王立王国学院の実技授業は、かなり自由に行われている。それぞれが自由に鍛錬を行い、聞きたいことがあれば教官に尋ねる。教官は基本、その様子を見ているだけで、細かな指導は行わないのだ。
こういう形を取るのにはいくつかの理由がある。今はそれほどでもないが、かつては各家ごとと言っても過言ではないほど、剣術の流派があった。元々国内に複数の流派があった上に、いくつもの小国を併合した結果、さらに流派が増えた。学院に全流派の教官を集めることなど現実的ではないので、それぞれの流派の型を壊さない程度の指導しか出来なかったというのが、そのひとつ。
今は、優れていると評価された流派がいくつか残る程度になり、さらに王国騎士団の公式流派と定められた剣術を学ばせる家が圧倒的多数になっているので、そういう配慮は無用なはずなのだが、指導方法が改められることはなかった。爵位、個人ではなく実家だが、では上位の学生に厳しく指導するのは、色々と面倒が起こることがあり、学院側が改革に踏み込めなかったのだ。結局、学生と教官の身分差が最大の理由ということだ。
「う~ん。握る手はもっと柔らかいほうが良いかな?」
学生たちは個人的に鍛錬を行う人たちと、優秀な学生に教えてもらう人たちの、大きくは二つに分かれることになる。アリシアは後者で、ジークフリートが教える役だ。
「柔らかくですか……」
「ああ、握る手というか、手首を柔らかく使えるように。こういう感じかな?」
持っている剣を手首の動きだけで八の字に回すジークフリート。
「ああ、分かりました」
アリシアもジークフリートの真似をして、剣を回してみる。握る手はゆるゆるという感じではない。だが力を入れすぎては上手く回せない。しばらく剣を回してみて、一番滑らかに動かせたと思える力加減を覚える。
それが出来たと思えたところで、また素振り。なんとなくだが、剣の動きも滑らかで、速く振れたような気がした。
「その感じ。その感じを覚えて。振ろうとすると、どうしても力が入ってしまうけど、無駄な力みはかえって剣の勢いを削いでしまうからね」
ジークフリートはその優秀さを幼い頃から認められている。剣術も同世代ではトップクラスという評価だ。そのジークフリートに教えてもらえることは幸運だ。
(……と素直に思えないのがね。困ったな)
ジークフリートの優しさを素直に喜べない。ゲーム設定だから、という思いがどうしても浮かんできてしまう。人の行為を素直に感謝出来ない自分を、アリシアは不満に思っている。
ただ、ジークフリートの優しさを喜べないのには、もうひとつ理由がある。
(……そろそろ始まるのかな? 分かっていたこととはいえ、やっぱり、嫌だな)
周囲からきつい視線を向けられているのをアリシアは感じている。自分に対する反感が強まっているのが分かる。ジークフリートとの距離が近づけば近づくほど周囲の、主に女子学生の反感は強まっていく。それが虐めに発展するのも、そう遠くないとアリシアは思った。
「アリシア?」
「……あっ、申し訳ありません。集中が乱れてしまいました」
「……言葉遣い。頼むからもっと自然な雰囲気に直してもらえないかな? それだと距離を感じて……」
「……ごめんなさい」
ジークフリートはアリシアの内心の葛藤に、まったく気づくことなく積極的に距離を縮めようとしてくる。「文句があるなら王子に言えよ」なんていう周りの女子学生への思いを言葉にすることは出来ない。
「アリシアならきっとすぐに強くなるよ。なんだろう、体の動きが違うね。安定している。芯を感じるという表現が良いのかな?」
「ありがとう」
体幹は徹底的に鍛えてきた。セリシール公爵家の養女になってからは思うように鍛錬出来なかったが、それでも部屋の中で出来ることは続けてきた。ジークフリートが褒めてくれるのは、その成果だとアリシアは思う。
ただ、それもアリシアは喜べない。もっと鍛えなければならないという思いが強いのだ。
(……アオに相談してみようかな?)
