月の文庫ブログ

月野文人です。異世界物のファンタジー小説を書いています。このブログは自分がこれまで書き散らかしたまま眠らせていた作品、まったく一から始める作品など、とにかくあまり考えずに気の向くままに投稿するブログです。気に入った作品を見つけてもらえると嬉しいです。 掲載小説の一覧(第一話)はリンクの「掲載小説一覧」をクリックして下さい。よろしくお願いします。 

黒き狼たちの戦記 第98話 明かされた過去

異世界ファンタジー 黒き狼たちの戦記

 ノートメアシュトラーセ王国、王都シャインフォハンの争乱は終息した。あくまでも王都内での戦闘が終わったというだけで、何かが定まったわけではない。その後の状況が見えてくるにつれて、混迷は広がっている。
 反乱勢力の被害は甚大。近衛騎士団は壊滅とまではいかないが、それに近い状況だ。結果として、ほぼ出番がなかったアルカナ傭兵団反乱勢力は、上級騎士こそ無傷であるが、反乱に関わらせないでいた従士たちが何人か行方不明。王都東地区の住人たちの目撃情報から、ジギワルドと共に逃げたものと推測された。わずかとはいえ、戦力は減少だ。さらに王国騎士団では第一大隊がまるごと行方不明。これもジギワルドと行動を共にしていると推測される。
 正門を守っていた王国騎士団長直卒部隊の被害も大きい。それがシュバルツによって為されたものだと分かった時、反乱側の上級騎士の何人かは、ひどく落胆した。シュバルツは味方にすべきと考えていた上級騎士たちだ。シュバルツは思っていた以上の実力を見せつけて、逃げてしまった。惜しいと思わないではいられない。
 さらにキーラも逃してしまった。これに関しては誰もがその失敗を嘆いている。アルカナ傭兵団の情報網はキーラの伝書烏によって成り立っている。その伝書烏も、一羽も残ることなく、王都から消えていた。情報網は失われたのだ。
 ディアークは公式には死亡ということにしたが、生死不明。ベルント、ルイーサも同じ。トゥナは逃亡したものと考えられ、ルーカスも行方不明。反乱側のはっきりとした戦果は、テレルとアーテルハイドの二人を討ち取ったということだけ。
 これで成功したと思う者は誰もいない。それは支援勢力も同じだ。

「……実力を見誤っていたようですね?」

「申し訳ございません」

 平身低頭して謝罪するシャムシ。問いを向けた相手は、彼にとって世界で三番目に畏れ多い相手。神、聖神心教会東部中央教区司教に続く位置にいる人物なのだ。

「貴方を責めているのではありません。私自身の考えの甘さを恥じているのです」

「いえ、ヨシュカ様が間違いを犯すはずはございません。我々、神子の力が足りなかったのです」

 シャムシの所属は聖神心教会所属の神子騎士団。東部中央教区司教ヴィルヘルムが作った、公には知られていない組織で、その団長がヨシュカだ。その神子騎士団も予想外の被害を受けている。ディアークたち、アルカナ傭兵団幹部の力を甘く見ていたのは事実なのだ。

「立て直しには時間がかかりますね?」

「いえ、死んだのは信心が足りない者だけ。怪我が治れば、戦力は元通りになります」

 シャムシにとっては、弱いのは信仰心が足りないから。神子と称する資格のない者となる。

「……愚者と呼ばれている者とは戦いましたか?」

 ヨシュカは、そういう考えを植え付けた一人ではあるが、本人にはそこまで極端な思いはない。単純にアルカナ傭兵団幹部と戦うには、実力が足りなかっただけだと考えている。鍛え方が足りないだけだと。

