レグルスは学院における情報収集役としてエモンを潜入させている。入学自体は正式なものだ。ブラックバーン家の従士という身分で入学手続きを行い、そうしておいて履修は文系コースを選ばせ、周囲に一般入学試験を合格してきた平民の子だと思わせるようにしているのだ。学院は事実を知っているが、このようなことをわざわざ公表したりはしない。貴族家の従士が文系コースを選んではいけないという規則もない。素性がバレることなく、エモンは一学年の半分以上を過ごせている。ただ、問題はこれからだ。
「調べてはいますが、かなり厳しそうなのですけど」
「そんなに厳重な場所に隠されるのか?」
「場所が厳重というか……」
「テスト問題なんて、どうせ教官室の金庫の中とかだろ?」
期末に控えているテスト。エモンには一般入学に合格できるような知識はない。期末テストを行えば、散々な成績になることは明らかだ。
成績そのものが悪いのは良いのだ。問題は、どうやらその成績が貼り出されるという事実。あまりに酷い点数だと裏口を入学を疑われてしまう。素性を隠し続ける為に、それは避けたかった。
「金庫のおおよその場所はつかめています。隠すような物ではないようで、金庫の前までは簡単に行けます」
「じゃあ、鍵が特別なのか?」
「いえ。誰にも気づかれずにテスト問題を書き写すことが難しいのではないかと考えています」
レグルスたちが考えているのはテスト問題を入手し、答えを丸暗記してテストに臨むこと。要は不正だ。
「夜中に誰が……ああ……あの気配か?」
「レグルス様もお気づきでしたか? 学院には私と同種、もしかするともっと上手の何者かがいます。私もはっきりと確認したわけではないのですが、それらしい気配を感じています」
「普通に防犯としてか、学生の護衛役としてか……俺たちと同じことをやっている奴がいるのかもしれないな」
泥棒の技というより、諜報の技を持つ者が学院に潜んでいる。あり得ることだとレグルスも思う。ただその目的が分からない。学院の人間であれば、間違いなくテスト問題を盗もうとするエモンの邪魔をするはず。そうでなくても見逃すかは微妙だ。
「どうしますか?」
「……何者かあぶり出すことが出来ると思うか?」
「出来る、とは言い切れません。先ほど申し上げた通り、私よりも実力は上の可能性が高いです」
怪しげな気配は感じる。だが、そこまでだ。エモンはその気配が誰からのものか、突き止めることが出来ないでいる。相手の技量がそれをさせないのだと考えている。
「二人なら?」
「……こんなことで手の内を明かしますか?」
「それもそうか……テストについては別の方法を考えるか」
正体不明の相手。そうであればこちらも、この段階で、手の内を全て明かすのは避けるべき。通用するかどうかは分からなくても、手持ちの札はいざという時の為に、出来るだけ残しておくべきだとエモンもレグルスも考えた。
「別の方法って何? もしかして、またあのフランセスって女の子に助けて貰うの?」
「…………」
ジュードの問いに黙り込むレグルス。
「えっ? 何、その沈黙? まさか彼女と何かあったの?」
「何もない。これ以上、借りを作るのが嫌なだけだ」
ジュードが「また」と言った通り、フランセスには以前、助けてもらっている。さらに借りを作ると、本当に面倒なことになりそうだと思っているのだ。
「あの悪女が怪しいって教えてくれただけでしょ?」
「そうだとしても結果として彼女の勘のおかげで、こちらは対応出来た」
フランセスは小旅行について、アリシアに話したのとを別の考えをレグルスに告げていた。サマンサアンはそんな簡単に引くような女性ではない。何か良からぬことを企んでいるはずだと。
レグルスはその彼女の意見を受け入れた。彼自身もそう思った。結果は、想定以上の危険がアリシアに迫ることになった。そのことでレグルスはフランセスに感謝しているのだ。
「……テスト問題よりもそっちをなんとかしたら? まだ諦めるような女じゃないのでしょ?」
またサマンサアンが謀をめぐらした時、次は防げるのか。未来を知っているという点で、アリシアは無事に切り抜けるだろういう思いがないわけではないが、まったく何もしないではいられない。
「あんな大がかりのことをやられるとな。学院内の動きだけを監視していても情報は得られない」
「……侯爵家の監視。それも大がかりだね?」
「そう。この人数では無理。だからといって素人を数集めても何も得られないと思う」
