月の文庫ブログ

月野文人です。異世界物のファンタジー小説を書いています。このブログは自分がこれまで書き散らかしたまま眠らせていた作品、まったく一から始める作品など、とにかくあまり考えずに気の向くままに投稿するブログです。気に入った作品を見つけてもらえると嬉しいです。 掲載小説の一覧(第一話)はリンクの「掲載小説一覧」をクリックして下さい。よろしくお願いします。 

SRPGアルデバラン王国動乱記~改~ 第59話 秘めた想い

異世界ファンタジー SRPGアルデバラン王国動乱記~改~

 彼とは何度も会っている。信心深くなくても貴族家の人間であれば、最低でも年に一度は必ず教会を訪れ、神に祈りを捧げるものだ。それが辺境伯家という王国貴族の頂点に位置する貴族家となると、迎える教会の側もそれなりに礼儀を尽くす必要が出てくる。その教会の最高位の人間が応対することになり、王都であれば、それは教皇ということになる。教会全体の最高位である教皇自らが、神への祈りを取り次ぐのだ。
 北方辺境伯家の年長のほうの公子も、六歳から十歳までは毎年一度は顔を会わせていた。だが翌年は同行して来ず、父親がその行いを詫びることになった。噂通りの出来損ない。教会でもこの話が広がったのを覚えている。
 その彼が、いきなり一人で現れたのはいつだったか。日にちは覚えていないが、その時のことは鮮明に覚えている。別人のように痩せていた彼。変わったの体形だけではなく、振る舞いもずいぶんと大人になっていた。本当に別人ではないかと思ったくらいだ。
 少し聞きたいことがあって来ただけだと言って、大げさになりそうだった接待を断った彼。そうかといって放っておくことも出来ず、教皇は自分が相手をすることにした。
 質問は、教皇の立場では、なんとも微妙なものだった。詠唱は祈りだと教会が語る根拠は何か。神の序列と魔法の威力に関係性があるのは何か理由があるのかなど、信仰ではなく魔法についての質問ばかり。魔法は神の施し。脆弱な人間を救う為に神が与えた力。理屈で説明出来ない奇跡の力を、彼は理屈で説明することを求めてきた。それらに対して、教皇としては、教会の言葉を返すしかない。それを聞いた彼は明らかに物足りない様子だったが、一通り話を聞くだけ聞いて、帰っていった。
 その時の印象が強く残っているのだ。彼には他の人が見えない何かが見えているのではないか。教皇は、根拠のない、不思議な印象を持ったことを覚えている。
 その彼が『何でも屋』という良く分からない商売を行っている店の店員として、いきなり目の前に現れた。以前よりもさらに痩せているが、間違いではないと思った。ブラックバーン家に嵌められたかと思って、強い警戒心が湧いたが、引き返すことは出来なかった。花街に行ける機会を無にすることが出来なかった。これが最後の機会なのだ。もう二度と、こんな我儘を、発覚すればただの我儘では済まない要求を、押し通すことなど出来ないのだから。

「おお、アオ! 久しぶりだな。今日は喧嘩か?」

「いや、今日はナラさんにご馳走してもらいに来た。誕生日祝いみたいなもの」

「花街で? 贅沢な誕生日祝いだな? 羨ましいぞ」

 その彼は、とても北方辺境伯家の公子とは思えない雰囲気で、花街の人たちと親し気に話している。自分の勘違いであったかと思うような様子だ。

「良いだろ? 持つべきものは世話好きの知り合いだな」

「俺もおこぼれにあずかりたいぜ」

「いつか、俺がもっと稼げるようになったら奢ってやる」

「本当か? その日が来るのを楽しみにしているからな。じゃあ、またな」

 彼がブラックバーン家の公子であれば、その日は来るだろうと話を聞いていて教皇は思った。ただ、ブラックバーン家の公子が、この辺りを歩いている庶民に本当に驕るのかという疑問はあるが。

