結局、森の中に作られた休憩所でシュバルツたちは一晩過ごすことにした。シュバルツたちは王都どころかノートメアシュトラーセ王国から出ようとしている。まだまだ先は長いのだ。無理することなく休める時に休んでおく。これがこの場所での野営をシュバルツが決めた理由だが、それが全てでないことは皆、分かっている。ギルベアトの話を聞いて、大きく心を揺らしたのはシュバルツだけではない。黒狼団のメンバー全員が同じ気持ちだ。ギルベアトを知らない人たちも、ゆっくりと思いにふける時間が彼らに必要なことは理解している。夜営することに異論はなかった。
「ここで別れる?」
「ああ、そうだ。生まれ故郷に帰ろうと思っている」
キーラはシュバルツたちと目的地が違っていた。自分が生まれた、かは本人も分かっていないが、育った地に戻ろうと考えていた。
「そうか……」
「ずっとそこにいるかは分からない。とにかく一度、帰ってみたいのだ」
帰郷はキーラにとってひとつの区切り。彼女は望んでその地を離れたのではない。アルカナ傭兵団に家族を殺された上に、無理矢理連れ去られたのだ。アルカナ傭兵団はそういうつもりでなくても、キーラにとってはそういうことだった。
「良い場所だと良いな」
「どうだろうな。正直、家族の温もり以外は、あまり覚えていないのだ。寂しくなったら会いに行く……良いか?」
「もちろん。いつでも来てくれ」
「そうか! ……でも、どこに行けば?」
会いに行きたいと思っても、シュバルツがどこにいるか分からなければ、どうしようもない。それにキーラは気が付いた。
「コンラートさんの領地に来れば良い。そこにいなくても、どこにいるかは分かるようにしておく」
「おお、そうか! あそこは良い場所だな。あそこで……また友達出来るかな?」
その場所で出来た友達は、キーラを逃がす為に犠牲になってしまった。それを思い出して、キーラの表情が曇る。
「間違いなく出来る。動物の友達だけじゃなくて、俺の仲間もまだいるからな。皆、キーラさんの友達になれると思う」
「そうだな。弟シュバルツの友達なら私も友達になれるな」
「俺、いつから弟に戻った?」
シュバルツと狼シュバルツ。どちらが兄でどちらが弟か、シュバルツも分からなくなっている。そもそも兄弟ではないが。
「……分かりにくいから、私もシュッツと呼ぼうかな?」
「えっ……?」
「駄目か?」
上目遣い、前髪に隠れていて実際にどうかは分からないが、でシュバルツを見つめるキーラ。
「いや、それを決めるのは……」
シュバルツではない。唯一、そう呼んでいるエマだ。恐る恐るそのエマに視線を向けるシュバルツ。
「良いわよ。それとも呼び名変える? リステアードとか?」
「それはない」
リステアードはノートメアシュトラーセ王国におけるシュバルツの公式名。リステアード=ディートリッヒ王子として登録されているのだ。その名を使うつもりは、シュバルツにはまったくない。
「今更、ヴォルフリックもないでしょ? じゃあ、シュッツで良いじゃない」
「エマが良いなら。じゃあ、キーラさん。俺のことはシュッツで、狼シュバルツはシュバルツと呼べば良い」
「お、おう」
頬を赤く染めているキーラ。シュバルツとエマの関係についてはキーラも理解している。ダメ元のつもりだったのが許されてしまい、いざ、そう呼ぶとなると恥ずかしくなったのだ。
「あ、あの、キーラ殿。寂しくなったらではなく、絶対に会いに来て欲しいのですけど」
話に割り込んできたのはクローヴィス。
「……えっ、そういうこと?」
キーラに絶対に会いに来て欲しいというクローヴィス。そういうことかとシュバルツは理解した。間違いだ。
「そういうことがどういうことか分かりませんが、多分、違うと思います」
クローヴィスは個人的な感情でキーラに会いに来て欲しいと言っているのではない。シュバルツには絶対にそれが必要だから頼んでいるのだ。
「じゃあ、何?」
「……今日は話すべきではないと思っていたのですが……実はこれを」
躊躇いながらクローヴィスが懐から取り出したのはカードの束。神意のタロッカだ。ギルベアトの話のあとに、この件は切り出しにくいと思っていたのだが、キーラが去ってしまうとなるとそうはいかない。キーラは神意のタロッカに認められらた人物。星の称号を持つ上級騎士だ。シュバルツに必要な人物だとクローヴィスは考えている。