「いえ。我々は教皇を騙る悪魔の手先と戦っていて、それでかなりの犠牲が……」

 アーテルハイドとの戦いで、シャムシと行動を共にしていた神子騎士団の仲間は、ほぼ戦闘力を失った。そこで戦いは終わってしまったのだ。

「そうですか……それは残念です」

 信心深さは良いことだが、それが驕りにつながっている面がシャムシにはある。正しいことを行っている自分たちが負けるはずがないという考えだ。思うのは勝手だ。だがそれによって努力が疎かになってはヨシュカとしては困る。鍛錬に関しては真面目なシャムシであるが、何が何でも勝つという狡さがない。それがヨシュカには不満なのだ。
 話に聞くシュバルツは、シャムシと反対で、勝つためには手段を択ばない。それを知り、その強さを知ることで、シャムシも少しは変わると思ったのだが、その機会はなかった。

「怪我人が回復し次第、残党どもを討ち果たします」

「それは貴方たちの仕事ではありません」

「放置しておいてよろしいのですか?」

「放置とは違います。異能者同士で殺し合いを始めるはずなので、勝手にやらせておけば良いと言っているのです」

 オトフリートたちは絶対的な力を握れなかった。逃げた者たちは反撃に出るはずだとヨシュカは考えている。放っておいてはそうならないのであれば、そうなるように仕向けるつもりだ。
 その戦いで大事な戦力を消耗させるのは馬鹿馬鹿しい。この反乱はヨシュカの、その上司であるヴェルヘイムの野心を実現するための第一歩に過ぎないのだ。

「引き上げることにします。動けない者には、後から合流するように伝えておきなさい。

「承知しました!」

 ノートメアシュトラーセ王国の状況は混とんとしているが、そんなことは聖神心教会には関係ない。自分たちの野心を実現するのに邪魔なアルカナ傭兵団が分裂し、異能者同士で争う状況になっただけで、十分に目的は果たしたことになる。彼らにとってはもう計画は終了なのだ。

 

 

◆◆◆

 王都シャインフォハンを脱出したシュバルツたちは、あらかじめ用意しておいた逃走路を使って、王都から離れていく。黒狼団が開拓した逃走路で、一般の人々の知らない道だ。そのほとんどは獣道のようなものだが、それでも馬を駆けさせるくらいは出来る。黒狼団のメンバーたちが何度も往来して、少しずつ移動しやすくしていったのだ。さらに森の奥に入ったところには休憩所も作られている。そこでシュバルツは一旦、移動を停止することにした。もう安全と見極めたのではない。

「その話を信じろと?」

「信じてもらうしかありません。自分は貴方を尊敬しています。だから連れて行ってください」

 しつこく後をつけてくるエルウィーンがうっとおしくなったからだ。

「付いてきてどうする?」

「えっと……貴方のようになります!」

「後をつけてきているのは自分の考えじゃないだろ?」

 個人的な思いだけで国から逃げ出そうとしている自分に付いてくるはずがないとシュバルツは考えている。

「王国騎士団長の命令ではあります。ですが、自分が貴方に憧れているのは事実で、そうだからこそ命じられたのです」

 あっさりと王国騎士団長の命令であることを明かすエルウィーン。それが悪いことだと思っていないのだ。

「どういうつもりだ? 逃亡先を探るにしても分かりやすすぎる。こいつを隠れ蓑として……」

 シュバルツの視線がエマに向かう。エルウィーンの他に後をつけている者がいないかを尋ねているのだ。だがエマは軽く首を傾げるだけ。そういう存在がいれば、とっくにシュバルツに知らせている。

