一段突き抜けた。今のアリシアはそんな状態だ。猛獣相手とはいえ、命の危険は感じる実戦を経験した。これが大きい。ケルの助けはあったとはいえ、危機を切り抜けられたことでアリシアには自信が生まれた。これまでの努力は確実に実を結んでいると思えた。この思いがアリシアを強くした。
だがそれで満足するアリシアではない。満足など出来るはずがない。もっと強くならなければならない。強い意思がアリシアの心に常に存在するようになった。これまでジークフリートから一方的に教えを受けるだけだった消極的とも言える姿勢は一変した。誰もがアリシアは変わったと感じるのはこの点だ。
「今のは何が悪かったのですか?」
「何が……俺は幼い頃から強くなる為の努力を惜しんだことはない。君に負けるつもりはない」
アリシアの相手をしているのはタイラー。手取り足取り教えるというのではなく、立ち合いを行っている。何が悪いかと聞かれれば、自分のほうが強いからとしかタイラーは思えない。ジークフリートとは違うのだ。
「分かっています。私がタイラー殿に追いつこうと思えば、何倍もの努力をしなければなりません。その為には自分に何が足りないかを知らなければならないのです」
「……タイラー」
「えっ?」
「呼び捨てで良い。俺もアリシアと呼ぶ。言っておくが、くだらない慣れ合いを求めるのではない。鍛錬において君と俺は対等。こういう意味だ」
先日の小旅行ですでにタイラーはアリシアのことを少し認めるようになっていた。さらに戻ってきてからのアリシアの授業への取り組み方は、タイラーも納得するものになっている。以前のジークフリートとイチャイチャしているだけにしか見えない様子とは、まったく違っているのだ。
「……ありがとうございます。タイラー」
「敬語もいらない。長すぎて時間の無駄だ。続けるぞ」
「ええ」
立ち合いを再開するアリシアとタイラー。負けるつもりはないというタイラーの言葉は本気だ。アリシアを侮っているのではない。本気で向き合うという意味だったことが、この立ち合いを見ていれば分かる。元々トップクラスの実力を持つタイラーと、壁を突き破って本来の実力を発揮出来るようになったアリシア。二人の立ち合いは、普段の授業では見られない、高いレベルになっていた。
「良いね。次は僕の相手をしてもらおうっと」
それを見ているクレイグも、言葉は軽い感じだが、かなり熱くなっている。タイラーとは牽制し合って、授業でも向き合うことがなかった。クレイグが始めてみる激しさなのだ。
「タイラーはどこまで本気かな? あれでまだ余裕があるのかな? さっきの強気な言葉ほど余裕があるようには見えないね?」
「力と速さ。二人の特徴は違うから。相性としてはどうかしら?」
キャリナローズも真剣な目で二人の立ち合いを見つめている。こうしてクレイグとキャリナローズが授業中に並んでいるのも、これまではなかったこと。これも大きな変化だ。
「力と速さか……相性の判断は難しいよ。速さに優れる人は力で劣ることが多い。弱点の力で押されると不利だ。でも逆もある」
力の強い、多くの場合、体の大きい人は速さで劣る。どれだけ力強い攻撃が出来ても当たらなければ意味はない。比較として、弱い攻撃でも数を重ねられればダメージは確実に蓄積する。
「……この間の、猛獣が共食いを始めて助かったって嘘じゃない?」
小旅行での事件。アリシアは猛獣同士が共食いを始めてくれたので、なんとか逃げることが出来たと嘘をついている。ケルのことを隠すためだ。
「あの小さな口で野獣に嚙みついたって言うの?」
「それもそうか」
猛獣の死体には噛み傷があった。ケルのやったことだが、小さな子犬と思っているケルがそれを行ったということも彼女たちは思いつかなかったのだ。
「……彼女、魔力はどうなのかしら?」
授業中、人を相手にする立ち合いの時は、魔法は使わない。魔力が拮抗していればまだ良いが、そうでなければ弱いほうは大怪我する可能性が高い。通常は拮抗していても、わずかなミスで、そのバランスが崩れることもある。特別な時以外は、危険なので使用を禁止されているのだ。
アリシアとタイラー、二人の立ち合いも当然、魔法は使われていない。筋力とは異なる魔力の作用がどう働くか。これによって体格や筋力による力と速さという比較からは変わる可能性がある。
「それは任せて。情報は入手している」
「いつの間に?」
グループ分けにおける試験結果の詳細は公表されていない。個人情報に類するもの。その人の能力を測る情報は開示されないことになっているのだ。それをクレイグは入手した。
そのこと自体にキャリナローズは驚かない。権力を使えばそれくらいは入手できる。驚いているのはクレイグがそれを行ったことだ。
「彼女は興味深いからね。報告しよう……学年トップ」
「えっ……?」「なっ……」