「アオ! ご無沙汰じゃねえか! どうしてた!?」

「真面目に仕事! 簡単には稼げなくて!」

「それで良いんだ! 若いうちは苦労しろ! なんて言う俺は、ずっと苦労しっぱなしだけどな!」

 道行く人が次々と彼に声を掛けてくる。それだけ彼が花街で遊んでいるということか。あの年でそれでは、やはり彼は噂通りの人物なのかと思う。

「アオ。ちゃんと食べているかい? これ、あげるから帰って食べな。日持ちもするからね」

「おっ、ありがとう。助かる」

 そうかと思えば、こんな風に施しをしてくる人もいる。彼は金持ちの家の子だと認識されていない。それが分かると、また彼と花街の人たちの関係性が分からなくなる。

「……彼は、随分と、この町の人たちと親しいのですね?」

 とうとう教皇は黙って見ているだけではいられなくなり、ナラさんに彼と花街との関係を尋ねた。

「アオは……どう説明すれば良いか分かりませんな。彼にとって花街は良くも悪くも大切な場所なのです。そんなアオの想いを人々は知っている。アオが花街を愛するように、花街も彼を愛している、というところですかな?」

「街を愛する、ですか?」

 ナラさんの感覚は教皇には理解出来ない。今日、初めて花街に来て、レグルスの様子を見ているだけでは分かるはずがない。

「説明下手で申し訳ない。不思議な子です。まったく違う境遇であるのに、まるでこの花街で生まれ育ったかのようです。人々も何故かそんな風に感じている」

「彼が何者であるか、貴方は知っているのですね?」

「それを言葉にするべきではない。それでは花街を楽しむことは出来ません。私はこれを、彼の父親から教わった。彼の亡くなった父親から」

 レグルスが何者であるか。これを花街で問うのは間違いだとナラさんは思う。花街はそういう場所だということもあるが、それだけではない。今のアオはアオなのだ。それ以外の何者でもない。

「……そうですか。失礼しました」

 亡くなった父親。ブラックバーン家の次期当主は生きている。それでは彼は、ブラックバーン家の公子ではないのか。そういうことではないと教皇は理解した。とてもブラックバーン家の公子とは思えない目の前の彼もまた彼。偽りではなく、本当の姿だとナラさんは言っている。そう理解した。

「少しだけ彼の父親、いえ、両親について話しましょう。私にとって、アオの両親は花街そのもの。花街とはこんな素晴らしい場所だというのを示してくれる存在だった。その二人が亡くなった後、アオは少しでもその二人に近づこうと頑張っている。それを皆、分かっているのです」

 花街には闇もある。それをナラさんは分かっている。分かっているから、強い光を見せてくれた二人に対する想いが強くなる。無念の想いが胸に湧いてくる。
 これは自分だけではないとナラさんは思っているのだ。花街の多くの人が同じ想いを抱いている。だから志を継ごうとしているアオを応援しないではいられないのだと。

「……会ってみたかったです」

 本心から教皇はこう思った。人々の心に想いを残す人は、それがどのような身分であっても会って話したいと思う。自分もそうありたいと願っているのだ。

「……アオの母親の想いをもっとも強く引き継いでいると私が思っているのが、今日、これから会う桜太夫です」

「そう、ですか……それは楽しみです」

 これは本心ではない。桜太夫に会えることを教皇は、楽しみとは決して思えない。一目だけでも見たい。そう強く願った相手だが、教皇の心に浮かんでいるのは若き日の過ちに対する後悔と懺悔の想いなのだ。謝罪したい。だがそれは出来ない。
 教会の頂点に立つ教皇に隠し子がいて、しかもその孫は歓楽街で体を売っているなんて事実は、決して知られてはいけないことなのだ。

 

 