「……どうして、これを?」
シュバルツは神意のタロッカを一度しか見たことがないが、すぐに分かった。何気なく引いたカードがそれを教えてくれた。
「父から授けられました。シュバルツ様に渡せと」
「どうして、俺に?」
「……陛下の想いを受け継ぐのはシュバルツ様しかいないと……その……陛下の御子であるシュバルツ様でなくてはならないと」
驚きの声が周囲から洩れる。重要な話をしている中、静かにしていなくてはならないと思っていても、こらえ切れなかった声だ。フィデリオなどは顔を青ざめさせている。これが事実であれば、子供に親を討たせようとしていたことになる。それを思ってしまったのだ。
「……証拠はない」
「はい。父もそう言ってしました。ですが証拠は見つかりました。貴方自身が証拠です」
半信半疑であったクローヴィスに確信を持たせたのは、王都脱出の時のシュバルツの戦い。ディアークと同じ、オトフリートやジギワルドを超える力を持つシュバルツに血の繋がりがないはずがない。こう思ったのだ。
「証拠にはならない。皇帝の父親も同じ力を持っていたのか? お前の父親の父親は? それに……いや、とにかく能力と血の繋がりは一致しない」
クローヴィスとセーレンは親の能力を受け継いでいるのか。これを言葉にすることはやめた。二人を傷つけるようなことを言わなくても、能力が血の繋がりを示すものにならないのは明らかなのだ。
「……血の繋がりなど、正直、私にはどうでも良いのです。陛下の想いを受け継ぐのはシュバルツ様で、父や他の人たちの想いを受け継ぐのは私たち。そうであって欲しいのです」
父の想いを受け継ぐ。クローヴィスはそうしたい。その為にはシュバルツにディアークの想いを受け継いでもらいたい。自分の為だけでなく、シュバルツにはそれが出来ると信じている。シュバルツでなければ出来ないと思っているのだ。
「ただのカード集めだ」
「ただのカードではありません! 集めた先には奇跡があるのです!」
「お前は俺に、爺を殺した神に頼れと言うのか!?」
「それは……」
クローヴィスが今晩は神意のタロッカについて話すのは止めようと思った理由のひとつ。シュバルツは、ある意味、予想していた言葉を口にしてきた。それへの反論を今のクローヴィスは持っていないのだ。
「百歩譲って神に頼るとしても、別のことで頼る!」
「なんですか、それは? 良い世界を創る以上のことがあるのですか?」
反乱は持たないが、諦めるつもりもない。クローヴィスはシュバルツに世界を変えて欲しいのだ。
「それは……エマの目を治す!」
「そんなことの為に神意のタロッカを……!?」
「そんなこととは何だ!? エマの目を治すのはとても大切なことだ!」
「それは……そうですが、しかし……」
つい口がすべってしまった。その自覚はクローヴィスにもある。
「とにかく俺は! 赤の他人の為にくだらないカード集めなんてする気はない!」
これ以上、この話をするつもりはない。それを示す、というよりクローヴィスに話をさせない為にシュバルツはその場を立って、歩き去ってしまった。
「違う……私が望んでいるのはカードではなく……この世界を変えるのは……」
このクローヴィスの呟きを無視して。
「クローヴィス。私も同じ気持ちだから。父上が……その時は私が……」
クローヴィスの想いを誰よりも分かるのはセーレンだ。おそらく父親のテレルは亡くなっている。その父の代わりに出来ることがあれば。その志を受け継ぎたいと思う。シュバルツの下で。
「今日ではなかったな。仕方ないのかもしれないが……まあ、大丈夫だ。シュバルツも今は受け止めきれないだけだ」
そんな二人をロードが慰める。黒狼団で、それもシュバルツ絡みの揉め事が起きた時の調整役はロート。いつもの役回りだ。そして熱くなったシュバルツを冷ますのは。
◆◆◆
親代わりのギルベアトがいて、信頼できる仲間がいる。辛く悲しいこともあった日々だが、仲間たちと共に生きる毎日は充実した日々だった。その大切な日常を壊したのはアルカナ傭兵団。ギルベアトは死に、自分は自由を奪われ、仲間たちと引き離された。当然、その状況に甘んじるつもりはない。復讐を果たし、また仲間と共に生きる日々に戻るつもりでいた。