セリシール公爵家の使用人たちがいる屋敷では、思うように鍛えることが出来ない。公爵家の令嬢に鍛錬など必要ないと使用人たちは考えている。武系コースを選んだことも、実は内緒にしているのだ。
そうなると別の場所を探さなければならない。自分自身では無理なことは分かっているので、レグルスに頼るしかない。
「……アリシア。今度、城に遊びに来ないか?」
「お城に、ですか?」
展開が早過ぎる。元の世界で男性の家に行くのとは訳が違うとは分かっているが、ジークフリートの積極さにアリシアは戸惑ってしまう。
「皆で。そう、皆でパーティーをしようと思って」
「ああ……そうですね。誘ってもらえて嬉しいです」
アリシアは鈍感主人公ではない。ジークフリートは自分の反応が鈍かったので、咄嗟にパーティーなんて言い出したのだと見抜いている。悪い気はしない。どこかの年上誑しよりは純情で好感が持てる。
(私……まだ気にしてる?)
レグルスと桜太夫の間に特別な関係がある、なんてことは考え過ぎだ。それは分かっている。だが、どうしてもあの日の光景が忘れられない。レグルスに羽織を着せてあげる桜太夫が、父に同じことをしてあげた母の姿に重なってしまう。
「日にちが決まったら教える。都合の悪い日はあるかな?」
「……特にありません」
「そうか。では、こちらの都合で決めさせてもらう。パーティーといっても畏まらなくて良いものにするから、気軽に参加して」
「はい」
客観的に考えてみれば、婚約者がいる身で別の男性と親しくなる自分は、とても駄目な女ではないかとアリシアは思った。二股をかけようとしている悪女と思われて、嫌われるのも仕方がないのではないかと。
だからといって苛められても許そう、とまで思えるほど自分が大人ではないこともアリシアは分かっている。
◆◆◆
「……あのな、俺は近づくなと言った。もう忘れたのか?」
「忘れてはいない。でも、どうするかは私が決めることだから」
「言葉遣い」
「いいじゃない。身内しかいないでしょ?」
この場にいるのはレグルスとアリシアの二人の他はオーウェンとジュード。彼女の言う通り、身内といえば身内だ。レグルスが近づくなと言ったブラックバーン家に仕えている二人だが。
「あのな。二人は詳しいことは知らない」
「えっ? そういう人といつも一緒にいるの? アオが? 嘘でしょ?」
いつも一緒にいる二人はレグルスにとってリキのような存在だと、アリシアは勝手に思い込んでいた。だから素の自分で大丈夫だと思ったのだ。
基本、人嫌いで実家が大嫌いなレグルスが心を許していない使用人を側に置くはずがないと考えていた。
「だから」
「レグルス様にお話があって参りました」
「おせえよ」
二人のやり取りに、特にオーウェンは目を丸くして驚いている。深い溝を感じさせていた二人が、別人のように親し気に話をしている。どうして、いきなりこうなるのか理解出来ないでいた。
「ジュードは知っても問題ないけどな……」
ジュードは、ある意味で、信用出来る。アリシア・セリシールは実は平民の出で、婚約者になる前からの知り合いだったなんてことは、ジュードにとってどうでも良いことであるとレグルスには分かっている。
「何を聞いても決して他言致しません」
「……まあ、仕方ないか。学院にいる間はずっと側にいるわけだしな。こいつと俺は、簡単に言うと幼馴染だ」
「ああ、それで婚約を」
幼馴染の二人が許嫁となり、今回、正式に婚約となった。こういう単純な関係をオーウェンは考えた。
「……そういうことで」
そう思ったのならそれで良い、とレグルスは考えたのだが。
「……違うのですね? 本当はどのようなご関係なのですか?」
あっさりと話を終わらせようとしたことで、オーウェンに勘違いだと気づかせてしまうことになった。オーウェンは彼なりに、なんとか主であるレグルスを理解しようとしている。多くの場合、レグルスが外に見せる態度と内心に差があることに気が付いている。
「……幼馴染は本当。ただ知り合った時のこいつはアリシア・セリシールではなかった。ここまで言えば、ある程度は分かるだろ? こいつの言葉遣いもヒントだ」
「……なるほど。分かりました」
アリシアは平民の出。これについてはオーウェンはすぐに分かった。アリシアのレグルスへの言葉遣いは、親しさを超えている。貴族令嬢は、いくら親しい間柄でも、他家の人にそんな話し方はしないことくらいオーウェンは知っている。
「へえ、別人だったの? 前はなんて人だったの?」
「えっ? あっ、リサ」
