屋敷の外に出るのはいつ以来か。答えは簡単。六年と少し前、幼年学校に行った時だ。その日、自宅に帰ってルー、当時のルークは、高熱を発して、そのまま死んだ。そのままといっても五年間、昏睡状態でいたあとだ。亡くなって霊になってからも一年以上、ルーは部屋の中にい続けた。サーベラスがベッドから動けないというだけではなく、ルー自身が外に出る準備が出来ていなかったのだ。
その準備が整い、今日、ルーは屋敷の外に出ている。まだ完璧と言える状態にあるかはルーには、外に出る許可を出したサーベラスにも分からない。実際に外に出てみて、試してみようということだ。
屋敷を出て、周囲の気配を探る。付けられている気配はない。実際にいないのか、気配を察知出来ていないだけなのかはルーには分からない。ルーが守護霊になっていることが知られているのであれば、実家が正体を探る必要はない。屋敷の外に出ていくことに気が付いていても、放置する可能性もあるのだ。
尾行を警戒しながら、ルーは、さらに先に進む。上手く出来ているかどうかは、それで分かるはずなのだ。
(……面倒だな)
霊になったのだから一瞬で行きたい場所に行けたりするのか、とルーは思っていた。だが、実際はそうではない。人が走るのよりは速いようだが、その程度。移動には時間が必要だった。
ただ、今のルーはそれに困ってはいない。急ぐつもりがないのだ。
(……変わらないのかな? あまり覚えていないな)
街並みを懐かしく感じる。だが、それが本当の気持ちなのかルーには分からない。当時の建物一つ一つの記憶があるわけではない。六年ぶりに外に出たという事実が、そう思わせているだけの可能性もある。
(当時は馬車に乗っていたものな)
しかも移動は馬車だった。五家の一つ、城の一族の跡継ぎであったルークにはそれが許されていた。街の中の様子は、もともと詳しいことまでは、知らなかったのだ。
(あの交差点かな?)
それでも幼年学校までの道のりで覚えていることはある。その一つのT字路の交差点らしき場所にルーはたどり着いた。
(右に曲がると幼年学校。お城はその反対と)
この知識は今のルークから伝えられたもの。ルーは城までの道を知らない。行ったことがないわけではないのだが、記憶にないのだ。
(まっすぐ行くと右手に……あれか?)
交差点を左に折れ、少し進むと右手に大きな門がある。城の外郭部への入口となる外門だ。そこを抜け、さらに奥にある内門を抜けるとそこが内郭。城の内部になる。
外郭部に入る門はルーにとって、文字通り、最初の関門。何事もなくそこを抜けられるかを試すことになる。
(冥王の衣……冥王の衣……)
「冥王の衣」とだけ呟いても、本来は何の意味もないのだが、ルーにとっては気持ちを落ち着かせるための呪文のようなもの。それで本当に気持ちが落ち着くのであれば、意味はある。
門に近づいていくルー。外門は内門に比べると人の出入りが多い。外郭部には王国の軍事や内政に関わる組織の施設があり、そこで働く人々や出入りの商人などが行き来しているのだ。
だからといって警備が緩いというわけではなく、特に入る人たちに対しては、厳しいチェックが行われている。
(…………)
気持ちを静めて、外門を通り抜けるルー。どれほど警戒が厳重であっても霊であるルーには関係ない、なんてことはない。守護霊の存在を知り、それを軍事力に活用しているアストリンゲント王国だ。守護霊の不正侵入に対しても、当然備えていて、警護役には霊力が使える守護騎士も含まれている。その彼らが不正に侵入しようとする守護霊がいないかを監視しているのだ。
監視は外門だけではない。外郭部を囲む外壁にも、これは守護霊とは異なる備えがされている。そちらのほうが検知されやすいというサーベラスの判断から、あえて警護の人が多くいる外門を選んで、抜けようとしているのだ。
(……平気、かな?)
