女性という報告を受けていたのだ。
「……私はジークが大喜びするような話をしてしまいましたか?」
「そうかもしれん。ただ、まだ分からないことだ。私には何も視えない。だが、強すぎる太陽の輝きは、恵みではなく害をもたらす場合もあることを知っている」
アリシアの輝きは王国に害をもたらす可能性もある。国王は慎重だ。未来視という能力を知ってはいるが、知っているというだけで、全て受け入れられるほど信じきれていないというのもある。それがたとえ、娘の言葉だとしてもだ。
「……お父様。私は、この国の行く末を見届けたいと思っています。未来視を持つ者として」
アリシアの話は前置き。エリザベス王女が本当に相談したかったことは、これだ。学院を卒業したとなれば、そう遠くない時期に、結婚という話になる。それを待って欲しいのだ。
「リズ……それは、父としては受け入れ難いな。私はお前に普通の幸せを得て欲しいと思っている。王女である自分にそんなものはないと思っているかもしれないが、そんなことはない。王家の結婚にも幸せはあるのだ」
「それでも、お願いします」
「……では……いや、分かったとは言えない。ただ、リズの気持ちは確かに聞いた。少し考えさせてくれ」
では、相手がレグルスではどうだ。これを問うのは卑怯だと思って、最後まで口にするのは止めた。口にして、それが実現する保証もない。相手は北方辺境伯家。有無を言わさず受け入れさせられる相手ではないのだ。
それに、それを実現させるには、レグルスとアリシアの婚約を解消させなければならない。仮にそれが出来たとすれば、一気に流れが決まってしまう。サマンサアンとジークフリートの婚約解消、そしてアリシアとの結婚。それだけでなく、次期国王の座が誰の物かも。
国王はそうはしたくなかった。なんとなく世の中に不穏な空気が広がっていることを、国王は知っている。そういう状況だからこそ、きちんと先行きを見極めた上で事を進めなければならないと考えているのだ。
ゲームストーリーはあるべき方向に進んでいるのか、歪んできているのか。それが分かる者は誰もいない。