サーベラスは特別士官学校の寮に入ることになった。本人の希望だ。正式に騎士団に配属された身でもないのに、そもそも騎士団に配属されたとしても城内で、それも奥で暮らすことなど許されるものではない。サーベラスの申し出は、あっさりと受け入れられた。
帰城してからも一緒に鍛錬を行いたいティファニー王女にとっては不満が残る処置だ。だからといってティファニー王女まで寮暮らしというわけにはいかない。本人は少しそれについて考えたのだが、周囲が無視した。いくら士官学校の敷地は城のすぐ隣とはいえ、城の奥に比べれば警備が手薄な寮に、王女を住まわせるわけにはいかないのだ。
「君も城に残れば良かったのに」
「お前、何を言っている? 俺だけが城に残れるはずないだろ?」
寮暮らしはクリフォードも一緒。それは当然だ。同じ立場で片方だけが城の奥で暮らし続けることなど出来るはずがない。しかも国王や王子などキングの一族の上層部からは、サーベラスのほうが重要人物として見られているのだ。
「ティファニー王女の鍛錬相手として残れば良かった。王女様は受け入れたと思うけどな」
「王女様が鍛錬相手に望むのはお前だ」
「今は君と立ち合っているほうが上達出来る。それが分からないほど王女様は馬鹿じゃないはずだ」
サーベラスと今のティファニー王女では実力に差があり過ぎる。そうであってもサーベラスであれば上手く相手が出来るはずだが、それは手を抜くということ。そのようなやり方はティファニー王女にとっても良くないとサーベラスは考えていた。実力差があり、手ほどきを受ける相手という点ではガスパー将軍がいる。自分である必要はないと思っているのだ。
「馬鹿って……発言には気をつけろ」
「馬鹿じゃないって僕は言った。問題にはならない」
「今の発言のことではない。昼間のあれだ」
多くの人が聞いている中で、堂々と五家への批判を口にした。場合によっては罰せられても、法では裁けないので非公式だが、おかしくない内容だとクリフォードは思っている。この考えは間違っていない。
「他に言える人がいないから言っただけだ」
「同じ思いを持っている人が他にもいると?」
「いないとでも?」
いないはずがないとサーベラスは思っている。全ての国民に支持されているほどの善政は行われていないと。戦争が続いているという点だけで、不満を持っている人は大勢いるはずなのだ。
「……そうだとしても、お前が言葉にする必要はない」
クリフォードも不満を抱いている人はいると考えている。そのような声を養成所に入る前に何度か聞いているのだ。サーベラスのような正面からの批判ではないとしても。
「必要だから言葉にした。僕がただ自分の感情だけであんなことを言うはずがないよね?」
「……どんな必要性が?」
サーベラスの過激発言には意味があった。それは分かったが、何故あんなことを人前で語る必要があるかについては、クリフォードにはまったく分からない。
「すぐに分かるからベッドの下で寝ていたら?」
「何故、下なのだ?」
「それもすぐに分かる」
クリフォードとの会話を続けながら、さりげない仕草でサーベラスは天井に向かって短い鉄の棒を投げ上げる。小さな動きでありながら、すぐ目の前にいるクリフォードがとらえきれない速さで天井を突き抜けた鉄の棒。わずかな間の後、天井を破って人が降ってきた。
「なっ!?」
「まだいる! 早くベッドにもぐれ!」
クリフォードにベッドの下に隠れるように告げながら、サーベラスは動き出す。サーベラスがいた場所の床に、彼が投げた物に比べれば細い鉄の棒が何本も突き立つ。ある種の人たちにとっては使い慣れた武器。棒手裏剣と呼ばれる武器だ。
その間にサーベラスは壁のわずかな突起を足掛かりにして天井に跳び上がる。何をするのかと視線を天井に向けたクリフォードの目に移ったのは、絡み合いながら落ちてくる人影だった。
「……ベッドに隠れろと言ったつもりだけど?」
「一人だけ隠れるような真似が出来るか」
「こういう戦いでは足手まといだと思うけどね? まあ、良いや。話はあと。僕は出掛けるから、後始末をお願い」
「はあ? あっ、おい!? サーベラス!」
クリフォードの呼び止める声など、まったく気にする様子なく、サーベラスは窓から外へ飛び出していく。
「……後片付けって……どうすれば良いのだ?」
部屋に残されたのはクリフォード、と二つの死体。後片付けは死体をどうにかしろという意味であることは分かるが、どうすれば良いのかがクリフォードには分からない。とりあえず済ませたのは二つの死体を並べてシーツを被せ。床に広がっている血を綺麗にするところまで。それだけでも疲れる仕事だ。体ではなく心が。