だが、無理強いされていたはずの傭兵団での生活は、いつの間にか変わっていた。新しい仲間と共に任務をこなし、目標とする背中に追いつく為に自分自身を鍛える日々。それが当たり前の日常になっていた。
その当たり前の日常も壊されてしまった。それに対して、自分はどうするのか。取り戻す為の行動を起こすのか。黒狼団の仲間たちとの暮らしに戻るのか。戻れるのか。貧民街の悪党では見えなかっただろう世界を、シュバルツは見てしまったのだ、
「……シュッツ」
「頭がぐちゃぐちゃで良く分からない」
ギルベアトの想いを、推測に過ぎないかもしれないが、知った。彼を失った悲しみが、まだ心を痛くする。その悲しみを少しでも癒す為の怒りの向け先も失ってしまった。その相手は、自分が本当の父親だと自分に告げて来た。そんな話は信じられなかった。
「……気が付いていたのでしょ?」
「何の話?」
「王様が自分の父親だってこと」
「…………」
信じられなかったのではない。受け入れられなかった、受け入れたくなかったのだ。自分の親はギルベアト。ディアークはその親を殺した敵。そういう、シュバルツにとっては、単純な関係であって欲しかったのだ。
「私には見た目は分からない。でも、二人の声は似ていると思うわ。体格の違いによる差はあるけど、大本のところはかなり似ている」
「……ずっとそう思ってた?」
「ええ。教えようかと思ったこともあったけど、すぐに必要ないことが分かったから。シュッツの王様へ向ける態度は、爺ちゃんへのそれと同じだもの」
シュバルツがディアークに向ける態度には、甘えが含まれている。生意気な態度を向けたり、訳もなく反抗してギルベアトを怒らせても、最後には許してもらえる。一緒に暮らしていて何度もあったそれと、似たような思いが含まれているように感じていたのだ。
「……それはエマの勘違いだ。爺とは違う」
「そうかしら? まあ、良いわ。血の繋がりなんて関係ないものね?」
「ああ、そうだ」
ギルベアトとも血の繋がりはない。エマとロートとも、血の繋がりなどなくても、兄弟のように暮らしてきた。二人にとって家族とは、血ではなく心の繋がりがある人のことを言うのだ。
「問題は想いを受け止めるかどうかよ。王様は最後にこう言ったわ。『あとは頼むぞ。我が息子、シュバルツよ』って」
「…………」
「シュッツには聞こえなかったと思うから、伝えておく」
特別な耳を持つエマでなければ聞き取れなかった言葉。これは絶対にシュバルツに伝えなければならないとエマは考えていたのだ。
「……勝手なことを」
「そうね。託す側が勝手なら、受ける側も勝手で良いと思うわ。想いを受け取るか、拒絶するかはシュッツが決めることよ」
「俺はカード集めなんてするつもりはない」
「シュッツ。王様が託した想いはそんなことじゃない。それは分かっているはずよ? 拒絶するのは勝手。でも、想いを歪めるのは駄目」
視線をきつくしてシュバルツを睨むエマ。判断は託された本人であるシュバルツが行うこと。だが、その判断は本気で向き合った結果であって欲しい。エマはそう思っている。
「……俺に何をして欲しいのだろう?」
「私には分からない。でも、シュッツが、それが正しいと信じてのことなら何でも良いのではないかしら?」
「それって何かを託したことになるのか?」
「爺ちゃんは、私たちに何かしろと言った?」
「……いや、言ってない」
フィデリオの考えが正しければ、ギルベアトはただシュバルツたちに自分らしく生きて欲しかっただけ。自分の人生を歩んでほしかったから、彼らに力を与え、自らは死を選んだのだ。
エマはディアークの想いも、ギルベアトと同じだと思っている。自分の人生をなぞるような生き方など求めているわけではないと。
「世の中をもっと生きやすいものにしたい。でも、私たちの知る世の中は狭かった。私たちはそれを知った。知ってしまったら元には戻れない」
「そうだな」
ラングトアの貧民街、歓楽街が全てだった。だがラングトアを出て、もっと広い世界を知った。世の中は自分たちが思っていたよりも遥かに広く、自分たちが思っていた通り、理不尽だった。