相手はミッテシュテンゲル侯爵家、守護家の一つだ。その動きを把握するなど簡単なことではない。おそらくは守護家同士で監視し合っているような状況の中に、素人が割って入っても何も出来ないままに排除されて終わってしまう。
「実家は?」
どうせブラックバーン家はミッテシュテンゲル侯爵家を監視しているはず。そこから情報を得ることをジュードは考えた。
「娘の動きを監視して、何かあったら知らせろって? 命令してもすぐに撤回される」
ブラックバーン家が求める情報はもっと大きなものだ。今であれば王家との関係。サマンサアンとジークフリート第二王子との婚約の裏に、何か密約はないかという情報だ。サマンサアン自身の情報収集に組織を使うことなど許されないとレグルスは考えている。
「でも前回は殺人未遂だよ? ブラックバーン家の婚約者を殺そうとしたって、大変なことじゃない?」
「証拠がない」
「それ、証人を殺しちゃうからでしょ? あんた、僕以上に殺すの好きなんじゃない?」
「生かしておいても役に立たなかった。ミッテシュテンゲル侯爵家が認めるはずがない。こちらを警戒させて終わるだけだ」
サマンサアンもレグルスの介入に気が付いていないはず。それを示すものは何もない。助けられたアリシアも、現場でレグルスには会っていないのだ。
「……良い方法、発見」
「お前が?」
「馬鹿にしないでくれる? 僕は考えるのが嫌いなだけで、考える頭がないわけじゃないから。二度と事件を起こさせない方法は、さっさと結婚すること」
「……却下」
ジュードの案を却下するレグルス。早期の結婚は選択肢にはならないのだ。
「どうして? 結婚してしまえば、王子様も諦めるでしょ? そうなれば、彼女も嫉妬することはなくなるよ?」
「無理。結婚は出来ない」
「……二人が結婚すれば、全ては丸く収まるのに」
ジュードは本気でこう思っている。レグルスとアリシアは早く結婚するべきだと思っている。それでアリシアの安全は確保される、というだけでなく、一番良い形だと考えているのだ。
だが、レグルスはジュードのようには思えない。アリシアと結ばれることはないと考えているのだ。
◆◆◆
実技授業中のレグルスは、かなり真面目。世間に知られている彼とは別人かと思うくらい、熱心に鍛錬に取り組んでいる。一学年の間は、徹底的に基礎を叩き込む。そう決めた彼は、その通りにこの約八か月の時を過ごしているのだ。
鍛錬の大半は素振りと型の確認に費やされている。素振りといってもただ剣を振り続けているわけではない。ひとつひとつの動きを確かめながら、ゆっくりと行う時もあれば、とにかく速さを追及して剣を振りまくっている時もある。それぞれ異なる目的があって、同じ素振りでも様々な方法を試みているのだ。それは型の確認でも同じ。ゆっくりと、時には止まっているのではないかと思うくらいに、ゆっくりと動く時もあれば、次々と型を変えて動き続けるようなやり方をとっている時もある。何の意味があるのかは、周りで見ている人には分からない。ただ分かるのは、レグルスが毎日毎日、実直にそれを繰り返しているということ。とても真似できないと思ってしまうくらいに、地味なその鍛錬をひたすら繰り返しているということだ。
今もレグルスは、ゆっくりとした動きで、何度も同じ動作を繰り返している。同じことの繰り返し、に周りの人たちには見えるが、実際はそうではない。
「……円は守りの動きです」
「えっ?」
それを見ていた教官が声をかけてきた。レグルスにとっては、意外な言葉だ。
「攻撃は線、守りは円。これを意識したほうがよろしいかと」
「……それは、足運びのことですか?」
愚直なまでに同じ鍛錬を行っているように見えるレグルスだが、実際は様々な試みを行っている。花街で教わった舞の足運びを戦いに応用出来ないかというのは、その代表的なひとつだ。
「全体の動きのことです。もっと言えば、空間のことです」
「空間……それはどういう意味でしょうか?」
「間合いと言い換えたほうが分かり易いですか。自分の攻撃範囲、防御範囲を具体的に空間として認識する。その範囲に入った対象にどう反応するか。それは円であり、線でもある」
具体的なようでいて、抽象的な説明。剣術の基礎を、ひとつひとつ丁寧に教えてくれる普段の指導方法とは異なるものだ。
「……見せてもらうことは出来ますか?」
「……耳で学んだだけの拙い技でよろしければ」
「では、お願いします」
