月の文庫ブログ

月野文人です。異世界物のファンタジー小説を書いています。このブログは自分がこれまで書き散らかしたまま眠らせていた作品、まったく一から始める作品など、とにかくあまり考えずに気の向くままに投稿するブログです。気に入った作品を見つけてもらえると嬉しいです。 掲載小説の一覧(第一話)はリンクの「掲載小説一覧」をクリックして下さい。よろしくお願いします。 

異伝ブルーメンリッター戦記 第135話 選択の機会

異世界ファンタジー 異伝ブルーメンリッター戦記

 四百人いた味方が三百人になった。その三百人がさらに二百人、百人と減っていく。目的地であるグラスルーツには近付いている。だが近付けば近付くほど、敵と遭遇する頻度は増えていった。バラバラになったままグラスルーツに向かって移動するローゼンガルテン王国を魔王軍は追いかけている。ローゼンガルテン王国が一か所に集まろうとしているので、それを追いかける魔王軍も集まってくる。さらにその魔王軍を追うアイネマンシャフト王国軍もいて、狭い地域のあちこちで戦闘が行われるようになっているのだ。
 この頃になるとローゼンガルテン王国軍にも、自分たち以外の二勢力が争っていることが、はっきりと分かった。自分たち、別行動をしているローゼンガルテン王国軍の集団もいないのに戦闘が行われている場面を、何度も目撃するようになったのだ。
 その二勢力の正体は、エカードたちに限っての話だが、調べなくても分かる。魔王の勢力とジグルスを王とする勢力だ。激しい戦いを繰り広げている二勢力。概ねアイネマンシャフト王国軍が優勢なのだが、区別がつかないエカードたちにはそれは分からない。とにかく巻き込まれない内にその戦場を離れようとするのだが、無条件でそれが許されるような甘い場所ではない。
 また自分たちを嵐が襲ってきた。マリアンネは魔王軍の攻撃をそう感じてしまう。味方の数が減り、正面から戦うことは出来なくなった。個人の裁量でなんとかその場を逃れ、その先に味方がいれば幸運。こんな戦いとは呼べない、惨めな逃亡を何度も経験しているのだ。
 どうしてこんなことになってしまったのか。考えても仕方がないと分かっているが、この思いが頭から消えない。逃れられない死への恐怖。せめて何か理由が欲しかった。何かのせいにしたかった。そうしたからといって、恐怖が消えるわけではないのに。
 自分が逃げている方向は正しいのか。この先に味方はいるのか。こんな不安が恐怖心を増幅させる。味方の姿はまったく視認出来ない。自分は間違ってしまった。今度こそ終わりだ。強い恐怖の先に諦めが顔を出してきた。
 諦めに負けてはいけない。動くことを止めてはいけない。その時が本当の終わり。頭の中で自分自身を叱咤する。
 だがそれもいよいよ限界。それをもたらしたのは正面から近づいてい来た騎馬隊。味方はすでに乗っていた馬を失っている。近づいてきているのは敵。それに抗う力は自分にはもう残っていない。
 絶望がとうとうマリアンネの足を止めた。剣を持つ力さえ失った。精も根も尽き果て、呆然とその場に立ち尽くして死の時を待つマリアンネ。騎乗の騎士が振るう銀の刃が彼女の首を斬り払った。

