激闘が続く地下通路。戦いは小部隊同士の遭遇戦という魔王軍が望む形になっている。地下通路のあちこちで激突する魔王軍とアイネマンシャフト王国軍。軍としての質はアイネマンシャフト王国軍が上ではあるが、事前に迎撃計画を練っていた魔王軍は迷路のような地下通路を上手く利用して、戦いを有利に進めている。序盤は。
その戦況が微妙に変化していることに気が付いたのはヨルムンガンド。彼にはジグルスにとっての冥夜の一族のような特殊な諜報部隊がいる。冥夜の一族以上に特殊だ。彼の目となっているのは人ではない。蛇なのだから。発見されても間者だと気付かれない存在。これがバルドルがヨルムンガンドを側近に取り立てた理由なのだが、それはすでにどうでも良いことだ。
地下通路のあちこちに潜んでいる蛇。言葉を話せるわけではないので聞いたことを伝えることは出来ないが、移動している部隊、隠れ潜んでいる部隊が敵か味方かを見極め、敵であればそれを知らせることは出来る。移動は速いとは言えないが、人では通れない小さな穴を利用することは出来る。そうした能力を利用してヨルムンガンドはアイネマンシャフト王国軍の動きを把握していた。
だがある時点からそれが出来なくなった。蛇たちの存在が知られたわけではない。知られているのかもしれないが、殺されることなく蛇たちは情報を伝え続けている。ただそれが遅いだけだ。
アイネマンシャフト王国軍の動きに迷いがなくなった。部隊の移動速度は上がり、蛇たちの情報伝達は間に合わないようになった。後手を踏むようになった魔王軍は戦術の見直しを迫られるようになった。
「時間がないので議論を急ぎましょう。アイネマンシャフト王国軍はこちらの動きを把握出来るようになっています。この原因に何か心当たりはありますか?」
指揮官であるユリアーナ、フェン、そしてローズルを呼んでの会議。ヨルムンガンドは前線でアイネマンシャフト王国軍と対峙している彼らの意見を必要としていた。
「地下通路を把握しているのは間違いないわね。撤退の時に撒かれてしまうことが何度もあるもの」
「それはあるでしょう。今、戦場となっている場所を知る人はアイネマンシャフト王国軍にも大勢います。これは覚悟していたことです」
魔王軍として戦いに参加していた、それも指揮官クラスだった魔人たちは地下通路についてはユリアーナよりも詳しいくらいだ。地下通路の複雑さが自軍の利にならないことは最初からヨルムンガンドは想定していた。
「でもそれだけで、あれだけ迷いなく移動出来るとは思えない。部下たちは先が見えているのではないかと言っているわ」
ユリアーナは自分だけの考えを述べているわけではない。ニクラスたちと議論した結果だ。こういうことに関しては、彼らのほうが優れている。そう思っているのだ。
「先が見えているというのは?」
「敵がいないことが分かっているのではないかということ」
「そんな馬鹿な?」
驚きの声はローズルのものだ。彼が何故、ここで声をあげるのか。それが分かっているのはヨルムンガンドだけだ。
「どうしてそんなに驚くの?」
理由が分からないユリアーナは、当然、それを尋ねる。
「それは……」
「こんな状況で隠し事? 貴方、本気で勝つ気あるの?」
「……我々の部隊は動物を使って敵の所在を探っている。敵にも同じことが出来るのかと思って驚いたのだ」
一度、ヨルムンガンドに視線を向けてからローズルは驚いた理由を話し始めた。話すべきかを確かめたのだ。
「自分の部隊だけ? それってズルくない?」
「……動物の意思を読み取れなければ使えない」
蛇は言葉を話せない。意思を読み取ることが出来なければ、情報を得られない。ユリアーナとフェンには無理なのだ。それを初めから話さないのは諜報部隊の存在を隠したかったから。内部で反意を持っている者がいないか。こういうことにも、以前はその目的だけで使われていたからだ。
「……そういうことね。それで、その動物たちは何も気付いていないのかしら?」
「特に何も」