◆◆◆

 初めて聞く音色。アルデバラン王国では、それどころかこれまで訪れたことのある近隣国のいずれにおいても聞いたことがない音色が流れている。花街特有の楽器、音楽だとナラさんが説明してくれた。
 大きな部屋に、これもまた大きなテーブルがひとつ。席は六つで全てが同じ方向を向いている。正面で披露される芸を見やすくする為の配置だ。茶屋は食事をするだけでなく、こうして音楽を聞いたり、踊りを見て、楽しむ場所。これもナラさんが説明したことだ。
 ただ教皇は、楽しむという気持ちにはなれていない。もうすぐ訪れるはずの桜太夫への想いでそれどころではない。今更ながら、会ってどうするのだ、という思いも湧いてくる。名乗ることは出来ない。何をしてあげられるのかも、出来ることがあれば行いたいとは思っているが、思いつかない。たんに顔を見たいという自分の欲求を満足させる為だけの場なのだ。
 娘がいることは知っていた。母と娘、どのような暮らしをしているのかと想いを馳せたことは何度もある。だが、それだけ。会いに行くことはしなかった。すでに夫、娘にとっては父がいて、新しい人生を築いている。自分が関わるのは迷惑だ。そんな言い訳を考えていた。
 だが、それは間違いだった。娘は辛い人生を送っていた。血の繋がらない父に馴染めず、早く家を出たいというだけの理由で若くして結婚した。だが、その結婚も娘を幸せにはしてくれなかった。商売に失敗し、多くの借金を抱え、なんとか返済しようと頑張った娘の夫は体を壊して早世した。残った借金は娘が返済をすることになったが、簡単なことではない。女性が大金を稼ごうと思えば、選択肢は限られている。娘をそれを選ぼうとした。だが、娘ではなくその子、教皇にとっての孫が、売られるという結果になった。
 借金取りにとってはそのほうが確実に回収出来る。強引に教皇の娘から、子供を奪っていったのだ。その売られた女の子は、アルデバラン王国一の歓楽街、花街に売られた。
 ここまでが教皇が得た情報。それを基に、花街と繋がりがあるらしい『何でも屋』という者たちに依頼し、その孫が今、桜太夫と呼ばれていることを知った。会えると分かった。
 その時が近づているのは、廊下から聞こえてくる音で分かった。桜太夫が到着したようだと、ナラさんが教えてくれた。
 最初に顔を出したのは愛らしい女の子。それに続いて、少し年上の幼さが残っているが美しいと表現すべき女の子が部屋に入って来た。女の子は皆、不思議な衣装を着ている。艶やかではある。だが、教皇が初めて見る衣装だった。そして――

「ようこそ、おいでくださいました」

 一際華やかな衣装に身を包んだ美しい女性が、挨拶をして、部屋に入って来た。名乗りを聞くまでもない。教皇はすぐに桜太夫だと、自分の孫だと分かった。教皇が、許されないと分かっていても愛してしまった女性の美しさを受け継いでいた。

「今日は客を連れてきた。バウムさんとクーペンさんだ」

「はい、聞いております。バウム様、クーペン様、ようこそお越しくださいました。桜太夫と申します」

「…………」

 言葉が出なかった。自分の感情が分からなかった。美しく育った孫を喜んで良いのか、こういう場所で働く不幸を嘆くべきなのか、頭の中がまとまらなかった。

「おやおや。一目で魅了してしまったようだ。バウムさんはこういう席に慣れていないとも聞いている。徐々に徐々にだな」

「そうですね。まずはお心をほぐすところですか……お願いします」

 最後の言葉は芸者たちに向けたもの。正面の床に座る女性たちが、一斉に楽器をかき鳴らす。さきほどまでの音楽と楽器の音は同じだが、その迫力は段違い。重なる音色が心に響く。

「では、まずは一献」

 ナラさんと教皇の間の席に座った桜太夫。教皇のグラスにワインを注ぐ。

「……ありがとう」

 礼を告げたもののグラスはテーブルの上に置かれたまま。頭巾を被った状態ではワインを飲むのも面倒。すでに並べられている前菜にも手を付けていない。

「……ナラさん、今日はアオを連れて来て頂いてありがとうございます」

 様子の分からない客。そう考えた桜太夫は、ナラさんに話を振った。無理に場を盛り上げるような真似を、桜太夫はしない。ナラさんの連れであるから、この場にいられる相手なのだ。

「御礼はいらない。アオがいると場が盛り上がるからな。誘う口実をもらえて感謝しているくらいだ」

「いつの間にかそうなってしまって……早くアオが客として通うようになってくれたら、なんてことを考えることもあります」

「私もそう思うが……どうだろうな。話している感じだと、あれは遊びに興味があると思えん」

 レグルスが宴席の場に来るのは、ナラさんの付き合いか、喧嘩の後などに盛り上げ役として店に呼ばれた時くらい。自分から求めて顔を出すわけではない。ナラさんが誘った時も、久しぶりに誰かに会えるから行くか、という返事なのだ。