「……あれ?」

 はずだったのだがマリアンネはまだ生きていた。

「貴女は……マリアンネ殿ですね?」

 問い掛けてきたのは彼女に剣を振るった騎士。彼女の名を知る彼はディルク・アイスラー。リーゼロッテの取り巻きであった彼は当然、マリアンネのことを知っている。

「……そうよ」

 顔見知りの登場。だからといって安心は出来ない。リーゼロッテは敵になった。彼女に仕えていた、今はジグルスの臣下であろう彼も敵なのだ。

「お一人のようですね? どうされますか?」

「どうされますかって……」

 こんな質問を向けられても、マリアンネはどう答えて良いか分からない。

「このまま一人で逃げますか? それとも我々と共に逃げますか?」

「逃がしてくれるの?」

 強く望みながら、無理であろうと諦めていた言葉。だからこそマリアンネはすぐにそれを信じることが出来なかった。

「マリアンネ殿が望むのであれば。ただし、我々と共に逃げた場合は、ローゼンガルテン王国に戻るのは難しくなると思います。戻れてもかなり先の話でしょう」

「捕虜ってことかしら?」

 楽観は出来ない。だが本当に逃がしてくれるのだと分かって、マリアンネの心に少し余裕が出来てきた。

「捕虜……そうなりますか。ただ待遇は厳しいものにはならないと思います。もちろん、マリアンネ殿が下手な真似をしなければですが」

「……親切で言ってくれているのに、こういうことを確かめるのは失礼だと思うのだけど……このまま一人で逃げて、グラスルーツにたどり着けると思う?」

 このまま逃げた場合の危険度を確かめた上での判断。騎士には申し訳ないと思うが、捕虜になるという決断は簡単には出来なかった。

「運次第かと。御一人であれば見つかりにくくなります。見逃してもらえることもあるかもしれません」

 騎士の本音。逃げ込む先のないマリアンネが、ここから先も生き延びられるかは運。それ以上のことは答えようがないのだ。

「見つかって、戦闘になれば無理ってことね……分かったわ。貴方たちに頼ることにする。私を逃がして」

 運頼みは出来ない。今の状況はすでに不運のどん底。この先、途端に運が味方してくれるなんて楽観的な考えをマリアンネは持てない。彼らにここで出会えたことは、幸運が味方したと言えなくはないのだが、そうであれば尚更、その幸運を手放すわけにはいかない。

「承知しました。では、我々はこのまま引きます。マリアンネ殿は私の後ろに乗ってください。そう長い時間ではありませんので少し我慢を」

「長い時間でも平気よ。自分の足で歩かなくて済むなんて久しぶり」

 マリアンネもここまでの無理な行軍と戦闘で疲れ切っている。馬に乗れることは、我慢どころか喜ぶべきことだ。ディルクの手を借りて、馬の背に乗ったマリアンネ。すぐに騎馬隊は動き出した。

「……変なこと聞いて良い?」

 安心すると色々なことが気になってくる。考える余裕が生まれたのだ。

「答えられることであれば」

「彼の前に引き出されたら土下座したほうが良いかしら?」

「確かに変なことですね。答えられることですが。必要ないと思います。陛下はほぼ以前のままです。王としての威厳を感じるようになりましたが、我々に対して未だに敬語ですから。こちらのほうが恐縮してしまうので改めてもらいらいのですが、いくら言っても直らなくて」

「そう……少し、ホッとした」

 ジグルスの為人は変わっていない。騎士の話が事実であれば、マリアンネにとっては安心材料だ。ただそれで全ての不安が消えるわけではない。性格が変わっていなくても、立場は確実に違う。マリアンネに向ける態度は国王としてのそれになる可能性は高いのだ。

「ひとつだけ忠告を」

「……何かしら?」

 忠告という言葉を聞いて、胸に湧いた安堵の気持ちが一瞬で霧散する。

「ご存じだと思いますが、我々の国には魔人もいます。彼らに対して差別的な態度は見せないように。マリアンネ殿は大丈夫と思っているのですが、念の為にお伝えしておきます」

 他種族に対する極端な偏見。これを持っていると思われると、ジグルスは国王としての態度を見せなければならなくなる。王妃であるリーゼロッテも同じだ。

「……差別的な態度って、よく分からないわ」

 改めて忠告されると逆に、どうすれば良いか、マリアンネは分からなくなってしまう。

「普通で良いと思います。価値観の違いはありますが、それほど極端なものではありません。貴族と平民の差くらいのものです」

「貴族と平民……よく分からないけど、普通で良いのね?」

 貴族と平民の間にある価値観の相違。具体的なことは分からないので、マリアンネは学院時代の経験で考えてみることにした。平民の生徒とどう接していたか。答えは素だ。貴族としての体面など気にすることなく、ある時期からだが、素の自分で接していた。

