スヴェーア王国国境での戦いは最後の山場を迎えている。戦術、そしてそれを実現する部隊指揮能力や連携能力等でアース族軍はアイネマンシャフト王国軍に大きく劣る。個々の能力頼みで戦っていては勝ち目がないのだ。それを思い知らされたアース族は自分たちの得意領域。個々の力頼みの戦いに持ち込むことを選んだ。正しくは、アース族からそれを要求し、アイネマンシャフト王国軍が受け入れたという形だ。
個々の力頼み、つまり一騎打ちでの戦いだ。アース族は一族の力ある者を全て戦場に駆り出している。絶対の自信を持って、戦いに望んだのだが。
「そんなことに? どうして大人しくしていられないかな?」
一騎打ちを行っている最中の戦場に現れた有翼族の伝令役。ジグルスは戦いを中断して、その伝令の話を聞いている。防衛圏内の村でローゼンガルテン王国軍との間で起こった出来事についてだ。
「王妃様が向かっておられます。有翼族千とイザーク殿の騎馬部隊も。救出は成功していると思うのですが」
リーゼロッテは話を聞いてすぐに自らが対応することを決め、ジグルスに伝令を送った。伝令役は彼女の出陣前の情報しか知らないのだ。
「……リゼが自ら出ようと思ったのは、事を荒立てないようにと考えてだと思うけど……民を傷つけられて、その罪を問わないというのはないかな?」
エカードたちとリーゼロッテは幼馴染。事を荒立てたくないというリーゼロッテの気持ちは、ジグルスも分からなくはない。だが、守るべき自国の民を傷つけた罪を不問にするわけにはいかない。彼は彼らの王なのだ。
「では、どう致しますか?」
「……ローゼンガルテン王国に対する命令は取り消し。それ以外は継続だ」
「防衛圏内に侵入した敵は殲滅、ということでよろしいですか?」
重大な決定だ。ジグルスの意思をしっかりと確認しておかなければならない。
「それで良い」
すでに自勢力の存在は知られた。隠す必要がないのであれば、攻撃を遠慮する必要もない。こちらに戦う気がなくても、どうせ相手のほうから仕掛けてくる。
「承知しました。では速やかに戻って王の意思を伝えます」
「ああ、頼む」
ジグルスの言葉を受けて、すぐに駆け出して行った伝令係。すぐに飛竜が空に舞い上がった。敵の攻撃を警戒しての体制。飛竜が攻撃を受けて飛べなくなれば自分の足、ではなく翼で飛んで伝令の役目を果たす。防衛圏外を飛ぶ場合の備えだ。
「さてと……待たせたな。すぐに始めよう」
伝令が去ったところで、ジグルスはまた一騎打ちを再開させることにした。
「…………」
待たされていたアース族に待たされたことを怒る気持ちはない。すでにその余裕は失われている。ジグルスと一騎打ちで戦うのは彼が初めてではない。すでに何人も戦い、そして死んでいる。待たされることを怒るどころか、このまま戦いを終わりにしたいくらいだ。
「お忙しいようでしたら、我々があとを引き継ぎましょうか?」
ジグルスに声をかけてきたのはヘイムダル。ホドとエイルの中立派だった二人も一緒だ。
「貴様ら……この裏切り者め!」
ジグルスに怒りを向ける余裕はなかったが、ヘイムダルに対しては違っていた。同じアース族でありながら、それを言ったらジグルスもなのだが、敵に回った三人を許せないのだ。
「我々が何を裏切ったというのですか? 我らの目的は後世にまで血族を残すこと。その為に最善な道を選んだだけです。裏切り者はアース族としての使命を忘れ、間違った選択をした貴方たちのほうではないですか?」
裏切り者呼ばわりされてもヘイムダルは涼しい顔で反論する。ジグルスに敵対する、それも魔王軍まで敵に回してしまうという愚かな選択をした彼らに責められても、何とも思わない。
「……まだ間違ったと決まったわけではない」
「では決めてあげましょう。王、お任せいただけますか?」
戦功をあげる為にヘイムダルはこの戦場について来ている。恐らくはこれが最後の機会。これ以外の戦いでは戦術を知らない自分たちは役に立たないと考えて、ジグルスに頼み込んで連れてきてもらったのだ。
「……無理する必要はないですけど?」
「無理はしていません。さきほど我々は裏切り者呼ばわりをされました。恨みを抱く相手を残しておいては、血の継承の邪魔になるかもしれない。王と我々の求めるものは同じ。協力するのが当然です」
