月の文庫ブログ

月野文人です。異世界物のファンタジー小説を書いています。このブログは自分がこれまで書き散らかしたまま眠らせていた作品、まったく一から始める作品など、とにかくあまり考えずに気の向くままに投稿するブログです。気に入った作品を見つけてもらえると嬉しいです。 掲載小説の一覧(第一話)はリンクの「掲載小説一覧」をクリックして下さい。よろしくお願いします。 

黒き狼たちの戦記 第69話 再会の時は不意に訪れる

異世界ファンタジー 黒き狼たちの戦記

 かなりの人気店であるエマの食堂だが、お昼時を過ぎれば客足も途絶え、店は閑散とした雰囲気に変わる。午後の仕事が始まり、食堂でのんびりしていられる時間の余裕はないのだ。逆にエマたち食堂で働く人たちにとっては一息つける時間。後片付けを終え、夜の分の仕込みをある程度済ませたあとは、人より遅い昼食をとり、お茶など飲みながら、のんびりと過ごすことになる。

「えっ……?」

 目の前に置かれたお茶の香りで、オトフリートは深い思考から引き戻されることになった。

「よろしければ、どうぞ」

 オトフリートの座るテーブルにお茶を運んできたのはエマだ。笑みを浮かべて、オトフリートにお茶を勧めた。

「あっ! すまない。もう閉店時間か」

 ずっと考え事にふけっていて時間を忘れていたオトフリート。結論が出るような思考ではない。ぼうっとしているのと同じだ。そんな時間をオトフリートは過ごしたかった。だから一人で、何故ここを選んだかはオトフリート本人も分かっていないのだが、ここに来たのだ。

「いえ。食堂は夜まで開けています」

「そうか……それでも長居しすぎては悪いな。帰る。いくらだ?」

「帰るにしてもお茶は飲んでいってください。少しは気持ちが安らぐかもしれませんから」

 オトフリートを追い返すために、エマはお茶を持ってきたのではない。彼にはそれが必要だと感じたからだ。

「……お前には何が見えている?」

「えっ?」

 ほとんど見えていない目のことを言われたのだと思って、エマの眉がひそめられる。だがこれはエマの勘違い。オトフリートが思わず口にした問いは、曖昧なものだ。、

「あっ、いや、この間、母上とここに来た時に、お前には人に見えないものが見えていると言う者がいて……」

「……特別なものは何も見えません。ただ……今の貴方からは、かつてのシュッツ、ヴォルフリックと同じ気配を感じます」

「俺があの男と同じ?」

 今度はオトフリートが眉をひそめる番だ。どういう意味でエマがこんなことを言い出したのかオトフリートは分かっていないが、ヴォルフリックと同じというだけで不快に感じてしまう。

「かつて一人ですべてを抱え込み、追い込まれ、苦しんでいた時の彼と、今の貴方は同じ気配です」

「苦しんでいた? あの男が?」

 ヴォルフリックは自分が出来ないことを易々とやり遂げてしまう。自分がヴォルフリックより劣っていることをオトフリートは認めたくないが、事実がそれを示している。それが悔しく、情けなく、だからヴォルフリックが大嫌いなのだ。そんなヴォルフリックに自分と同じように苦しんでいた過去があるとエマは言っている。オトフリートには想像できなかった。

「私たちの力不足のせい。それに、世の中は思い通りにいかないことのほうが多い。当時のシュッツはそれを受け入れられなかったから」

「……今は受け入れらているのか?」

 思い通りにいかないことで苦しむ思いはオトフリートも知っている。それを受け入れていないのも同じだ。

「今も受け入れてはいないと思います。でも……急がなくなった? そういうことだと思います」

「……あの男は、お前たちは何をしようとしているのだ?」

 ヴォルフリックとその仲間たちは何を目指しているのか。当初思っていた以上の力を持っていることは分かった。だが、その力を使って何を行おうとしているのかをオトフリートは知らない。

「世の中を少しだけ自分たちの暮らしやすいものに変えること」

「暮らしやすいとはどういうことだ?」

 暮らしを少し良くするくらいの為に、大きな力が必要とは思えない。オトフリートはエマの言葉を疑っている。

「……今日の食事に悩まないで良い暮らし。明日生きていられるか分からない恐怖に怯えないでいられる暮らし。いつ人さらいに攫われるか分からず、身をひそめて暮らさなければならない日々。そういった日々から抜け出したかったのです」

「…………」

 だがエマが言う「少し」はオトフリートの常識から外れていた。小国とはいえ王子という立場で生まれ、かなり治安が良い街で暮らしているオトフリートの知らない世界。最底辺と言っても過言ではない場所でエマは暮らしていたのだ。

「同情は無用です。私たちは蔑まれることだけでなく、同情されることも嫌なので力を持とうと思ったのですから」

「……そうか」

 貧民街の孤児の暮らしはオトフリートには分からない。だが蔑みの目だけでなく哀れみの目も、向けられる相手の心を傷つけることは知っている。その点で力を求めたエマの気持ちは理解出来る。オトフリートも同じなのだ。

