守護戦士養成所の訓練で、死ぬはずだった落ちこぼれが生き残った。たったこれだけのことが、救国の五家の争いに小さな波紋を広げている。実際問題として、今の時点で、何か影響を及ぼしているわけではないのだ。その落ちこぼれの推薦人がルークの一族の当主であるということで、他の四家が勝手な推測をしているだけだ。その推測も具体的なものではない。ルークの一族は何を企んでいるのか。それに頭を悩ませ、自家はどう動くべきかと迷っているだけだ。
五家の当主を始めとした主導者たちが愚かというわけではない。今は他家の動向を見極め、自家の方針を決める時。些細な動きであっても軽視しないと考えているのだ。
「落ちこぼれなのか、優秀なのか分からない見習い守護兵士……気にする必要があるのか?」
キングの一族にもその情報は伝わってきたが、当主であるアレクシス三世王は重要な情報とは受け取っていない。
「正直、私にも分かりません。ただ、わざわざ伝えてくるからには、気にすべき情報だということです」
ウイリアム王子も、一応は検討はしてみるべきという考え。キングの一族にとって、ルークの一族の意向は、現段階ではそれほど重要ではない。この時点で自家の支持に転ずるはずがない。少しでも勝ち目を見せることが先だと考えているからだ。
「気にしろと言われてもな……仮に優秀だとして、どの程度の強さなのだ? まさか守護騎士を、それも他家の主力クラスの守護騎士を倒せるほどではないだろう?」
戦いを決めるのは守護騎士。どれだけ強い守護騎士を揃えられるかにかかっている。優秀であっても守護兵士は守護兵士。守護騎士には敵わない。アレクシス三世王も、誰もが持っている常識的な考えだ。
「守護騎士が、なんとか二十名の一般兵士を相手に戦える程度であれば、互角か勝ち目はあるのかもしれません」
「二十名の一般兵士? それは……いや、守護兵士としては優秀かもしれないが、上位の守護騎士は一騎当千。二十人の兵士など、それが守護兵士でも勝つだろう」
二十名を相手にして勝てるのは驚きだが、守護騎士であればそれくらいは当たり前のこと。守護騎士に勝るわけではない。
「やはり、そうですか……ガスパーも、もっと詳細な情報を送ってくれれば良いのですが」
この情報をキングの一族にもたらしたのはガスパー教官だ。彼はキングの一族に仕える、彼本人の意識は王家に仕える、守護騎士なのだ。
「書状には検閲が入るからな。それは仕方がない」
詳しい情報を送れないのには訳がある。守護騎士養成所内での詳しい出来事を外部に知らせるのは禁止されている。手紙などは中身を調べられ、問題ないと判断したものだけが送れることになっている。
ただ、各家に情報が送られているのは公然の秘密で、まったく情報を遮断すると決めては自家も困ることになるので、ここまでなら大丈夫という規則にない規則があるのだ。
「他家はどう動くと思われますか?」
「……静観だろうな。アンガス殿が推薦人となればルークの一族との繋がりを持っているということだ。関わる意味がない。変な動きをしてルークの一族を刺激することも避けるだろう」
実際にはサーベラスはルークの一族との繋がりは絶たれている。事情は何も知らないが、サーベラスがどこの家とも繋がりがないことをガスパー教官は、本人から直接聞いている。だが、これについては書けなかった。五家との関係は、検閲に引っかかる事項なのだ。
「では我が家も静観、いえ、ガスパーに任せておきましょう」
「今、この時期にガスパーが養成所に行っていることが、そもそも問題なのだがな」
「もともと決まっていたことです。それに、あえて代わらなかったガスパーには何か考えがあるのではないですか?」
指導教官は交代制で、各家から出すことになっている。前年の早い時期に誰を派遣するか決めることになっているのだが、それも言い訳を作れば、直前でも変えられる。怪我でも病気でも何でも良いのだ。だがガスパーは代わらなかった。当初の予定通りに指導教官として行ってしまったのだ。
「それはどうだろうな? あれは一族よりも王国を優先するような融通の利かない男だ。仮に何か考えがあるのだとしても、それを話していくべきだろう?」
「まあ、そうです」