反応したのはキャリナローズだけでなく、苦々しい表情を浮かべて、睨むように二人の立ち合いを見ていたジークフリートも。だが、この時点ではまだ二人は正確には理解していない。
「一応繰り返しておくと、トップクラスではなく、トップ。僕たちよりも魔力の基礎能力は高いと判定されている」
「あの子……ほんと面白いわ」
キャリナローズは言葉にした通り、楽しそうに笑みを浮かべている。一方でジークフリートは呆然という雰囲気。自分と同じグループにいるのだから能力は高いほうだと思っていた。だが、まさか自分を超えているなんてことは、まったく考えていなかったのだ。
「上をいかれているけど、その差は大きいとは僕は思いたくない。存在する魔力の差が上乗せされた時、どこまで変わるのか」
力に劣るアリシアが、魔力を上乗せすることで、どこまで補完できるのか。万一、飛躍的に力が強くなるような状態になれば、たとえば今立ち合いを行っているタイラーは速さだけでなく力でも負けることになってしまう。さすがにクレイグもそれは想像したくなかった。
「……今、明らかに彼女に足りないのは技ね」
「そう。どうする? やっぱり、相手するのやめとく?」
自分たちが相手すれば、確実にアリシアの技は磨かれていく。剣術に関しては素人同然のアリシアだ。ある程度、技術が固まっている自分たちよりも、成長の幅は大きい。確実に差は縮まるとクレイグは考えている。
「冗談。そんな逃げるような真似を私がすると思う? 正面から向き合って、彼女の上に居続けてみせるわ」
「そうだよね。僕も楽しくなってきた」
この二人の会話を聞いて、ジークフリートはふと気づいた。これまで自分たちはお互いを高めようなんて考えたことがなかった。その逆で、手の内を隠し続けていた。
だがアリシア相手に彼らはそれをしようとしない。アリシア相手に立ち合いをしていれば、こうして他の人たちに見られると分かっているのに、その実施を求めている。
それは何故なのか。なにが彼らの心を熱くしているのか。考えられるのは、これまでなかったアリシアの存在しかない。彼女には何かがある。自分にはない何かが。アリシアの外見の美しさだけにとらわれていたジークフリートの心に、ようやくこの思いが芽生えた。
◆◆◆
アリシアとタイラーの立ち合いを真剣な眼差しで見つめている人は他にもいる。彼女たちと同じグループの学生以外に。本来はこの場所にいるはずのないエリザベス王女だ。
授業中の学生たちからは離れた場所で、腕を組み、身じろぎしないままにずっと視線をアリシアに向けているエリザベス王女。立ち合いを見ているわけではない。
「……間違いなく強くなっている」
剣術のことではない。アリシアの実力を見極める目的で、エリザベス王女はこうしているわけではないのだ。
「殿下。そろそろ」
エリザベス王女が声を発した機をとらえて護衛役として共に入学した騎士が声をかけてきた。エリザベス王女も今は授業時間。サボったからといって学院から処罰を受けるわけではないが、周囲の目がある。王女は学院の授業を疎かにしている、などという噂が立っては困るのだ。
共に入学する騎士は、ただ護衛するだけでなく、こういうところにも気を配らなければならないのだ。まったくそういう心配りをすることを求められないジュードを知れば、羨ましく思うかもしれない。
「……ごめんなさい。少し騒がせてしまうかもしれないわ」
「殿下?」
「彼に聞きたいことがあるの」
エリザベス王女が指さしたのは、アリシアたちとは少し離れた場所で授業を受けているレグルス。彼と話をしたいのであれば、今でなくても機会は作れる。だが、エリザベス王女は我慢が出来なかった。
エリザベス王女だけが見えるアリシアが纏う光。以前見た時よりも遥かに輝きを増している。周囲の人々の運命を変える、それどころか王国の未来に影響を与えてしまうのではないかと思われるほどの眩い輝きを彼女が放つようになった理由を、今すぐにでも知りたいのだ。
◆◆◆
周囲のざわめきがレグルスの動きを止めた。先に気が付いた学生たちは、すでに鍛錬を止め、突然現れたエリザベス王女に視線を向けている。学院の上級生にいることは知っていても、普段は見かけることのないエリザベス王女が現れたことに戸惑っているのだ。
そのエリザベス王女はまっすぐにレグルスのところに向かってくる。
「教官。お騒がせして申し訳ありません。皆さんも邪魔してごめんなさい」
途中でエリザベス王女は授業を受け持つ教官と学生たちに謝罪を告げる。卑屈さなど感じさせない、優雅な立ち居振る舞いで。
こういった所作が気になるレグルスは、エリザベス王女のこういう振る舞いが好きだ。王女として幼い頃から美しい所作を叩き込まれているエリザベス王女の動きは、母と慕うリーリエを思い出せてくれる。
「授業の邪魔をして、ごめんなさい」
「何かありましたか?」
「聞きたいことがあって。彼女に何があったのかしら?」
エリザベス王女はすぐに本題に入る。授業の邪魔をするにしても短時間で済ませたいという思いがあるのだ。