「喜ぶ女の子が沢山いるのですけどね」

「客として?」

 レグルスがモテているという意識は、ナラさんにはなかった。そういう目で見たことがないのだ。

「……ここだけの話ですよ」

 一気に声を小さくする桜太夫。周囲にも聞かせたくない話なのだ。

「今日、アオを呼んでもらったのは百合の為なのです」

「百合?」

「今、アオと話している娘です。百合を名乗ることになりました」

 今、レグルスと話をしているのは桜太夫の付き人。レグルスと同い年の女の子だ。

「いよいよか。しかし、百合というのは……いや、こんな言い方は彼女に失礼か」

 百合といえば百合太夫、アリシアの母が使っていた名だ。それを名乗れば、なにかと比較されることになるかもしれない。それは大変だろうとナラさんは思う。

「覚悟は出来ているようです。ただ、その覚悟は……アオへの想いがあってのことで」

「そういうことか……気づいていなかった。いつから?」

 二人が出会ったのは十歳の頃。それからすでに六年の歳月が流れている。頻繁に会えるような関係ではない。そんな中で、いつから想いが芽生えたのか。

「それは私にも分かりません。でも、割と早いうちだと思います」

「……アオを最初の客に?」

「いえ、すでに別の方に決まっています。その方の強い希望があって、昇格が決まったのです」

 いつまでも桜太夫の付き人ではいられない。太夫の付き人になるということは、将来、太夫になれる器量だと見込まれてのこと。百合は見込まれた通り、美しく育ち、ある客に見染められた。その人が最初の客になりたいと強く望んで、太夫となることが決まったのだ。花街で働く女性としては、恵まれていると言える。

「それは……私などが何か言える立場ではないが……」

 初めての床入り、初めて客に抱かれる時のことを花街で働く女性たちはどう受け止めているかなど、ナラさんには分からない。だが、別に好きな人がいるのに、その人とは別の男性に身を任すというのは辛いことだろうと思ってしまう。

「同情は無用。花街で生きるからには、誰もが経験することなのです」

 そういう仕事なのだ。好きでもない人に金で抱かれる仕事なのだ。いちいち気に病んでいては生きていられない。そう思うしかないことを桜太夫は知っている。そう教え込まれている。

「あの……こういうことを聞いてはいけないのかもしれませんが」

 横で話を聞いていた教皇は、黙っていられなくなった。女性たちがそのような辛い思いをしている花街というものを受け入れられなかった。

「……お話を聞いてみなければ分かりません」

「それでは……それでも花街で働こうと思えるのは何故なのですか?」

「……バウムさんは、とんでもない世間知らずなのですね? 花街で働く女性の多くが金で売られてきたことをご存じない」

 この桜太夫の言葉には嫌味が込められている。働きたくて働いている女性がどれだけいるか。そんなことも分からない客に、花街に来てほしくないと思っている。

「それは……知っています。ただ、それが正しいことだとは思えません。花街は何故、存在するのでしょうか?」

 苦しみを生み出す花街は、他の歓楽街も存在しないほうが良い。教皇はそう思う。女性が金で体を売るなど、あってはならないと思う。

「……私たちが生きる為ですよ。家族に捨てられ、売られ、いる場を失った私たちは、花街がなければ生きていけないからですよ」

 教皇に厳しい視線を向ける桜太夫。花街のような場所はないほうが良い。それを言うのは簡単だ。だが、花街がなくなった後、そこで働いていた女性たちはどう生きて行けば良いのか。借金は残る。頼れる家族もいない。花街がなくてもなんとかなるのであれば、最初からここには来ていないのだ。

「……申し訳ありません。私が間違っていました」

 その家族を捨てたのは自分。桜太夫の言葉は、教皇の胸には痛かった。謝罪は失言を詫びてのことではない。桜太夫の祖母を、母を見捨てたことへの謝罪だ。それに何の意味もないが。

「……ナラさん。今日のところは」

 これでお開きにさせてください。これを言おうとした桜太夫だが、それを邪魔する者がいた。

「よっ! ほっ! はっ! 浮いて沈んで、沈んで浮いてっ!」

 浮かれた調子の掛け声とそれに合わせて踊るレグルス。踊っているのはレグルスだけではない。百合も一緒だ。二人にとっての思い出の踊り。ナラさんの汚名返上を目的として設けられた宴席で、二人が初めて一緒に踊った凧踊りが始まった。

「……アオったら」

「すっかり、アオの十八番になったな。なんだろう、懐かしさを感じる」

「そうですね。あの時が始まりでした」

 ナラさんも、そして桜太夫も、その時のことを思い出した。楽しかった時を思い出し、それを懐かしみ、心が穏やかになった。そうさせたのはレグルス。彼にもこれくらいの場を作ることが出来るようになったのだ。

www.tsukinolibraly.com