「お願いします! 自分も連れて行ってください!」

「……何が出来る?」

 シュバルツの選択は三つ。ここで殺してしまうか、この先で振り切るか、もしくは連れて行くか。一番、相手にとって優しい選択を、まずは検討することにした。

「身の回りのお世話を」

「いらない。他には?」

「……まだ見習い従士ですので」

 自慢出来るものは何もない。エルウィーンはまだこれから。これから色々なことを学んでいく立場なのだ。

「つまり、なしと……連れて行っても役に立たないな」

「簡単な馬の世話なら出来るのではないですか?」

 同行という選択肢を失いかけたエルウィーンに助け舟を出したのは、フィデリオだった。

「馬の世話……」

「乗ることは出来ても、普段の世話を出来る人がこの中にはいないのではないですか?」

「フィデリオさんが出来そうだ」

 フィデリオも見習いを経て、近衛騎士になっている。馬の世話は出来るはずだとシュバルツは思っている。

「確かに出来ます。ですが私一人でこの数を面倒見るとなると、ほぼそれだけになってしまいます」

「……出来る?」

「出来ます!」

 なんとか役に立てそうなことが見つかった。エルウィーンとして、これを無にするわけにはいかない。実際に馬の世話は、専門職ほどではないが、出来るのだ。戦場での馬の世話は従士の仕事。見習い従士のエルウィーンは、昇格したときの為に、それを習っている。
 
「……ちなみにキーラさんは?」

「ん? 私の友達は世話なんてしなくても一人で何でも出来るぞ」

 キーラの友達でなくても、野生の馬は人の世話になどならない。だから野生なのだ。

「……じゃあ、馬係として仮採用。怪しいところがあったら首。誰かに、馬も含めて、危害を加えるような真似をしたら首、を斬る。実際に剣で」

「しません!」

「じゃあ、お前の件は一旦、これで終わり。早速仕事してくれ」

「はい!」

 シュバルツの指示を受けて、繋がれている馬のところに向かうエルウィーン。追い払われたことには気が付いていない様子だ。

「フィデリオさん」

「……はい。お話します」

 エルウィーンをこの場から遠ざけたのはフィデリオの話を聞く為。今回の反乱は何だったのか。ギルベアトは何を隠していたのか。それを聞く為だ。

「ギルベアト様は聖神心教会の信者でした。これは知っていましたか?」

「知っていた。最近だけど」

「そうでしたか。私もはっきりとしたことは分からないのですが、おそらくは内気功は教会騎士の技です。ギルベアト様は教会騎士の誰かからそれを教わり、身につけたのだと思っています」

「そう思う根拠は?」

 フィデリオの言う通りだとシュバルツは思っている。教会騎士が内気功を使うことをシュバルツは知っている。そういう相手と実際に戦っているのだ。

「内気功は対異能者戦の技と聞いております。異能者は教会が特殊能力保有者を呼ぶ時に使うもの。教会に限った話ではありませんが、教会寄りの人たちの呼び方です」

「ちょっと弱いかな? でも、まあ良い。それで?」

 根拠としては弱いと思う。だがこれはそれほど重要なことではない。シュバルツはすでに内気功は教会の技だと思っているのだ。

「近衛騎士団はもともとアルカナ傭兵団に対する反感が強く、ノートメアシュトラーセ王国は手を切るべきだと考えていました。場合によっては実力行使をしてでも。そのために内気功を密かに修練していたのです。これも証拠はありませんが、前王もそれを支持していたのではないかと」

「……あり得るか。内気功を身につけた近衛騎士団が、アルカナ傭兵団に成り代われると思っていた可能性はある」

 前王は父親と違いアルカナ傭兵団に悪意を持っていた。排除を考えていたとしてもおかしくないとシュバルツも思う。

「ですが、事を起こす前に前王は討たれ、ノートメアシュトラーセ王国の玉座には陛下が座りました。ギルベアト様もその時に王国を出ており、計画は消えた、はずでした」

「それが続いていた?」

「ギルベアト様は国外に戦力を求めました。正確には戦力を作ろうと考えた。正統な王を玉座に据える為の戦力を作ろうとしていました」

「……それは俺たちだな」

 ギルベアトが自分と仲間たちに戦う力を与えたのは、アルカナ傭兵団を排除して、ノートメアシュトラーセ王国を取り戻す為。薄々はそうではないかと思っていたが、それをフィデリオの口から聞くと、なんとも言えない思いが胸に湧いてくる。それはシュバルツだけではない。この場にいる黒狼団のメンバー全員が同じだ。

「……少し違うと思います」

「どこが?」

「シュバルツ様を連れて国を出たギルベアト様はそのつもりでいました。でも、徐々にその気持ちに変化が生まれています。私はギルベアト様との連絡係であったのですが、交わしていた書状の中にそれを感じていました」