◆◆◆
王都ファーストヒルの北東区間。大通りから離れた奥まった場所にその建物はある。特別豪華であるわけでも変わった形をしているわけでもない。周囲の建物と比べても何ら変わったところのないどこにでもあるような建物だ。
ただ建物が普通だとしても、そこで暮らす人もまた普通であるとは限らない。実際にそこで暮らす、厳密には暮らしているという表現は正しくないが、人物は普通の人ではない。
「……失敗か。未熟よな」
目の前に跪く男を見下ろして、白髪の老人は小さく呟いた。その表情に怒りの感情は見えない。怒りだけではない。何の感情も表れていない。
「申し訳ございません。天井に潜んでいたのですが気配を悟られ、一撃で一人が討たれました。さらにもう一人も、反撃する間を一切与えられず、天井に跳び上がってきた相手に討たれております」
「気配を……守護霊の力だとしても……ふむ」
天井裏に潜んでいる間者の気配に気づくことが出来る能力など、どのようにして身につけたのか。守護霊の力を借りれば可能だと思われるが、サーベラスの守護霊の力は守護兵士クラスで、そこまでの力はないはず。疑問は消えないままだ。
「守護霊の力を使ったようには思えません。あれは、宿霊者であるかは関係なく、強いのだと判断しております」
「それは襲撃前から分かっていた情報だ」
殺すことは出来なかったとして。せめて何らかの情報を手に入れたい。そうでなければ討たれた二人は無駄死に。間者の命は軽いものだとしても、同じ身としては、わずかでも意味を持たせたい。
「……棒手裏剣のようなものを使いました。私には見えなかった小さな動きで、天井裏にいる仲間を一撃で討っております」
「ほう……それでは間者として敵が上手であったというように受け取れる」
隠していた気配を気づかれ、不意を突くどころか、逆に不意打ちを受け、似た武器で戦って二人も討たれた。余計なことを考えないで、素直に受け取れば、そういう評価になる。
「事実として、そうだと思っております」
そんなはずはないのだ。サーベラスは元ルークの一族の後継者であり、八歳の時に病に倒れてからずっと寝たきり。間者としての技量を身につける機会などあるはずがない。
だが、あるはずがなくても、事実がサーベラスは優れた間者であると示している。あるはずがないと否定して終わらせるわけにはいかない。
「対象が優秀な間者であるとすると……」
老人は周囲に意識を向けた。優秀な間者であれば、二人を討って終わりではない可能性がある。一人が無事にこの場に逃れてこられた意味を考えるべきだ。
「……未熟よな」
だが、それに気づくのは少し遅かった。ゆっくりと前のめりに床に倒れていく間者。その首には、鉄の棒が突き刺さっていた。
「未熟呼ばわりは酷い。貴方でも同じ結果になった可能性は高いと思うけどな」
床に倒れた男の向こう側にはサーベラスが立っていた。
「やはりか」
目の前で殺された味方は、わざと逃がされたのだ。後を追いかけて、拠点の場所を突き止める為に。老人はもちろん、殺された男も知っている手段。未熟だったのは、それをサーベラスが使ってくると考えていなかったこと。まったく考えていなかったわけではない。尾行については警戒していた。だが気づくことは出来なかった。守護霊が後をつけてくるなど、まったく想定していなかった。仮に想定していたとしても、ルーの気配を感じることなど出来なかったはずだ。
「……逃げない。見逃した? それとも……」
老人は逃げようとしない。逃げられる隙をサーベラスが与えていたというのに。他に人が潜んでいた可能性を、サーベラスは考えた。別の可能性も。
「それとも、というのは?」
「僕を殺す自信があるのかと思った」
これは嘘だ。サーベラスが考えたもう一つの可能性はこういうことではない。
「ないな」
「そう……」
「残念だったな。ここは捨て場だ」
敵、でなくても知られては困る相手に拠点だとバレたら、すぐに捨てる、二度と使わなくなる場所だ。サーベラスによる尾行を警戒して、この拠点を利用したわけではない。王都には、他家の隠れた目や耳がある。それを避けるためにこの場所から襲撃に向かったのだ。
「捨て場って何?」
捨て場がどういう意味かはサーベラスも分かっている。分かっているが、老人が自分の反応を探る為に発した言葉だと考えて、惚けているのだ。
「……お主が知る必要のないものだ」
「そう。残念」
「こちらからも聞いてよいか?」
「答えを返す必要はないけど?」