ウイリアム王子の顔に苦笑いが浮かぶ。アレクシス三世王とガスパーは相性が悪い。生真面目なガスパーは諫言を躊躇わない。アレクシス三世王にとって耳に痛いことばかり言うので、嫌いというより苦手なのだ。それをウイリアム王子も良く知っている。普段は国王として威厳を見せている父が、子供のように拗ねている様子を何度か見ていて、それを思い出してしまったのだ。
「守護兵士よりも守護騎士だ。ガスパーには若手を鍛えてもらいたかった」
「……鍛えてどうにかなるのであれば、そうするのではありませんか?」
鍛えることでどうにかなるだけの戦力があるのであれば、キングの一族は今のように追い込まれていない。優秀な守護騎士はその多くが、財力に物をいわせて他家が奪っていってしまう。一年に一人二人でも、何年もそれが続くと戦力に絶対的な差が出来てしまう。そういう状況なのだ。
「お前も厳しいことを言う」
「他人事のつもりはありません」
「分かっている。だがこの先の一年や二年、特別士官学校から優秀な守護騎士を採用することが出来たとしても、それだけでは差は埋まらない」
他家から引き抜くなんて真似は出来ない。紳士協定としてそうなっている。仮にそれを破って引き抜いたとしても、その何倍もの数を引き抜き返されるだけだ。守護騎士は特別士官学校で学んでいる者たちから、採用するしかないのだ。
「現在、特別士官学校に通っている後継者候補はビショップの一族だけです」
「ビショップの独壇場……なんてことになるはずがないな。各家が自家の実力を見せつける守護騎士を送っているはずだ」
「そうだとしてもクイーンの一族にウィルフレッド殿とステラ殿以上の守護戦士はいないはずです」
クイーンの一族はもっとも優れた守護戦士を送りこめていない。たんに、すでに二人は卒業しているからで、特別な理由はない。それはナイトの一族も同じ。直系に士官学校に入学させられる適齢期の子はいないのだ。現在の特別士官学校でもっとも強いのは、順当であればビショップの一族の後継者候補。自家の強さを見せつける機会を得ていることになる。
「……ティファニーを早く入学させろと?」
キングの一族で争いの主力となるのはウイリアム王子の妹、ティファニー王女だ。ウイリアム王子が宿霊者になれない以上は、その力がある彼女を立てるしかない。これもキングの一族が、クイーンの一族やビショップの一族に遅れを取る理由。ナイトやルークから見て、頼りなく思われる理由のひとつだ。
「そこまでは申し上げていません。今の実力を比較されては、まず勝てないでしょうから、卒業するのを待つという手もあります」
「そうだな」
入学させればそれで良いというわけではない。ビショップの後継者候補より優れていると思われなければ逆効果になる。
「ただ、それには二年以上、待つ必要があります。さらに次の春にはルークの一族の後継者候補も入学するということです。卒業を待つことが最善なのか。私には判断出来ません」
五家の争いが本格化するのはまだ先だ。だが、二年先だとどうなのか。それはウイリアム王子には判断出来ない。その時点で特別士官学校にいて争いなるのかも分からない。どのような戦いになるのか、未だに見えていないのだ。
戦いが本格化する前に、キングの一族は他家と対抗できる、そう他家に思われる戦力を揃えなければならない。そうでなければ序盤で負けが決まる可能性が高い。まっさきに蹴落とされるのは、間違いなく現王家であるキングの一族なのだから。</p
◆◆◆
兵士養成所の訓練は熱がこもったものになっている。実戦を経験し、目の前で仲間が死ぬのを見て、見習い守護兵士たちの心境に変化が生じているのだ。この点で、養成所がやったことには効果があったということになる。人を殺さなくては、やる気にさせられない無能さを反省したほうが良いのに、とサーベラスは考えているが。
サーベラスが何を思おうと、養成所の訓練はカリキュラム通りに進んでいく。実際は実地訓練を前倒ししたことで、予定は狂っているのだが、それを無視して進めているということだ。
攻撃訓練、防御訓練というように何かに偏った訓練は終わり、総合的な訓練が本格化している。といっても今のところはただの一対一の立ち合い。そこから複数人での戦闘訓練、部隊訓練へと続いていくのだ。