「動物には気付けない何かってことね。少し絞られたわね」
「それはつまり、心当たりがいくつかあるということですね?」
絞られたという言い方は候補があってのことだとヨルムンガンドは思った。実際にその通り。ユリアーナには考えているものがいくつかある。
「動物の目では見えないもの。匂いもしないのでしょうね? 耳にも聞こえない。考えられる可能性はふたつ。何らかの探知魔法か、精霊か」
探知魔法か精霊。考えた結果というより小説知識から浮かび上がった候補だ。
「精霊ですか……なるほど。あり得る話ですね?」
ヨルムンガンドは魔法の可能性を消している。探知魔法であれば魔力の気配に敏感な魔人であれば気が付くはず。そういった報告がない以上は、精霊しか残らない。精霊であれば、よほど気配を探っていなければ気付けないのも当然だ。
「エルフ族で味方に残っている者たちがいるはずです」
フェンが精霊と決めつけることに待ったをかけてきた。否定ではない。安易に決めつけて、それが間違いであった場合を恐れただけだ。
「味方に残っているのは寝返る機会がなかっただけかもしれません。まあ、精霊の存在を確かめさせてみれば分かりますか」
魔王軍に残っているエルフ族はわずか。その忠誠をヨルムンガンドは疑っている。エルフ族の部族のほとんどがアイネマンシャフト王国に属したか、そうでなくても中立を守っている。そんな状況で敵対しつづけていれば部族から追放される可能性もある。エルフ族にとっては耐えられないことだ。
「嘘をつくかもしれないわね?」
「魔族もエルフ族も嘘は苦手なのですよ。さらっと嘘をつける人は少ない。私が知るのは、私自身くらいですね。生きている者の中でという条件で、ですけど」
では死んだ者の中では誰なのか。あえて条件を付けたヨルムンガンドの気持ちをフェンは考えてしまう。バルドルのことではないかと思ってしまう。
「じゃあ、確かめてみましょう。でも、精霊だと分かったとして、対抗策はあるの?」
「それを聞きますか。正直、何も思いついていません」
アイネマンシャフト王国が精霊を使って地下通路内の状況を知っているとして、それを防ぐ手立てが見つからなければ意味はない。せいぜい自軍に忠告を発して、注意を促すくらいだ。
「ジグルスを殺せばこちらの勝ちだ。その為の作戦を考えるべきだ」
ローズルは作戦の変更を要求してきた。アイネマンシャフト王国を成り立たせているのはジグルスの存在。彼を消せばアイネマンシャフト王国は崩壊する。
「……それで戦争に勝てるのであれば考える価値はありますね?」
「価値はある」
「そうでしょうか? 確かにアイネマンシャフト王国は崩れ去るかもしれません。でもそれは王を殺された復讐が終わってからの話ではないですか?」
アイネマンシャフト王国の人々は復讐という目的がある間はまとまり続ける。ヨルムンガンドはこう思っている。
「そうかもしれないが……ではどうなればこの戦争は我々の勝ちなのだ?」
「……確かにそうですね。敵の総大将を討てば勝ち。敵国の王を討ち取れば、完全勝利ですか。勝利を得る手段としては正しい」
話を聞いている中でヨルムンガンドの考えが分かるのはフェンだけだ。勝利した先に魔族の未来はあるのか。アイネマンシャフト王国を崩壊させることが正しいことなのか。ヨルムンガンドは悩んでいるのだ。
だがそうだとするとローズルの問いに戻ることになる。魔王軍が勝利するとはどういう状況なのか。そもそも勝利という結果は存在するのか。
「ではその手段を選ぶべきだ」
ローズルにはヨルムンガンドの内心の思いなど分からない。分かっても無視するだろう。
「何か考えがあるのですか?」
「魔王様を囮にしておびき出す」
「私を……まあ、餌としては最上ですか。自分で最上というのも変ですね?」
アイネマンシャフト王国から見れば、敵の総大将は魔王であるヨルムンガンド。しかもヨルムンガンドを討つことに躊躇いなどない。逆にヨルムンガンドだけを討って、終わりにしたいくらいのはずだ。
