三日間の休養期間を終えて、訓練が再開された。サーベラスたちは二年目の養成所生活を迎えることになったのだ。チーム編成については、かなりのゴタゴタがあった。人数のバランスが崩れているので、それを正す為にチームを再編するべきという話が出たのだ。それを言い出したのはフェリックスたちではなく、対抗戦で全敗となったチーム。その意図は明らかだ。サーベラスと同じチームになって、今年の雪辱を果たそうという考えだ。
対抗戦でのフェリックスたち、チーム成り上がりの戦績と、最終戦でのサーベラスの活躍を見ていれば、そう考えるのは当然のこと。彼らの思惑は別にしても、チーム間の人数差が生まれているのは事実なので、指導教官たちもその気になった。
それに断固反対したのはクラリス。異常とも思える熱意で指導教官たちを説得、というより、辟易させて、チーム再編の話を潰してしまったのだ。
結果、クラリスのサーベラスに対する想いは、誰もが知ることになったのだが、それを彼女が気にしている様子はない。気にしているのはサーベラスのほうだ。
「あら? こんなところに来て彼女に怒られないの?」
「……メイプルさん、その冗談は面白くありません」
こんな言い方をしているが、メイプルのように正面からからかってくれるのは、まだ楽なのだ。クラリスについては一言も口にせず、それでいて異様に気を使われるのがサーベラスにとっては面倒だった。気を使われていることに気づかない振りをすることが。
「ああいう真面目な子って怖いのね? あそこまで夢中にさせるサーベラスが罪なのか」
「ですから……まあ、思い込みが激しいというのは事実ですね。錯覚なのにそうだと気づけない」
「……彼女の態度は置いておいて、私には貴方の態度も分からない。彼女、可愛いじゃない? 嬉しいとかそういうのないの?」
思いの強弱はあるとしても、サーベラスを羨ましがっている男子は大勢いる。だがサーベラス本人にまったく喜んでいる様子がない。照れる様子もない。クラリスは勘違いをしているだけ。冷静にこう語るだけなのだ。それがメイプルには理解出来ない。可愛い女の子に好かれているのだから、普通は喜ぶだろうと思うのだ。
「……こういう場合は喜ぶべきですか?」
「絶対にそうしなければいけないというのはないけど……絶対に君を好きにならないようにしようとは思うわね」
想いを向けても虚しいだけ。メイプルは少しクラリスに同情している。こういう人を好きなっても辛い思いをするだけだろうと。
「メイプルさんが僕を好きになるはずがありません。メイプルさんが好きなのは」
「ちょっと!?」
「……好きなのは」
「うるさい! 黙れ!」
サーベラスを強引に黙らせるメイプル。話そうとするサーベラスのほうが悪いのだ。
「僕からも聞いて良いですか?」
「駄目」
「……誰という話ではありません。どうしてメイプルさんは隠そうとするのですか? クラリスさんとは大違いです」
クラリスは自分の想いを、それが錯覚だとしても、あからさまにしている。周囲に知られることを恐れていないどころか、わざと知らしめようとしているような態度を見せる。だが、メイプルは名を口にすることも拒否する。この違いがサーベラスには分からない。
「……彼女に怒られるかもしれないけど、私のほうが普通だと思う。自分の気持ちは隠したいものよ」
「そうですか……そうなると、やっぱり、クラリスさんのは錯覚です。状況がはっきりしました。ありがとうございます」
「そうじゃないから。気持ちは人それぞれ。どういう態度に出るかもそれぞれよ。私は周りだけでなく、本人にも知られたくない。でもそれは、私はそうだというだけのことよ」
変にサーベラスに納得されては、クラリスに申し訳ない。メイプルは言いたくないことも言って、サーベラスの誤解を解こうとした。
「……難しいですね?」
メイプルの今の説明では、サーベラスには違いが理解出来ない。人それぞれだとしても、どうして人それぞれになるかが分からない。
「サーベラスは彼女とは以前と同じように接していられる? 気まずい時とかない? 変に意識して、ぎこちなくなるとか」
「……あります」
以前のようには話せない。感情の問題ではなく、サーベラスのほうが出来るだけ接点を持たないように気を付けているので、そうなってしまうのだ。
「私はそうなりたくない。今の関係を壊したくない」
「関係を進めたくもない?」
「その質問はちょっと残酷ね。進まないのが分かっているから、踏み出せないの」
想いは決して叶わない。それが分かっているから、今以上を求めない。今のままで満足しようとメイプルは考えているのだ。
「進まない……そうでしょうか?」
「私は彼女みたいに可愛くない。育ちも良くない。進むはずがない」
「……外見はただの器……いえ、こういうことを言っても、何の意味もありませんね?」
外見はただの器。それだけで好悪を判断されることはない。最後までこれを言い切ることをサーベラスはしなかった。ルーに止められたのだ。サーベラスとは違って、多くの人は外見を気にするもの。中途半端な慰めは、人を傷つけることがあると伝えられて。
「ちょっと分からなくなった。実は君みたいな人のほうが良いのかしら?」
