約束していた合流地点に別行動をとっていた護衛騎士たちが到着してから、さらに五日。ようやくティファニー王女たちは彼等と合流した。ディーノが異常なしと判断するまでに、それだけの日数を必要としたのだ。
そこからさらに森を北進。今度は護衛騎士たちに別行動をさせることなく、一緒に移動している。護衛騎士たちに対するディーノの疑いが完全に晴れた、わけではない。恐らくずっと晴れることはない。
ディアーナと出会ったことで変化したディーノの性格だが、人嫌いについては根本的には治らなかった。今は、より一層強くなったかもしれない。彼女の死が、ディーノに人を信用することを許さないのだ。
「……何を企んでいる?」
ディーノが未だに自分の部下たちを信用していないのは、クロードも分かっている。だが、そうであるのに行動を共にする理由が分からない。
「何も企んでいない。お前が望む目的地に向かっているだけだ」
あえて「クロードが望む」という言い方をするディーノ。今もまだ、ティファニー王女を戦いに向かわせるのには反対だという意思表示だ。
「……大丈夫なのか?」
部下が裏切るはずがないと考えているクロードだが、ディーノが執拗に事実を確かめようとしている様子を見ていると、やはり不安を覚えてしまう。
「それを今聞かれても答えは決まっている」
大丈夫だと思っているのであれば、ここまで警戒はしない。だからといって裏切っているという確証もない。クロードの問いへの答えは「分からない」だ。
「森はいつ頃、抜ける?」
「急げば四日。一番近くの村はローファン。そこから目的地までは?」
「……最寄りの街は?」
クロードはローファンなんて村を聞いたことがない。自分が分かるであろう街の名を尋ねた。
「エッセイ、だったかな? ローファンから、さらに二日だ」
「エッセイ……ああ、ここか……馬で八日ってとこか。意外と近いな」
地図をなぞりながら、日数を見積もるクロード。森を抜けてから十日程、実際はもっと早いが、で目的地に着くと知って、少し驚いている。
「他に合流する部下はいないのか?」
「……いる。い、いや、隠していたわけではないのだ。無事に合流出来るかどうか分からなくて」
ディーノの問いに焦るクロード。隠し事をしていたと思って、またディーノが怒り出すと考えているのだ。
「言い訳はいらない。それにいると思っていたから聞いたんだ」
「……どうして?」
「たった四人の部下をつけただけで北部で兵を挙げろなんて話だとしたら、お前がなんと言おうと俺はティファニー様を連れて逃げる」
帝国に見つからないように同行人数を絞り込んでいただけ。北部に向かっている部下は、もっと大勢いるとディーノは考えていた。そうでなくて兵を挙げられるはずがないと。
「ま、まあ、そうだな」
「数は?」
「およそ百だ。ただ、どれだけの人数が帝国の目を逃れて北部に辿り着けることか……」
まとまった数で移動をしていれば、それだけ帝国に見つかりやすい。どれだけの味方が無事に北部まで来られるかは、クロードにも分からない。騎士たちの移動は帝国の目を引き付ける意味もあった。多くの敵に追われた可能性もあるのだ。
「百か……ちょっと多いな」
「はっ?」
少ないと文句を言われると思っていた数を、ディーノは多いと言ってきた。その意味がクロードには分からない。
「仕方ない。それはそれで考えるとして、まずは目の前のことだな。その部下たちとの合流場所をローファンに変えろ」
「……無理だ」
「どうして?」
「どうやって彼等と連絡を取る?」
合流場所の変更を部下たちに伝えることは困難。もちろん誰かが伝令に発つことは出来る。だがそれを行うなら、このまま合流すれば良いのだ。こうクロードは考えた。
「……じゃあ、俺の知り合いに頼もう」
「はい?」
「大丈夫。近くにいるはずだから、合図を送ればすぐに来る」
「……ディーノ?」
ディーノの意図がクロードにはまったく分からない。何故、合流場所を変える必要があるのか。近くにいる知り合いというのは何者なのか。
「すぐに戻るから待ってろ」
クロードが疑問を口にする間を与えることなく、ディーノは離れていく。ティファニー王女を同乗させたまま。
「……えっ? お、おい! ディーノ、お前まさか!?」
「うるさい! 戻ると言ったら戻る! 大人しく待ってろ!」
焦るクロードの耳に、先の方からディーノの怒鳴り声が聞こえてきた。その言葉を信用出来るのか、とも思ったクロードだが、ここは言われた通り、待つことにした。
ディーノの信用を得ようと思うなら、こちらが疑っているような言動は慎まなければならない。そもそもディーノが本気で逃げる気になれば、クロードが追いつけるはずがないのだ。