アース族を滅ぼす。今は「敵対する」という条件が付くことになったが、ジグルスがアース族と戦う理由だ。ヘイムダルとしても望むところ。恨みを買った相手を生かしておくわけにはいかないのだ。
「……じゃあ、勝てる自信があるのであれば」
戦功を得たいというヘイムダルの目的は当然、頼まれたジグルスは知っている。それが分かっていて連れてきたのだ。強く求められれば断ることはない。
「お任せください」
前に進み出るヘイムダル。相手のアース族はもう何も言わない。文句を口にしている余裕はない。負ければ死。それも自分一人ではない。この戦場にいる全ての血族の死が待っている。
一騎打ちを要求しながら、ジグルス一人に大勢で挑むつもりであったアース族。一斉に攻めかからなければ一騎打ちだという屁理屈なのだが、その姑息な計算はヘイムダルたちが、彼らの血族が戦場にいたことで完全に狂っている。数の優位がなく、しかも予想を超える強さを見せつけるジグルスがいるアイネマンシャフト王国軍と戦うことになってしまったのだ。
スヴェーア王国国境の戦いは、抗戦派アース族の敗北、それも破滅的な敗北という結果で終わることになる。
◆◆◆
自分たちは世代最強。近い将来、王国最強となり、その自分たちが率いるブルーメンリッターはローゼンガルテン王国どころか世界最強の騎士団になる。そのはずだった。だが今、世界最強になるはずのその騎士団は、荒れ狂う海原に浮かぶ小舟に乗っているかのような絶望感に襲われながら、戦場を彷徨っている。
ジグルスが王でリーゼロッテが王妃。そういう国があることは分かった。では今、自分たちに襲い掛かってくる魔人たちは何者なのか。ジグルスの軍だとすれば、魔王の軍はどうなったのか。一つの事実を知っても、混迷は深まるばかりだった。
「……何人残っている?」
敵を振り切ったと思えたところで、エカードはレオポルドに味方の状況を尋ねた。
「……三百くらいかな?」
「そうか……」
村で百人の味方と合流して四百ほどになっていたはず。それがまた三百。合流出来た数がまた消えたことになる。
「夜の戦いは不利だ。戦うにしても野戦は避けた方が良い」
移動中であろうと野営中であろうと夜襲を受けると戦いにならない。勝つどころか、逃げきることで精一杯なのだ。
「野戦を避けるといっても……」
では拠点に籠れば良い、といってもローゼンガルテン王国の拠点などない。ローゼンガルテン王国の街や村であった場所は、今は誰の物かはっきりしない。
「このままではじり貧だ。拠点を確保し、守りを固める。その上でバラバラになった味方の再集結をなんとか実現しないと」
三百程度の数でうろうろしていては一方的にやられるだけ。集結場所を確保して、敵に対抗できるだけの数を結集させる。レオポルドはこう考えているのだが。
「そうやって、リーゼロッテの好意を裏切るのね?」
「マリアンネ、彼女の好意って何? そんなものはないよ。彼女はローゼンガルテン王国を裏切った。僕たちの敵だ」
「敵にしなければこんな思いをする必要はなかった」
多くの味方を死なすこともなかった。マリアンネはそう思っている。
「王国を裏切るわけにはいかない。それに彼女が敵になったのは僕の責任じゃない。僕たちが来る前から彼女は王国を裏切っていたはずだ」
今の状況に陥った責任は自分にはない。本心で、どう思っていようとレオポルドはこう主張しないわけにはいかない。敗戦の責任を自分一人が負わされるなんてことは、絶対に受け入れられない。
「王国を離れていたかもしれないけど、敵ではなかった。私はこう思うわ」
「ただの推測だ。それに王国からの独立を企てている時点で、彼女は反逆者。僕たちの敵だ」
「自分を正当化する為に事実を誤魔化すような真似は止めて」
レオポルドは自分の身を守る為に真実を歪めようとしている。それがどれだけ危険なことか。マリアンネは理解しているつもりだ。
「誤魔化してなんていないよ」
「じゃあ、さらに推測を。リーゼロッテの、ジグルスの軍がまだ敵に回っていないとしたら私たちを襲ってくるのは別の勢力。おそらくは魔王の軍ね」
「だから? その可能性は否定しないけど、彼らが反逆者であることは変わらない。臣下の身でありながら王を名乗っているのだからね」
これくらいのことはレオポルドも考えている。考えているので、すぐに反論が口から出てくる。