警護役の守護騎士が何かに気づいた様子はない。その守護霊も、ルーに意識を向けている感覚はない。無事に抜けられたようだとルーは判断した。これで第一関門は突破。ただこれから先は、かなり厳しくなることが分かっている。安心してはいられない。
外門を抜けて、まるで迷路のように曲がりくねっている道を進んでいく。屋根に上がり、一直線に進むということはしない。ルーの姿を見つけられる人は必ずいる。人目につく場所を進むことは、避けることにしていた。
(あれか?)
いくつめかの角を曲がったところで、正面に門が見えた。まず間違いなく、目的の内門だと考えて、ざわめく気持ちを落ち着かせるルー。内門の先は城の本体。国王がいる場所だ。外門を抜ける時よりも警戒は厳しいはずなのだ。
ゆっくりと前に進むルー。確認出来ているだけで守護霊は四人。その四人に気配を感じさせないように慎重に、心を地面に出来ている影に沈ませるような気持ちで、近づいていく。
見張りの守護霊に気づかれている様子はない。内門も抜けられる、そう思った瞬間だった――
(なっ……)
ざわつく心。気持ちを落ち着かせようにも落ちかせることが出来ない。無理やり、体を揺すぶられているような感覚。ルーは自分の失敗を悟った。
「王女殿下! どちらに行かれるのですか!?」
「軍の訓練場よ!」
現れたのは王女。名前はルーには思い出せない。考える余裕もない。今のルーは身を隠すことに一生懸命で、他のことに意識を向けていられないのだ。
「ち、ちよっと待ちください! ここを通すわけにはまいりません!」
内門を駆け抜けようとする王女を、慌てて護衛役の騎士が制止に入る。
「……どうして?」
「規則ですから。城を出るにも、軍施設を使用するにも届け出が必要です」
「……私は強くならなくてはいけないの」
「それは……分かりますが、陛下の許可を得ていただかないと。王女殿下とはいえ、国の規則を破るわけにはいきません」
王女相手であっても警護役の騎士は規則を守ろうとしている。これが正しい対応なのだ。騎士が仕える相手は国王。国王の命令が全てであり、それに反する命令は、それが王女、王子からのものであっても従う必要はない。規則もまた国王の命令と考えれば、規則破りを許すわけにはいかないのだ。
「……そうね。父上の許可を得るのが先だったわ。ごめんなさい」
それは王女も分かっている。気持ちの焦りが、普段は行わないことをさせただけだ。
「いえ。ご理解いただけて良かったです」
聞き分けの良い王女で、警護役の騎士もほっとしている。もともとそういう性格な王女であることは、臣下の多くが分かっている。だからこそ、止めることが出来るのだ。
「…………」
「どうかなさいましたか?」
「……守護霊の気配がするような」
「えっ!?」
守護霊は城内にも存在する。だが、わざわざ王女が気にするということは、いてはいけない守護霊であるということ。そう考えて、警護役の騎士たちは慌て始めた、のだが。
「……騒がせてごめんなさい。気のせいかもしれないわ」
感じた気配はすでに失われている。わずかな気配であったので、それが本当に守護霊の気配であったのか、王女は自信がなかった。
「いえ。今後は、警戒を怠らないように努めます」
お騒がせな王女、とは警護役の騎士は受け取らない。何者かが城に侵入しているのではないかという疑いは、数年前からあった。事実が明らかにならないまま今日まできている疑惑だ。近頃はそういう話は聞かなくなっていたが、今日また、確証とは言えないが、疑いを持つべき出来事があった。城の警護態勢は、改めて強化されることになる。ルーにとっては、試験の合格点が勝手にあがってしまったということだ。
◆◆◆
王女によって見つかりそうになったルーは、なんとか気配を消したまま、その場を離れ、そのまま屋敷に戻った。今日の試験は不合格というところだが、大いに動揺した状態から、完全に発見されることなく逃げ出せたのだ。初めてにしては上出来とルークに褒められることになるのだが、それは今から数十分後の話。今は城での出来事を話せる状況ではない。ルーが勝手にそう思っているだけだが。
「……困ったな。なんか、あれだね? これは、どうすれば良いのかな?」
部屋に戻ったルーの目に入ったのは、恥ずかしそうにしながら、ミアに質問しているルーク。それに対してミアがどう答えるのか、ルーは戸惑いを心に抱きながら見ている。ルークが何をしたいのか、上手く伝わってこないのだ。
「……よろしければ、処理しましょうか?」
無表情、を装っているミアだが、わずかに寄った眉が不快さを表している。どちらかといえば鈍いほうのルーにも分かるのだ。実際は眉だけでなく、ミアの放つ雰囲気がそれを分からせているということだ。
「処理……分からないけど、そうしてもらおうかな?」
ルークは何も分かっていない振りをして、ミアの問いに了承を返した。それが振りであることがミアには分かっている。ルークもそれを分からせる雰囲気を発しているのだ。
ルークの体を拭いていたタオルを離し、ミアは下半身に手を伸ばす。いつもとは違う大きさに変化している下半身に。
(……ねえ、ルーク)
そこまできて、ようやくルーにも今の状況が理解出来るようになった。ルークが何をミアにさせているのか分かったのだ。
(少し静かにしていてくれ)
(静かになんて出来ないよ! ルークは何を考えているの!?)