世の中をもっと生きやすいものにする。言葉は同じでも、その中身はすでに変わっているのだ。
◆◆◆
二十二枚のカードを集める。言葉にすればそれだけのこと。だが、それに人生を賭けた人たちがいた。クローヴィスの父、アーテルハイドもその一人だ。その先に何があるのか。クローヴィスには分からない。ディアークやアーテルハイドたちが夢見た未来がどのようなものかも知らない。それで何を受け継ぐのかという思いも湧いてくる。
だが、やはりクローヴィスは父親の想いを受け継ぎたい。同じ生き方をしたい、その先に何があるかなど関係ないのだ。
今日は話すタイミングではなかった。ロートの言う通りだと思う。だが、後悔しても遅い。すでにシュバルツに伝え、そして拒絶されてしまった。父の願いを叶えることが出来なかった。胸に広がる痛み。後悔で終わらすわけにはいかないと、その痛みが教えてくれる。こんな痛みを抱えて、満足できる人生など送れるはずがないのだ。
「……寄越せ」
「えっ……?」
耳に届いた声に顔をあげてみれば、不機嫌そうな顔で自分を見ているシュバルツがいた。
「寄越せと言っている……別に、ずっとお前が持っていてもいいけどな」
「……もしかして、カードのことですか?」
「他に何か俺がお前から受け取るものはあるか?」
仏頂面のまま、信じられないことを口にしてきたシュバルツ。まさかの事態に、クローヴィスは自分の耳を疑うことになった。
「……つまり、陛下の想いを受け継いでいただけるということですか?」
「それとカードを集めることは別だ。カードはエマの目を治すことに使う」
だが、シュバルツの答えはクローヴィスが期待していたものとは異なっていた。状況は変わっていない。クローヴィスはそう思って、また気持ちが落ち込んでしまう。
「だからそれでは……決して、エマさんの目を治すことは否定するわけではないのです。ですが……エマさんのことはシュバルツ様、個人の想い。カードはそういうことではなく……」
「だったらエマの目を治せる医者を連れてこい。ラングトアにいる医者全員が無理だと言った目を治せる医者を」
シュバルツたちもこれまで何もしてこなかったわけではない。ある程度の金を手にしたあとは、聞けるだけの医者、全てに治せるか聞いている。だが求める答えを返してくれる医者はいなかったのだ。
「それは……」
「人では出来ないことだから神様に頼るんだろ? その神様の力が借りれるカードを治療に使って何が悪い?」
「…………」
これ以上、何を反論出来るのかクローヴィスには分からない。シュバルツがその気になるかどうかは理屈ではないことがクローヴィスには分かっている。
「シュッツ。どうしてそういう言い方しか出来ないの?」
絶望するクローヴィスに救いの手を差し伸べたのはエマだ。
「そういう言い方って……俺は別に」
さきほどとは違う意味でふくれっ面になるシュバルツ。今回のこれはエマに怒られて、子供のようにふくれているだけ。さきほどまでの照れ隠しとは違う。
「クローヴィスさん。シュッツはこう言っているの。人の手で出来ることに神様の力を借りる必要なんてないって。人の手でやるべきことが正しい言い方かしら?」
「人の手でやるべきこと……」
「世の中を良くしたければ、私たち自身の手で、それを実現するべきだと思う。私たちが思う良い世の中にするの」
「……はい……はい! 私もそう思います!」
神様任せなんてつもりは、クローヴィスにも最初からない。自分たちの力で、それを実現することを望んでいたのだ。実現の日までシュバルツを支え続けることを、クローヴィスは、アーテルハイドも望んでいたのだ。
「言っておくけど、俺たちにとって良い世の中だからな。それが万人にとって良いとは限らない。これは忘れるな」
「はい。分かっています」
自分たちは神ではない。万人の幸福を実現できるなんて思いあがるべきではない。絶対の正義であることなど出来ない。シュバルツの言いたいことは、クローヴィスにも理解出来る。それで良いのだ。自分たちが正しいと思う世の中を目指すこと、道を進み続けることが出来るのであれば。その為に人生を捧げることに躊躇いはない。
鎖から解き放たれた黒き狼たちはどこに向かうのか。それは彼ら自身が決めることだ。