◆◆◆
戻ってきたディーノは使者を頼めたことと、ローファンに滞在して合流してくるのを待つことだけしかクロードに話そうとしなかった。クロードが何度説明を求めても、ディーノの態度は変わらない。何かを企んでいるのは明らかだが、それを追及することをクロードは断念せざるを得なかった。
だがクロードが求める答えは、当人が思っていたよりも早く、意外な形で明らかになる。
「思っていたよりも早かった」
この言葉はクロードではなく、ディーノのもの。
「……まさか、こんな」
クロードのほうは事実が明らかになって、やや呆然としている。
「ああ、そうだな。さすがに俺も三人全員が裏切っているとは思っていなかった」
その日の夜。クロードの部下たちは行動を起こした。部下と呼ぶのはもう間違い。彼等は裏切り者だ。
「……剣を置いて下さい。自分たちは貴方を殺したくありません」
裏切った部下の一人、ダニエルがクロードに降伏を求めてきた。国を裏切っても、上司であるクロードに対しては変わらない想いが残っているのだ。
「何故だ? 何故、このようなことを?」
「一日も早く戦乱を終わらせる為です」
「それが帝国の勝利に終わってもか?」
「……統治者が誰であろうと関係ありません。民が求めるのは平和で安心出来る暮らし。それを与えてくれる施政者です」
彼の言葉は間違ってはいない。庶民にとって王とは雲の上の存在。忠誠を向けていても、その王がどのような人物か知る人はわずかだ。多くの民は、自分たちの暮らしがどうかで良い人かそうでないかを判断しているだけなのだ。
「その安心出来る暮らしを取り戻す為に、帝国と戦うのだ!」
「戦っても勝てません! そうであれば一日でも早く戦争を終わらせることを考えるべきです! 戦争を長引かせることは民を苦しめることと同じ! それが分かりませんか!?」
「それは……しかし、我々はサルタナ王国人で……」
戦争が民を苦しめることは、クロードも否定出来ない。帝国との戦いは厳しく、国を奪還出来るにしても、それには長い時が必要であることも。
「……王家の血筋は残ります」
「それはティファニー様を……お前等……」
彼等は帝国についたのだ。アドリアン王子が求めるティファニー王女を差し出そうとするのは当然のこと。それを知ったクロードの胸に悔しさがこみ上げてくる。
「民の犠牲は許せないくせに、ティファニー様が犠牲になることは何とも思わないのか?」
悔しさで胸が詰まってしまったクロードに代わって、ディーノが口を開いてきた。
「……ティファニー様には王女としての責任がある」
「王女としての責任……それは国の為に好きでもない男に嫁がせることか? そんなことが責任なのか?」
「政略結婚など、当たり前にあることだ!」
「当たり前だと? 王女だって一人の女性だ! 女性が何故、王女だというだけで、その身を犠牲にしなければならない!? 何故、それを当たり前とお前たちは言える!?」
護衛騎士の言葉に激高するディーノ。王族であるからには政略結婚など当たり前。世の中の常識がそうであることは分かっているが、それを受け入れることはディーノには出来ないのだ。
「……民の為だ」
「だったらお前等が民の為に犠牲になれ。民の暮らしに一切関係のない場所で、勝手に殺し合いをしてろ」
「そんなこと、出来るはずがない」
殺し合いの場を選べるはずがない。護衛騎士の言葉は正しい。だが、ディーノには納得出来ることではない。
「やろうとしたのか?」
「だから、出来るはずがない!」
「最初から諦めていて、出来るはずがない! 自分は何の責任も果たしていないのに、他人に責任を押しつけるな!」
「うるさい! 我々は我々が信じる正しい道を進むだけだ!」
言い合いをしてもディーノには勝てない。国を裏切ったという引け目が護衛騎士たちにはある。まだ若いティファニー王女を敵国に差し出そうということへの負い目も。
「無理だな。お前たちはこの場で死ぬ」
「死ぬのはお前だ。お前を生かす理由はこちらにはない」
「だから、無理」
「無理かどうかはすぐに分かる! 死ね!」
ディーノに向かって、剣を振り上げる護衛騎士。だが、彼は剣を振り下ろすことは出来なかった。振り上げた勢いのまま、後ろに倒れてしまったのだ。
それは他の二人も似たようなもの。後ろに倒れることにはなっていないが、剣をだらりと下に降ろしたまま動けないでいた。
「な、何だ!? お、重い! 何だ、この剣は!? どうして離れない!?」
