自分たちは何かを間違っているのではないか。一度、心に湧いてしまったこの思いが消えることはなかった。もともとその思いをクラーラは持っていた。苦しい時は何度もあったが、なんとか頑張っていた魔人との戦い。自分たちの活躍で王国の人々を救うのだと心から信じられていた。だがいつからか、その気持ちは確かな手応えを失った。自分たちの勝利は何の為なのか、何をもたらすのか、見えづらくなったように感じた。
それは何故なのか。答えを求めて思考を重ねるクラーラ。それはいつからなのか。これはなんとなく分かる。リリエンベルグ公国陥落を知らされてから。その時からブルーメンリッターは、それ以前とは変わってしまった。それは何故か。また思考がループする。いくかの理由が思い浮かぶ。だがそのいずれも確信を持って、答えだと言えない。証がない。必要な情報が足りなすぎるのだ。
「教えてください。ジグルスさんとリーゼロッテ様はどこにいるのですか?」
情報が足りないのであれば、集めるしかない。そう考えたクラーラは、グラスルーツでもっとも情報を持っているはずのヨアヒムに頼ることにした。
「それはすでに説明しました。二人の行方を私は知りません」
「そんなはずはありません。貴方は知っているはずです」
「そんな風に決めつけられても……ジグルスとはブラオリーリエを退却する時に会ったきり。私はろくに話をすることなく、別れています。妹も私に会うことなく、直接ブラオリーリエに向かったと聞いております」
ジグルスとリーゼロッテの居所については、徹底的にとぼけると決めている。少々、怪しまれてもかまわない。嘘と断定する証拠を得ることなど、まず出来ないのだから。
「ブラオリーリエがどうなっているかも分からないのですか?」
「激しい戦いが行われていたことは知っています。ですが、今の状況を伝えてくれる人は、グラスルーツに現れておりません」
「二人がいるのといないのでは、大きく戦力が変ります。私たちには二人の力が必要なのです」
ブルーメンリッターが揺れ始めたのはリリエンベルグ公国陥落、ジグルスの行方不明がきっかけ。そうであれば、ジグルスを味方に引き入れれば良い。こんなことをクラーラは考えている。
「……それはおかしくないですか?」
「おかしくはありません。二人は私たちと共に戦うべきです」
「ですが、元々、二人はクラーラ様たちの騎士団とは無縁。それどころか戦争に出る身でもなかった」
リーゼロッテもジグルスも魔人との戦いに加わるはずではなかった。元々いないはずの二人なのだ。もちろん、これは皮肉。いまさら何を言っているのか、という感じだ。
「そうですけど……魔人に勝つには二人の力が必要なのです」
「……クラーラ様のお気持ちは分かりました。ですがそれはクラーラ様個人のお考え。騎士団の考えでも、王国の考えでもありません」
クラーラがどう考えているのか分からない。だが、自分の気持ちをぶつけるだけで情報を得ようという考えは、虫が良すぎるのではないかとヨアヒムは思った。
「……騎士団の考えであれば、二人の居場所を教えてもらえるのですか?」
「いえ。騎士団の考えであれば、その力で二人を捜してもらえるものと期待しています」
ローゼンガルテン王国の誰の考えであっても同じ。ヨアヒムには相手に従う理由がない。
「どうしてですか? リリエンベルグ公国を救う為には協力し合うことが必要だと私は思っています。でも、失礼ですけど、ヨアヒム様からはそういう思いが感じられません」
ヨアヒムの態度は非協力的。それがクラーラには納得出来ない。
「……なるほど。クラーラ様とエカード殿は似ているのですね?」
「私とエカード様が、ですか?」
こんなことを言われたのは初めて。また話を逸らそうとしていると思いながらも、クラーラは反応してしまった。
「常に自分は正しいと思っている。正しい自分は支持されると思っている」
「……私はそんな」
そんな考えは持っていない。ヨアヒムの指摘は心外だとクラーラは思っている。
「怒らせてしまいましたか? そうであれば、ついでにもう一つ。お二人に違いがあるとすれば、クラーラ様のほうが少し計算高いということでしょうか?」
「私はそんな女ではありません!」
クラーラの声量があがる。ヨアヒムの言葉はあまりに失礼だと思い、怒りを我慢出来なくなったのだ。
「そうでしょうか? クラーラ様たちのことはそれなりに知っています。これは妹を心配する兄として、学院時代のことを色々と聞いたからです」
「……学院時代だって私は」
学院時代の自分も後ろ指さされるような覚えはない。そう思っているクラーラだが、ヨアヒムが何を言おうとしているのかは不安に感じている。
「妹を助けてくれました。それには感謝しています。でも貴女は、エカード殿に誘われると、あっさりと鞍替えした」
「そんな言い方はされたくありません。私は、ウッドくんがエカード様に仕えることになりそうだから……」
「自分も付いて行った? でも、彼がブルーメンリッターを離れて、リリエンベルグ公国に行くと言った時には、付いて行こうとしなかった」