「シュッツはきっと貴方が羨ましいのだと思います」

「えっ?」

 ヴォルフリックに羨ましがられている自覚はオトフリートにはまったくない。その逆だ。羨ましいというより妬ましいという感情だが。

「シュッツは母親の愛情を知らないから。無条件でそれを与えられている貴方が羨ましいのだと思います。だから貴方に対して、ひどい態度を……なので、あまり怒らないであげてください」

 オトフリートがヴォルフリックを嫌っていることは、彼の名が出た時の反応で分かる。ただエマはその原因はヴォルフリックのほうにあると考えた。貧民街で暮らしていた時から、相手を怒らせてしまうことはよくあったのだ。

「い、いや、別に俺は……」

 ひどい態度を向けているのは自分のほう。この自覚はオトフリートにもある。これがヴォルフリック本人に言われたのであれば反発心のほうが強くなるのだが、エマの言葉となると、素直に事実を認める思いが湧いてくるのだ。

「でもシュッツのことをもっと良く知れば、きっと仲良くなれます。今の仲間たちにもそういう人は多いから。だから、もっとシュッツのことを見てあげてください」

「いや、それは」

 ヴォルフリックと自分の関係性はそういうものではない。だがどういう関係性なのかと聞かれると、オトフリートは答えることが出来ない。

「きっと貴方とシュッツは仲良くなれます。シュッツは貴方の力になれると思います」

「……どうして?」

 何故、エマはこんなに懸命に自分とヴォルフリックを仲良くさせようとするのか。オトフリートには分からない。エマからは打算的なものを感じないのだ。

「それは……貴方が求めているような気がして……誰かを……私の勝手な想像なのですけど……」

「……それがお前に見える俺か」

 自分が求めている誰か。信頼できる人。支えてくれる人。現状から自分を救い出してくれる人。そういう人物が現れるのをオトフリートは待ち望んでいる。現れることなどないと諦めている。
 だがエマはヴォルフリックがそういう人になれると言っている。もっともオトフリートが手を伸ばしたくない相手を。だが。

「あの男は……あいつは俺の――」

「兄上! こんなところで何をしているのですか!?」

 オトフリートの言葉を遮る声。彼を兄と呼ぶ人物は一人しかいない。

「……ジギワルド」

 ヴォルフリックとはまた違った関係。同じ嫌いでも、ジギワルドに対する感情は冷え切ったもの。ヴォルフリックとのような熱のこもった喧嘩にはならない相手だ。

「ここで何をしているのですか?」

 詰問口調のジギワルド。オトフリートがエマに危害を加えようとしているのではないかと疑っているのだ。

「食堂は食事をする場所だ」

「わざわざ城の外で食事ですか?」

「俺がどこで食事をとろうと、お前には関係ない。それにそれを言うお前はここに何をしに来た?」

「それは……」

 オトフリートがエマの食堂にいると聞いて、急いで駆けつけてきた。これをそのまま言葉にすることは躊躇われた。何故、駆けつけてくる必要があると聞かれると困る。危害を加えようとした証拠は何もないのだ。そもそもオトフリートにそんな気はない。

「そういえばお前は出入り禁止ではなかったか?」

「……そんな命令は出ていません。それは彼が勝手に言っていることです」

 出入り禁止を、間接的にだが、伝えてきたのはヴォルフリック。それに強制力はないというのがジギワルドの言い分だ。だがオトフリートがこれで引き下がるはずがない。

「あの男の言葉は彼女の意思だ」

「えっ?」

「お前は彼女に嫌われているのだ。こんなことも分からないのか?」

「そんな……そんなことはありませんよね?」

 直接、エマに尋ねるジギワルド。それに対してエマは、口元に笑みを浮かべて、首を傾げて見せた。「さて、どうでしょう?」といった様子。それを見たオトフリートの口元にも笑みが浮かぶ。言葉にしないが、仕草も曖昧だが、その意味するところは肯定。エマはジギワルドのことが嫌いだと意思表示したのだとオトフリートは理解した。

「さて、お前のせいでお茶が冷めてしまった。申し訳ない。お茶はまたの機会に楽しませてもらう」

「はい。いつでも」

 一方でオトフリートにはまたの来店を受け入れる言葉。さすがに、この違いの意味はジギワルドにも分かる。

「……では、私も次の機会に」

「はい。シュッツが許せば、いつでも」

「……はい」

 がっくりと肩を落とすジギワルド。それを見たオトフリートは、顔に浮かぶ笑みが抑えられないでいる。美人で愛想の良いだけの女の子ではない。綺麗なバラにはとげがある、という言葉がオトフリートの頭に浮かぶ。そうかと思えば、すぐに少し違うという思いも浮かんでくる。とにかく、彼女は紛れもなくヴォルフリックの仲間。爪も牙も持つ黒き狼の一人なのだとオトフリートは思った。

 

 