「そう思います」

 ディルクはそんなマリアンネを知っている。だから大丈夫だと思っているのだ。

「……どうして彼は魔人の王になったの?」

 一番尋ねたいこと。それを早々にマリアンネは口にした。

「それは我々が勝手に話して良いこととは思いません。陛下から直接お聞きください」

「そう……すぐに会えるのかしら?」

「お忙しい方ですから、時期までは……それでも時間は作ってくださると思います」

「分かった。その時に聞くわ」

 ジグルスに会ったら聞きたいことは山ほどある。その機会がいつになるか分からないが、マリアンネはその時を来るのを待つしかない。それ以上のことは望めない。望むつもりもない。
 死地を抜けられた。今はこれだけで幸せ。マリアンネはようやくその幸運を実感し、心に喜びと安堵が広がっていた。

 

◆◆◆

 十三人にまで減ってしまった周りの人々。親しい友人であるマリアンネの姿もない。だがそれを悲しむ心の余裕はエカードにはなかった。心の余裕がないというより、心身ともに疲れ果てていて、何も考えられなくなっているのだ。頭にあるのはただ一つ。グラスルーツに向かうということだけ。リリエンベルグ公国の南の領境になる山岳地帯。それに向かって、ただ足を進めるだけ。
 もう何日そうしているのか分からなくなっているが、山はかなり大きくなってきた。確実にグラスルーツは近づいている。それと共に人の数も増えてきた。なんとかここまで逃れてきた人々が集まり始めたのだ。
 誰もが疲弊しきっていた。軍の規律など気にしている状況ではなかった。数は増えても頭にあることは同じ。グラスルーツに向かうということだけだった。
 だが数が揃えば、それだけ敵に見つかりやすくもなる。エカードがそう思っているだけで、実際は魔王軍もアイネマンシャフト王国軍も既に戦闘力を失ったローゼンガルテン王国軍など気にしていない。関係なく戦っていて、たまたまその近くを移動していたエカードたちが巻き込まれただけだ。再集結しつつあったローゼンガルテン王国軍はまた離散した。それでも向かう先は変わらない。グラスルーツだ。
 そのグラスルーツにエカードは辿り着いた。

「……敵に待ち伏せを受けて……なんとか突破を図ったのだが……」

 グラスルーツに逃げ込めたのはエカードを含めて、わずか三人。あくまでも現時点では、であってこの先、その数はもっと増えるはずだ。

「そうですか……では他の人たちは……」

 エカードの説明を聞いて、沈痛な表情を浮かべるクラーラ。生き残りはわずか三人。こう勘違いしているのだ。実際に多くの人が亡くなっているので悲しむのは間違っていないが。

「まだ死んだと決まったわけではない」

 クラーラの思い違いを否定するエカード。

「……そうですね。諦めては駄目ですね」

 思い違いが正されることにはならなかったが。

「……この場所は大丈夫だったのか?」

 クラーラの誤解を解くことは止めて、エカードはグラスルーツの状況について尋ねた。勘違いを正すには、もっと詳しい状況の説明が必要。それをエカードは行いたくないのだ。

「ここは……リリエンベルグ公国の人たちが逃げだしました」

「……そうか」

 グラスルーツの人々もジグルスに仕えている。逃げ出したというのはそういうことだとエカードは理解した。

「驚かないのですね?」

「途中で情報を得た。ジグルス・クロニクスが王になったという情報だ」

「ジグルスさんが……そうでしたか……」

 ヨアヒムは、ローゼンガルテン王国を敵と呼び、それと戦う意思があることをクラーラに伝えた。無謀な決断が出来た理由。ジグルスの生存は間違いないとクラーラは思っていた。