完全な拒否ではない。老人が時間稼ぎをしようとしている可能性は考えているが、サーベラスにとっては問題ではない。仮に、この場から逃げた者の為であったとしても、すでにサーベラスは追いかけることが出来ない。味方が来るのを待っているのだとすれば、大歓迎だ。
「……お主は何者だ?」
「それを知らない貴方はルークの一族ではない。それとも、こう思わせる為の問い?」
自分を襲撃してくる敵として可能性が高いのは、ルークの一族とビショップの一族だとサーベラスは考えている。
「ルークが何故、お主を襲撃する?」
サーベラスの返しは老人にとって興味深いもの。ルークの元後継者であったサーベラスが、出身一族に命を狙われている。この事実と理由は知っておきたい。それを味方に伝える術はないとしても。
「一族の恥を晒したくないから。後継者候補から完全に排除するため。どちらだと思う?」
「……今の問いは完全に儂の個人的な興味だ。知ったからといって、味方に伝えなければならないなんて気持ちにはならない」
そういう気持ちを持てば、この場から逃げなくてはならなくなる。それはサーベラスの思う壺だ。老人はそのことに気が付いた。
「それは残念」
「……排除だろうな。お主は危険だ」
後継者への返り咲きなど関係なく、ただサーベラスを危険な存在だと考えているから。老人はルークの一族がサーベラスの命を狙うとすれば、そういう理由だと考えた。
「そうか……ちなみにビショップが僕の命を狙った理由は?」
「それを儂が話すはずがない」
「それもそうか。じゃあ、これは? 守護騎士ではなく間者を使ったのは、シミオン様が対面を気にして?」
老人の顔を正面からじっと見つめて、サーベラスはこの問いを発した。言葉での答えは得られないのであれば、せめて感情を読み取って判断しようというところなのだが。
「……読めない。年の功ってやつかな? 僕も学ばないと」
老人の表情からは何も読み取ることが出来なかった。
「お主には必要ない。お主はすでに感情を隠す方法を身につけている。隠すだけでなく、相手を惑わす術だ」
サーベラスは一見、感情を正直に表に出しているようであるが、実際はそうではない。見せている感情は虚。虚をまとって、相手の反応を引き出しているのだと老人は考えている。
「褒められた、のかな?」
「褒めている。儂には理解出来ない。後継者から外したとしても、一族から追放する必要はない。ルークはわざわざ優秀な間者を、将来、組織の束ねとなる可能性のある若者を追い出し、他家に渡してしまった」
「それは褒めすぎ。死の間際まで情報を集めようとする貴方とは比べものにならない未熟者だ」
何故、ルークの一族はサーベラスを追放したのか。可能性として考えられる一つは、サーベラスの優秀さを知らなかったから。自家の後継者であったというのに。
老人は真実に近づいた。それを他者に伝える術がないとしても、サーベラスには、それを許すつもりはない。本当に術がないかなど分からない。サーベラスの知識にない手段がある可能性はゼロではないのだ。
サーベラスの腕が振るわれる。届かないはずのその手は、老人の喉を切り裂いた。振るわれた手の先に伸びた武器が老人の喉を裂いたのだ。
その一瞬を見切っていれば老人は、さらに情報を得られたはずだ。自分の首を切り裂いたのが、形は少し異なっているが、自分たちが使う苦無と呼ばれる武器であることを。サーベラスは間者なのだということを。
(……終わり?)
(どうだろうな? この先、ビショップがどう出てくるかは読み切れていない。読み違えていると終わりどころじゃないな)
(戦いの終わりがまだ先であることは分かっているよ)
五家の戦いに終わりなど見えていない。これから始まるところなのだ。見えるはずがない。
(しばらく落ち着ける保証もないってこと。シミオンの意向だけで動いているなら、大丈夫だと思うけど……)
サーベラスは戦いを一気に拡大させようと思っているわけではない。その逆だ。キングとビショップが士官学校で激しい争いを繰り広げても、得をするのはクイーンの一族。それはビショップも分かっているはずで、あまりに過激な状況は望まないはず。下手に刺激すればキングの一族の過激な行動を引き出すと思わせれば、しばらくは様子見となると考えているのだ。
ただこの判断にサーベラスも絶対の自信があるわけではない。裏目となって争いが激化する可能性はある。それでもサーベラスはこの方法を選んだ。降りかかった火の粉は払うしかない、というのもあるが、流れに任せるだけではキングの一族の負けは確定。足掻くしかないと思っているのだ。