「……へえ」
離れた場所で立ち合いをしているアリシアを見たレグルスの口から声が漏れる。これまでと違う鍛錬をアリシアは行っていた。相手をしているのはタイラー、から代わって今はクレイグ。お互いに速さを武器にする戦い方で、ややクレイグに分があるようだが、十分に善戦していると言える内容だ。
「かなり雰囲気が変わったわね? 何かきっかけがあったのだと思うけど、心当たりはない?」
「心当たり……分かりません。学院生活に慣れたからではないですか?」
「そんな普通のことではないはずよ」
その程度のことで纏うオーラが大きく変化するはずがないとエリザベス王女は思う。実際にはエリザベス王女も見えるというだけで、それがどういうものなのかは分かっていないが、運命が変わったと変化をとらえれば、もっと大きな、特別な出来事があったはずなのだ。
「……王女殿下が何を気にされているのか分かりませんが、あれがアリシア・セリシールですよ」
「どういう意味かしら?」
「あれが本来の姿という意味です。彼女は人に導かれる存在ではありません。彼女が人々を導くのです」
夫となる、国王となるジークフリートであろうと彼女を導く存在ではない。それが過去の人生において、レグルスを奈落の底に突き落としたアリシア・セリシールという存在。どのような理由があろうと自分が行ってきたことは悪であり、人々を闇に落とす罪な存在だと認めれば、対局にいるアリシアはそういう存在ということになるのだ。
「レグルス……貴方……?」
レグルスには自分と同じものが見えているのではないか。エリザベス王女はそう思った。あり得ないと思うが、彼の言葉はそうであることを暗示している。
ただこれは誤解だ。レグルスに『未来視』の能力などない。彼は、未来を知っているだけだ。
「……それで、王女殿下は授業は良いのですか?」
余計なことを話してしまった。アリシアの変化を見て、気持ちが高ぶってしまったことをレグルスは反省している。冷静になれば、これ以上、何も話すことはない。
「……そうね。そろそろ戻らないと。また話しましょう」
「……機会があれば」
レグルスはエリザベス王女が『未来視』の能力を持っていることを知らない。彼女が何に気づいているのか、そうではなく、特に気にする必要のないことなのかも分からない。話す機会は出来れば来てほしく、なんて無駄な希望を心に抱きながら、去っていくエリザベス王女を見送った。
そうしている間もアリシアは、今度はキャリナローズにお相手を替えて、立ち合いを行っている。
「……ふっ!」
雑念を振り払うつもりで、思いっきり剣を振るうレグルス。少し足踏みをしていたアリシアは、また全力で駆け出すことになる。自分はそれについていけるのか。彼女の力を誰よりも知るレグルスは不安に思ってしまう。
「……何か?」
そんなレグルスをじっと見つめているのは教官だった。その視線の意味を尋ねるレグルス。
「その足運び……いや」
「あっ、駄目ですか? 多分、無意識に知り合いから教わった動きをしてしまったのだと思います」
レグルスが試みていること。上手く活用できれば、技のレベルが一段上がるかもしれない。そう期待して、練習している足運びが、自然と出てしまったのだ。
「知り合いから教わった動き?」
「舞を応用しようと試みているのですけど……」
「ま、舞……」
教官の反応は何かおかしい。普段は物静かで、必要なことを淡々と話すだけ。今のように感情を表に出すことはない。さらに今見せている感情は普通とは思えないものだ。
「知っているのですか?」
「……いや、そういうものがあると知っているだけです。剣術を教える身としては様々な知識を得ていたほうが良いと考えまして、一時期勉強しておりました」
「……そうですか。教えてもらえると思って期待したのですが……ご存じのことだけで良いので、今度話を聞かせてください」
「役に立ちそうな知識はありませんが、時間のある時に」
こう言って教官はレグルスから離れて行った。
「あれ、何?」
ジュードも教官の態度がおかしいことが気になっていたようで、いなくなるとすぐにレグルスに話しかけてきた。
「……何かを知っている。隠したい何かを」
「ふうん。秘密を持った教官か。何者だろうね?」
「何者だろうな。ちょっと気になるな」
レグルスが剣術に応用しようとしているのは舞。桜太夫の乱れることのない美しい所作が羨ましくて、少し教えてもらった舞の足運びを剣術に活用出来ないかと考えたのだ。舞の動きはどのような体勢でも一本芯が通っているように見える。マラカイに教わった喧嘩の時の体使いと共通しているように感じたからだ。
だが、教官はレグルスが言った舞を剣術だと理解した。何故、そんな勘違いをするのか。それとも勘違いではないのか。元々レグルスは優秀な教官だと思っていたが、これにより、別の意味で興味を惹かれることになった。