「君も驚かないのだな?」

「いえ、驚いています。ジグルスさんが生きていることは分かっていましたが、王になっているなんてことは想像していませんでした。何故、そんなことになったのですか?」

「詳しいことは分からない。分かっているのは、魔人も仕えているということだ」

 ジグルスが王でリーゼロッテが王妃。臣下には魔人もいる。エカードが分かっているのはこれだけだ。

「魔人も……魔王に勝ったということですか?」

「いや、戦いはまだ続いているようだ。ここに来るまでに魔人同士で戦っているのを何度も見た」

「……魔王との戦いの決着がついていないのに?」

 ヨアヒムははっきりとローゼンガルテン王国と戦うと言った。魔王とローゼンガルテン王国の両方と同時に戦うなんて無謀なことを、ジグルスが決断するのかとクラーラは思ったのだが。

「決着が付く前に、僕のせいで反逆が発覚したからね。奴にとっては誤算だと思うよ」

 考えを深める前にレオポルドが答え、彼にとってのだが、を伝えてきた。まったくの嘘ではない。誤算とまでは言わないが、アイネマンシャフト王国がローゼンガルテン王国との戦いを先延ばしにしたかったのは事実だ。

「……だから時間が必要だった。そういうことですか」

 レオポルドの説明はヨアヒムの発言と合致する。クラーラも納得だ。魔王との戦いが続いている中で、ローゼンガルテン王国への敵対を表明したという点だけしか彼女は気にしていないが。

「この先、どれだけの味方が帰還してくるか分からないけど、間違いなく増援が必要だ。敵は大軍で、一、二万程度の軍勢では苦戦は間違いない」

 さらにレオポルドは増援の必要性を、敵戦力を誇張して、訴える。一万では対抗出来ないのは事実だが、魔王軍とアイネマンシャフト王国軍の全容など分かっているはずがないのだ。

「……分かりました。では私が使者として王都に向かいます」

「えっ?」

 このクラーラの返事はレオポルドには予想外。そもそもレオポルドが話しているのは同席している王国騎士団の指揮官たちに向けて。自分たちの惨敗を取り繕う為に言い訳しているのだ。

「ここにもいつ攻め寄せてくるか分からないのですよね? そうであれば騎士の方たちは一人でも多いほうが良いと思います」

「そうだけど……でも……」

 クラーラも騎士だ。それもブルーメンリッターの主要メンバーの一人。残るべき戦力なのだ。

「王妃候補である私は、残念ですが、以前のような働きが出来ません。ですからせめて使者としてお役に立ちたいと思います」

 さらにクラーラは王妃候補であることを理由にする。望んでなったわけではない、と常に言っている立場を利用してきたのだ。

「えっと……彼女はこう言っているけど?」

 王妃候補という立場を理由にされるとレオポルドは何も言えなくなってしまう。そんなの関係ない、と多くの人が聞いている場で言うわけにはいかない。

「俺に聞かれても……ただ王妃候補を使者に使うというのは……」

 話を振られたエカードも困る。クラーラには残ってもらいたい。だが彼女自身が望むことを拒否することは出来ない。だからといって使者を命じることにも抵抗を覚えてしまう。とにかくクラーラの申し出は唐突過ぎるのだ。

「せめてそれくらいの役には立ちたいのです。必ず援軍を連れて戻ってきます。だから行かせてください」

「……貴女が強く望まれるのであれば、俺に拒否する権限はありません」

 エカードの選択は拒否しないということ。命じるのではなく、王妃候補であるクラーラの要求を受け入れた形にした。体裁に強く拘った、というわけではない。クラーラは戦場に残ることを望んでいない。自分たちと共に戦おうと思っていない。それが分かったエカードは、公としての彼女の立場に合わせた対応を選んだのだ。
 クラーラはその日のうちに王都に向けて発つことになった。