教官と向かい合うレグルス。ただ型を見せてもらうだけで終わらせるつもりはない。「耳で学んだだけ」という教官の言葉を、レグルスは信じていない。
静かに魔力を全身に巡らせる。魔法を使っているわけではないので、規則違反ではない。規則違反であったとしても、レグルスは気にしない。
軽く踏み込んだだけに見えた足。だがレグルスの体は一瞬で加速した。容赦なく教官に向かって振るわれた剣、それは、金属音と共にはじき返された。
それに構わず、レグルスは攻撃を続ける。左右斜めから振り下ろし、斬り上げた剣はことごとく教官の剣にはじかれる。わずかに間合いを空けて振るった剣は、無視された。
「……円、というより球ですか?」
「それが分かり易ければそれで結構です」
「……拙い技?」
「お恥ずかしい限りです。それに……何故、このグループに?」
レグルスの動きは最下位グループのそれではない。魔力は感じられなかった。だがそうとは思えない動きだった。仮に魔力を使っての動きであったとしても、その技量も最下位グループのレベルではないと教官は思う。
「剣術はほぼ我流でしたので、基礎を学びたいと思いまして。教官はそれを学ぶに相応しい方だと考えてのことです」
「それは……光栄ですな」
「いえ。見損なっていたようです。教官から学ぶべきは基礎だけではない。それを今、知りました」
自分の剣技を誇るつもりはレグルスにはない。そうであっても、今見せられた教官の技は、優れていると感じている。それだけでなく、自分が試みていることを価値あるものにするには、教官の教えが必要だとレグルスは考えている。
「……授業はまだ続きます」
「俺は、授業で教わる以上のものを学びたいのです」
「それは買いかぶりというものです。貴方が学ぶべき人は他にいる。この学院には優れた教官が大勢います」
だが教官はレグルスの望みを受け入れようとしない。
「……貴方の剣を知りたいのです」
「……それは止めたほうがよろしい。貴方に相応しい剣は他にある」
「教官が言う俺に相応しい剣とはどのようなものですか? 俺は、俺が必要している剣は、必要とあれば万人を斬ることが出来る剣です」
教官の剣がどのようなものであるか、この時点でレグルスは分かっていない。分かっているのは他人と同じ道を進んでも、自分が求めるものは手に入らないということ。これも、本当に分かっているわけではない。そう信じているだけだ。
「……万人ですか……物騒な剣ですな」
「どのような剣も物騒なものです。騎士道なんてもので綺麗に飾ろうとしても、所詮は人殺しの技ですから」
「それは否定できませんな」
騎士道精神なんてもので人殺しは正当化できない。正々堂々と戦おうが、卑怯な手を使おうが、どちらかが死人となり、残ったほうは殺人者になるのは同じ。この考えは教官も同感だ。
「剣を教えてください。貴方の剣を」
「……私は学院の剣術指導教官。それ以上の者にはなれません」
「……諦めるつもりはありません。今日のご指導には感謝します」
教官が断る理由がレグルスには分からない。特定の学生を優遇することは出来ないというだけのことである可能性もある。だが、それだけではないという思いがレグルスにはある。教えたくないという単純な思いでもないことは、今日の指導が教えてくれた。
何か事情がある。だが今はそれが分からない。説得する材料をレグルスは持っていないのだ。今日のところは諦め。レグルスは離れて行く教官を見送った。
(……万人を斬る剣か……ブラックバーン家の公子に何故それが必要なのだ?)
教官もレグルスの事情が分からない。北方辺境伯家の公子に、何故、万の人間を斬るなんていう剣が必要なのか。戦争の最前線に立つ北方辺境伯家であっとしても、公子自らが戦場の最前線に立つことなどないはず。教官はそう思う。
(しかも、あれは……不思議な公子だ)
レグルスが見せた動き。教官は完全に不意を突かれた。その結果、見せるつもりのなかった技を見せる羽目になった。魔法の発動は感じられなかった。それを感じさせないくらいに、完璧に魔力を制御していたというのであれば、それはそれで驚くべき技量だ。
そんなレグルスが、基礎を学ぶと決めて、最下位グループにいる。実際に彼は地味な鍛錬をずっと続けてきたことを、教官は見続けている。
何が彼をそうさせるのか。有力貴族家の公子とは思えないほど、貪欲に剣の道を突き詰めようと思うのか。教官には分からない。理解出来るとすれば剣士としての想い。だが、それもすでに失われたものだ。