侍女のミアに、これまでずっと面倒を見てくれたミアに、ルークは性的な要求をしている。それがルーには許せない。尽くしてきてくれた人に、こんな酷い仕打ちをして良いはずがないと怒っている。
(やり方が気に入らないのは分かる。それについては謝る。でもこれは、ミアさんの正体を確かめる為だ。詳しいことは終わってから説明するから)
(正体って何!?)
(もう少しだから。気が散るから本当に静かにしてくれ。俺だって何度も試したいことじゃないから)
(……少しだけだから)
ルークの苛立ちが伝わって来たことで、ルーは少し冷静になった。ミアに酷いことをさせたくないという思いはあるが、ルークに嫌われたくないという思いも強い。ルークに考えがあるのであれば、少し様子を見ようと思った。
「……それだけで収まるかな?」
ルーが静かになったところで、ルークはミアに問いかけた。ルーには意味の分からない問いだ。だが、ミアにはそうではなかった。探るような視線をルークに向けたミア。目をつむって俯くと、ゆっくりとルークのそれを口に含んでいく。
(えっ……ええっ?)
その行動に驚くルー。ミアがどうしてそのようなことをしたのか、彼は分からないでいた。その答えをルークに求めるが、何も伝わってこない。ルークの心が沈んでいることが、わずかに感じられるだけだ。
「……ご満足していただけましたか?」
そうしている間に事は終わり。ミアは顔をあげて、ルークに問いを向けた。
「うん。とても」
「そうですか。では、今日はこれで失礼させていただいてよろしいですか?」
「もちろん。今日もありがとう」
何事もなかったかのような二人のやり取り。それがルーには白々しく聞こえる。お互いに仮面をつけて、本心を隠して、話をしているように。実際にそうなのだ。
(……結局、何だったの?)
ミアが部屋を出ていくとすぐにルーはルークに答えを求める。
(ああ……ミアさんは、きっと間者だ。忍びと言ったほうが分かるか? それとも諜者?)
(分かる。分かるけど……ああいう方法でしか確かめられないの?)
他にも方法があったはずだとルーは思う。対案を持っているわけではない。ミアが嫌がる方法を選んだのは間違いだと考えているだけだ。
(今の状況でもっとも適した確認方法を使ったつもりだ。出来るだけ、彼女に確かめたことを分からせない方法。成功したかは分からないけど)
ルークは現状では一番良い方法を選んだつもりでいる。なんとなく流れの中で、疑念を持っていることを下心の仮面で隠して、確かめることが出来たと。ただ成功か失敗かはミアにしか分からない。
(そもそも確かめる必要があったの?)
(あると俺は思っている。ミアさんは簡単に俺を殺せる立場にある。その彼女がどういう人物か知る必要はあるだろ?)