「私の推測も彼が敵になったことを否定していないわ。私が言いたいのは、私たちはまだ半分の敵としか戦っていないということよ」
推測ではなく事実。ローゼンガルテン王国軍は魔王軍としか戦っていない。アイネマンシャフト王国軍はまだローゼンガルテン王国軍への攻撃を開始していないのだ。
「……だから?」
これは反論ではなく、ただの時間稼ぎ。自分を正当化する為の言い訳を考える時間がレオポルドには必要だった。
「それだけ。私には解決策はないわ」
問い返されてもマリアンネは答えを持たない。持つ必要もない。彼女はレオポルドが目を背けている事実をはっきりと示したかっただけなのだ。
「……マリアンネは彼女たちの戦力はどの程度だと思っている?」
レオポルドにも返す言葉はない。あっても聞く必要はない。そう考えたエカードが話に割り込んできた。マリアンネの推測を事実として考えた上で、どうするべきかを考えたいのだ。
「エカードのほうが分かっているでしょ?」
「自分の考えがどの程度合っているか確かめたい」
「……西は拠点があった川まで。東は不明。北は、これは自信がないけど、ブラオリーリエの先。そこから南の領境までを魔王の軍から守れるだけの戦力。具体的な数字は見当がつかない。今の魔王がどれくらいの戦力を保有しているか分からないから」
自分たちが実際に移動した範囲に基づく推測。具体的な数値は分からない。ただ無視出来る数ではないことは間違いないと考えている。
「俺が分かるのもそれくらいだ。二度目に襲って来た敵の数は確実に超えているだろうが……敵は戦力の上でも倍以上になるわけか」
「単純すぎる計算だけど、それで十分でしょ? 既に……私たちはどこに向かえば良いの?」
事実をはっきりと口に出して話したことで、またひとつ気付いたことがあった。既にグラスルーツにたどり着けるかも怪しい。だが目的地であるグラスルーツは、そもそも安全な場所なのか。敵の拠点に向かっているのではないかという疑問だ。
「……向かうしかない。はぐれた味方も向かっているはずだ」
エカードたちと行動を共にしていない味方は、この事実を知らない。まず気付くことはない。グラスルーツが敵の拠点であってもエカードたちは向かわなければならない。味方を途中で止めなければならない。
「急がないと」
「……そうだな。急ごう」
何も知らない味方を助ける為には、ゆっくりと休んでいられない。エカードはすぐに移動を開始することにした。こういう判断が味方の苦戦を招いているとも気付かずに。
ブルーメンリッターと魔王軍の戦力差は、実際にはほとんどない。小部隊同士の戦いであっても、ブルーメンリッターには勝機がある。そうであるのに勝利に繋げられないのは、極度の疲労による戦闘力の低下。魔王軍とブルーメンリッターの差は体力。ブルーメンリッターに休む間を与えずに攻め続けられる耐久力が魔王軍、魔人や魔物にはあるのだ。
魔王軍はそれを活かして戦おうとしている。ローゼンガルテン王国軍を意識してのことではない。アイネマンシャフト王国軍の中でも戦術指揮能力の高い人族の指揮官を疲弊させ、隙を作らせて討つ為。討つことが出来なくても戦闘から外させ、戦術能力の差を少しでも埋める為だ。この作戦がローゼンガルテン王国軍では全体の疲弊に繋がってしまう。最初の奇襲で戦力を分散させてしまった時点で、ローゼンガルテン王国軍が苦境に陥ることは決まってしまったのだ。
◆◆◆
ローゼンガルテン王国軍が目的地としているグラスルーツでは騒動が起こっている。駐留しているローゼンガルテン王国軍とアイネマンシャフト王国軍の戦い、ではない。広義ではその一部であるのだが、戦闘とされるものは起きていない。それが起こらない方法をヨアヒムは選択していた。
「やっぱり、王妃候補ですね? 誰も手を出さない」
「今はそんな話をしている場合ではありません」
「それは人質の台詞ではないですね?」
ヨアヒムはクラーラを人質にとって、グラスルーツの防壁の上にいる。グラスルーツからの脱出を図ろうとしているのだ。彼一人が逃げ出すのであれば、この程度の騒動も引き起こす必要はなかったのだが、そうはいかなかった。逃げ出す人は他にも大勢いるのだ。
「……どうしてこんな真似を?」
「安全に逃げ出す為」
「どうして逃げ出すのですか?」