(まだまだだな)
(……ごめん。いくつも同時に考えると、頭が混乱して)
二人の本来の役割分担は、サーベラスが攻撃でルーが防御。だが今はルーが両方を指示することにしている。正確には攻撃はルーが指示してその通りにサーベラスが動き、防御はルーが相手の攻撃を見切って霊力を展開するという方法。これで訓練を行っている。
(攻撃は攻撃、防御は防御って分けるのは間違い。攻撃することで相手の攻撃を止める……これはまだ早いか。口だけで説明しても分かりづらいだろうからな)
(うん、もう分からない)
今の二人はサーベラスの戦闘能力が全て。それでは駄目なのだ。二人の目的は元に戻ること。ルーが体を取り戻したあとも戦う力を持っていなければならない。ルー自身が強くならなければならないのだ。
(俺の体の反応もダメダメだからな。鍛錬方法考えないと……なんだろうな……)
実地訓練の戦闘にサーベラスはまったく満足していない。いくつか不満点はあるのだが、なによりも返り血を浴びた自分が許せないのだ。ルーはそこまで追求するものなのかと驚いたが、「返り血が視界を塞いだらどうなると思う?」とサーベラスに教えられて、納得した。自分が目指す高みが、さらに遠ざかった気がした。
「おい」
「…………」
「おい!?」
「……何?」
嫌悪感をはっきりと表に出して、サーベラスはクリフォードの呼びかけに応えた。クリフォードは引くと、その分、踏み出してくる。話を早く終わらせる為には、嫌がっていることを、はっきりと分からせたほうが良いと学んだのだ。
「どうして真面目に訓練しない?」
「はい? 真面目にやってますけど?」
訓練は、それがどのようなものであっても、常に真剣に取り組んでいるつもり。サーベラスにとっては物足りない訓練であっても、ハンデを作って、質をおげるように試みている。不真面目だと言われる覚えはサーベラスにはない。
「お前の動きはあんなものではないはずだ」
クリフォードはそのハンデを背負っての訓練を見て、サーベラスが手を抜いていると思っているのだ。実地訓練でのサーベラスの戦いと比べれば、そう思うのも当然だ。
「……ああ、そういうですか」
サーベラスもクリフォードが何故、不真面目だと思うのか分かった。
「何故、手を抜く?」
「手抜きはしていません。人には得意と不得意がある。苦手を克服する為の訓練をしていれば、人より劣って見えるだけです」
「苦手克服……苦手とはなんだ?」
「自分の弱点を人に話します? 話しませんよね?」
敵となる可能性がある相手には特に。これはクリフォードに限った話ではない。ここにいる全員が敵味方に分かれることになるのだ。ただ、今回のこれは、サーベラスは話を誤魔化しているだけ。「守護霊を訓練している」などとは言えないからだ。
「サーベラス! それが終わったら良いか!?」
サーベラスを呼ぶ声。別チームの見習い守護兵士が、少し離れたところで待っている。少し首を傾げて、その彼に親指を向けるサーベラス。クリフォードに、呼ばれていることをアピールしているのだ。
「……行け」
相変わらず、サーベラスは周りから相談を受けている。実地訓練でチームから一人も死者を出さなかったこと。他チームで生き延びた低判定の同期が、サーベラスのおかげだと言っていることなどから、以前よりも、さらに増えているくらいだ。その彼らの邪魔はクリフォードも出来ない。あとで文句を言われるのが分かっている。
「あっ、そうだ。訓練について悩んでいるなら、ガスパー教官に聞けば良いと思います。きっと参考になることを言ってくるはずだから」
呼ばれた相手のところに向かおうという足を止めて、サーベラスはこれを告げた。言うだけ言って、行ってしまった。
「……ガスパー教官」
クリフォードにとっても、養成所でもっとも怖い指導教官。躊躇いがないわけではないが、本当に為になる話が聞けるのであればと、彼の下に向かうことにした。向かうといっても、すぐそこだ。ガスパー教官は指導係として、この場にいるのだ。
「……あの?」
「どうした? もしかして質問でもあるのか?」