(……それって……そうだけど)
ミアが殺意を持って向かってきた時、今のルークに抗う力はない。それはルーも知っている。ミアに殺そうとする動機はあるのか、と問いかけても意味はない。彼女にはなくても彼女の雇い主にはあるかもしれない。ルーは死に、正体の分からない人物がルークとなっていることは、すでに知られているはず。いつ殺されてもおかしくない立場だということは、随分前に認識しているのだ。
(でも彼女は……いや、良い)
ルークも決して喜んで試したわけではないことが伝わってくる。ルークが何を憂いているのかまでは分からないが。
◆◆◆
ルークの部屋を出た後のミアは、荒々しく波立つ心を抑え込むのに苦労している。当主の息子、後継者候補の看病をするという仕事は、最初に聞いた時には光栄に思って、嬉しかった。それだけ自分は信頼されているのだと思った。だが、そうではなかった。
まったく意識のない、呼吸していなければ死体と同じ、などと思ってしまうような相手。まったくの死体であったほうがまだマシだった。死体は排泄しないのだから。やせ細って骨と皮だけになった体。その口に重湯を流し込み、気味の悪い体から排泄された、ほとんど摂取していないのでわずかであるが、ものを綺麗にするだけの毎日。自分である必要などまったくない。信頼されているのではなく、どうでも良い仕事だから自分に任されたのだと分かった。何もない毎日が苦痛だった。
その苦痛の毎日に変化が起きたのは一年前。目覚めるはずのない死体が目覚めた。しかもその死体、ではなくルークは、強靭な意思で自分の体を回復させようとした。辛い鍛錬をしてきたと思っていた自分が恥ずかしくなるくらいの、苦痛に耐えて。
いずれ当主になる人物は尊敬に値する人だった。そう思えるようになった。自分の仕事に少し誇りが持てるようになった。昨日までは。
(……私の仕事って)
男性に奉仕するのが自分の仕事。それしか出来ないと思われているのだと知った。自分が未熟なことは分かっている。だが、今は未熟なだけで、この先、成長すれば違う形で、この家に役立つことが出来る日が来る。そう思っていた。だが、本当にその日は来るのかと思ってしまう。この先もずっと、新たに一つ仕事が加わっただけで、今のような日々が続いていくのかもしれないと思ってしまう。
「下の、排泄とは別の下の世話をしたとか?」
「……はい」
つい先ほどの出来事がすでに主に知られている。自分の行いを見ていた人がいる。それを知らされて、ミアの心はさらに深く沈んでいった。
「ふむ……何故、そのようなことになった?」
「……体を拭いている時に反応して、その流れでそうなりました」
そんなことは答えたくないとは言えない。相手には全てを報告しなければならない。当主とはまた別の、ミアたちにとっては絶対権力者なのだ。
「そうなるだけ元気になったということか……まあ、良いことだな」
「はい。体のほうは順調に回復しております」
「そうか。どれ、ついでだ。久しぶりに技を見てやろう」
こう言って、相手は椅子に座ったまま横を向いて、足を開いた。ミアの心はさらに深く、深く、闇の中に沈んでいく。それが彼女にとっての救いになるのだ。男の足の間に跪き、ついさきほどルークにしたのと同じことを始める。ルークの時よりも冷静に、自分の心を完全に殺して。
「……相手を物と見るのは良い。だが、それを相手に分からせてどうする? 虚で相手を喜ばすのがお前の仕事だ」
「……はい」
男を喜ばせるのが自分の仕事。今、一番言われたくない言葉を、言われたくない人に言われた。この相手がそう決めれば、ずっとミアはそういう仕事をすることになるのだ。
「よい。ではお前の下の方を確かめてやろう。後ろを向け」
「…………」
「……どうした? 早くしろ」
逆らうことは出来ない。逆らえば、もっと辛い目に遭わされる。殺されてしまうかもしれない。それをミアは分かっている。
「……申し訳ございません。まだお勤めが残っております」
逆らってはいけないと分かっているのに、ミアは拒絶してしまった。どうしても命令を受け入れる気持ちになれなかった。
「何だと?」
「……も、戻ってから、で、よ、よろしいでしょうか?」
相手の怒気を感じて、すぐに自分の仕出かしてしまったことに気づき、驚き、動揺するミア。