ジュードは単純に別人だったという点に興味を惹かれている。生まれた育った環境から人は抜け出せる。そんなことがこの世にあるのかと思ったのだ。
ただ、この質問を許したのはレグルスにとって失敗だった。
「リサ……あれ、リサって死んだ人だよね? 僕たちが殺した奴らに殺された」
「はい?」
「……ジュード。こういう時、家臣は余計なことは言わないものだ」
苦々しい表情で、ジュードに文句を言うレグルス。
「今は公私の私でしょ? 僕はあんたの家臣じゃない」
だがジュードは文句を言われて大人しくなるようなタイプではない。ジュードにとって公私の公はかなり無理をしている状態。レグルス相手だとそうなのだ。
「オーウェン。まずは公私の区別を教えるところからだな。ちゃんと説明しておけ」
そもそも公私の区別が出来ていない。それがレグルスにも分かった。前から感じていたことだが、今は文句を言わないと気が済まないのだ。相手がオーウェンであるのは、ジュードに直接言っても無駄だと分かっているから。
「レグルス様たちが殺した相手というと、あの?」
「オーウェン、お前もか……」
オーウェンまで口にしなくて良い問いを口にしてしまった。こうなるとアリシアも黙っていられなくなる。
「どういう意味? 沢山の人を殺したって話は聞いた。その殺した人たちって、何者なの?」
レグルスが犯した罪に、自分が関係している。アリシアはそれを知ってしまった。いつかは知ることだが、この場であって欲しくなかったとレグルスは思う。
「……花街のワ組」
「花街の人を? どうして? どうして殺さなければならなかったの?」
もうアリシアの瞳には今にも零れ落ちそうなくらい涙がたまっている。おおよそのことは、理解しているのだ。ジュードは自分のことを「殺した奴らに殺された」と言った。それが全てだ。
「……父と母を殺したのはそいつらだ。俺は俺の両親の仇討ちをした」
あえて両親の死だけに、殺人の理由をレグルスは絞る。嘘ではない。リサが生きていることは、途中で気が付いた。その上でレグルスは復讐を続けたのだ。
「……私のせいだ」
「違う! 裏で糸を引いていたのはブラックバーン家だ! 死の責任はブラックバーン家にある!」
「私のせいで、アオが……アオが……」
自分のせいでレグルスは殺人を犯してしまった。この世界の主人公が、将来王妃になる主人公が、平民の出であることを隠す為に、両親と多くの人の命が失われた。レグルスがどう言おうと、アリシアの心からこの想いは消えない。
涙を流しながら、レグルスを抱きしめるアリシア。
「ごめん……ごめんね……」
「リサ。お前は何も悪くない。仇討ちは俺が俺の意思でやったことだ。全ての罪は俺にある。お前が罪悪感を抱く必要は、まったくない」
「アオ……アオ……」
抱きしめているのはアリシアの側。だが慰めているのはどちらなのか。レグルス、というわけでもないと、二人を見ているオーウェンは思った。泣いているアリシアを慰めているレグルスも、彼女によって救われているのではないかと、何故か思えるのだ。
ジュードに視線を送るオーウェン。すぐにその意味に気が付いたジュードは、出口に向かって、静かに歩き始めた。オーウェンもすぐにその後に続く。
「あのお二人は……」
続く言葉をオーウェンは見つけられない。二人の関係を表現できる言葉が思い浮かばない。
「僕も知らない。僕に分かっているのは、アオは彼女と彼女の家族の為に、ブラックバーン家と戦う覚悟を決めたってこと」
「ブラックバーン家と? それは……」
「だって、家族を殺したのはブラックバーン家だよ? 執事のなんとかって奴が裏にいたのは分かっている。ただ、それで全てかは僕には分からないね。君は、これを知ってもアオの側にいられるの?」
オーウェンは自分とは違うとジュードは思っている。オーウェンがレグルスに仕えているのはブラックバーン家の為。そう命じられているからだと思っている。事実、そうだ。
レグルスが今もなお、ブラックバーン家を仇討ちの対象と思っているのであれば、オーウェンは側に置いておくべきではない。ジュードはこうも思っているのだ。
「……何があろうとレグルス様を守る。これが私の使命だ」
「そう。じゃあ、僕はアオと彼女を守ることにしようかな? 彼女は、なんか、あれだ」
アリシアは、なんだか分からないけど、心地良い。ジュードはこう感じている。アリシアとレグルスの二人は、見ていて心地良い。今日の二人を見て、そう思った。何が心地良いのかは分からない。二人の関係性を分かりやすく表現する言葉を、ジュードも見つけられなかった。