「それはありません。最初にメイプルさんが言った、絶対に僕を好きにならないが正解です」
自分が異常であることをサーベラスは知っている。人に好意を向けられても、絶対に応えられない。応え方を知らない。自分が出来ることは、相手を傷つけることだけだと。
「……君がそう思っている限り、君を好きになった女の子は幸せになれない。こういうことだとは……ごめん。今度は私が余計なお世話だった」
頑なに拒否していては、サーベラスを好きになっても報われることはない。サーベラスが受け入れる気持ちを持つことで変わる。そういうことではないかとメイプルは思ったが、そんな単純なことではないのかもしれないと思い直した。応えられない理由が、どうにもならない理由がサーベラスにはあるのではないかと。
「いえ、人の話を聞くのは為になります。メイプルさんが言う通り、人それぞれ考え方は違う。色々な人の考えを聞くべきだと思うので」
ルーとは異なる考えがメイプルからは出てくる。そういうものだと知識としてはサーベラスは知っている。人の感情を利用する方法も、ある程度は知っている。だが、その感情が生まれる原因をサーベラスは知らない。そういうことを学ぶのも面白いと思い始めているのだ、
「そうね。私も色々な人を知らないとね」
「自分の気持ちを確かめることになるだけかもしれませんけど」
「……君はそういうことは分かる、いえ、言えるのね? 人の気持ちが分からないわけではない。でも、か……やっぱり、君は面白い。怖くて、面白い人って、これからは言うことにする」
「面白いは初めて言われたと思います」
恐ろしいであれば、言われ慣れている。人に恐怖を与えることを、数えきれないほどサーベラスは行っているのだ。
「前から面白いと思っていたけどね。変な話で長話しをしたわね。用件はあるの?」
「はい。チーム編成はそのままですけど、僕は必要に応じて、各チームを巡回するように言われました。クラリスさんが他のチームに伝えるはずだったのですけど、いつまで経っても伝わっている様子がないので、僕が」
「ああ……分かった。チームの皆は喜ぶわ。彼女はその逆でしょうけど」
あからさまなヤキモチ。これがあの真面目なクラリスが行うことなのかと思ってしまうほどの熱中度。確かに普通ではないとメイプルも思う。悪いのはクラリスではない。そう思う一方で、好きになってはいけない人を好きになってしまったのが悪いのだとも思う。自分と同じように。
◆◆◆
クラリスの豹変に困惑しているのはサーベラスだけではない。他のチーム月の犬のメンバーも同じ。クラリスのことを良く知っているからこそ、その驚きは周囲よりも大きいのだ。それに彼らはただ驚いているだけではいられない。日常の訓練への影響はまだそれほどではないが、この先は分からない。少なくともチーム内がギクシャクしているのは間違いないのだ。
「真面目な子ほど恋に狂うと大変なのね?」
「恋に狂うって……」
ブリジットの表現がマイクは気に入らない。クラリスがサーベラスに恋をしているという事実を認めたくないのだ。
「おかしいでしょ? 私なんてサーベラスに話しかけるだけで睨まれるのよ? 前はそんなことなかったのに」
今現在、チーム内でもっとも悪影響を受けているのはブリジットだ。以前と同じようにサーベラスに助言を求めているだけなのに、クラリスはそれが気に入らないようで、きつい目を向けてくる。ブリジットが文句を言えないくらいに怖い目を。
「サーベラスが悪いんだよ。陰で誘惑していたんだね?」
「その誘惑に彼女は乗ったということでしょ? 同じことじゃない」
「そうだけど、あっ、いや、そうじゃないけど……」
悪いのはサーベラス。そういうことにサムエルはしようとしているが、それを行ってもクラリスが恋をしているという事実は否定できない。ブリジットの言う通り、問題は変わらない。
「あんたたちで何とかしなさいよ」
「何とかって言われても……」
その方法が思いつかない。今のクラリスは、サーベラスに関わることについては、聞く耳を持たないのだ。
「諦めさせるのが無理なら、サーベラスを説得して、くっつければ? それで気持ちは落ち着くんじゃない?」
「君がそれを言う?」
「どうして私が言ったらおかしいのよ?」
「だって……君もサーベラスのことが」
ブリジットもサーベラスに好意を持っている。彼女がチーム内で唯一心を開いているのはサーベラスであることは、誰もが知っていることだ。
「好きよ。優しいし、可愛いし。でもフェリックスも捨てがたい。格好良いし、彼、ナイトの一族なのでしょ? 玉の輿ってやつ?」
「……ああ」
クラリスとは気持ちの重さがまったく違う。比べものにならない軽さだ。
「サーベラスとくっつくのが嫌なら、自分で頑張れば? 彼女の気持ちを自分に向けるの」
「それじゃあ、何の解決にもならない」
「なるわよ。貴方たち相手じゃあ、おかしくなんてならないでしょ?」
「…………」
文句を言いたい。言いたいのだが、自分への想いに狂うクラリスは、サムエルたちには、まったく想像が出来ない。問題は解決するかもと思えてしまう。クラリスが彼らの中の誰かを好きになればの話だが。