 ギルベアトの心境の変化をフィデリオは感じていた。最初はそれが何か、何故か良く分からなかったが、やがて思い当たる点を見つけたのだ。

「……それは何?」

「シュバルツ様、貴方です」

「…………」

 何故、自分なのかはこの時点では分からない。だが、ギルベアトの心境の変化が自分たちにとって良いものであるなら、それをもたらしたものが自分であることは喜ぶべきことだ。

「ギルベアト様は貴方を謀略に巻き込みたくなかったのだと思います。ノートメアシュトラーセ王国の政争から遠ざけたかったのだと思います。私がそれを感じるようになったのはラングトアに移り住む前のこと。ギルベアト様が貴方たちを鍛えたのは、貴方たちに貴方たちの人生を歩んで欲しいと思ったから。その力を与えたかったのだと思います」

「……そうだと……良いな」

 ギルベアトの行いは謀略の為ではなく、一人の人間としての好意。そうであって欲しいとシュバルツは思う。

「絶対にそうです。ギルベアト様の心境の変化は、神の教えにもある幼子への愛情故と私は理解していましたが、貴方に会ってそういうことではないと分かりました。シュバルツ様、貴方は教会が言う異能者。ギルベアト様が教会信者として生き続けるには、貴方を殺さなければならなかった」

「…………」

「でもギルベアト様にはそれが出来なかった。ギルベアト様は神ではなく、貴方を選んだのです」

 実際には、ギルベアトは神を捨てきれていない。信仰とシュバルツへの愛情の狭間で悩み、死を選んだのだ。神の教えに背いたことへの懺悔として。シュバルツを自分が持つしがらみから解放する為に。シュバルツに、シュバルツ自身の人生を歩んでもらう為に。
 エマがすすり泣く声がその場にいる全員の耳に届いている。それを聞いている者たちも、声を出さないだけで、泣いているのだということがフィデリオには分かっている。目の前のシュバルツがそうであるから。

「……今回の反乱は、誰かが残り火に薪をくべたのでしょう。その誰かは恐らく教会だと思います」

 これ以上のことを話す意味はない。フィデリオは反乱の話をこれで終わらせた。

 

 

◆◆◆

 人目を避けて逃亡を続けるとなると、それが可能な道を行くことになる。そうしなければならない理由は人それぞれだが、多くが善人とはほど遠い人物であることは間違いない。同じように人目を避けているからといって、その相手に仲間意識を持つことなどない、それどころか、さらなる悪行の対象にしようと考えるような者たちだ。

「こいつ、手強いぞ!」

 赤子を連れた、汚れてはいるが、上質の装いを身につけた老人。老人が赤子を背負って、ではなく、カモがネギを背負ってやって来たと、その盗賊たちには見えたのだろう。その目は節穴だ。

「ぐあっ……」

 十人の盗賊相手に怯むことなく、老人は戦いを挑んできた。そうする自信があったのだ。正統な騎士十人が相手であれば苦しいかもしれないが、ど素人相手に不覚を取るはずがない。自信に見合った実力がギルベアトにはある。

「この爺……調子に乗りやがって! 一斉にかかれ!」

 逃げれば良いのに盗賊はそれを選択しない。すでに二人の仲間がやられている。それを怯えではなく、怒りに転化させてしまっているのだ。

「むっ……し、しまった」

 ただ、怒りに任せた攻撃は、規則性のないでたらめな一斉攻撃は、まさかの結果をもたらした。余裕でかわしたつもりだったギルベアトであったが、実際はわずかに目測を誤ってしまったのだ。慣れない逃亡生活は気づかないうちにギルベアトの心身を疲弊させていたのだ。
 盗賊の剣が斬ったのは赤子をギルベアトの体に括り付けていた紐。ゆっくりと地面に落ちていく赤子。慌てて手を伸ばしたギルベアトであったが、そこに盗賊の剣が伸びてきた。反射的にそれに対応するギルベアト。剣を避けることは出来たのだが。