剣を抜いて近づいていくディーノに焦る護衛騎士。戦おうにも剣が重くて、体が動かないのだ。
「呪われたから」
「なんだと?」
「お前等が買った剣は『呪いの剣』だ。呪いといっても魔道が仕掛けられているだけ。一時的に剣が体から離れなくなり、とてつもなく重くなる。そういう魔道」
ディーノが三人に売った剣には、一時的に持っている人を戦闘不能にする魔法が組み込まれていた。それを今発動させたのだ。
「……き、貴様、騙したな!」
「騙してはいない。説明した内容は本当だ。ただ、全ての魔道について話さなかっただけだ。それに、お前等が裏切らなければ、こんなことにはならなかった」
「…………」
「効果を発揮する時間は、そんなに長くない。悪いが悔やんでいる時間は与えられない……そのほうが良いのか」
「や、止めろ! 止めてくれ!」
ディーノに向かって叫ぶ護衛騎士たち。だが、ディーノに彼等の望みを叶えてやる義理はない。生かしておく理由はないのだ。動けない騎士に向かって剣を振り上げたディーノ。
「……何をしている?」
この問いはクロードに向けたものだ。
「何をって……」
クロードはティファニー王女の後ろに立って、彼女の目と耳を手で塞いでいる。騎士が殺される様子を見せたくないというクロードの心遣いだ。
「彼女には彼等の死を見届ける義務がある」
「……馬鹿なことを言うな」
「彼女が自らの目的を果たす為に彼等を殺すのだ。彼等の死に責任がある」
「それは……いや、そうだとしても……」
そうであれば尚更、見せるべきではない。自分のせいで人が死ぬなんてことを知らせる必要はないとクロードは思う。
「兵を挙げれば、もっと大勢の人が死ぬ。しかもその人たちは裏切り者ではなく味方だ」
「…………」
「ずっと目を隠し続けるつもりであれば、これ以上の犠牲が出ないうちに挙兵なんて諦めろ。死の責任を負えない人の為に死ぬ人たちが可哀想だ」
「それは…………あっ」
クロードの手にティファニー王女の手が重ねられる。ディーノの言葉に驚き、会話を続けているうちに知らず知らずのうちに緩んでいた手の力。二人の会話はティファニー王女に聞こえていたのだ。
クロードの手を除けて、ディーノをじっと見つめているティファニー王女。それを確認したところで、ディーノはまた騎士たちに向き直った。
「……止めろ。止めてくれ」
「それは無理。お前たちは負けたんだ」
「い、嫌だ! 俺はまだ死にたくない!」
「助けてくれ! お願いだ!」
「助けて! ティファニー様!」
命乞いの声が周囲に響き渡る。それをどのような表情でティファニー王女が聞いているのか、背中を向けているディーノには分からない。分かる必要もない。彼等は殺さなければならないのだ。三人の叫び声が二人のそれになり、一人のそれになり、そして静けさが戻る。
事を終えて振り返ったディーノの目に映ったのは、瞳から溢れ落ちる涙を拭うこと無く、じっと正面を見つめているティファニー王女だった。
「……ディーノ。一つ教えてくれ」
そのティファニー王女の前に立ち視界を塞いだクロードが、ディーノに問い掛けてきた。
「なんだ?」
「どうして彼等は、今になって行動を起こした?」
機会はこれまで何度もあった。そうであるのに何故、今日になって行動を起こしたのか。その理由をディーノは分かっているはず。クロードはそう考えた。
「味方の数が増えてしまうと、隙がなくなると思ったからだろ?」
「その為の集合地点の変更か?」
「そうだ。実際に行動を起こすかどうかは分からなかったけどな」
「そうなのか?」
自信があって仕掛けた罠。そうクロードは思っていたのだが、そうではなかった。
「分かるはずがない。絶対に裏切っているなんて証はなかったからな」
「……それでも罠を?」
裏切りの確信がないのに彼等を罠にかけた。ディーノの行いが、結果として正しかったと分かっていても、クロードには納得がいかない。心にモヤモヤした思いが生まれてしまう。
「そうだから罠を、だな」
ディーノは裏切っていないという確信がないから罠にかけた。彼等の見方がクロードとは異なるのだ。
「……埋めてやってもいいか?」
「そうするのに俺の許しが必要か?」
「……そうだな」
地面に倒れている元部下たちの死体に近づくクロード。傍らに立ち、しばらく俯いたまま動かなくなった。この様子では埋葬を終えるまでにはかなりの時間がかかる。そう思ったディーノは、ティファニー王女を連れて、その場を離れた。
◆◆◆
夜の闇に浮かぶ炎。真っ赤に燃える炎が地面にディーノの影を作り、それをゆらゆらと揺らしている。その影に重なる新たな小さな影。ティファニー王女の影だ。