「長々とお前の相手をしている時間はない。さっさと戻って、仕事をしろ」
「……はい」
とりあえず、その場で殺されることにはならなかった。あくまでも、今はそうだったというだけ。この先、どうなるか分からない。先ほどまでとは異なる理由で、ミアの心は酷く落ち込んでいる。先の人生が見えなくなって、途方に暮れてもいる。ただ、まずは今の時間。咄嗟についてしまった嘘を、事実にしなければならない。
たどり着いた部屋の扉を静かに開ける。ルークが寝ていることを願いながら。
「えっ……?」
だが願いは叶えられなかった。それを残念に思う余裕はミアにはなかったが。
「ルーク様!? 大丈夫ですか!?」
ベッドで寝ているはずのルークが、床に倒れていたのだ。
「平気。丁度、良かった。ちょっと手を貸して」
「……はい」
ルークは、特に具合が悪そうなところはなく、普通に声をかけてきた。言われた通り、倒れているルークに近づき、その体を抱えて、引き起こす。
「……意外と力持ち」
「今のルーク様は私よりも軽いと思います」
今のルークを抱え起こすことなど簡単だ。少しは回復したとはいえ、まだまだやせ細った体。筋肉は回復しておらず、歩くことも出来ない、はずなのだ。
「そうか。忘れていた。さてと……」
ミアの体を支えにしながら、ゆっくりと足を前に出すルーク。それだけのことが、今のルークには簡単ではない。前に重心が乗った瞬間にバランスを崩し、そのまま倒れていってしまう。
その体を支えようとしたミアだったが。
「大丈夫?」
「……それは私の台詞です。どうして私が貴方に庇われなければならないのですか?」
ルークを下敷きにして、床に倒れることになってしまった。そうなった理由をミアは分かっている。床につく寸前に、ルークが体を入れ替えてしまったのだ。
「……つい。感覚が鈍っているみたいで」
必要のないことをしてしまった。それをルークは感覚が鈍っているせいだと考えた。実際にそうなのだが、ミアとの会話には合っていない表現だ。
「貴方は……どうして、そんなに頑張れるのですか?」
ミアも話の流れとは異なる問いを発してきた。何故、ルークは今の辛い状況に耐えられるのか。耐えるだけでなく、前に進もうと思えるのか。それを知りたいと思ったのだ。
「……自分の為に頑張る楽しさを知ったから? 自分の意思で出来るって楽しいことだ」
「そうですか……」
自分とは違う。自分には自分の意思で何かを行うことなど許されていない。ミアはそう思う。
「……今日は諦めた。ベッドに行くのを手伝ってもらっても良い?」
そうであっても諦めてはいけない。自分のようになってはいけない。これは口に出来ない。口にすることをルークは諦めたのだ。
「もちろんです」
今度は倒れないように、倒れても自分を庇うような真似はさせないようにして、ベッドに向かうルークを支えるミア。それは上手く行き、ルークはベッドに寝転がった。
「……では私は」
「しばらく側にいてくれる?」
「えっ……?」
「ただ座っているだけで良い。もうしばらく側にいて欲しい」
「……はい」
ルークが何故、こんなことを言ってくれたのかミアには分からない。部屋を出た後のことをルークは知らないはず。たとえ守護霊を使っても無理。そういう施しがされている部屋での出来事で、そうであることをミアは知っているのだ。
理由は何であれ、ルークの言葉はミアにはありがたいことだ。この部屋にずっととどまっていられるのだから。沈黙が部屋に広がっている。ミアはただ座っているだけ。それを許したルークも、ベッドに横になったまま、天井をぼんやりと見つめている。
(……ねえ、どういうこと?)
その沈黙に耐えられないのはルーだけだった、
(……用もないのにここに来るということは、ここではない別の場所にいたくないってことだろ?)
(そうか……じゃあ、話を聞いてあげれば?)
(話したければ彼女から話す。それに……これはこれで悪くないと俺は思う)
ただ黙って座っているだけ。何もしなくても、ただ誰かが一緒にいるというだけで良いという時もある。ルークはそれを知っているわけではない。ただ、偽りの言葉を口にする必要のない時間というのは悪くない。そう思っただけだ。ただ仮面を外しているだけで気持ちがほぐれることもあるのだと、ミアから感じているだけだ。