「動くな! 動くとこのガキを殺すぞ!」

 赤子が盗賊の手に渡ってしまった。当然、盗賊は人質に使う。これ以外に彼らがギルベアトに勝つ手段はないのだから。

「……子供を放せ」

「放して欲しければ剣を捨てろ。いや、自分の剣で自分を刺せ」

 剣を捨てさせただけでは安心出来ない。愚かな盗賊ではあるが、こういう頭は回るのだ。

「……そうすれば子供は助けてくれるのか?」

 子供を見捨てる判断をするには、子供と過ごした時間が長すぎた。もともとそういう非情な決断が出来る性格でもない。

「ああ、助けてやる。殺さないでその辺に置いておいてやるよ」

「それでは助けることにはならない」

 歩くことも出来ない赤子が、こんな場所に置いてきぼりにされて生きていけるはずがない。善良な人がたまたま通りかかるなんて楽観的な期待を持てるはずもない。

「俺に育てろとでも言うのか? 嫌なこった」

「……それなら」

 抵抗しても同じこと。だがこの言葉をギルベアトは発することが出来なかった。

「殺すぞ! 今すぐ殺すぞ! それがどういうことか教えてやる!」

 赤子に剣を突き立てようとする盗賊。殺さないまでも怪我をさせようと考えたのだ、ギルベアトを脅す為に。

「止めろ……止めろぉおおおっ!」

 盗賊が本気だと分かって、焦るギルベアト。なんとか止めようとしたのだが、盗賊は他にもいるのだ。ギルベアトの行く手を遮る盗賊たち。間に合わない。絶望がギルベアトの胸に広がっていく、その時だった。

「ぎやぁああああっ!」

 盗賊の叫び声が響き渡った。それに驚く他の盗賊たち。その隙をギルベアトは見逃さなかった。一太刀で地面に崩れ落ちていく盗賊。他の者も同じだ。ギルベアトの剣を避ける力は、剣を打ち合わせる技もない。

「近づくな!」

 だが七人を一瞬で殺すことは、さすがのギルベアトにも出来なかった。逃した一人が赤子をまた人質にしてしまった。だが。

「……あっ、熱い! う、うわぁああああっ!」

 巻き上がる炎に飲み込まれていく盗賊。

「……そ、そんな……まさか……」

 何が起きたのかギルベアトには分かった。さきほどの別の盗賊の叫び声も同じだ。焼け焦げた盗賊の死体が地面に転がっている。それを見て、呆然と立ち尽くすギルベアト。

「……そんな……異能者だったなんて……」

 その可能性はあったのだ。母親は異能者。操炎の使い手だ。その母親の力を子供も受け継いでいた。当たり前にあることだ。

「…………」

 震える手で剣を握り、地面に寝ている赤子の横に膝をつくギルベアト。異能者は悪魔の手先。殺さなければならない、と心の中で呟いている。神への祈りと共に。
 両手で剣を持ち直し、剣先を赤子に向ける。落とすだけで赤子は死ぬ。それだけだと頭では思うが、手の震えが激しくなるばかりで、指先ひとつも動かせない。

「……あっ……うあっ……」

 込み上げてくる嗚咽をこらえきれない。おしめの替え方も、ミルクの温め方も分からなかった。夜泣きで寝られない夜も多かった。乳飲み子を抱えての逃亡生活は苦労ばかりの毎日だった。だが、その日々は、いつの間にか輝きを伴うものになっていた。
 赤子の寝顔が一日の疲れを癒してくれた。赤子の笑顔で全てが報われる気がした。今も赤子はその笑顔をギルベアトに向けている。今まさに自分を殺そうとしているギルベアトに。

「……出来ない……無理だ」

 剣を捨て、自分に向かって伸ばされている小さな手を、自分の手のひらで包み込む。力を入れるとつぶれてしまうのではないかと思う柔らかい手を。この手を守らなければならない。自らの全てを捧げて。ギルベアトはこの日、そう心に決めたのだ。

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