すでに何度もヨアヒムに向けている問い。いきなり自分を人質にとったヨアヒム。クラーラは何故、このようなことになったのか、まったく分かっていないのだ。
「……そろそろ教えても良い頃ですか」
逃げ出した理由はいずれ知れる。それを今まで隠してきたのは、真実を知ったローゼンガルテン王国軍がどう動くか判断出来なかったから。何故こんな真似をするのか分からず混乱しているほうが、ローゼンガルテン王国軍の動きは鈍いと考えたからだ、
逃げだすべき人たちはすでに逃げ出している。ローゼンガルテン王国軍が追いかけても追いつけない。それは空を飛ぶ飛竜を見ていれば分かる。
「何故、このような真似を? 何故、皆、ここから逃げるのですか?」
「逃げるのはここに敵がいるからです」
それでもヨアヒムはすぐに全てを話そうとしない。もう少し、自分と周囲にいる人たちが逃げ出すのに時間が必要だと考えているからだ。
「敵……それは王国軍のことですか?」
リリエンベルグ公国の人たちはローゼンガルテン王国を恨んでいる。それを知っているクラーラは、この答えをすぐに思いつける。
「はい。そうです」
「そうだとして、どうしてこれまでここにとどまっていたのですか? 到着前に逃げ出すことは出来たはずです」
わざわざこのような事を起こさなくても、ローゼンガルテン王国軍が到着する前に逃げだせたはず。それを行わなかった理由がクラーラには分からない。
「出来るだけ長い期間、何も知らないままでいて欲しかった。我々には時間が必要だったのです」
「何の為の時間ですか?」
「時間はまだ足りていません。その前に知られてしまったのです」
何の為という問いには、ヨアヒムは、はっきりとした答えを返さない。旧リリエンベルグ公国領内の戦況について、詳しいことまで教える必要はない。状況が分からないままであれば、ローゼンガルテン王国の動きは慎重になる。それだけ魔王軍との戦いに決着をつける為の時間が稼げるのだ。
「……私は何も知りません」
「知ってしまったのはグラスルーツを出た人たちです。クラーラ様が知ることが出来るのは、その人たちが無事に戻ってきてからになります」
「貴方の口からは知ることは出来ないのですか?」
このままでは何も聞くことが出来なかったのと同じ。それはクラーラには我慢出来ない。
「何故、私がクラーラ様に説明しなければならないのですか? 私と貴女の間に特別な信頼関係はありません。それどころか、我々にとって貴女は敵国の王妃候補なのですよ?」
だがヨアヒムにはクラーラの求めに応じるつもりはない。彼女を特別扱いしなければならない理由は、彼にはまったくないのだ。
「……私はなりたくて王妃候補になったわけではありません」
「そうですか……では一緒に逃げますか? 逃げて、一緒にローゼンガルテン王国と戦いますか?」
「戦って……」
クラーラは途中で言葉を飲み込んだ。冷めた目で自分を見ているヨアヒムを見て、彼には本気で連れて逃げるつもりなどないことに気付いたのだ。
「勝てるのですか? という問いですか……予想通りではありますね?」
「…………」
ヨアヒムはクラーラを騙したのではない。試したのだ。そして彼女はその試しで不合格になった。勝てる側に付く。彼女の問いはヨアヒムにそう思わせるものだった。
学院時代の関係がないヨアヒムは、クラーラに情けをかけることなく、冷徹に評価してしまう。その結果だ。
「勝敗など誰にも断言出来ません。ですから貴方はここに残ることになります」
「私は……」
自分の失敗を悟ったクラーラ。だからといって何かが出来るわけではない。
「では、これでお別れです」
「えっ!?」
別れを告げたと同時に、防壁の外へと飛び出したヨアヒム。彼だけではない。周囲にいた全ての人が同じ行動を取った。それに驚き、慌てて壁際に駆け寄り下をのぞき込むクラーラ。見えたのは地面に叩きつけられた人々の死体、ではなく飛竜の翼だった。
滑るように宙を飛び、防壁から離れていく飛竜の群れ。距離が離れたところで空高く舞い上がり、やがて見えなくなった。少し遅れてローゼンガルテン王国の飛竜があとを追ったが、それも見えなくなったまま。戻ってくることはなかった。
結局、クラーラは事態を把握することが出来ないまま。ブルーメンリッターの帰還を待つしかなくなってしまった。