指導係は暇だ。暇にしている原因のひとつはサーベラス。指導教官よりもサーベラスのほうが気楽に聞ける。さらに回答も的確だと思えるものなので、指導教官に、それもわざわざガスパー教官を選んで、質問しようという見習い守護兵士はいないのだ。
「質問というか……サーベラスが訓練に悩んでいるなら、教官に聞けと」
具体的に何を聞きたいというものはクリフォードにはない。まったくないわけではないのだが、考えをまとめることなく、ガスパー教官に声をかけてしまったのだ。
「サーベラスが……揉めていることが多いように見ていたが、お前はサーベラスを信頼しているのだな?」
「えっ……?」
「勧められて、実際に私に話を聞きに来たのだから、そういうことだろ?」
「信頼ではありません。ただ、あの男に負けたくないだけです」
ガスパー教官の問いを、きっぱりと否定するクリフォード。信頼しているなどと思われたくないのだ。
「……まあ、良い。それで? 何に悩んでいるのだ?」
「あ……それは……それはですね……その……」
「ないのであれば訓練を続けろ。あるのに上手く説明出来ないのであれば、そのまま話せ。それでも分かることはあるかもしれない」
「……はい。サーベラスの訓練の仕方が分かりません。私には手を抜いているようにしか見えないのですが。本人は否定します。苦手を克服しようとしているのだと言うのです」
上手く説明出来ないのではなく、自分のことではないので質問を躊躇っていただけなのだが、クリフォードは、ガスパー教官に言われた通り、そのまま話すことにした。これで、何も聞くことなく戻っては、ただ時間を無駄にしただけになる。それは止めようと思ったのだ。
「なるほど……私にも彼が何を考えているのかは、良く分からない」
「そうですか……」
「ただ、人よりも遥かに多くを考えているのは間違いない。多くの者たちは、余裕がない者は尚更、訓練を終えてから考える。どこが悪かったのか、次はどうしようとか。それが悪いとは言わない。ただ彼は、訓練中もずっと考えている。考えるだけでなく、その場で直してくる。それが大きな違いだ」
「……特別なこととは思えないのですが?」
クリフォードも訓練中に考えているつもりだ。上手く行かなければ、次はどうすれば良いかと。上手く行っても、今は何が良かったのかを考えるようにしている。
「考えることは特別ではない。特別なのは修正すること。一人当たり、せいぜい五分か十分の訓練時間の間に、悪いところを直してしまうことだ。常に完璧に直るわけではない。だが、始まりと終わりで。わずかであっても確実に成長しているのだ」
「成長……そういうことですか」
その成長をクリフォードも見ている。これまでそんな風にはとらえていなかったが、確かにサーベラスは訓練の最後の最後で結果を出す。ガスパー教官が相手の時は特にそうだ。たまたま上手く行ったところで、終わりにしていたのだとクリフォードは思っていたが、ガスパー教官の話では、そうではないということだ。
「他の時間も考えているのだろう。想像に過ぎないが、彼は目指す形がはっきりと見えていて、それに向けて、今どうでなければならないという明確な目標がある。その目標を達成するために、今、何をやらなければならないかを分かっている。こういうことではないかと思う」
サーベラスは常に歩み続けている。半歩でも前に行こうとしている。それを実現している。サーベラスの強みはそういうことだとガスパー教官は考えている。
「……負けない為に、俺はどうすれば良いのでしょう?」
「悪いが私はその答えを持たない。言えることがあるとすれば、彼に勝る努力を続けること。これでは、何の助言にもならないだろう?」
ガスパー教官には「頑張れ」としか言いようがない。サーベラスの限界がガスパー教官には見えない。入所時にすでに限界と見られていたサーベラスは、さすがにガスパー教官はそこまでは思っていなかったが、確実に成長を続けているのだ。
「それでも諦めないことだ。彼がそうしているように」
「諦めないこと……分かりました」
「分かりました」と口にした。だが本当に諦めないでいられるのか。クリフォードには自信がない。諦めることで楽になることもある。彼はこれを知ってしまっているのだ。叶わない望みが人を苦しめるだけであることを知っているのだ。