同じだけの時をウッドストックとクラーラは、ジグルスたちと過ごしていた。だが、クラーラはブルーメンリッターに残ることを選択した。計算高いは言い過ぎでも、天秤にかける冷静さがクラーラにはあった。
「……ウッドくんを知っているのですね?」
ウッドストックを知らないと言ったのは嘘。やはりヨアヒムは色々と隠し事をしているのだとクラーラは思った。
「拠点にいると知ってしまえば、貴女たちは彼を呼び寄せようとしたのではないですか? それでもう拠点に興味はなくなる」
「……そうしたとしても詳しい話を聞く為です。それに拠点への興味をなくすなんてことはありません」
「私には信じられません。貴女たちはここに暮らす人々を助けにきたのではない。戦功をあげて、英雄として称えられることを目的として、ここに来たのです」
エカードと話をして、ヨアヒムはこれを感じていた。純粋に民を思う気持ちから、エカードは戦っているのではない。彼は自分の力で魔人に勝利したと、世間に認めさせる為に戦っているのだと。
「……そういうところはあるかもしれません。でも、騎士であれば戦功を求めるのは当然のことです」
クラーラも同じことを感じていた。だが、ヨアヒムは彼女とエカードを同一視している。そうなるとエカードを擁護しようという思いが強くなる。
「はい。武勲を求める気持ちを否定するつもりはありません。ですが、それを最優先とした場合、はたして民の救いとなれるのでしょうか?」
「戦争に勝利することは民の為にはなりませんか?」
「自分たちさえ勝利すれば良いという戦い方が、民の為になるとお思いですか?」
「……それはジグルスさんの言葉ですね?」
かつてエカードに向けて、ジグルスが放った問い。「魔人を全て倒せば戦争は終わり。貴方たちはそれを成し遂げるのかもしれない。でも、それまでの間にどれだけの犠牲者が生まれるのですか? エカード様は万の犠牲の上に立ち、自分たちは勝ったと自信を持って言えますか?」とジグルスはエカードに告げた。クラーラはその場にいて、話を聞いている。
「そうなのですか? だとすれば、その彼の言葉は貴女たちに届いていなかったということですか」
「…………」
ヨアヒムの指摘がクラーラの胸に突き刺さる。ジグルスの言葉はエカードとクラーラの心を揺らした。思いを改め、多くの人々の為に戦おうと誓ったはずだった。だが自分たちの行動は、その思いから外れているとヨアヒムに言われてしまった。
「我々も外の情報を少しは知っています。途中で抜けた貴女には関係のないことですが、ブルーメンリッターはここに来る前まで、ゾンネンブルーメ公国で戦っていましたね?」
「……はい。そうです」
「ゾンネンブルーメ公国の人々を救えたのですか? そう言い切れるだけの戦果をあげて、ブルーメンリッターはこの地に来たのですか?」
「…………」
そうではない。ブルーメンリッターは戦いの途中で戦場を離れた。魔王軍の拠点を奪取することなく、その先の領内にいる人々を救うことなく、ゾンネンブルーメ公国を離れたのだ。
「戦いが不利になれば、また戦場を離れるかもしれない。どうして、そんな軍に協力したいと思えるでしょうか?」
「……すみません。そのお気持ちは理解しました。でも……私たちにはジグルスさんとリーゼロッテ様が必要なのです! 今のままでは駄目だから! だから二人が必要なのです!」
ブルーメンリッターを否定されれば、尚更、ジグルスとリーゼロッテの二人を求めてしまう。二人がいてくれれば、自分たちは上手くやれる。クラーラはそう思ってしまう。
「……そうでしょうか? ブルーメンリッターに必要な人は他にいるのではないですか?」
「それは……ウッドストックくんや他の仲間も必要です。でもそれは二人がいれば」
「その考えが間違いではないかと私は思います。ブルーメンリッターをまとめたのは誰ですか? 貴方たちを結び付けた人物は、妹でもジグルスでもないはずです」
クラーラの考えは間違いだとヨアヒムは伝えた。真実を分からせようという言葉であるが、好意からのものではない。
「私たちを結び付けた……えっ……で、でも、そんな……」
自分たちを結び付けた存在。こういう言われ方をされるとクラーラにも思い浮かぶ人物がいる。そうであるとは認めたくない人物だ。
「自分たちの中心にいるのが誰か。貴女たちはそれを忘れて、もしくは分からずにいた。それどころか、その人を否定し、中心から外そうとし、実際に外れた。そういうことではないですか?」
「それは……分かりません」
何故、ヨアヒムにそんなことが分かるのか。ブルーメンリッターの内情を教えた人がいるはずで、それが誰となるとクラーラには頭に浮かぶ人がいる。ウッドストックではない。彼は、そういう悪口にも聞こえることを他人に話す性格ではない。そうなると残るのは一人。カロリーネ王女だ。彼女がユリアーナに向ける自分たちの態度に批判的であったことをクラーラは知っている。
だがその名はこの場では口に出来なかった。カロリーネ王女がいると分かれば、近衛騎士たちは何等かの行動を起こす。そうさせるわけにはいかない。