「……眠れないのですか?」
天幕の中で寝ていたはずのティファニー王女。彼女が外に出てきた理由はディーノには分かっている。
「……隣に座って良い?」
「許可を得る必要はありません。焚き火は俺だけのものではありませんから」
こう言いながらディーノは自分のすぐ隣に、人が一人座るに十分な毛皮を敷く。
その上に座るティファニー王女。すぐ目の前にカップが差し出された。良い香りのするお茶が注がれたカップだ。それを手に持ち、ゆっくりと口に近づけていくティファニー王女。すぐに飲むことなく、お茶の香りをゆっくりと吸い込んで、大きく息を吐いた。
「知っているかもしれませんが、お茶の香りには色々な効果があるそうです」
「……気持ちを落ち着けたり?」
「やっぱり知っていましたね」
「知っているのはそれだけ」
誰かに教わったり、本を読んだりして学んだことではない。実際に経験したことを口にしただけだ。
「お茶の葉によっては、気持ちを高めるものもあるそうです」
「……これは?」
では今、ディーノがいれてくれたお茶はどのような効果があるのか。なんとなく分かっているが、一応は聞いてみた。
「安眠。心が落ち着き、良く眠れるそうです」
「……ありがとう」
予想していた通り。ディーノは今の自分に必要なお茶を用意してくれていた。自分が眠れなくなることを分かっていた。それがティファニー王女は嬉しかった。
「……彼等は間違っていません」
「えっ?」
「こんなことを話すとまた眠れなくなってしまうかもしれませんが……今晩の内に話しておいたほうが良いかと」
裏切った騎士たちの話はティファニー王女の気持ちを重くするもの。何度もするべきではないとディーノは考えている。
「……分かった」
「戦争は悪です。正義の為の戦いであっても、それによって殺される人たちにとっては、やはり悪なのです」
「悪い人を倒す為であっても?」
「悪人だけを倒すのであれば、まだ良いでしょう。でも戦争ではそうはなりません。悪事を行っていない普通の人々こそが、真っ先に戦場で倒れることになります」
敵の兵士は悪なのか。国の命令に嫌々従って兵士となり戦っている人もいる。そういう人たちを悪人と呼べるのか。そうであれば罪のない兵士を殺す味方は正義なのか。
「…………」
正しい答えが何かなど、すぐに見つかる問題ではない。ディーノもそんなものを求めていない。ティファニー王女に考えるきっかけを与えたいだけだ。
「戦争なんてないほうが良い。これは正しい。その戦争を止める為に彼等は裏切りました。彼等は正しいことをしていると信じて、裏切ったのです」
「……間違っているのは私たちなの?」
「帝国はいくつもの国を侵略し、多くの人を殺しました。帝国に正義はない。その帝国に刃向かおうとしている人たちは正義でしょうか?」
「……分からない」
ディーノの聞き方は正義ではないと言っているようなもの。何故、正義ではないのか。ティファニー王女には分からない。
「俺も分かりません」
「えっ?」
「正解はそれぞれの立場によって変わってきます。帝国には帝国の正義があって侵略を行っているのかもしれない」
「でも……」
他国を侵略することは良くないこと。これは間違っていないとティファニー王女は思う。
「絶対の正義なんてありません。これを言いたいだけです」
「絶対の正義……」
「だからティファニー様が行おうとしていることも正義ではありません。それを理解した上で、本当にこのまま北に向かうのかを考えて下さい」
王都奪回、帝国打倒、これが正義であるのはサルタナ王国。しかもサルタナ王国の国民全員にとって正義であるわけではない。帝国の支配を受け入れようとしている人々がいる。そうでなくても戦争は絶対に嫌だという人はいる。
「……私は……私は」
「今、答えを出す必要はありません。答えが出なくてもかまいません。ただ自分の行いは人に何をもたらすのか。これを考えることは忘れないでください」
王族だから。これを理由に全てを決めて欲しくない。それに納得して欲しくない。ディーノはそう思っている。
「自分の行いが人に何をもたらすか……」
何の為に行動するのかとはおそらく答えは違う。ティファニー王女はそう感じた。少し考えたくらいで答えが得られるものではないと。
こんな難しい問いの答えを何故ディーノは求めるのか。一つは自分の為。これは間違いないとティファニー王女は思う。何故、自分の為にこのようなことを言ってくれるのか。それはきっと亡くなった母の為。これも間違いない。
ディーノもやはり自分に母の影を重ねているのか。そう思うと少しだけ寂しくなった。