「もちろん、嘘の居場所を伝えます。包囲網の中心におびき寄せて、絶対に逃がすことはしない」
ヨルムンガンドに万一があっては困る。リスクを冒させるつもりはローズルにはない。
「ジグルスの部隊だけを上手くおびき寄せることが出来るのか? それに精霊はどうする?」
ローズルの作戦にフェンは納得出来ていない。考え方は良いと思うが、上手く行くと思えないのだ。
「おびき寄せる方法についてはすでに案がある。精霊を騙す方法もあるはずだ。エルフ族に聞けば良い」
「……そうか」
ローズルには勝算がある。そうであれば尚更、フェンはその具体的な内容を聞くのを躊躇ってしまう。ヨルムンガンドの気持ちは恐らく固まっていない。その状況で事を進めるのは良いことと思えない。
「おびき寄せる方法というのは何?」
フェンの躊躇いに気付くことなくユリアーナは具体的な内容を聞いてしまう。
「お前に協力してもらう。もちろんお前だけではなく、全体の協力が必要だ。ジグルスをおびき寄せるだけでなく、他の奴らを引き離すことも必要だからな」
「……私と彼の一騎打ちな感じ? 悔しいけど、結構、苦戦しているの。必ず勝つとは言えないかも?」
「一騎打ちは行ってもらうが、あくまでもおびき寄せる役だ。勝つ必要はない。奴の味方を引き離し、そこから罠の場所に誘導する。そういう作戦だ」
ジグルスは強敵との戦いは自分が引き受ける。敵の最強戦力を無効化した上で、味方が敵部隊を圧倒するというのが魔王軍やアース族軍相手によく使う作戦だ。ローズルはわざとそういう状況を作り上げて、ジグルスを罠にはめようと考えているのだ。
「……今の戦場では無理ね。一度、大きく後退してもっと大きな戦場を作らないとそんな状況にはならないわ」
「そうか? そうだとすると……ある程度、開けていてその後ろがまた入り組んでいる場所か。しかし……あそこは……」
最終防衛線として考えられていた場所。すでに突破された第二防衛線と似たような造りの場所だ。
「自分が考えた作戦で躊躇うの? 別に良いけど。その代わり、私が失敗しても責めないでね?」
「……魔王様?」
ここでローズルは判断をヨルムンガンドに委ねた。最終防衛線で作戦を実行して失敗すれば。その責任を問われることを恐れたのだ。
「……最終防衛線を突破されたとして、何か困ることがありますか? 地下通路のかなりの部分を奪われるだけです」
最終防衛線を突破されてもそれで逃げ場を失うわけではない。その先には大森林がある。戦う力のない人々が住む、その場所を戦場にすることを厭わなければの話だが。
「では詳細の詰めに入ります」
「分かりました。準備が整うまでは守りに徹したほうが良いですね? そういう指示を出してください」
「承知しました」
会議は終わり。ローズルは自分が考えた作戦の準備に入る為に、そそくさと部屋を出ていった。ユリアーナもその後に続く。残ったのはフェンとヨルムンガンド。
無言でじっとヨルムンガンドを見つめるフェン。彼の心情を知りたいのだが、どう尋ねて良いか分からない。かける言葉が見つからない。
ヨルムンガンドも黙ったまま。目をつむってしまって視線を合わせることもしない。その様子をしばらく見つめていたフェンだが、結局、声を発することなくその場を立つことになった。
◆◆◆
地下通路内にも、当たり前だが居室スペースがある。魔王軍が最終防衛線と設定している地点の背後になるとその数はかなり多くなる。大森林に近い部分の地下通路は城砦のようなもの。最終防衛線から先が本城といったところだ。
その本城内の居室のひとつで男女が絡み合っている。珍しいことではない。戦場であっても恋愛感情は芽生える。まして明日死んでしまうかもしれないという緊張感の中では、誤認といえる恋愛も生まれてしまう。単純に恐怖を押し殺す為に一夜の関係を持つ人たちもいる。
今、部屋にいるのも一夜の関係と割り切っている二人だ。実際の事情はもっと複雑であるが。