◆◆◆

 グローセンハング王国の王都シュヴェアヴェルはその賑やかさにおいて、ベルクムント王国の王都ラングトアに勝るとも劣らない。ベルクムント王国の従属国になることで自国の軍事力を国内の治安維持に必要な最低限に抑え、それにより浮いた軍事費を商業振興にすべて注ぎ込むことで、もともと商業が盛んであったグローセンハング王国は大陸全土でも有数の商業国家になったのだ。
 多くの人々が行き交う繁華街の大通り。そこを通り抜け、さらに少し城のある方向に進んだ場所に聖神心教会の教会が建っている。他の街の教会に比べてかなり立派な建物。それだけ街は豊かで、教会への寄付が多いということだ。
 しばらくその建物を眺めていたローデリカ。すでに日は暮れている。夜の訪れとともに賑わいを増している繁華街とは異なり、この辺りを歩く人影はまばらだ。そのまばらな人影が完全に見えなくなるのを待って、ローデリカは動き出す。大通りを横切り、路地に入る。さらに奥へ奥へと進み、裏通りに出たところで、また動きを止めて建物の様子を眺める。裏通りから見る教会は、建物の大きさは感じられるが、豪華さはない。通用口として利用されている側なのだ。
 外から眺めていても、建物の中の様子は分からない。これは初めから分かっていたことだ。ローデリカがこの場所に来るのは初めてではない。何度か下見を繰り返した上で、今日の日を迎えているのだ。

「……よし」

 ローデリカの口から洩れたつぶやき。覚悟を決める為の声だ。腰に差している剣の柄に手を置き、ローデリカは足を一歩踏み出す、つもりだった。

「んっ! んんっ!!」

 突然、背後から体を押さえられ、口も塞がれてしまった。なんとか拘束から逃れようと足掻くローデリカ。

「静かに。騒ぐと周りに気づかれるだろ?」

「んんっ……ん?」

 耳元でささやく声。敵意は感じられない、なによりどこかで聞いた覚えのある声だと感じたローデリカ。

「手を放すけど騒がない。分かった?」

「……ん」

 続く声でローデリカは確信した。いるはずのない人がここにいるのだと。

「久しぶり。元気そう、なのかな?」

「……ええ、元気。貴方も元気そうね? シュバルツ」

 念のため、相手の名を呼んで確かめてみる。きちんと話をしたのはほんの数日。思っている人物、シュバルツではない可能性がないわけではない。結果として無用の確認だったことになるが。

「まあ、なんとか。ローデリカさんはこんなところで何を? 物騒なことであるのは分かっているけど」

「教会に……」

 シュバルツの問いに答えようとしたローデリカだが、今もまだ耳元から聞こえてくる声に、背後から自分の腰に回されているシュバルツの腕の感触に気が付いて、言葉を途切れさせてしまう。

「教会を襲撃? もしかしてそうかなとは思っていたけど……大胆だな?」

「事情があって」

 ローデリカの頬が赤く染まっている。建物の陰は暗く、さらに後ろにいるシュバルツには分からないが。

「どんな事情かは分からないけど、とりあえず今日は諦めてくれる? こちらにも事情があって」

「でも……助けなければならない人がいるの」

「人助けか……今日でないと助けられない? それならこちらも強制できないけど」

「……必ずしもそういうわけではないけど……貴方の事情は?」

 早く助けたいと思う。だが一人で乗り込んで、必ず助けられる自信はない。シュバルツの、どのようなことか今は分からないが、邪魔をしてでも急ぐべきかはローデリカにも判断が難しい。

「話すと長くなるからな……別のところで話そう。そちらの事情についても協力出来ることがあるかもしれない」

「協力してくれるなら私も助かる」

 シュバルツの協力が得られるのであればローデリカとしても心強い。つい先ほどまで感じていた心細さが、今は消え去っていた。

「まあ、教会の警備がどの程度か知らないけど、一人で乗り込むのはな。ローデリカさんが、そういうことに慣れているとは思えない」

「そうね」

 慣れているどころか初めて。それはそうだ。貴族の家に生まれた彼女には、他人の家に忍び込む必要性など、これまでなかったのだ。

「じゃあ、行くか」

「あっ……」

 自分から離れていくシュバルツの温もり。心に広がった空虚感に、思わずローデリカは声を漏らしてしまう。

「何? もしかして、どこか痛めた?」

 自分が怪我をさせてしまったと考えて、心配そうにローデリカを見つめるシュバルツ。

「……平気。どこも痛くない」

 抑えられない胸の高鳴り。自分はどうしてしまったのか。ずっと一人で旅をしていたことで寂しさが知らず知らず、心にたまっていたのか。考えれば考えるほど、ローデリカは心が揺れるのを抑えられなくなる。

「改めまして、久しぶり。色々あるみたいだけど、とにかく元気そうで良かった」

「……貴方も……良かった」

 会えて良かった。心に浮かんだ言葉を曖昧にしてしまうローデリカ。人恋しさを感じていたところに、現れたのがシュバルツだった。ただそれだけのこと。そんな風に自分を納得させて、胸に広がる奇妙な高鳴りを否定しようとしているのだ。

「こっちだ」

「ええ」

 ローデリカが潜んでいた建物の陰。その奥に向かって進んでいくシュバルツ。その背中を追って、ローデリカも足を進める。否定しながらも抑えきれない、まさかの再開に胸を躍らせながら。