このクラーラの考えにはひとつだけ足りないものがある。ヨアヒムにこれを話したのはカロリーネ王女だけでなく、ジグルスも。ブルーメンリッターが苦戦していることについて話す機会があった時に「主人公が離れてしまえば彼らはもう主要登場人物ではなくなる。活躍が出来なくなるのも当然だ」ということを、まったく違う言葉を使って話したのだ。
クラーラは答えを得た。ブルーメンリッターが間違ったのはユリアーナを失ったこと。それによってストーリーの庇護を失ったこと。クラーラ本人はそうだと気付いていないが、真実を知ることが出来たのだ。
◆◆◆
物語が狂ってしまった影響、とは少し違うのだが、物事が上手く回らなくなった人たちがいる。まだ当人たちに危機感はない。その兆候が少し現れたばかりであり、その人たちはまだ、これからますます事が良い方向に進んでいくと考えているところだ。それだけ現状を正しく把握できていないということで、それこそが問題なのであるが。
戦時景気で大いに儲けたヨーステン商会。だがそれも一時のこと。需要が供給を上回るのはいいが、それも過ぎると悪影響。物が完全に不足し、仕入れが出来なくなれば商売は停滞してしまう。
そんな状況が続いていたが、ようやく解消に向かおうとしている。戦争で止まっていた物流が動き出したのだ。
「……ラヴェンデル公国から注文が来ない? どうしててそんなことになる? 戦争が落ち着いた今こそ、復興の為の物が動く時だろう?」
だが、届いた報告は悪いもの。大口である公爵家からの注文が取れなかったという、当主のヨーステンにとっては、まさかの事態だ。
「それが……他家に注文が流れてしまったようで」
恐縮した様子で理由を説明するのは次代の当主。ヨーステンの息子であり、アルウィンの父親だ。
「……ハウスマンのところか。公国の注文を独占するなど、規則破りではないか」
ハウスマン商会はヨーステン商会の競合先。だがこれまでは王国や四公家といった大口取引先の注文は、平等に分け合っていた。無理に競争しなくても、商会を潤すに十分な利益が得られるのだ。
「ハウスマン商会ではないようです」
「ハウスマンではない? では、ブルクスか? この機会に一気に商売を拡大させようと、攻めてきたのだな?」
ブルクス商会はヨーステン商会やハウスマン商会に比べると、規模としては一段下。二商会に並ぼうと勝負をかけてくる可能性はある。そういった新しい商会が台頭しようとする度に、二商会は協力して、追い落としてきたのだ。
「いえ、ブルクスでもありません」
「ではどこだ? いや、どこでも良い。我らの商売を邪魔する奴らは、容赦なく叩き潰してしまえ」
「……ウィン・ラント商会です」
ようやく商会の名を口にした。躊躇う理由がある。ウィン・ラント商会が何者か知っているのだ。
「聞いたことがない名だ。そんな商会、どこから出てきた?」
初めて聞く商会の名。そんな無名の商会がラヴェンデル公国の注文を奪ったことが信じられない。と思うということは、何も分かっていないということだ。
「この家から」
「なんだと?」
「アルウィンとローランドの商会です」
「……どういうことだ? まさか……我が商会の名を使って、商売を盗み取ったのか!?」
アルウィンたちが実力で商売を奪ったとは思えない。思いたくないのだ。
「いえ。ラヴェンデル公国からは、はっきりとヨーステン商会ではなくウィン・ランド商会を選ぶと言われました。別の商会と認識しての選択です」
「……何故、そのような選択を?」
「跡継ぎと知り合いということもありますが、それ以上に本当に苦しい時に助けてくれたことに恩を感じているそうです。戦時中の、どんなに厳しい場所にも彼らは相手が望む商品を届け続けた。彼らの命がけの行動には感謝してもしきれないと」
「……アルウィンがそんなことを」
ふりかえって自分たちはどうだったか。戦地に商品を送り届けるなんてことはしていない。それが悪いことだとは思っていない。確実に、自分たちが責任をもって届けられる場所に届けているのだ。無理をして物が届けられなくなるリスクを避けているだけなのだ。
「恐らくはゾンネンブルーメ公国でも同じことをしているのでしょう。ゾンネンブルーメ公国の場合は、ラヴェンデル公国ほどの恩を感じるかは微妙ですが」
「……それで儲かっているのか?」
「どうでしょう? でも今は、物を届けて感謝されるだけで満足なのではないですか?」
そんな時が自分にもあった。修行として、自ら荷物を背負って客先に届ける仕事をした。辛い、嫌な仕事であったが、時折、届け先で心からの感謝と思えるものを受けた時は、全てが報われた気がした。また頑張ろうと思えた。
「それでは、まだまだだな」
「ええ。まだまだです。ですが一歩、かなり大きな一歩は踏み出せたのではないでしょうか?」
「……まだまだだ」
「困ったものです。どうやら苦労するのは次代の私ですか……息子に負けたのでは洒落になりませんね?」
困ったと言いながら、その顔は笑っている。その視線の先には、苦虫をかみつぶしたような顔をしている当主。その口元が、わずかに上がっていることがおかしいのだ。それは息子である彼、彼と母親にしか分からない滅多に見られない笑顔なのだ。