「……魔人ってセッ、じゃなくて、こっちも凄いのね?」
フェンとの行為が終わったあと、ユリアーナの最初の言葉がこれだ。
「セッ?」
「貴方には分からない言葉よ。おまけに乱れてもくれない。やられ損ね」
恐怖心を紛らわす為にフェンを誘ったのではない。彼にはそういうことにして無理やり受け入れさせたが、実際は誘惑し、惑わそうと企んだのだ。だがそれは失敗に終わった。フェンがユリアーナに夢中になっている雰囲気はまったくない。
「言っていることがまったく分からないな」
「貴方に頼み事しようと思っていたのだけど、受けてもらえそうにないってことよ」
「関係を持つこと以外にだね? 聞いてみなければ分からない」
まったく聞く耳を持たないフェンではない。ジグルスとの戦いを前に、これが最後かもしれないとユリアーナにお願いされての関係だが、受け入れるくらいの好意は持っているのだ。
「……話して裏切られるのが嫌だもの。男に裏切られると女って傷つくのよ?」
「それは男でも同じじゃないかな?」
「……じゃあ、絶対に裏切らないと約束してくれたらお願いする」
ユリアーナはまだ諦めたわけではない。正気を保ったままであろうと、とにかくフェンに約束させれば良いのだ。
「それは誓約だね?」
絶対に裏切らないと約束するのはヨルムンガンドとの誓約と似たようなもの。かなり厳しい縛りをフェンは受けることになる。
「あっ、そうね。そこまで大げさでなくても良いの。私のお願いをひとつ聞いてもらえれば良いだけ」
「……聞いてからでは駄目なのかな?」
内容を聞かないと約束は出来ない。これはフェンが特別なのではない。魔人であれば、エルフ族も、約束に対して慎重になる。彼らにとって約束は契約。軽いものなどないのだ。
「貴方に断られたら別の人に頼まなければならない。その人の邪魔を貴方にされたら困るの」
「つまり、邪魔しなければならないようなことか……そこまで話して、私が君を放っておくと?」
「今までは放っておいた。今までもずっと、私が良からぬことを企んでいると思っていたでしょ?」
疑われるのは承知している。ほぼ無条件で魔人側に寝返るなど普通ではない。何かあると思われて当然だとユリアーナは考えている。
「……その企みをずっと知りたいと思っていた。ここで無理やり白状させる手もあるね?」
「それは無理ね。私は決して話さない。たとえこのまま殺されても。もちろん大人しく殺されるつもりはないけどね?」
「……私はこれ以上、ヨルムンガンドを裏切りたくない」
ずっと彼を裏切ってきた。義兄弟としての誓いを立てておきながら、彼に背を向けていた。これに気付いた今、もうフェンはヨルムンガンドを裏切りたくないのだ。
「……いいわ。諦めた。他の方法を考えるわ。貴方を苦しめることもしない。これは約束する」
「人族の約束を信じろと?」
「ええ、信じろと言うわ。約束を破ったら私を殺して。その時は大人しく殺されてあげる」
「君は……」
ユリアーナの考えていることが分からない。彼女は全てを捨てて、何を得ようとしているのか。ジグルスの為にヨルムンガンドを殺すことだと、ずっとフェンは考えていた。別に構わないと思っていた。ヨルムンガンドの葛藤に気付くまでは。
だがユリアーナは自分を苦しめないと誓った。ヨルムンガンドを傷つけたくないと言う自分を苦しめないと、自分の命をかけて誓った。人族である彼女の言葉をそのまま信じることは出来ない。それは分かっている。
「……もう止めましょう。それよりも気持ちが冷めてしまったわ。また、して」
「そんな気にはなれない」
「なって。女としての喜びを感じられる、これが最後の時なのよ? 貴方が最後の人なの」
潤んだ瞳で自分を誘ってくるユリアーナ。彼女の言葉に嘘は感じられない。これが最後の時。本気で彼女はそう思っている。こう感じてしまったフェンには、彼女の願いを拒むことは出来なかった。ゆっくりと彼女の唇に自分のそれを寄せる。人族が愛情を示す時の行為。フェンは自然とそれを行った。