「もっと他に方法はないのか? 問題はクラリスが自分の気持ちをコントロール出来ていないこと。彼女の問題だ」
これまで一言も発することなく黙って話を聞いていたクリフォードが、ここで口を挟んできた。
「真面目に考えているつもりだけど?」
「そうだとしても、彼女が誰を好きになるかは、彼女が決めることだ。俺たちがどうこう言うことじゃない」
「……びっくり。恋愛について、まともな意見を言えるのね?」
クリフォードの口から、このような言葉が出てくるなどブリジットは思ってもいなかった。
「俺は常にまともな意見を出している」
「それはどうかと思うけど……まあ、良いわ。でも彼女が聞く耳を持たないから悩んでいるのでしょ?」
「分かっている。だから何故、彼女は俺たちの意見を無視するのかを、まず考えるべきではないか? 問題がはっきりしなければ、解決策は生まれない」
クリフォードはクラリスが豹変した原因を明らかにするべきだと考えている。サーベラスのことが好きになった。それだけが問題ではないと考えている。人を好きになっても、気持ちを押し殺している人はいる。クラリスは何故それが出来ないのかを考えるべきだと。
「……悪霊に取りつかれた」
「サムエル、今度はお前がおふざけか? いい加減にしろ。俺は一日も早く訓練に集中できる環境を取り戻したいのだ」
「ふざけているわけじゃない。そういう噂が流れているのは事実だ。それも指導教官たちの間で。真面目な話だと思うよ?」
「クラリスは悪霊に取りつかれたと指導教官たちは考えているというのか?」
もし本当にそうであれば大問題。悪霊に取りつかれるということがどのようなことか、クリフォード自身は良く分かっていないが。
「違う。悪霊はサーベラスのほう。サーベラスの悪霊がクラリスを惑わせているってことだよ」
「……証拠は?」
クリフォードは自分が口にした言葉を思い出した。サーベラスは魔性。そうクラリスに忠告したことを。何故、そんな言葉が自分の口から出たのかは分からない。分からないから、サムエルの話を荒唐無稽だと言い切れなくなってしまった。
「そこまでは知らない。でも指導教官たちが動かないということは、まだ疑いがあるだけだと思う」
「……はっきりすれば指導教官たちが何とかしてくれる。それを待つと?」
「そうは言っていない。あくまでも疑いだからね。違っていたら、この状況は変わらない。何もしないではいられない」
だが何をすれば良いのか分からない。だからこうして話し合いを行っているのだ。答えは見つかりそうにないが。
「……戻って来た」
ブリジットが帰って来たクラリスを見つけた。これで一旦、この話は終わり。本人の前で話せる内容ではない。
「……やっぱり、サーベラスはあの女と会っていたわ」
席に座ったクラリスの第一声がこれ。それを聞かされた皆の顔が曇る。チームの打合せから外れて、どこに行っていたのかと思えば、クラリスはサーベラスの後をつけていた。それが分かったのだ。
「あの女がメイプルのことであれば、サーベラスは連絡事項を伝えにいっただけだ。本来は、お前が伝えなければならなかった連絡を」
クリフォードは黙っていない。皆が心配しているのに、本人はそれをまったく分かっていない。そのことに苛立っている。
「……フェリックスに伝えるべきだわ」
「彼らのチームに伝われば良いのだ。その相手がたまたまメイプルだっただけだ」
クラリスはわざと自分自身を苛立たせている。事実をゆがめて、サーベラスが接触する女の子を悪者にしようとしている。そんなことをしていては状況は悪化するばかりだとクリフォードは思う。
「…………」
その間違いを指摘すると、今度は指摘した人を恨む。クラリスはクリフォードを睨みつけている。
「お前が誰を好きになろうと俺には関係ない。だがな、訓練の邪魔はやめてくれ」
「邪魔しているつもりはない」
「邪魔をしている。チームの雰囲気を悪くして、周囲との関係を悪くしている。それが結果として訓練の邪魔になる。お前はそれで良いのか? もっと強くなると誓ったのではないのか?」
チームメンバーの邪魔をしているだけではない。クラリスは自分自身の鍛錬を疎かにしているとクリフォードは見ている。団体対抗戦での敗北を無駄にしていると思っている。
「……貴方には分からない」
クラリスにも鍛錬を疎かにしている自覚はある。自覚はあるが、どうしても気持ちを抑えきれないのだ。他のことが考えられないのだ。この気持ちは誰にも分からない。分かるはずがないとクラリスは思っている。
「ではお前は俺の何を知っている?」
「えっ……?」
「他人のことを完全に理解することなど出来ない。お前のことを周りが分からないように、お前も周りのことが分からない。それでも俺たちは同じ目的を持って、ここにいる。唯一かもしれない共通の思いを無視するな」
「…………」
ハッとした顔のまま、固まってしまったクラリス。その反応の意味がクリフォードたちには分からない。言葉が届いたのは間違いない。だが、それがクラリスにどういう影響を与えたのか、影響を与えたのかさえ分からない。
状況は改善に向かうのか、さらに悪化してしまうのか。今は誰にも分からないのだ。